カツンッ、トッ、トッ。
カツンッ、トッ、トッ。
刻まれるリズムは時計のように狂いなく、先に突きつけた鋼鉄の音色を、弱い足音が拙く追う。そのリズムに呼吸も合わせ、ただ前を向いて足を出す。リズムを乱せば足が止まってしまいそうだし、さっさとベッドに倒れたいが、英国民全員が立ち上がった中で、後は任せたと寝転がるなど格好が悪い。
どこもかしこも傷だらけ。
少し遠巻きに佇む打ち崩れたバッキンガム宮殿周辺が一番酷いとは言え、
破壊の爪痕を眺めながら、外壁の抉れた建物を曲がった先の路地の上にお目当ての人物が転がっていた。聖人の膂力を上乗せされた上条の右拳に殴り飛ばされ、
殴られた瞬間は、まだ天使長としての力が抜け切ってはいなかったからだろう。
カツンッ、トッ、トッ。
変わらず足を出し続け、泥に塗れたズタボロになっている赤いドレスから目は離さず、カツンッ、トッ、トッ、ズルリと壁に背をもたれてそのままズリズリずり下がる。その音でようやく近くに誰かが来たことに気付いたのか、仰向けのまま第二王女の瞳だけが動き俺を見る。凛々しい顔が鼻血に塗れて勿体ない。
「……はっ、トドメを刺しに来たのか時の鐘。ご苦労な事だ」
息も絶え絶えに諦めたように笑う第二王女を見つめたまま、心の底から深い息を吐き出す。覚束ない手で懐から煙草を取り出し、首を傾げてなんとか咥える。火を点けようとライターのフリントホイールを回すが、火が点かないので諦めてライターを投げ捨て壁に後頭部を打つ。
「……戦争はまだ続く、英国には、キャーリサさんが必要でしょう。今は英国の為に俺は居ますから、『軍事』の貴女が居なくなっては、英国の為にはなりません」
「……クーデターの首謀者に言う事ではないな」
「もうクーデターは終わったでしょう。この先キャーリサさんをどうするのか、そんな事は俺の決める事ではない。それは国の為に立った英雄達が決める事、だから俺が来たのは要らないゴミを捨てにですよ」
「そんなのなくてもキャーリサさんは強いでしょう。王の剣など握らなくても、もっと素晴らしい力を持ってるんですから」
「無為な力だ……、英国の中で私が最も弱く臆病だっただけの話だし。所詮一般人だと見下して、英国の力を誰より私が信じてなかった。ヴィリアンの『人徳』、他力本願の下らないと思っていた力こそ一番強いとは皮肉が効いている……『知略』の姉君よりも私は人を信じなかった。……バンカークラスターが落ちた後、あの上条という少年とお前が並んで立つ姿に私は気圧され焦った。カーテナを持つ私が。最悪の兵器を手にしながら、まだ別の力に頼ったのだ。全てを斬れるはずのカーテナでも、斬れないものがあると理解したから。私は弱くて無知だった……」
握り締められたい王女の手を見つめ、諦めたように目を瞑るキャーリサさんの顔へと目を移す。血と泥に塗れながらも晴れやかで、もっと大事なものに塗れた顔。
「でもそれも終わりでしょう? だってそれを知ったのですから」
自分は弱い。だが、それで終わりではないはずだ。弱いと知っているからこそ強くなれる。周りの者が全員弱いと断じるなら、強さを求める必要などない。
「『軍事』とは強さの象徴だ。力を追い求めるのは、別に誰かを殴りたい為に欲するわけじゃあないでしょう」
土地を守るため、生きるため、誰かを守るため、又は自分の我を通すため。誰かを殺す為に技を磨いているように見えても、結局は大事な何かを失わないように、その為に必要な力を磨いているに過ぎない。その守りたい意志がぶつかり合い、時に喧嘩が、時に戦争が巻き起こる。『守る為』、その輝かしい想いが悲劇を生むことも少なくないというのが皮肉であるからこそ、この世から戦いは消えてはくれない。きっとそうだ。
「新しきを知り、受け入れる事も強さでしょう。俺だってヴィリアンさんは気弱な王女様だと思っていたし、リメエアさんも策略でも妹を止めるために騎士を頼るとは知らなかった。だからきっと俺はこの先知るんでしょう、もっと強くなったキャーリサさんを。誰にだって休息は必要だ。戦い続けてなんていられない。今はちょっと休んでいるだけ。そうでしょう?」
ゲームのように傷付いたから回復薬を飲めばいいなんて事はない。一騎当千の荒武者も、猪突猛進の騎士だって、常勝不敗の英雄にも、誰にだって腰を落ち着け休む時は必要だ。今回はそれがちょっと過激になっただけだ。騎士が剣を持ち、魔術師が総じて暴れても、死人は一人も出ていない。そんなキャーリサさんの優しさが正しい方向に向けばきっと、もっと大きな事ができるだろう。
俺はそれが見たい。きっと見れる。
そんな決め付けが癪に触ったのか、キャーリサさんに鼻で笑われた。
「母上並みに厳しいしお前は。……そうだな、姉上にヴィリアンも立ち上がり、国民達が立ち上がったのに私が寝転がっていては示しがつかない。誰より早く立ち上がったというのなら、この先も先頭に立っていなければ、立ち上がった意味もないか……。この答えで満足した? だからそんなに笑うな法水」
第二王女に指摘され、おっといけないと口元を撫ぜる。
王としての強さなんて、一傭兵でしかなく、そうでありたい俺にとっては分からないが、エリザードさんやキャーリサさんを見ていると少しだけは理解できる。『顔さえ知らない誰かのため』、それがきっと上に立つ者の資質というものなのだろう。我儘に見えてもその奥では常に周りの誰かを見つめている。
俺にはきっとない才能。
上条やカレンはきっとキャーリサさん側だ。どうにも苦手で、どうしようもなく嫌いな者達が持つ俺にはないだろう輝きが眩しく美しい。無い物ねだりはしないけど、その分皮肉くらいは言わせて欲しいよ。眼に映る俺とは違う素敵な人生を羨むくらいは許して欲しい。
「戦闘中は好き勝手に喋っていたくせに、急に畏まるなしお前は。もう好きに話せ、私が許す」
「いいんですか? 不敬で打ち首とか後で言わないでくださいよそれなら」
「王女の言葉に二言はない」
「そりゃそりゃ、よかった。ただでさえ疲れてるのに気を使うのも疲れるからなぁ」
肩の荷が降りたと力を抜く。英国の為。キャーリサさんも進むべき道を決めたと言うのなら、ようやっと俺の仕事も終わりだ。地面にほっぽり出したライターを掴み火を点けようと動かせば、今度はちゃんと点いてくれた。明るくなって来た空に紫煙が溶ける姿を見上げていると、キャーリサさんに足を突っつかれる。
「──法水、お前がミサイルを撃ち落とした時、私は目を奪われた。上条という少年がカーテナを殴り折った時、目から鱗が零れたし。……お前達、私の騎士にならないか? もし私がまた臆病になってしまっても、お前達なら誰より早く間違っているふざけんなと言ってくれるだろう? お前達に私は側に居て欲しい。最高の盾と最高の槍に」
「俺と上条を? 随分欲張りだなおい」
「ふふっ、私は王女だぞ? 欲張りなの。欲しいものは欲しいと言うし」
「残念ながら俺は時の鐘で、上条は一般人だ。仕事なら受けるが、誰か一人に仕えたりはできないな。既に放たれた銃弾一発、それを掴んだところで銃に込めても撃てる訳もなし。上条を掴むとしたら俺よりもっと大変だろうしな。他人の日常掴む事ほど難しい事はない」
「そーなのだろうな、だが知っているか? 私は諦めが悪いんだ。日本の騎士とスイスの騎士、英国の為にいつか掴んでみせるし」
諦めが悪いのなど知っている。聖人二人に騎士団長相手にしても膝を折らなかった王女様だ。結局エリザードさんが来ても、英国民が立ち上がっても、上条の右手が振るわれるまで諦めなかった。良い悪い関係なく初志貫徹。ヤバイ王女に目を付けられちまった。演習の際にこき使われた時の事が思い出される、何より俺は既に空間を飛ぶ正義の味方に捕まっているから、キャーリサさんが掴んでこようとしても捕まる事はないだろうけど。
大きく紫煙を吐き出して、第二王女と二人いつまでも路地裏に転がっていても仕方ないと、伸ばされたキャーリサさんの手を掴み引き立たせようと腕を伸ばし──。
そのまま掴まず立ち上がる。
白い山を杖代わりになんとか体を持ち上げて、光射す路地の入り口から先を塞ぐように突っ立った。「法水?」と背に掛かるキャーリサさんの声を聞き、骨を揺さぶる小気味いい足音を睨み付ける。朝日に照らされ路地に長い人影が伸び、嘲笑と共に立ち止まった。
「ハハッ、こいつはすごいな。お前がそんな風に血と泥にまみれて地面に転がっている様なんぞ、なかなか見られんモノだと思っていたが……実際、目の当たりにしてみると予想以上に愉快な光景だ。それに加えて……その軍服、スイス傭兵『
赤い服に身を包んだ長めの赤い髪を揺らした男。そこまで鍛えられていない体格から、俺を知っていても軍人とは思えない。だが、音がおかしい。普通の人間の音じゃない。心音とか呼吸音に乱れがあるのとも違う、何かがズレたような音が男からは聞こえてくる。何が違う? 普通に生きる人々の中に居れば異様に浮いて聞こえるだろう音が気味悪い。
「誰だ? 俺は英国の為にここに居る。キャーリサさんを狙って来たなら、まずは俺が相手になるぞ」
「お前が? んなボロ雑巾みてえな奴とやっても楽しくねえな。別に狙いはそいつじゃねえ。ふざけた女が転がってやがるからその顔を笑いに寄っただけだ。だいたい俺様が誰だと? 世界最高峰の傭兵集団の情報収集能力もそんなもんか? いや、一応は表の部隊だからそんなもんか」
なんだそれは。つまり知らなければおかしい相手とでも言う気なのか? 主要国の重要人物の顔を頭の中に並べるが該当するようなものはない。それはキャーリサさんも同様のようで、先程から押し黙っている。少しの沈黙で男の方が痺れを切らしたようで、ゆっくりと口を動かした。
「右方のフィアンマ」
「右方……神の右席か」
「正解だ。花丸やるぜ」
ふざけやがって。ウィリアムさんと同じ神の右席。俺はウィリアムさん以外に神の右席と会った事などないが、世界に混乱を振り撒くレベルであるだけに、それで音が違って聞こえるとでも言う気なのか。そうだとしたら、在り方自体が人とは違うということになる。だがどれだけ何が違っても、目が二つで鼻が一つ。手と足があって会話が成立するのであれば、結局フィアンマも人であることに変わりはない。
そんな神の右席が何の用か。ただぼろぼろのキャーリサさんを笑いに寄っただけだとフィアンマは言った。なら狙いは、キャーリサさんでなければ、一体何だ? キャーリサさんが持っていたカーテナ=オリジナルはへし折れもうただのガラクタ。カーテナが欲しいなら、健在であるセカンドの方に行くはずである。
それにクーデターも収まったこの場にわざわざ来たという事は。
「必死が足りんな……既に目的は終えたか神の右席」
「ほぅ、流石損得勘定が得意だな時の鐘。まあ死に掛けのお前らが頑張ったとこで俺様には勝てないと弾き出したか? 身の程弁えてる奴は嫌いじゃねえ。正解だよ、ただ何を俺様が取りに来たかは分かってねえみてえだが」
上から目線で拍手するフィアンマからは余裕の影が消え去らない。身内同士で勝手に頑張ったご褒美と言うように、転がるキャーリサを馬鹿にするようにフィアンマは軽い口調で言葉を紡ぐ。その姿の傲慢さに眉間にシワが寄ってしまう。
「いやぁ、上手くいったもんだ。何しろローマ正教経由でフランス政府をせっつかせて、イギリス国内に不穏な動きを誘発させたのはこのためだったんだからな」
「……なに?」
「ま、フランスとイギリスをガチで戦争させて、焼け野原になったロンドンから回収するって方向でも良かったんだが、その点ではそこの血だるま姫は優秀だったぞ? 現実に、そいつのくだらんママゴトのおかげで、この首都は虐殺と略奪と凌辱の嵐にならずに俺様の目的を達せられる事になったんだから」
床を叩き立ち上がったキャーリサさんがフィアンマに手を伸ばそうとするが、背で受け止め──あぁダメだ。白い山をつっかえ棒とするようにキャーリサさんを背で受け止めて押し留める。イギリスを想い動いたキャーリサさんの決意が、全て誰かも知らぬ者の手のひらの上だったと言われればキレても仕方ない。が、相手は神の右席。並ではないはず。ぼろぼろのキャーリサさんを突っ込ませる訳にはいかない。
だが、俺も気に入らないのは確かだ。
「おおいいね! そうやって俺様から頑張って王女様を守ってやれ傭兵。ローマ教皇みてえにぺしゃんこにしたくねえならな」
「……なに? ローマ教皇もお前か? バチカンでの内部抗争を起こしたのは。お前ッ」
「おいおい止めとけよ。お前の言う通り俺様の目的は済んでんだ。死に掛けの雑魚に頑張ったで賞やっただけだぜ? 『王室派』がコソコソ作ってたお宝はもう手に入ったし、別に見逃してやっても良いんだぞ」
「まさか……実在、したのか……ッ!?」
変わらず軽いフィアンマの言葉が、キャーリサさんの驚愕の声に塗り潰される。そんなにけったいな代物がまだイギリス王室には残されていたのか。カーテナだけで随分苦労させられたが、今の発言を聞くにキャーリサさんも存在を知らなかった様子。そんなものをどうやってフィアンマが知ったのかは知らないが、小馬鹿にするように吐き出される真実に、どうにも気が落ち着かない。
「やはり、お前は知らされていなかったか。バッキンガム宮殿の中にポンと置かれていたから、俺様の方も驚いたぞ。ま、本当の意味で秘密の品だからな。『クーデター発生と共に、重要な物品を持って逃げ出すように』指示されていた魔術師達も知らなかったのでは持ち出せない訳か。で、結局どうする? 諦めて生き延びるか、もうちょっと頑張ってみて死んじまうか」
掲げられた選択肢を聞き、強く
「……なんだお前、ゲームでもしてる気なのか? ローマ教皇を潰し、フランスを煽り、戦争を遊びだと断じる気か? ふざけんなよテメェッ、人生ってのはそんなんじゃねえだろう。片手間に暇潰しでやるような、自分の力でなにがどこまでできるか試している気か? 他人の
「なに急に熱くなってやがる。傭兵が聖人にでもなったつもりか?」
「聖人? 馬鹿言えよ、俺は絶対に善側の人間なんかじゃない。仕事なら俺だって相手を殺す事がある。だがそれは俺も必死で相手も必死だからだ。賭けてるものが同じだから。それを選択肢ひけらかすように生死を提示しやがって、お前は神か? 他人に物語描いて貰うような
必死が足りない。
誰もが日常が壊れぬように追う中で、それをスプーンで掻き混ぜるように引っ掻き回すフィアンマがどんな奴なのか知らないが、それでも、許しておけない事はある。苦手な奴も、嫌いな奴も、それでも彼らは彼らの
「法水……」
「テメェが他人より上にいるつもりなら、その台座撃ち抜いて引き摺り落としてやる。人間が人間舐めてんじゃねぇッ」
「スコープしか覗いてねえ、なにも見えてねえ目暗が吠えんじゃねえ、そんなにくたばりてえなら一人で飛んでけ」
軽く吐き出したフィアンマの言葉が、天にツバ吐く砲弾のような空気の塊となって目の前で爆ぜる。空間を割いて伸びる巨大な腕の耳痛い音を聞き、その隙間のない反響が俺に集中し骨が震えた。
避けるのは不可能。
せめてもとキャーリサさんを壁に放るのと同時。
ゴッキィィィィッ‼︎
と、エネルギー同士の弾ける強烈な音が目の前で響く。俺の視界を覆う見慣れた背中。ツンツン尖った黒い頭を振って、優しい右手が脅威を受け止める。それでも消えずに上条を押す力の波を、上条の背を支える事で二人で踏ん張った。晴れた脅威のその先で、上条の登場にフィアンマは数度目を瞬くと破顔した。
「くっ、はは!! 何だ今日は? 本日のラッキーな星座のアナタはピンポイントで俺様でしたってオチか!? お前は最後の仕上げだと思っていたのに、まさかこんな所でダブルで手に入るとはなぁ!!」
「……、誰だテメェ」
「フィアンマだとよ、神の右席」
「右方のフィアンマ、『神の右席』の実質的なリーダーだし」
右手の調子を確かめるように腕を回していた上条がキャーリサさんの言葉に驚き目を見開く。俺も少なからず驚いた。神の右席のリーダー。これまで世界を掻き回していた者達の頂点。こんなのが一番上に居るなどと、ローマ正教は一体何を見ていたのか。
フィアンマの肩先から覗く、巨大な腕のような物体がフィアンマの使う魔術なのかは知らないが、その禍々しさと気味の悪い音にどうにも気が昂ぶって仕方ない。この戦争の元凶であろうフィアンマさえ倒せば、今世界を取り巻く全てに決着がつくのか。その可能性に上条の拳に力が入る音を聞く。そしてその振るわれる先を誘うようにフィアンマが笑った。
「やるか? 良いぞ、こちらは不格好で申し訳ないが、温まってきた所だ」
「黙れ‼︎」
叫んだ上条が一歩を踏み出したその瞬間、フィアンマの掲げる第三の腕が目が眩むほどに輝いた。目を瞑っていても音で分かる。膨れ上がった輝きが矛となり上条へと収束し、突き出された右手にぶつかり溶けて消えていく。滝のようなエネルギーの音に思わず耳を抑えるが、骨を伝う音は消えず、点滅するかのように音が消えるまでそれは続く。
「なるほど、流石は俺様が求める稀少な右手。間近で見ると、改めてその特異性に驚かされる。しかしまぁ、やはり、欲を張るのは良くないな。今日はこの辺にしておくか。ここで殺すのは簡単だが、万に一つでも奪った霊装を破壊されてしまうリスクを負ってまで拘泥する事でもない。……いずれ、近い内に手に入るであろう物な訳だし」
「奪った、霊装……?」
「すごいぞ。見るか?」
お互い力をぶつけた結果が当然だとでも言うように気にせず、フィアンマは
細長い円柱状の錠前。
カチリ、カチリ、と回るアルファベットの掘られた多くのダイヤルが空回り、それで何かを描くようにフィアンマは親指でダイヤルを押さえ回す。「まずい!! あれを使わせるな!!」とキャーリサさんの制止の叫びも聞くこともせずに、ガチリッ、と何かの嵌る音がフィアンマの手元で響いた。それに合わせ、轟音を響かせ白い何かがアスファルトの下から伸びてくる。
それには見覚えがあった。
人の形をしていた。
上条の隣でいつも笑っている小さな少女。
「……イン、デックス……ッ!?」
上条が答えを口にする。
「禁書目録に備え付けられた安全装置……『自動書記』の外部制御霊装といった所か。『王室派』と『清教派』のトップだけが持っている秘蔵の品だ。とはいえ、『原典』の汚染もあるから、こいつを使うのは本当に最後の手段になるようだ。───おかしいとは思わなかったか? いくら少女が望んだとはいえ、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を保存する禁書目録を、何の保険もなく科学の街にポンと預けるなんてありえるか? まして、こんな残酷なシステムを築き上げた、あの最大主教が、だ」
数ヶ月前にようやっと長い間少女の人生を縛っていた首輪を上条が引き千切ったのに、それでもまだ首輪を嵌めるというのかッ! 勝手に消される人生からようやく終わりない人生を少女が描けるようになったのに。俺なんかをその中に入れてくれた少女をまた身勝手に道具のように扱うのか。保険だ必要な事だと言われても、そんな事では納得し切れない。
上条とフィアンマの会話が遠くに聞こえる。虚ろな目で機械的な台詞を吐き出す少女の姿を再び見ることになるなどと、思っていなかったのに。他人の作り出した哀れな怪物。そんなものを得意げに掲げる外道に向けて、
「そうだな。ちょっとロシアに行って天使を下ろした『素材』の方も回収しておかなくちゃならないし、それまでその右腕の管理はお前に任せておくか」
第三の腕が閃光を放ち、上条がそれをかき消したその先にフィアンマの姿は既になかった。
敵の狙いは
そんな寂しい路地の中に飛び込んで来る多くの足音。
バッキンガム宮殿に居たはずが、急に消えた
意識を失ったままの
「アンジェレネさん?」
息も絶え絶えに走って来たらしい修道女が、何故俺の方に飛び込んで来たのか。その答えが分からず、困惑する中で、アンジェレネさんが青くした顔を持ち上げる。
「ま、まごいち……あのッ、それがッ! その、なんと言うかッ」
首を傾げるその先で、言うか言うまいか首を大きく振ったアンジェレネさんが、我慢できずに吐き出した答え。
それがどうにも頭に入って来ない。
視界がぐるぐる蜷局を巻く。
頭を叩いても意識ははっきりとせず。
そんな中で携帯が震えた。
短く三回、長く一回。
ライトちゃんに手を伸ばすが、電話ではなくメールであり、その文面に目を流し、堪らずよろりとよろめいた壁の下に胃の中身をぶちまける。
胃の中身を全て吐き出しても気分は変わらず、殴った壁が抉れて落ちた。
もう一度、もう一度。
どうせ痛みはないのだから。
赤い飛沫を撒き散らす右腕を強く振るい上げた先、壁を打たずにただ力なく垂れ下がった。
「ま、まごいち⁉︎ だ、大丈夫ですか! しっかりしてください!」
「あぁ……あぁ、大丈夫だ。大丈夫だからもう一度言ってくれ。頼むからもう一度だけ言ってくれよ」
アンジェレネさんに向けた顔の先、路地に飛び込んで来たカレンが見える。それを呆然と見つめながらアンジェレネさんの声を聞いた。
「す、スイスで内部抗争ですッ! 宣戦布告したスイスに反発し、スイス内で暴動が発生! その暴動の鎮圧に動いた傭兵部隊と、宣戦に賛同した軍と傭兵部隊の間で大規模な戦闘が開始されました!」
「孫市ッ! スイスが国を要塞と化す大規模魔術を使用したッ! 空路と陸路が断絶したぞッ! 多くの傭兵部隊、軍隊が駆り出されているらしいッ! 時の鐘は何をしているッ!」
「時の鐘?」
胸ぐらを掴む勢いのカレンに向けて、ボスから届いたメールを見せた。その短すぎる文章が、冗談の類ではない事を表していたからこそ、もう一度だけ強く壁に拳を打ち付ける。
『
空間に浮いたディスプレイを呆然と見つめてカレンが揺らぎ、壁を背にずり落ちていく。裏切り。その短い言葉が刃のように心の奥深くに突き刺さる。冷たい大地の上に座りカレンと一度見つめ合い、無言で顔を寄せ強く額を打ち合った。
割れた額から血が噴き出す。
スイスが窮地に立たされている。
故郷に火の粉が舞っている。
それをただ指を咥えて見ていろというのか? それだけは絶対ありえない。『
思考停止に追いやるような情報を流れる血と共に外に追い出し、同じように顔を血に染めたカレンと睨み合い、動かした口は同じ形。
「「スイスに帰るぞッ‼︎」」
宣戦布告? 裏切り? 帰るな?
どれも今は必要ない。
何があったのかは知らないが、誰が裏切ったのか知らないが、そんな
次回、オリキャラのまとめ。そして視点は一度学園都市に変わります。スイスが先に宣戦布告擬きをしたので、時系列が微妙に変わります。