イギリス清教の女子寮での撤収作業をほとんど終わり、女子寮を囲っている騎士達の包囲網を、修道女達のありったけの遠距離砲撃で打ち崩し脱出する作戦開始時間まで残り数分。最後の行動方針を決めるためにカレン、アンジェレネさん、オルソラさん、上条と顔を合わせる。
「俺はユーロスター路線の列車に乗ってインデックスを助けに行く!」
「そうか、頑張れよ」
「あれぇ⁉︎ 法水さんがなんかすっごい他人事なんですけど⁉︎」
馬鹿耳元で叫ぶんじゃない。こういう事態の時、大体一緒の時は上条と行動を共にしていたからすっかり俺が付いて行くと思っているようだが、今回は残念ながら違う。フランスの時と状況的には近いだろう。修道女達からそれぞれの話を聞くことができ、欲しい情報はそこそこ集まった。
ゴッソには上条と
「上条、俺の仕事はイギリスの力になることだ。
「ほらな! だから言っただろう! この男はこういうロクでもない奴なのだ! 薄情を通り越して機械的だ! 頭まで狙撃銃でできているに違いない! イギリスは悪魔と取引した事に気付いてないのだ! オルソラ! アンジェレネ! 孫市に近づくな、火薬の匂いが感染るぞ!」
感染らねえわ! そういうお仕事なんだから文句言うなら契約して来たイギリスのトップに文句を言えばいい。既に料金支払われているのだから、ここで契約通りに動かなければ、雇われた意味もない。
クーデターの首謀者であるキャーリサさんをどこかで討たねばならないだろうが、それは今ではないだろう。救出と暗殺では、難易度が段違いだ。魔術を握り潰せる上条一人ならば、上手いこと潜り込み、魔術で拘束されていたとしても関係なく
だが、もし上条に付いて行き、クーデター鎮圧のためにキャーリサさんの暗殺に動いたとしよう。
まず第一に、この事態の中で一番相手が恐れているだろう事は、当然キャーリサさんが一番に討たれる事だ。カーテナ=オリジナルをキャーリサさんが持っているからこそ、騎士達の力は普段より上がっている。尚且つカーテナ=オリジナルを持つキャーリサさん自身もまた天使長に対応している事を思えば、そもそも弾丸が通るか怪しい。そんな警戒体制の中上条と二人突っ込み、
無理だ。
うじゃうじゃいる騎士は、上条が触れ魔術が解けたところで剣士である事に変わりない。下手すれば上条が真っ二つになっておしまいだ。そうなれば、唯一容易く弾丸が通るだろう手も潰える。後は数に潰されて俺もさようなら。何よりイギリスの人間でもない俺や上条達に相手は遠慮しないだろう。
だからこそ、フォークストーンに向かわないのなら俺のすべき事は決まっている。
「俺はアンジェレネさんと共にアニェーゼ部隊の救出に動く」
「え? い、いいんですか?」
「勿論」
パチクリ目を瞬くアンジェレネさんの問いに即答する。ランベス橋での騎士の発言といい、イギリスの国民以外がこの事態に手を出し勝手に動く事を何より騎士達は嫌っているように見える。アンジェレネさんがアニェーゼさんと通信した話によれば、捕らえられたアニェーゼ部隊救出のため、エジンバラ発ロンドン行きの列車にアニェーゼさんとルチアさんは身を潜めているらしい。
アニェーゼ部隊が遣り手の部隊である事は『新たなる光』の調査結果でもう分かっている。『法の書』、『女王艦隊』と他の事件の際にも関わっており、それは
そうなれば、僅かでも他の部隊が動くだけの隙と時間を稼げるだろうし、何よりロンドンに目を向けさせれば、
本当なら現イギリスのトップである女王エリザードさんを救出するか合流するかしたいところだが、場所が分からないので今は考えない。騎士をひっ捕らえたところで知っているかどうか分からないし、分かるまで騎士とやり合うなんて、そんな危険な賭けには出れないからな。
「上条、友人としては俺も付いて行ってやりたいところだが、これが俺だ。悪いが俺は時の鐘のレールから外れる事はない」
突っ走り続ける
「インデックスの事は俺に任せろ。だからアニェーゼの事はお前に任せた。別に法水が戦いたいから仕事してるんじゃないって事くらい俺にだって分かってるさ」
その言葉に頷き返し、どうしようもなく上がってしまう口端を一度撫ぜて笑みを消す。こんな紛争状態のような中で本当なら不安であろうに、すぐにそんな事を言わないで欲しい。これだから上条には敵わない。だからカレンは「いや、この男は引き金を引きたいだけだ」とか言ってんな! これだからカレンは嫌いなのだ。
「それじゃあお前はどうすんの?」とカレンに聞けば、鼻を鳴らして偉そうに腕を組む。
「オルソラに付いて行こう。私はローマ正教だ。アニェーゼもそうだが、戦闘のできないオルソラの方がこの事態の中では危険だろうし、敵を穿つよりも今は民の安全が優先だ。騎士派がいざ突っ込んで来た時、真っ正面から打ち合えるのは私だけだろうからな」
「お前も私情バリバリじゃないか」
「金で動く貴様と一緒にするな!」
何を言うか。金という世界共通の価値観で雇えるからこそ傭兵は有用だと言うのに。結局言っていることは俺と然程変わらないだろうに、どうしようもない価値観の違いというやつだ。カレンと睨み合っていると、隣に寄って来たオルソラさんに軽く肩を叩かれ耳打ちされる。
「カレンはきっと、アニェーゼさんのところに法水さんが行くから安心しているのでございますよ」
にっこり微笑んでくれるオルソラさんの顔を見つめ俺も微笑む。言うべき事ができた。それも今絶対に言っておかなければならない事が一つ。
「それだけはない」
ヨーク大聖堂にヨーク城、背の高い石造りの要塞や。街の中を流れる石道を眼下に収める。
ヨーク。
イングランド北部にある都市。中石器時代の紀元前八〇〇〇年から七〇〇〇年には今ヨークがある場所に人が定住していた痕跡があったと言われ、紀元一世紀から既に要塞都市として発展して来たイギリス随一の長い歴史を誇る都市。
ロンドンから離れて約三五〇キロメートル。ヨーク駅のプラットホームの上にアンジェレネさんと共に寝転がりながら周りの景色や夜空を眺める。何故こんな場所に居るのかと言えば、アニェーゼ部隊が囚われているエジンバラ発ロンドン行き、エディンバラ=ウェイヴァリー駅とロンドンのキングス=クロス駅を結ぶ路線がヨーク駅を通るからだ。即ちアニェーゼさん達が通る。
数多くある駅の中でヨーク駅を選んだのは、ヨーク駅のプラットホームにはドーム状の大屋根があるためだ。飛び降りるのには打って付けである。何より、俺の軍服もアンジェレネさんの修道服も暗色であるため、真夜中の空の下、動かず寝転がっていれば見つかり辛いときた。煙草を吸いたいがそれでは目立つのでそうもいかず、代わりに薄い白い息を空に吐く。
「……思ったより簡単に着けましたね」
「イギリス清教の女子寮は騎士派に制圧される施設の中でも最後の方だったからなぁ、他の場所が既に制圧された後だったからさ」
制圧してしまえば、そこからさようならとはいかない。制圧したら制圧したでそこを維持しなければならない。よって、動き回る騎士の数は減り、容易くキングス=クロス駅から出る列車に紛れ込む事ができた。ヨークはイギリスの中でも歴史ある大都市。一度や二度の運搬では全ての物資を輸送できないため、ロンドンからも騎士派が列車を動かしてくれていたおかげだ。
プラットホームの屋根の上に流れる冷たい風にアンジェレネさんは身を震わせて小さなくしゃみを一つ。ただ待っていても暇だからか、鼻を啜りながらアンジェレネさんは言葉を紡ぐ。
「そ、それにしてもまごいち、路地裏ひょいひょい移動してましたけど敵の位置が分かってたんですか? 迷いなくここまで来ちゃいましたけど」
「制圧の為に動き回られてるよりも、制圧後、相手の動きが固まっていた方が動きは読める。狙撃ポイントっていうのはある程度決まっているものなんだよ。んで、見回りとかはそのラインでは見えない部分なんかを補うわけだ。とはいえアナログで全てを賄うことは不可能。死角ができる。防犯カメラは俺の懐の小さな相棒のおかげで気にしなくてもいいしね。アナログならこっちのものだ。狙撃手の位置さえ分かれば安全に通れる道が漠然とだが分かると。覚えておくといいぞ」
「うへぇ、覚えていても私狙撃手の位置とか見て分かりませんよー……」
魔術師が魔術に特化しているように、狙撃手として戦場に特化しているだけの話だ。この魔術の残り香的にこんな魔術が使われてるとか言われても、それが俺にはさっぱり分からないのと同じ。得意分野の違いという奴だ。魔術師や能力者も荒事はよくするようであるが、本質的に、魔術師も能力者も仕方なく戦うのであり、自ら戦争のために戦うのとは勝手が違う。魔術戦、能力戦関係なく、戦場での経験ならば下手に歳食った魔術師や科学者よりも俺の方が長い。
「時の鐘、イタリアで一度会いましたけど、戦いだと本当に頼もしいですね。いろんな人が雇うのも分かる気がします」
「それが仕事だからな。弱かったら話にならない。それに本当ならない方がいい仕事だ」
「それをまごいちが言うのですか?」
「誰だって平和な方がいいだろう? アンジェレネさんだって戦うためにローマ正教の修道女になった訳じゃないだろうさ」
「そ、そうですけど、そんな当たり前のこと」
そうだ当たり前のこと。誰に言ってもそう言う。当たり前。誰もが分かっていながら、それでも世界から戦いがなくなることはない。ただ、それを当たり前と言ってはならない。銃弾飛び交い、爆弾が降り注ぐ当たり前など必要ない。だが、そう言ったところでそれがなくなることもないのだから、どうすればいいのかなど分かっているようで誰にも分からないのかもしれない。
「アンジェレネさんは? イギリス清教の傘下に入ってもローマ正教だろう? それでいいのか?」
「……シスターアニェーゼが居て、シスタールチアが居る場所が私の居場所ですから」
「……真理だな」
人は誰もが狭い世界で生きている。世界中の人間と知り合いになどなれないし、分かり合う事もできぬだろう。そんな広い世界ではなく、狭い世界とて同じ事。縮尺の違いでしかない。俺にとって大事な者がいるように、誰にだってその者にとっての大事な者が存在する。
上条にとっての
それを否定する権利は誰にもなく、その狭い世界が自分を構成する全てだ。
「怖いか? 騎士の座す列車に飛び込むのは。言うなら俺は傭兵でアンジェレネさんは修道女だし、アンジェレネさんが嫌なのなら、俺だけでやっても構わないが」
平和を生きる誰かが戦わなくていいように、俺のような者が存在する。広い枠で見れば、アンジェレネさんは魔術師であっても一般人だ。能力者だってそう。戦うために、戦場に立つためにこれまでを積み上げているわけではない。それを積み上げているのは俺やカレン、騎士派や軍人。こんな事態だし贅沢は言えないが、一般人が首を横に振るのなら、それならそれで構わない。
アンジェレネさんは少しの間唸り声を上げ、またくしゃみを一つすると鼻を啜り少しの沈黙の後口を開く。
「……し、シスターアニェーゼ達が待ってますから。それに……また、まごいちも力を貸してくれるのですよね? シスターカレンも言っていましたけれど、まごいち達時の鐘とはまるで悪魔のようですよね。人と対等で契約を交わし、魔術とも科学とも違う法で未知の力を貸す。一種の儀式を踏んでいるようにも見えます。そういう魔術なのですか?」
「人を化物扱いするなよ……」
難癖のような言い掛かりだが、そう言われるとそんな気もしてくるのだから魔術とはなんでもありである。だいたい貸す力とは鍛えた人の技術でしかない。魔術師や能力者からすれば原始的だと笑われるかもしれないが、原始的こそ全ての基本である。
そもそも今の時の鐘の始まりは、第二次世界大戦後ガラ爺ちゃん達が作り、最初の仕事が学園都市創設の際の防衛だし、それを思えば、今でこそ、そのおかげで武器は最新式であるが、培われている技術はその時から変わってはいない。だというのに、そんな風にアンジェレネさんに言われると、契約した仕事を途中でほっぽりだしたら手痛い何かがあるようではないか。これまで仕事を途中でほっぽった事もないけど。
それ思えばこそ、なぜそもそも『シグナル』はアレイスターさんの私兵部隊なんていう立ち位置なんだ? 上条、青髮ピアス、土御門は分かる。それぞれ科学と魔術に通じたスパイに、学園都市第六位、
技なんて鍛えれば誰だってそこそこはできるようになるものであるし、それさえ取り上げられれば俺は一般人と変わらない。他の暗部のメンバーを見ても、高位能力者が基本であり、『スクール』が雇ったスナイパーは、垣根の独断専行なのだから例外だろう。そうなると、例外でもなく俺を選んだ理由はなんだ? 選んだのは土御門であると言えばそこまでだが、それでいいのか確認ぐらいは取るはずだ。
立場上土御門が上手い事やったとして、アレイスターさんが元々時の鐘と知り合いだったから了承しただけなのか?
逆にそうでなかった場合、何かがあって了承した場合、時の鐘とアレイスターさんは、時の鐘、学園都市双方の創設初期に関わっている。学園都市は大きな実験場だ。時の鐘もまさかそうであったりしないだろうか。元々あった魔術的なもの以外使う事もなく、学園都市や魔術を創設時から知っていながらにそれを使おうとしない。そう俺も育てられ、価値観としてそんなもんだともう思っているから気にした事もなかったが、だいたいボスが少し前に学園都市に来た時時の鐘はサタニズムの集団とか言っていなかったか? 俺は別にそんなつもりもなかったが、幼少期からそう育てられ気にした事もなかっただけだ。
「……悪魔ねぇ?」
天使なら何度か相手をしたが、そもそもそれと対になるような悪魔はまだ一度も見ていない。見たいわけではないが、天使と呼ばれるものがあるのなら、悪魔も当然居るのだろう。青髮ピアスの能力名もそんな感じだったし。今回のカーテナ=オリジナルも天使長に対応する代物だし、そう考えると、銃にも悪魔と関わっているものがあったような。
百発百中と言われる『魔弾』、ミュージシャンに有名なクロスロード伝説、猟銃を持った悪魔界きっての狩人とか居た気がする。俺も詳しくは知らないから今度
「ま、まごいち、そろそろ時間みたいです。シスターアニェーゼから通信がありました。列車の前方部分にシスター達は集中管理されているようです。後部車両に騎士派の増員。連結部を切り離せれば騎士派の多くとやり合わなくてもよくなると思うのですけど……」
アンジェレネさんに突っつかれ、これはいけないと余分な思考を切り離す。どうしましょう? と小首を傾げるアンジェレネさんに目を向け、考えるように頭を掻いた。
「……うん、ちょいと派手になるが俺でもできなくはない。派手にやっても走ってる車両なら関係ないし。アンジェレネさんに協力して貰えればより完璧に。どうする? こっちでそれはやるか?」
「う、うー……できるだけシスターアニェーゼ達の労力を減らしてあげたいです。私だけスコットランドに行けませんでしたし……」
「ならそうしようか。頼りにしてるよアンジェレネさん」
「は、はい! お任せください!」
ビシッとアンジェレネさんは敬礼を返してくれるが、修道女が敬礼をしていいものなのか。取り敢えずやる気満々なアンジェレネさんにやるべき事を耳打ちすれば、やる気あった顔から一気に血の気が引き、青い顔で固まった。
「そ、それ大丈夫なんですよね? 私達挽肉になったりしませんよね? ほ、本当にやるんですか?」
「あ、来たみたいだ。ヘッドライトの灯りが見える」
「ほ、本当にやるんですか⁉︎ 今からでも遅くはありません! もっと穏便な方法で⁉︎ なんで無言で狙撃銃連結してるんですかー⁉︎」
「ま、まごいちー? い、今ならまだ遅くはないですよ? 私としても一日に二度も高所から飛び降りるというのはですね……や、止めません?」
「行くぞッ!」
「や、やっぱりっ⁉︎ スイスの人ってなんでそうなんですかー⁉︎」
スイス人に対する偏見がひどい。
背中でアンジェレネさんの絶叫を聞きながら、プラットホームに速度も落とさず突っ込んでくる十両編成の列車を真正面に見る。エジンバラ発ロンドン行き。エジンバラからどこにも寄らずにロンドンに行く気なのだろう。切り離すのは後方五両。狙った場所に飛び降りるのだって狙撃とそう変わらない。
プラットホームの屋根から飛び出し、
「や、やりました!」
「ああ上手くい──げッ⁉︎」
硬貨袋が連絡通路の扉を穿ち中へと俺とアンジェレネさんを引っ張るはずだったのに、ポロっと外れた扉が俺とアンジェレネさんに迫る。
「振動で金具でも緩んだってのか⁉︎ 整備員何やってんのッ⁉︎」
「イヤァァァァッ⁉︎ こんな事ありますかッ⁉︎」
「ふんッ‼︎」
幸いアンジェレネさんの投げた硬貨袋は列車に追い付き、車内の鉄の手すりに硬貨袋の紐が括り付いている。
ベコんッ‼︎
ドロップキックの要領で扉を受け止め、そのままサーフボードのように下に下ろす。レールに接触し火花を上げながら扉は甲高い叫びを上げ、アンジェレネさんの絶叫と混ざり耳が痛い。砂利で跳ねて扉が吹っ飛んでしまえばアウト。
「ま、まごいち⁉︎ 絶対! 絶対放さないでくださいよッ‼︎」
「分かっている‼︎ それより新しい硬貨袋に紐でもつけて投げてくれ! このままじゃ俺の足が消しゴムみたいに擦り切れちまうッ‼︎」
「ひ、紐なんてもうないですよー‼︎ 何括り付ければいいって言うんですか⁉︎」
「なんだっていい! 最悪服でもいいから早くしてくれ!」
「やっぱり服剥魔じゃないですか⁉︎」
他に何もないんだから仕方ないだろ! アッチィィィィッ⁉︎ いよいよ扉がもう扉の形を失い始めてるんですけども⁉︎ アンジェレネさんは落ちないように俺に張り付いてるだけで手を伸ばしてくれない。そんな中、扉を失くした車両の穴から、二つの顔が伸びてくる。
「シスターアンジェレネ、何を遊んでいるのですか?」
「いやー、後部車両が見事に転がってやがりますね。ナイスです二人とも」
「し、シスタールチア⁉︎ シスターアニェーゼ⁉︎ 見てないで助けてくださいよー⁉︎」
「こら! 馬鹿⁉︎ 顔を掴むんじゃない⁉︎ 前が見えねぇッ⁉︎」
痛たたた! 的確に目を覆うように掴まないで欲しい! だからと言って耳を引っ張るのもなしだ! 頭を抱えるように羽交い締めるな‼︎ いかん首から変な音がッ⁉︎
「狙撃銃伸ばすから引っ張ってくれ! 届くだろそっちまで!」
「それはいいんですがシスターアンジェレネ、殿方に何を抱き着いているのですかはしたない。それでもシスターですか? 前々からあなたには言いたいことがあったのですが、これは一度お説教ですね」
「今その話いりますかッ⁉︎ こっちは生死の境目なんですよ⁉︎ シスターアニェーゼなんとか言ってあげてください!」
「いやぁ楽しそうなアトラクションにしか見えやがりませんが。それになんと言いやがりますか、こう、じわじわと削れていく感じというのが、ふふっ、堪りませんね」
「じ、じゃあ変わってくださいよ⁉︎ はい! この特等席はシスターアニェーゼに譲ってあげますから!」
「それはいいからッ‼︎ 前だ‼︎ 前前! 前見ろ前ッ‼︎」
呑気に会話してんじゃねえッ⁉︎ こっちは足がオシャカになるかどうかの瀬戸際なんだよ! それに、それより不味い問題がある‼︎
揃って首を傾げるアニェーゼさんとルチアさんが前なら見てると言いたげに眉を寄せるが、前とは俺たちのことではなく前方車両の扉のことだ。ほとんどの騎士が後部車両に居たからとは言え、前方にいる修道女達のところに見張りが居ないわけがない。つまり、ガラリと開いた扉の先に、銀ピカ野郎が騒ぎを聞いたからか突っ立っている。背後に振り向いたアニェーゼさんとルチアさんはピシリと一度固まると、慌てて
修道女二人の力で俺とアンジェレネさん二人を易々と引っ張り上げる事などできるはずもなく、ゆっくり近寄ってくる騎士が腰元の剣へと手を伸ばした。こうなりゃ賭けだ。舌を打ちながら強く足を踏み込み跳び上がる。
がらんがらんッ、と背後に転がっていく扉の音を聞きながら、
「も、もう! なんなんですかー⁉︎」
「掴まれアンジェレネさんッ‼︎」
不在金属製の銃の心配はいらない。近距離で花開いた爆炎からアンジェレネさんを抱えて守りながら、その衝撃に押されて車両内部へと滑り込んだ。その衝撃にどこまで飛ぶか分からなかったが、幸い受け止めてくれる者が車両の中には居てくれた。
ガツンと体に響く重い衝撃。それに寄り掛かったまま、手を体がぶつかったものへと這わせれば、冷たく硬い感触が返ってくる。顔をちらりと見上げた先に待っている鉄のバイザー。数度目を瞬き、へばりついている騎士の甲冑を小突く。
「……胸板硬いや」
呟きながら
「……硬った」
これ普通の膂力でどうこうできる膂力差じゃないわ。ロイ姐さんとかじゃなきゃ無理だわ。カレンの奴どうやってただの剣でぶっ飛ばしてた訳? なので無理に組み付かず離れ、振り解こうと足を振った騎士の力を逃すように後転し、そのまま床に落としていた
ギィィィィンッ! と震える鉄同士の振動に騎士の体が背後に大きく後退するが、勢いが足らず吹っ飛ばない。ガツンッと一歩を強く踏む騎士に身構えるが──。
ズドム‼︎
鈍い音が何もしていないはずの騎士から響く。それも男ならしてはいけないところから。詳しく言うなら足の付け根と足の付け根の間にある、唯一外に飛び出してる内臓と言うか……。
「……そ、その攻撃は、騎士道精神に反する……」
屈強だろう騎士の嗄れた声に、こっちの方が見ていて痛くなってくる。痛覚がほぼ死んでいる俺でも、流石にその痛みは少しは感じる。思わず目を逸らした先でアニェーゼさんが小さな天使像の付いた長い杖を手に、得意げな表情で杖を床に叩きつけた。と同時。騎士の股で鈍い音が数度響き、呆気なく床に転がってしまう。なんて恐ろしい。これほどの使い手、救出に来てよかった。
「ふむ。やはり、距離を無視できる私の攻撃が一番有効みてえですね。分厚い鎧の中にある生身の肉体を直接叩けますから」
「……その攻撃俺には使わないでね」
「あわわわわ! ……あっ」
俺と同じく顔を赤くし目を逸らしたアンジェレネさんが、騎士の持つ通信用の霊装が床に落ちていたのに気付いた。急所への集中攻撃で撃沈した騎士の相手はしたくないからか霊装を拾い上げる。しばらく耳を向けていたアンジェレネさんは、「あっ」と間の抜けた声を上げると俺の顔を見た。
「え、ええと……何だかあのツンツン頭が、『新たなる光』の女魔術師と一緒に貨物列車内から逃走しているみたいですよ?」
「えぇぇ……上条……」
「まったく、どんな状況なんですか。いや、あの少年なら逆にいつも通りかもしれませんが」
ルチアさんと同意見ではあるが、わざわざこのタイミングでそんなことする?
「そ、それから川へのダイブに失敗して派手に水面へ叩きつけられ、下流へ流れていった所で同じく逃亡中の第三王女ヴィリアンに偶然拾われたみたいです。今、『騎士派』の追っ手を相手取って三人一緒に猛ダッシュしているとか」
「どんな状況ですか!? ジャパニーズモモタローッ!?」
「いやいや、姫に拾われたのなら一寸法師では?」
とか言ってる場合じゃない。第三王女は逃げ出せたのか。どうやって逃げ出せたのかは知らないが、あのヴァリアンさんにしてはかなり大胆な行動だ。こういう時は隊長の意見を聞くべきと思ったのか、アンジェレネさんがアニェーゼさんの方へと顔を向け、「ひぃい‼︎」と情けない声を上げる。
なんかうねうね畝った手つきで杖に触れているアニェーゼさん。顔がなんか恍惚としていて……修道女のしていい顔ではないな! 御坂さんに抱き付く黒子みたいな顔になってんぞ!
「あら。やっぱ叩かれるより撫でられる方がお好みですか。あはは、体をビクビク震わせて何が言いたいんです。あら、あらあら? こっちも反応する? 先ほどよりも敏感じゃないですか。ふっふふ、殿方のくせに穴をいじられる方が感じるだなんて、この変態。いっその事、直接この杖を奥まで突っ込んで差し上げましょうか」
「うっ、うぎゃああああッ!! し、シスターアニェーゼがイケないモード大全開に!?」
「……シスターアンジェレネ。今さら驚くような事ですか。シスターアニェーゼは『法の書』の件で、建設中のオルソラ教会でもあんな感じだったでしょう?」
「マジで? アニェーゼさんて修道女って名前の女王様なの? ちょっとこれは流石に俺も理解の外側っていうか……拷問を得意とするのか知らないけどさ、なんで拷問得意な人って皆あんな顔になるの? そういう決まりなの?」
「いや知りませんよ⁉︎ で、でも、シスターアニェーゼは実は純情可憐な乙女ではなかったんですか!? その、少年に裸を見られただけで卒倒するレベルの!!」
「ええ。シスターアニェーゼは他人のスカートをめくるのはご満悦でも、自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですよ」
物凄い信憑性のある言葉だ。俺の知り合いである弟子一号もスカート捲り大得意な割には自分がスカートを捲られるとは微塵も考えてなさそうだからな。実際捲られたら飾利さん以上に取り乱しそうな気もする。具体的には、「みみみ、見ました? 見ました⁉︎ 見てないですよね⁉︎ 見えなかったですよね⁉︎ ししょぉッ⁉︎」とか言いそうではある。
うんうんとルチアさんの理論に強く頷いていると、狼狽えているアンジェレネさんを見て、やれやれと肩を竦めながらルチアさんは息を吐き出した。
「そろそろ止めますか。愛も欲もない単なる情報収集手段の一つに過ぎませんが、この辺りで中断しないと騎士の男の方が勝手に堕落しそうですし」
「あっ、あんなマックスにトリップしたシスターアニェーゼを阻止できるんですか!?」
「正気に戻すのは簡単ですよ。ですから先ほど言ったでしょう? シスターアンジェレネ。あなたの出番ですよ。シスターアニェーゼは自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですから」
そんなアニェーゼさんの尻を睨んでのルチアさんの言葉に、アンジェレネさんは少しの間固まっていたが、パッと顔を華やかせ理解したようで、そそくさと杖を撫で回す事に夢中のアニェーゼさんの背後に立った。
「シスターアニェーゼ! 正気に戻ってくださーいっ‼︎」
何の遠慮もなく慣れた手つきでアンジェレネさんはアニェーゼさんのスカートを掬い上げる。いや、スカート捲りとかのレベルじゃねえ……。腰ほどまでに浮き上がったスカートの風通しの良さに固まったアニェーゼさん。ふわりふわりとタンポポの綿毛のような滞空力を捲られたスカートは発揮し、五秒ほども宙を泳いでいたスカートが、パサリと音を立てて元の位置に戻ったのに合わせて、停止していたアニェーゼさんの顔がギギギッと音を立てて捻れ出す。その目は俺に向くと止まり、茹で蛸のように顔を赤くして、ふらふら目を回しながら、アニェーゼさんは杖を床に打ち付けぶつぶつなにかを呟き出すので、慌ててその杖を俺も掴んだ。
「……待とうか。なにをする気か知らないが少し待とうぜ? これは所謂不可抗力というものでな? 修道女がそんなホイホイ男の急所を狙ってはいけないと俺は思うわけだよお嬢さん。それに朗報だ。女子中学生の下着なんて見慣れてるから気にするなよ」
「ど、どど、どこどこ、どこが朗報でやがりますか⁉︎ なに言っちまってんです⁉︎ ただの変態じゃねえですか⁉︎ あのツンツン頭といい、日本の高校生って奴はどーなってやがるんですかッ‼︎ 放しやがりなさいッ!」
「断るッ! そっちが放せ! 俺だってまだ使わないうちから不能になるのは御免なんだよ! 責任取れんのかお前はッ!」
「そっちこそ責任取れるっつーんですかッ! 乙女の神秘見まくってる発言とか正気じゃねえですからね! 貴方法水孫市でしょう! カレンの言ってた! 噂通りの超最低野郎じゃねえですかッ! ローマ正教の教えその身に叩き込んでやりますよ!」
「まぁたカレンだよ⁉︎ もう嫌だ! じゃあもういいよやってやるよぉッ! 噂通り振舞ってやるよぉッ! で? なに? なにすればいいの? 服でも剥げばいいんですか! 傭兵舐めんな! 拷問得意なのが自分だけだと思うなよコラァッ!」
「あわわわ! も、もっと状況が混沌にー⁉︎」
「この二人危なそうなのでもうほっときましょう、シスターアンジェレネ」
アニェーゼさんと二人杖を握り締め、結局ロンドンに辿り着く数分前、ルチアさんの堪忍袋が破裂するまで膠着状態は続く事になった。
なんにせよアニェーゼ部隊の救出は成功した。