安吾さんの白い猫   作:白縫綾

2 / 11
01

 無機質な目覚まし時計の音が鳴り響いて、ゆるりと意識が浮上するのを感じた。

 昨夜、何もしない(出来ない)ままに寝入ってしまったご主人は窓のカーテンを開きっぱなしにしている無防備ぶりである。朝の陽射しが淡く部屋を照らし始めていて、私は一度伸びをした。割と寝起きはいい方なのだ。

 

 一方のご主人は朝に弱いようで、重い目蓋を開けようと努力して、鳴り続けている目覚ましの音にも構わず再び入眠しかけている。

 隣の棚、ご主人の眼鏡と横並びにあるそれ目掛けて飛びつくついでに、尻尾で鼻先を擽る。

 目覚まし時計の音を止めようか。

 

 人間の頃の知識を引っ張り出してみると、勝手に止まるタイプではない。何故断言出来るかというと、私も使っていたことがあるからだ。

 道理で懐かしい訳である。ご都合主義的な何かを感じる。

 ともかく、それが自ら止まるような仕様でない、すなわち、誰か同居人でも居ない限りは安吾自身が動かなければならないということである。その違和感に入眠しかけているこの人は気付くのだろうか。──…………あ、起きた。

 

 意識を覚醒させた彼の横で、お行儀よく待機しておく。

 ふふん、何せ私は出来る猫ですからね。前肢を器用に使って目覚ましを止める(ボタン)を押すのもお手のものなのです。

 

 ぐい、と前肢をご主人の頬に押し付ける。爪は出さない。もちろん爪研ぎも、ペット用品(猫)がない家ではやらないので安心してね。

 

「おはようございます」と機嫌悪そうに彼が言う。どうにも寝起きが悪かった。多分不機嫌ではないのだろうけれど、朝日が眩しいらしく細めた目、眉間に皺が寄っている。

 それでも気が抜けているのか、仕事帰りの疲れきった表情でも神経質そうな様子もない、少し幼げに思えてしまったので、さして恐ろしいとは感じなかった。それに眼鏡がないと大分印象が変わる。

 にぁー、と返事をして、ひょいと控えめに腰のあたりに座って寄りかかる。

 

 そのまま上目遣いで窺うと、ぼんやりとそんな私を眺めてから、ゆるゆるとご主人は引き結んでいた口を緩めた。

 自分の可愛らしさをよく理解している猫の所業は、大して猫好きとはいえない人でも陥落させられるのである。

 

 

 のそりとクローゼットに歩み寄るのを見届けると、そのまま探索することにした。

 いくら順応能力が高い私といえども、やっぱりいきなり記憶が蘇ったのはそれなりの負荷がかかっていたようで、ご主人同様すこんと眠りこけてしまったらしい。

 人間目線でいうなら最低限の家具しかない殺風景な部屋なのだけれど、飼われる気満々の猫からすれば此処は既に私の縄張りになる。

 

 ふす、と鼻を鳴らして悠々と歩き回る。

 昨日体を洗われた風呂場の方から水を流す音が聞こえる。顔を洗っているのだろうか。

 リビングをくまなく検分して、台所の入り口でご主人と行き合った。後ろについて入り、冷蔵庫の扉を開けている後ろで流しにひょいと飛び乗る。

 ひたひたひた、と歩くと、ステンレスのひんやりとした感触が足の裏に心地いい。

 

 

「こら」

 

 ひょいっと軽く抱え上げられて、ぽすぽすと頭を触られる。

 

 無塩で処理された煮干しが中にあったらしく、差し出されたので反射で齧りついた。そういえばこの人間の意識が起こってから水しか口にしていないな。

 

「やはり家猫ですかね……?」というセリフは無視。大人しく撫でられるままになっているのも、私が人間だったから。馴れているのは、まさかご主人が()に変なこと仕掛ける筈がないと理解しているから。

 いつかは誤解を解きたいけれど、今はそのままにしておこう。ごろごろと喉を鳴らす。もっふもっふと指を埋もれさせているのは、自分の毛並みではあるけれどちょっと楽しそうだ。

 

 煮干しを一匹ぶん堪能し、もう一つと貰ってから、床の上に下ろされた。ご主人は適当にパンでも食べるようだ──お野菜、食べないと体に良くないですよ。非難の目を向けても気づかれなかった。

 

 ご主人が適当に食事をとるのを眺めながら、私はそういえば、とちょっとだけ首をかしげる。

 

 不便にならない不具合を私は持っているらしい。

 不思議なことに、昨日水に濡れた時には寒さを覚えず、そのくせ風呂場のぬるま湯を心地よく思い、何故か空腹を感じない。

 味覚はある。

 触覚もあった。

 痛覚がどうなのかは未だ解らない。……生活していく上で不利になる感覚をそのままどこかに忘れてしまったようであって、それも人間の記憶を膨大に思い出してしまった弊害であろうかと。

 おそらく食事は、この猫の体に限っては必要なく、完全に嗜好品だった。それを伝える手段なんてないし、別段困る訳でもないのだけれど。

 とりあえず煮干しが妙においしく感じるのは猫的な味覚のせいであるのは間違いない。

 

 ご主人が口を開いて何かを言いかけて、ふむと何かを考え込んだ。「名前、どうしますかね」という言葉ににぃ、と相槌を打って大人しくその目を見返す。

 名前が無いと不便だろう。 呼びつける時に大変だろうという点では私も賛成ですよ、ご主人。

 これまでの猫生はすべて野良で終えたし、人間の頃の詳しいことまでは朧気で、名前だって記憶の外だ。

 だから少し、嬉しくもある。

 よっぽどのネーミングセンスじゃない限りは受け入れますとも。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 にゃあ、と鳴いた猫の言葉が理解されるとは、一体誰が思うだろう。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 内務省異能特務課。

 ある職員がドアを開けると、入口にお座りして待ち構えていた白猫に睨まれてその上低い声で「に゛ゃー」と怒られ、思わず目を瞬かせた。

 

 三毛猫に変ずる異能持ちが確認されている以上ここは動物禁制とは言わないが、まずもって仕事場である。

 その職員は任務の関係で暫く顔を出しておらず、その間に見たことのない猫がこんな場所にいるのだから困惑もした。

 

 

「なんだ……?」

 

 警備は厳重である。

 他職員も、実働部隊含めて部屋の中に確認出来ているし、間違ってはいない。これが全て手の込んだ偽者なら、何を信じて生きればいいのか疑うところだ。

 

 白猫は職員にそれ以上の侵入を許さないとでもいうかのように小さな体躯で立ちはだかっている。

 彼がとりあえずドアを閉めて、一歩踏み出そうとすると、猫はお座りから一気に警戒の体勢をとった。より一層目を光らせ、毛を逆立っている。激しく威嚇されているのだ。

 

 一体何なのか。

 尋ねようにも、仕事中毒である同僚たちが人の出入り程度で意識を此方に割いてくれるとも思えない。

 けれど彼からしたら侵入者はむしろ猫の方なので、外へ追い出してやろうとすら考えた。

 

 

「どうしました?」

 

 救世主とばかりに奥から出てきたのは、坂口安吾参事官補佐である。

 

「この猫が立ち入るのを邪魔してくるのですが。……誰の飼い猫で?」

「私のですよ」

 

 

 え、と戸惑うように疑問を呈せば、「随分な嫌われようですね」と不思議そうに首を傾げた。此方が聞きたい。

 訝しげな此方に向けて可笑しそうに、控えめに笑みを洩らした安吾は自分が暫く席を空けて出ていたことを思い出したらしい。猫に「どうしたんですか」と問うた。

 

 これが異能者ならまだしも、動物が返事できる訳がない。

 そう思ったのに、猫は彼に返事をした。にゃごにゃごと猫語を用いて。随分と器用な芸の仕込みようだ。

 

 体を長く伸ばして自分のスーツの脚に爪を引っ掛けて、尻尾が擽るように膝の裏を柔らかく叩く。安吾の方へ振り向いて再び間延びするような「にゃあ」という鳴き声。何かあると言いたげだ。

 

「ああ、なるほど」眉間に寄せられた皺こそが、普段から目にしているこの上司の常であったから、かえって先ほどの控えめな笑みが目立って思い出された。

 

 おもむろに、入口近くにある器具を掴んで手渡し──盗聴探査の機械である。

 

 

「君、耳でもくっつけてきたようですね」

「……猫の言うことですよ?」

「とりあえず電源を入れてみたら判りますよ」

「…………」

 

 部屋の隅にある仮眠用のソファーに誘導され、(何故かちゃんと白猫まで着いてきた!)仕方なく彼は指示された通りに機械の電源を入れた。

 

 途端、警告音。

 

 スタートを切ったかのように飛び掛かった猫も、それを切欠に速やかに行動を開始する。

 ズボンの裾の裏に鼻を突っ込みひとしきりしてから膝に飛び乗る。辺りを嗅ぎまわり、上着のポケットに遊ぶように前足を差し込む。肩に飛び上がって、襟の裏に顔を寄せると、かりという音が微かにした。

 直接安吾の肩に跳び移って、彼が差し出した手のひらに咥えていたものを吐き出す。──黒い小型の盗聴器。

「ふむ」と呟いて、上司は電波を遮断する特殊器材で出来た箱を懐から出して、その中に放り込んだ。

 

「発信器が付属していないとも限りませんからね。用心しなさい」

「……坂口さん。『それ』はそういう役目の動物でしょうか」

 

 

 彼は新人だ。

 組織の潜入を任されるくらいには『普通』に見せる優秀さがあるが、そのぶん隙がある。経過報告諸々のためにやって来たのは今日が始めてだった。

 最近はこの上司にも裏社会の巨大組織を探っているためか、厳重に厳重を重ねた注意をしている節がある。その為に導入された訓練済の動物であるなら、納得もいったのだが。

 

 彼は首を振ってそれを否定した。

 最近拾ったと話される。

 

 

「まさか。最近拾った、ごく一般的な白猫ですよ。アニマルセラピーも兼ねていますし、一石二鳥でしょう?」

 

 

 ねえ?

 肩に乗ったまま、彼の頬にごろごろと顔を擦り付けていた猫は彼の問いに、にゃぁと鳴いた。

 

 猫の顎を滑らかな手つきでするすると触り、前回見たよりも数段柔らかい顔つきになった安吾を見て、部下は上司がそれでいいなら大丈夫なのかと、半ば思考を放棄した。

 

 猫がすぅ、と目を細める。

 色味の異なる双眸には、確かに動物と一口でいうのは躊躇われるような知性の光を宿していた。

 

 

 

 

 

 




にゃんこ:猫主。名前は小雪。
猫生数回+人生一回分の記憶が混じり合うはいすぺっくねこ。
意識は人間、理性も人、ただし根本的な本能は猫。
    
安吾さん:ペットが可愛くてお仕事が楽しい。

どこかの三毛猫先生:にゃんこの通訳を頼まれてめっちゃ困惑する。

部下:幸運にも発信機はついておらずほっとする。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。