安吾さんの白い猫   作:白縫綾

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何故、思いだそうとしなかったのか。
否──脳髄には、確かに残っているのだ。人間の中途半端な倫理観が、これまでの猫の生を容易く覗くことを躊躇っただけで。


06

 ご主人は、当たり前だが、いつもこの職場に常駐している訳ではない。裏の組織に潜入しているからだ。

 けれどそれはご主人のみに限ったことではなく、この職場においては大体の人が一度は潜入やらなんやらをやっているという。

 なんてハードなんだろう、とちょっとしょっぱい気持ちになる。メンタルがやられているのはご主人一人じゃないのだから。潜入捜査の傍らでこういう事務仕事をこなす必要があるは誰もが通ることで、やらなきゃならないことが飽和状態になっていたとしても、限界まで詰め込む阿呆が存在することがヤバい。

 

 みんな平等に、は悪い意味の方だ。

 つまり、職場の人は等しく社畜になることを余儀なくされている。

 

 

 これを知った時、ご主人の仕事もう少し他に振り分けた方がいいんじゃないとかそういうことを思ったのをちょっと申し訳ないと思った。

 まあ、一番に気にかけるのはご主人なので。もう少し深部に食い込むことが出来れば潜入(そちら)に比重を傾けることを考慮される、それを待ち望むのはむしろ飼い猫の責務ということで。

 ご主人がそうなるように頑張っているのだから、私はといえばそれを応援するしかないのです。オーエス!ってね。

 

 そもそも言ってしまえば、ペンが持てないから、リアル猫の手を貸すのはちょっと物理的に難しい。こういう時、人間の意識は本来理解しないところまで分かってしまうから、もどかしくも思うけれど、猫なんて所詮こんなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 いうまでもないことではあるが、ご主人は多忙な日々を過ごし続けている。

 

 私はずっと一緒に居たつもりだったのだけど、私が昼寝している時とか、ご主人が外にご飯を食べに行くような時間帯だとかに一緒に潜入先の方に顔を出してはいたらしい。

 

 確かにずっと顔出ししてなかったら不審に思われるもんね。

 気づかなかったのは不覚だけど、多分ご主人は気づかせるつもりもなかったんだろう。首輪嵌めてから結構大っぴらに動くようになったから、それまでのご主人は新しい私という異分子とどうやって付き合っていこうか探っていたんじゃないかな。

 

 振り返ってみても、あの時は気の置けない感じじゃなかったらしい。私も人のことは言えないけど、お互い探り探りだった。何しろあの夜にご主人が私を拾ったのは、どうにも突発的で、らしくない(・・・・・)ことだったから。

 

 この特務課とやらの人たちの相性も見ていた気がするし……まあ今は信頼されてるからいいけども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出勤が同じなのは変わらないけど、早朝にやって来て少し仕事をこなしたら、ご主人は潜入先の方の仕事場へ旅立っていくようになった。

 

 私は未だそっちの……ポートマフィア、とやらの職場訪問はしていないから、結構な間留守番だ。近いうちに連れていってくれるらしいけど、少なくともそれは今じゃない。

 ……名前からするに港湾周辺を縄張りにするヤのつく職業の方々なんだろうけど、今更な話、あの堅物そうに見えるご主人が暴力の蔓延ってそうな所でちゃんと溶け込めているのか小雪は不安で仕方ないです。

 

 一度、海辺のところも散歩して道でも把握しとくべきかもしれない。港近くにも、猫は自然と集まるものだ。違和感はないはずである。

 

 

 

 そんなことをつらつらと思案して、不意にくぁ、とあくびをこぼす。

 

 ここの人たちはあくびする暇もないんだろうなと思うと、彼らへの哀れみよりも自分の暢気さへの呆れの方が勝るのだ。……まあ、いつだって時間には余裕があるのは、人間以外の動物の特権といってもいいだろうけど。

 

 他の職員がいつも私を構ってくれる訳ではなく、むしろわたしの時間を分けてあげたいくらいにせかせかしている。眺めていると、こんなにものんのんとしているのが申し訳なくも思えてくるのだから、業の深い職場である。

 

 

 

 

 

 ……まぁ、他にすることがないから、目を閉じた。

 

 この時ばかりは、睡眠すら食事と同様に嗜好に過ぎないとしてしまうことが恨めしかったりする。

 

 猫は一日の少なくとも半分、多ければ三分の二(つまり十六時間!)もの間を睡眠に費やすらしいが、特殊な存在である私は、やっぱり睡眠を必ずしも必要とはしないのだ。

 

 眠れない訳ではないけれど、そこで眠らないという選択が出来てしまうことは、食事をしなくてもよい、なんていうよりもずっと異質で、悲しいことだ。

 

 

 

 救いなのは、眠ればきっと夢を見るということ。

 

 ──暇にとり殺されるよりは、余程いい。

 

 

 

 夢を見たという実感だけを残して、しかし起きてしまえばすっぱりとその内容は覚えていない。

 

 懐かしささえ感じたのだから、いつかの生の記憶をなぞっているのは分かる。気になるならさっさと全て思い出して、人間の自分のものにすればいいと思うだろう。……けれど、人の意識である以上、真に猫だった頃の思い出を無理に掘り返すのには気が引けた。

 

 悪くない夢だったというのは漠然と感じているのだからいいじゃないかと。これが過去を反芻することの先延ばしであるのは重々承知していたけど。

 

 目蓋を重く閉ざした。

 

 暫くすれば、とろりとした眠気に誘われて、それに逆らうことなく意識を落とす。

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

「では、ナビをお願いしますね」

「にゃ」

 

 

 とん、とご主人の肩の上に落ち着いてから、私はもう一度確認するようにそれを見下ろした。

 

 ハイスペック猫たるもの、地図のひとつも読めないで名乗れる訳がない。まあ人間時代の私は方向音痴ではなかったみたいなので普通に読めるし普通に行けますけど、そこはおいといて。

 ふす、と鼻を鳴らす。ご主人が空気だけ笑ったようだった。

 

 特務課のある建物から出ると、顔馴染みになった警備員を横目に見る。そして私はそこら中にふわふわと漂う幽霊たちと目を合わせないように努めていた。

 

 

 私が安穏と過ごしていただろう日本と違うのは、言うほど文明レベルが違わないにも関わらず、今が戦後から十年も経っていないだろう、ということ。それに尽きる。

 そして、そういう戦争という暴力の名残を色濃く残しているから、この街はぶっちゃけ霊的な意味でも魔境である。

 ここら辺とか、住宅地とかはましな部類だけれど、とにかく酷い。事故物件じゃないところが珍しいのではというレベルである。誰の手にもつけられないところはひしめくどころではなくみちみちに詰まっている。さながらすし詰め列車のように。大体の人間に見えないのが救いだろう。

 

 ……あ、そっちはちょっと通りたくないかな。ぺしぺしと叩いて尻尾で別の道を示すと、なんだか微妙な顔をされた。

 

 大丈夫ですよ、目的地にはちゃんと着けるように調整しますから。

 

 

「にゃー」

「……小雪、僕いつもあなたが避けたあの道通ってるんですが」

 

 えっ。

 

 ご主人あんな幽霊の吹き溜まりを突っ切ってるんですか??ああいえ、そうでしょうね、ご主人の背後の彼女が手出しさせませんよね!とても納得です。幽霊って基本負のエネルギーやらなんやらがあるのに、このお方は妙に元気というか、武闘派というか。

 ……一度ご主人に、女傑を輩出する系譜なのかを尋ねるべきなのだろうか、それを迷っている。

 

 

 

 

 

 そうやって初のナビを無事こなし(チンピラの絡みとかそういうのは探ったらキリがないのでスルーする。あくまでご主人と私が直面したら危ないだろうのを避けるだけだ)、私はご主人が地図で示して、ついでに外観の写真も確認していたありふれた会計事務所にたどり着いた。

 多少の幽霊は仕方ないだろう。ヤのつく方々の息がかかってるとはいえしがない会計事務所だから、想像よりは綺麗で安心する。

 

 実際は事務所の看板だけ残した空きテナントのようで、取り繕いもしていないがらんとした大部屋には、多分昔は机とか書類やらがたくさんあったのだろう。

 

 ご主人は部屋の壁を何やらごそごそと触って、するとさっきまで何もなかっただろう床には下へ続く階段が出現した。……これは隠し部屋というやつでは?ご主人ご主人、私これが潜入だと理解してますけどちょっとわくわくします!

 

 

 技術の無駄遣いぶりを実感して、地下に降りるとこぢんまりとした部屋。鼻を動かすと、ご主人の匂いが薄く香った。

 入った扉の反対側に扉があり、そこからも出入り出来るらしい。

 一応部屋の中を検分して、何も仕掛けられていないことを確認したご主人が、気疲れめいたため息を吐いて、椅子に深々と腰かけた。私は膝に移動したけれど、ご主人は私を机の上にわざわざ上げてからお腹の辺りに顔を埋める。

 

 

「向こうの扉は本部を中心に張り巡らされた地下通路に通じているんですよ」

 

 ……それは、どのくらいの時をかけて作られたものなのだろう。つまり、それだけの長い間、根を張り続けているということだ。

 根が深いですね、と私は鳴いて相づちを打つ。多分共生するしか道のない、ある意味必要悪のような存在なのだろうか。

 ……それにしたって地下通路はやり過ぎの感もありますが。

 

 ご主人一人では到底手に負えないような大組織、潜入は組織を壊滅させるためのものではない。あくまでも一特務課職員(ウォッチャー)として……まあ猫の手もというのなら、ご主人の為にがんばりましょうかと考えて。

 

 

 

 

 

 ──それから少し経った日に、私は懐かしい眼差しを持つ人との再会を果たすのである。

 

 

 

 




(ФωФ)<これ書き終えるまでまっっったく気づいていなかったのですが今日(10/20)安吾さんの誕生日ですね。おめでとうございます。


小雪:猫主。ナビ役に就任。暇になることが嫌い。
幽霊、人死にが出そうな事件現場(進行形のもの含む)を察知できる。人よりも感知範囲はかなり広い為、地図やその場所の地形を頭に叩き込めば抗争中の中を無傷ですり抜けることも可能。
ポートマフィアの地下通路を探検がてら地図作成出来たらご主人喜ぶかしら……?と内心そわそわ。
ハイスペック猫を自認するが、それゆえにドヤ顔しながら鼻を鳴らすことがある。

安吾さん:ご主人。僕の猫ハイスペック過ぎでは?
アニマルセラピーとナビを兼業するできた猫に内心戦慄している。この猫が普通ではないことも理解しているが深く突っ込んだことはない。情報員の仕事に磨きがかかったのは思わぬ副産物。
女傑を輩出する系譜らしい。

※この時点で結構安吾さんは情報員でも頭角を現してきている設定。
見た目が学者眼鏡なのに拷問に耐えきったことが高ポイント(なお、信頼を得る為にわざと捕まるように仕組んでいる)。ただ、情報を運ぶ者として捕まるような経路を行ったのはマイナス。
→小雪ナビ
→捕まることがなくなった、という感じ。

横浜:事故物件、幽霊の吹き溜まり多数。
戦後の名残もあり、とにかく裏は殺伐としているのでやっぱり正真正銘の魔都。
霊能者の類は大体横浜には近寄らない。感受性が高い人は普通に死ぬ。むしろ何故神社が残っているのか不思議なレベル。つまり横浜住人は超鈍感野郎かスーパー浄化体質、背後が悪霊をボコるタイプの人ばっかり。なお殺意高いので大体の人は最後のやつ。

ポートマフィア:小雪いわくヤのつく方々。実際はそれよりも性質が悪い。
地下通路云々はDEAD APPLEで見たのを何となく参考にしています。本部を中心にしてそれぞれの息がかかった場所(ただし全てはやってられないので一部分のみ)に通じる道がある感じ。いざという時の避難経路でもあり、しかし立ち入るには仕掛けを解く必要がある。地位が高い人ほど多くの経路を知っている。
本作品のみの設定なので実際がどうかは不明です。

会計事務所:情報員としての安吾さんが居る場所。隠し部屋。
建物全体はポートマフィアの表向きの会社名義で買い取ってるはず。見た目は看板が残された空きテナント。じゃないと泥だらけ油だらけの太宰と織田作がそのまま部屋の中に踏み入れること出来ないと思うので……。一階の大部屋の壁に仕掛けを解除するトリガーがあり、それを弄ると地下への階段が出現する。
もちろん本作品のみの設定。





今回で織田作とかエリスちゃんを出すつもりだったのにそこまで行きませんでした。織田作は次回に持ち越しです。残念。

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