はためく白いカーテンを横目に煙を吹く。
居るのは第七学区のいつもの病院。退院したのにすぐ入院。なぜ退院したのかこれでは意味が分からない。『強制入院口答え禁止』とベッドに縛られ、カエル顔の医者からも呆れられ過ぎてため息以外に言葉すら貰えなかった。垣根も麦野さんも退院し、随分と静かになった病室を見る。穴が空きはしたものの、既に数日で傷の塞がってくれた肩を回し、ヒビの入っていたはずの骨も、背中や脇腹の裂傷も、すっかり良くなり体の違和感もなくなった。
そんな中、ギュッと拳を握る音を聞き、音を辿って隣に目を向ける。腕に巻いていた包帯を外し、拳を握る上条を。
「腕の調子は戻ったようだな上条、干魃した大地みたいにひび割れてたのに、本当、よくもまああのドクターは綺麗に治してくれる」
「ほんとにな。法水だって壊れかけのフィギュアみたいだったのによく治ったよな。ただ法水お前……なんか傷増えてね?」
「……何も聞くな」
黒子と口づけを交わしてどこか安心し、限界を超えてぷっつりと、糸の切れた
ボスと共に盛大に佐天さんの部屋を破壊し尽くし、佐天さんは今や家なき子としてしばし飾利さんの部屋に居候中。鯖料理を壊滅させたとフレンダさんから一撃。飾利さんからは長時間お説教をくらい、黒子は枕元で林檎の皮を剥きながら自分の話をしてくれた。
佐天さんとフレンダさんに叩かれた頬をさすりながら、体を反転させて窓辺に肘を突き外を眺める。学園都市、スイスへの帰り道へと続くボスの手を見送り、今一度足を止めた場所。ただ一人の少女のためにこの場にいると言ったら上条は笑うだろうか。上条が誰かのために街を奔走するように、俺のために街を掛けた黒子を思えば、きっと笑いながらそれでいいだろとか言うのだろう。枝に止まった渡り鳥が、もうしばらくここに居ようと思ってしまうこともある。
「で、上条。いいのか?」
「おう、言われずとも分かってるよ。ありがとな法水」
そう言い笑う上条に俺も笑みを返す。
上条の右手を砕いた後方のアックアの来襲を終え、もう心残りはないらしい。世界に二十人もいない聖人でもあったと言う後方のアックアとの死闘、それを打ち破る瞬間をできる事なら目にしたかったが、医者から絶対外出禁止命令を受けて二十四時間御坂さんの妹に見張られていたためどうしようもない。とは言え上条から電話で病院抜け出すの手伝ってくれと連絡が来た時は驚いたが、一度アックアにやられて拳を砕かれ搬送されたくせに、聖人相手に変わらぬ上条の愉快さに断れず、ついつい手を貸してしまった。
まあ病室からの狙撃でどれだけ力になれたかは微妙だが、上条が通る道の警備ロボを掃除してやっただけだし。それより病院で狙撃銃を構える俺を死んだ目で見つめてくる御坂さんの妹さんの方が嫌だった。
それにしたって上条も言われずとも分かっているとは、鈍感さが薄れたようで何よりだ。
「そうか、ならよかった。お前の趣味が堕天使エロメイドだったってこと、言いふらしても怒るなよ?」
「おいちょっと待て⁉︎ なんの話⁉︎ アックアの話じゃねえの⁉︎」
「そんなのボスから話聞いたし、それより俺は急にメイド服姿で突貫して来た神裂さんの方が気にかかる。見ろこの頭を」
包帯の巻かれた頭を指差し、佐天さんやフレンダさんの一撃より尚重い、聖人からの理不尽な一撃を思い出す。
急に風呂でのぼせ上がったという程に顔を赤くして突撃して来た堕天使エロメイドに、上条のお見舞いに来ていた五和さんとやらと
だからこそ!
「一緒に堕ちよう上条、死なば諸共だ」
そう言って死んだ目で携帯の頭を叩けば、空間に映されるクラスのFUKIDASHIに乗せられた罵詈雑言の数々。男女問わず「やっぱりな!」という文言が添えられた風評被害交じりの言葉の暴力がもの凄い。火付け役? そんなのどこぞで覗き見ていた電波女に決まっている。その種火がどっかの馬鹿二人のせいでキャンプファイヤー並みに炎上した。噂も七十五日というからガン無視しているが、これ七十五日で収まるよね?
「それお前の自業自得だろうがッ! 公衆の面前で女子中学生とABCの階段を駆け上がってるお前が悪い以外に言いようがねえよッ! 寧ろアックアに狙われてる時に急にそんなの送り付けられた上条さんの気持ちを察せよお前は! 結局お前も土御門と同じ女子中学生好きってだけじゃねえか!」
「おいおいおいおい? だから俺の好みを女子中学生とかいう囲いで括るの止めろやッ! 俺が好きなのは黒子であって女子中学生じゃあねえんだよッ!」
「だからそれただの義妹好きの土御門の親戚だからねッ! って言うかあれ? なんでこのクラスのグループ会話途中から上条死ねの嵐になってんの⁉︎ 俺なんもしてねえぞ⁉︎」
ああそれならと自分の携帯を開く上条の目の前でディスプレイを操作し会話を遡ってやれば、堕天使エロメイドに手を握られている上条と、それに頬を膨らませている
やったぜ。
「お前ふざけんじゃねえ‼︎ あぁッ⁉︎ 土御門からメイド女子中学生同盟のグループ申請が来てやがる⁉︎ 誰が入んだこんなの!」
「今なら聖母エロメイドを特典で貸してくれるってよ。聖母をこんな扱いにしていいのか? 俺には能天使*1エロメイドってなんだ? なんなのこのエロメイドシリーズの押し売りは? ってか土御門何着持ってんだよ怖ッ!」
「法水これ絶対お前のせ……あっ、青ピがグループに入った」
上条と二人顔を見合わせ、揃って携帯をベッドの上に放り捨てる。通知はスルーで、俺と上条のいないところで楽しくやっていて貰おう。ただ学校に行った時が怖いが考えないことにする。
「に、してもだ。まさか後方のアックアがあの傭兵ウィリアム=オルウェルだったとはな。上条からもっと話を聞いておくんだったよ」
「おおそれだ、なんかシェリーさんもアックアのことそう呼んでたけどさ。そんなに有名なのか?」
「傭兵の世界じゃそりゃもうな」
狙撃手で時の鐘のボスであるオーバード=シェリーを知らない者がいないように、傭兵でウィリアム=オルウェルの名を知らなければ、モグリもモグリだ。傭兵で誰が最強? という議論があったとすれば、必ず名前の上がる者の一人。
「占星施術旅団援護」、「オルレアン騎士団殲滅戦」、「英国第三王女救出作戦」、それ以外にもウィリアム=オルウェルの名が出る激戦は数多く数え切れず、ってかぶっちゃけ俺会ったことある。狙撃手として遠距離最高峰の傭兵部隊が時の鐘なら、近接戦闘最高峰の傭兵がウィリアムさんだ。
傭兵の中でも高潔な人物で、被害を拡大させるような仕事を受ける人ではないため、時の鐘の性質上組む事も少なくなかったのだが、数年前にぱったり名前を聞かなくなったかと思えばローマ正教に居たとは。それも神の右席、カレンでも突っつけば分かったのかもしれないが、後の祭りだろう。
それにおかげで分かった事もある。後方のアックアがウィリアムさんなら、動く理由は被害を最小限に抑える為のものであるはずだ。戦線が停止した事にもこれで納得がいったし、上条を狙って来たということは、此度の戦争、やはり問題は上条に関係する何かにある。
上条は一般人だ。
とはいえそうは言えない程の働きをしてしまっているが、ウィリアムさん程の傭兵ならば、上条を見ればその本質がなんであるのかは分かるはず。それでも尚上条を相手に戦ったという事は、それが被害を最小限に抑える最短の道であったに違いない。
ではそうなると上条を狙う理由はなんだ?
ただの私怨、それはあり得ない。ローマ正教二十億人のほとんどの信徒に対して、上条当麻の方から仕掛けている事など皆無だ。実害を被った者は己の行いのせいである。誰かが不幸になる事に対して上条は過敏な程に敏感になる。そんな男をただ気に入らないから狙うようなら、ローマ正教の教義の底が知れる。
と、なれば上条を狙う理由は、上条個人の性根とは関係ないところにあるはずだ。そうなると、上条がローマ正教から狙われる要素は二つだけ。
「いよいよローマ正教の動きが不審だな。『神の右席』、あと何人居るのやら、前方、左方、後方と来たら右方、上方、下方でも居るのかね。斜め右方とかまでいたら笑えるが」
「いや笑えねえよ……、それよりさ、法水は白井と付き合う事になったんだろ? これからどうするんだ?」
それよりと挟んで大分明後日の方向に会話をぶっ飛ばした上条を白い目で見れば、微妙な笑顔を返される。ウィリアムさんは爆散したっぽいとか言っていたし、終わったばかりでキナ臭い話はしたくないのだろう。
ただ本当に終わったかは疑問だが。
ウィリアムさんは『賢者』とさえ呼ばれる博識であり、経験に裏打ちされた戦闘技術を持つ猛者だ。死を偽装するなんて負けを意識してからの常套手段の一つだし、神裂さんより早く戦場で出会った聖人の一人。倒せたのは本当だろうが、死亡したかは怪しい。肉片の一つも現場に残ってなかったそうだしな。
相手の狙いが上条たちであればこそ、もう少し緊張感を持って欲しくはあるが、一般人である上条にあまり求め過ぎるのは酷だ。ただ平和を求めている者に、お前狙われてるから拳銃あげると言う馬鹿はいない。それは傭兵である俺が握るべき物だ。仕事中はそうもいかないだろうが、隣人のよしみで多少は俺が気を配ろうと心に決めながら、新たな煙草を咥えて吸いかけの煙草で火を点け、吸い終わった煙草を握り潰すのに合わせて上条に答える。
「……別に付き合っちゃいないよ」
「はい? いやだってお前」
「戦争中だぞ? そんな事にうつつを抜かしていられる時間なんて限られてるし、フランスでも、今回も、ボスが動く程に事態は悪化していっている。しかも聞いた話じゃロシア成教がローマ正教と手を組んだそうだし、まだ悪くなるかもしれない」
「……今よりもか」
「今よりもだ」
理由もないスイスへの帰還命令。今回こそそうであったが、次回に来た場合は別だろう。今思えば、ボスのアレは準備をしておけと遠回しに言っていたような気もする。近いうち、今より状況が悪化すれば、俺が学園都市から離れねばならない日がきっと来る。その時までにやるべき事はやっておけと。一歩目でこれまで超えてこなかった線を一つ大きく超えてしまったが、全く悪い気分ではない。
「それで白井はいいって言ってたのか?」
「いいもなにも別に付き合ってくれと告白したわけではないからなぁ。そういう関係になりたくないのかと問われれば、まあそりゃあ……なりたくはあるが」
ただ俺にとってそういった関係は未知の領域過ぎてむず痒い。誰かを己の側に置く。物理的にというより精神的に。これまで仕事という線を引いていたが、それを失くした時黒子の顔をまともに見れるか? 見れるとは思うが、きっとそうすると手に取ってみたくて仕方なくなる。無意識に伸ばしてしまう手が恋か……、恋心とは手グセが悪いな。
「じゃあ少なくとも戦争終わるまではってことか? いやでも法水、そんな事しててお前もし誰かが白井にちょっかい出したら──」
「そいつの眉間に穴が空くことになるな」
「おぉいッ⁉︎ それダメだろ傭兵! ってかお前白井にべた惚れじゃねえか!」
「そうだけど? だって黒子最高に綺麗だもん。なに? なんか文句あるの?」
「いやねえけどッ⁉︎ ねえけどなんか腑に落ちねえッ! なんで俺はアックアに狙われてお前は幸せいっぱいなんですか?」
「何言ってるんだ。俺だってボスと黒子に狙われて」
「うるせえッ! その幸せをちょっとでいいから俺にも分けろ! 一人だけ俺彼女いるからみたいな顔しやがって!」
「こらやめろ掴むな! いいだろ上条には堕天使エロメイドが降臨なされたんだから!」
「お前のおかげで冥土に連れてかれちまったよ! メイドだけにな!」
「つまんな」
「うっせえ!」
振り上げられた拳を払い、突き出された拳を払う。上条も喧嘩慣れしてはいるが、悪いが真正面から一対一では、奇襲でも受けない限り上条に負ける理由を探す方が難しい。右にゆらり、左にゆらり、振るわれた右拳を交わして上条と肩を組むように倒れ込んで、腕の中で上条の頭をゴロゴロと樽回しするように回してやる。これで頭を冷やして貰おう。バスケットボールをパスするように送り出してやれば、目を回して顔を青くした上条がくるくる回りベッドに手を付き動きを止めた。
「こ、この野郎、惜しげもなく傭兵の戦闘技術使いやがって……」
「上条も何か習ったら? その右手を上手く使うなら打撃技がいいだろう。ボクシングか空手か、詠春拳とか、日本拳法とかどうよ」
「そんなの習おうと思ってすぐ習えるのか? ったく、だいたいお前シェリーさんがタイプとか言ってなかったか?」
「そうだけど? それが何か?」
「そうだけど⁉︎ 法水お前白井が好きなんだよな⁉︎ なのにシェリーさんがタイプってなんだそりゃ⁉︎ 公然と二股宣言か! この野郎法水! お前のそのふざけた幻想をぶち殺す!」
「他人のこと勝手に二股にすんじゃねえ‼︎ 俺はもう決めたからなあ! 黒子以外に絶対手なんか」
出さないぞーと続くはずだった言葉は、ガラガラと開いた病室の扉の音に飲み込まれて消えてしまった。俺と上条が顔をそちらへ向ければ、ジトッとした目の黒子と、苦笑している
この病室防音だよね?
無言でコツコツ足音を鳴らし俺の前まで歩いて来た黒子は、俺の口から煙草を引っ手繰ると灰皿に押し付け火を消される。何を言われることやらと身構える中、一つ小さなため息を黒子は零した。
「全く、いくら言っても貴方は病室で煙草などお吸いになって。わたくしが四六時中一緒にいなければいけませんの? 怪我人なら怪我人らしくして欲しいですわね」
「いやでも、ほら、怪我はもうほぼ完治でそろそろ退院してもいいらしいし……黒子怒ってない?」
「はぁ、別に怒ってませんの。貴方の理想がシェリーさんだという事は分かってますし……それに」
俺に向き直った黒子が胸に片手を置き悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「この先わたくしの方が絶対いい女になりますもの。背も精神もきっと伸ばしてやりますの。でしょう?」
「……はい」
その何かの確信を持って言い切られた言葉に、思わず返事を返してしまう。高潔で勇敢な俺の小さな英雄。一年、二年と時を重ねれば、きっと俺が思うよりずっと彼女は強く綺麗になるのだろう。それをもし誰より近くで見られるのなら、それこそ最高というものだ。だから黒子の頬へと手を伸ばし、ツインテールの毛先に指を這わせる。
「黒子は綺麗だな」
「も、もうまたすぐそういうことお言いになって」
「惚れた女には遠慮をするなってロイ姐さんにはよく言われてたんだが」
「なに言ってるんですのあのゴリラ女」
小声で毒を吐く黒子の声を聞きながら、赤くなった黒子の頬を親指で撫ぜる。ロイ姐さんの言っていたことが前までは俺もよく分からず、「なに言ってんの姐さん、見栄張らない方がいいんじゃ」と姐さんにアイアンクローされながら思っていたが、今ならよく分かる。黙っていても伝わる事はあるけれど、口にすれば伝わらない事などない。
狙撃銃を構えてスコープ越しの狭い世界の中で見続けているだけでは、相手に弾丸が当たらないのと同じ、引き金を引かなければ当たるものも当たらない。
「俺は浮気なんて一生しないよ。黒子がいるからな。黒子にもし逃げられても、なに俺は外さんさ」
「べ、別に逃げたりしませんの。一度嵌めてしまった手錠の鍵など、わたくし持っていませんし。千切れてしまえば別かもしれませんけれど……」
「大丈夫さ。誰より遠くに手が伸ばせる俺と、誰より遠くに行ける黒子なら、掴めないものなどないだろう?」
「……そうですわね。でも、わたくしはただ愛でられるだけの花でいたくはないですのよ? ……この先を女の口から言わせる気ですの?」
目を横に逸らして僅かに顔を上げる黒子の頬に手を添える。手が燃えてしまうような熱を離さぬように壊さぬように顔を寄せて、少女の額に額を付けた。頭が沸騰しそうな熱を共有し合いその桃色をした唇に──。
ゴホンッ。
わざとらしく零された咳に動きを止める。音の方へ振り返る黒子と共に顔を上げれば、目を両手で覆いながらも、しっかり指の間で目を輝かせている
「え? 上条なんでまだいるの? 出口はほら、後ろにあるぞ」
「まだいるの⁉︎ ここお前の病室でもあるけど俺の病室でもあるんだけどッ‼︎ お互い入院多いから一緒に入院してる時は入院費折半して安く済まそうぜって誓い合ったあの日はどこ行ったんだ! ってか病室で何しようとしてんだお前ら‼︎」
「……くろこもまごいちもお互いしか目に入ってないんだよ。……ちょっと羨ましいかも」
「他人の情事を盗み見るなんていい度胸ですわね。ひっ捕らえますわよ類人猿」
「なんで俺だけ⁉︎ 横暴だろ⁉︎」
妙な観客が出て行ってくれない。上条は俺や黒子より隣で袖を引いてる
「分かった。俺と黒子はちょっと散歩してくるから上条と
「なんの安心⁉︎ いや普通に会話外にダダ漏れだったろ! 今だってほら! 御坂の妹の一人が出入り口に噛り付いてるんですけどッ!」
「ミサカのことはお気になさらず、どうぞどうぞとミサカは気を使います」
「全く気使えてねえ⁉︎ あれで俺にどうしろってんだ法水‼︎」
「そりゃもういよいよ神様の野郎から
「意味分かんねえ闘争に俺を送り込もうとすんな! ってか御坂の妹の数がなんか増えてんだけど⁉︎」
扉の前で顔だけ出し縦に並んだ同じ顔。なんか軽くホラーである。「お姉様のお顔がッ!」と数え出す黒子の声を背に聞きながら、みるみる肩が落ちていく。野次馬根性というか、御坂さんの妹たちもこういうの好きなのね。
「我々のことはどうぞお構いなく、とミサカはドキドキする心情を隠し切れず赤面します」
「いや、ですがこれは学生としてどうなのでしょうか? とミサカは疑問に思いながらも目を離すことができません」
「現在ミサカネットワーク内での観覧者が五千人を突破。とミサカは実況しながらもどうにもこの場を離れることができませんと報告します」
「いやいや、狙撃手なだけに普段見られないからこそ法水君はこういう見られる背徳感が堪らないんだよ。とミサカは確信」
「これはお姉様にも報告すべきなのでしょうか? とミサカは葛藤しながらも、まあお姉様なら上手くやるでしょうとミサカはぶん投げます」
言いたい事を言う連中である。いい気なものだが少し待とう。なんか一人凄い聞き覚えのある喋り口調の奴が混じっている。そういうことならとベッドに寄って枕を掴み、縦に並んだ妹達の上から四つ目の顔目掛けて枕を思い切りぶん投げた。
***
「ナルシス=ギーガーか」
「右方のフィアンマ、派手にやったね」
廃墟に見えなくもない聖ピエトロ大聖堂の中、鎧を纏ったスイス衛兵の姿を目に、フィアンマは手を伸ばそうとして、しかし止めた。教皇を守護するはずの衛兵の中で最強であろう衛兵から微塵も剣気を感じられない。『神の右席』を束ねる者の思惑に、教皇が反対し返り討ちに逢おうとも静観を決め込み何もしない
「スイスの狸が、いよいよ本性を隠す気も無くしたかよ。教皇を護りもせず柱の影で突っ立ってるだけとは、スイス衛兵の歴史が泣いてるぜ」
「歴史が泣くとは可笑しな事を言う。そもそもおかしいと思わないか? この世に己が生まれる以前の歴史などあってないようなものだろう?」
不敵に、不遜に、ただ己が思うがまま言葉を吐き出すナルシスに、ローマ正教徒に好かれていた衛兵長としての面影はない。誰に対して目も向けず、ただ己だけを吐き出し続ける騎士の自己愛に辟易し、ローマ教皇の意地を汲み取り、軽く牽制のつもりで右手を動かしたが、ナルシスを残し倒壊した柱を見て眉を寄せた。
「……ナルシス=ギーガー、どんな化け物の特性を借りればそうなるやらな。いつ仕込みを終えた? ヴェントの時には終えてやがったな。俺様とそれでやる気か?」
「君が学園都市やローマ正教など眼中にないように、俺も同じく君のことなど眼中にない。俺は俺がしたい事をするだけさ。どうしてもやりたいならやってもいいが?」
負ける気など微塵もないと微笑むナルシスに舌を打ち、フィアンマは腕を組み静止した。勿論フィアンマにも負ける気など微塵もない。右手の出力さえ上げれば地に転がるのは自分ではなくナルシスであると確信している。ただ、それにはどれほどの労力が必要となるか、ナルシスの気味悪い術式と周囲への被害を考え、即座に無駄だと答えを弾く。
ただでさえ教皇を吹き飛ばし、聖ピエトロ広場が吹き飛んだおかげで外は絶叫の渦。ただでさえ生まれてしまった注目が、これ以上暴れてはより強くなるだけだ。ローマ正教の烏合の衆などフィアンマにとってはなんの障害にもなりはしないが、上条当麻のいる学園都市、禁書目録の所属するイギリス清教に下手に動かれると困る。
だからフィアンマはナルシスの相手をする事を止め、静かに身を翻した。
「俺様の邪魔さえしなけりゃお前がどうしようとどうだっていい。私欲の権化が。せいぜい束の間の自由を楽しめよ。俺様の計画が終わった時は、一番にお前を潰してやる」
「まるで仕方なく悪魔を見逃す祓魔師のような台詞を吐くな。その言葉そっくりそのまま君に返そう。それまでは、君に神のご加護がありますように」
「死ぬまでほざいてろ
お互い様だとナルシスは言わず、ただフィアンマの背を見送る。
誰の為彼の為、突き詰めればそれは結局己の為だと確信するが故に。必要なものは必要な者の前にこそ落ちてくる。だからそれを待てばよい。
神の右席はナルシスにとって最もよく働いてくれた功労者だ。世界は荒れ、最も邪魔であった時の鐘は世界に散り、後方のアックアのおかげでオーバード=シェリーさえ東の極へと遠退いた。
待てば機会はやってくる。後はその機会を掴めるかどうか。ローマ教皇が倒れたのなら、より世界は荒れるだろう。だから
「イギリスだったか……餞別だフィアンマ。あれは確かイギリスに友人が居たはずだからな、
教皇の名を借りて、ナルシスは一枚の切符を用意する。ナルシスが最も必要ないと断じる
MA CHERIE 編 終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。次回、幕間です。