極東の城塞   作:アグナ

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まだ! エタって! ねえぞおおおお!!



あ、記念すべき第五十話ですね。
このまま完結までいければ良いな(願望)



剣の王

 日本の呪術界といえば『官』と『民』。

 おおよそ二つに大分される。

 

 日本国、引いては日本の呪術界そのものであり、それを統治、支配してきた呪術大家の四家を筆頭とした『官』。

 在野の呪術者であり、特に国や組織に所属しているわけでは無い民間の呪い師や占い師、『民』。

 

 この『官』と『民』二つの存在によって構成されているのが日本の呪術界の現状である。とはいえ、これはあくまでも大分した場合の話である。

 日本に限らず、政治、軍事、経済……組織が社会が巨大になればなるほど、大分けされた中の区分……いわゆる派閥や小組織などが形成される。

 

 例えば『官』の中でも取り分け強い権力を持つ『四家』でさえ、それぞれ御家ごとに権力争いをしているし、『民』においても稀少な霊媒を求めて時に敵対、協力を繰り返すごとにそれぞれ陣営のようなモノが組み上がっていたりする。

 

 そして九州の呪術者集団……『裏伊勢神祇会』もまたそう言った呪術社会の流れと共に形成された一団である。

 

「ですから! 我らが王が帰還している今こそが好機なのです!」

 

 凄まじい剣幕で若者が怒鳴る。

 福岡県にある宗像大社。

 まだ暗い日の出前の早朝に、斎館では今まさに堕落王こと七番目の神殺しが支配下にある『裏伊勢神祇会』の定例会議が行われていた。

 

 上座に座るのは宗像宰三。

 嘗て筑前国と呼ばれた頃に海洋豪族として名を馳せた宗像氏の子孫と噂される五十代の中年男性だ。

 宗像氏自体は戦国の頃に宗像氏貞が死したことで途絶えたはずなので直系の子孫というわけでは無い筈だが、まことしやかに或いは生き残りではと囁かれている。

 

 『民』の呪術者では桁外れの呪力を誇り、取り分け風水、地相学に精通していることから土地や環境、霊脈を司る呪術に長け、相性次第ではまつろわぬ神々でさえ封印して退ける規格外の呪術者である。

 

 規格外の技量と技量が生む希少性は国内でも媛巫女と同等に扱われており、彼が『民』でありながら全国七千とある宗像神社、厳島神社、そして宗像三女神を奉じる神社の総本山、宗像大社の神主の地位を与えたことからも伺い知れる。

 またその経緯あってのことか、九州の『民』の呪術者たちを取り纏める『裏伊勢神祇会』の棟梁であるにも関わらず親『官』の人間である。

 

 そんな彼は疲れたようなため息を吐いて、若者……急進派筆頭の大内権一に言葉を返す。

 

「『《堕落王》閉塚衛を旗頭に日の本に号令を掛け、『民』に弾圧を齎す悪しき権力者達『官』に天誅を下すべし』……ねぇ。ったく、阿呆が。悪しき云々で語るなら国の呪術者である『官』に鉾を向ける『民』の方がよっぽど質悪いだろうが。第一、連中を排してどうする? 新たな呪術組織基盤でも作るのか?」

 

「そうです! 今代は取り分け神殺しが世を跋扈する世代! 世界の呪術社会の発展は今まで以上に急進的に進んでいる。にも関わらず! 我らが日の本では未だ古びた風習、伝統に囚われた旧き支配者が幅を効かすせいで一向に進歩が無い! これでは何れ遠くない日に日本の呪術界は世界に置いていかれてしまう!」

 

 神殺しという存在はよくも悪くも劇薬だ。

 どのような歴史ある、伝統ある呪術、魔術組織であろうとも神殺しが一人生まれただけで組織の権力層は一新される。

 

 例えばイギリスで十八世紀に興った『賢人議会』などは欧州において多大な影響力を持っており、近年の歴史において組織的な競争相手など存在しなかった。

 しかしイギリスに黒王子ことアレクサンドル・ガスコインが誕生し、彼が自らの魔術組織を結成し、率いるようになってからは稀少な霊媒を巡って権力闘争が行われるようになった。

 新興の組織が古豪と同等の力を持つ……神殺しの存在は数百年の歴史さえ、たった一人で覆してしまうのだ。

 

 他にも歴史に加え、サルバトーレ・ドニ、草薙護堂の影響でイタリア国内で多大な影響力を持つ《赤銅黒十字》、そのライバルにしてサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの影響力を受けている《青銅黒十字》などなど。

 神殺しがいるというだけで無名の組織から絶大な権力を持つ組織へと存在を転じる例はまま存在する。

 

 特に今代の神殺しは総勢八名。

 これだけ居れば彼らを発端とした騒動は数知れず、彼らが齎す波乱から呪術、魔術の組織図も忙しく日々変動している。

 だが、それに比べて日本は今は崩壊した『古老』の影響もあってか、或いは『四家』の存在あってか、世界の情勢と比べれば遅々として進んでいない。

 否、水面下ではそういう動きもあるのかも知れないが、少なくともこの若手筆頭、急進派でも特に過激な権一青年には進んでいないように見えているのだろう。

 

 だからこその変革を。

 神殺しという強大な存在に傘を借りる『裏伊勢神祇会』こそ、日本の呪術界に変革をもたらせるのだと信じて止まない。

 

「世界に置いていかれるか。まあ、実際お前さんの言い分は分からんこともない。日本も呪術研究は行っているが、欧州の顔である『賢人議会』に及ぶ者では無く、研究者の集いと言って良い『王立工廠』は言うに及ばず、だ」

 

 権一青年の言葉に宰三は頭を掻きながら一定の理解を示す。

 彼の言う通り、日本の呪術界は遅れていると。

 

「権力的な意味合いから見ても日本の呪術界が世界に与えられる影響力はたかが知れていて、イタリアの七姉妹やらアメリカのSSIの方が優秀だ。草薙護堂の誕生によって海外の魔術組織が日本国内で力を伸ばす現状を考えれば、俺たちも行動を起こせにゃならん場面もあるだろうさ」

 

「そこまで分かっているなら……!」

 

「──だがな」

 

 上座から睨みを効かせる。

 呪術者としても組織の頭としても飛び抜けている才人は続く言葉で若者の意見を否定する。

 

「未来を憂慮するなら何故、そこで下剋上を掲げる。手を取り合うという言葉ではでは無く武力による排斥を望む。確かに旧き支配者たちによって何かと息苦しい世界だが、旧態依然とした中にも守っていくべき伝統、風習は存在しているだろうが。良きも悪きも引っくるめて燃やし尽くせば、焼け跡に残るのは国内情勢の大混乱と戦国時代よろしくの暗闘劇だ。んなもん、世界に置いていかれるより質悪いだろうが」

 

 呪術界の未来を憂慮する青年の意見は分かる。

 だがその手法に下剋上を掲げるのは状況的にも情勢的にも間違いだらけだ。

 

 悪いから潰す。邪魔だから切る。

 そうして武力的に自分たちの自由を縛るものを排斥するのはとても()だ。少なくとも言葉を掲げ、理解と共感で味方を増やし、少しずつ社会を変えていくよりもよっぽど手っ取り早い。

 しかし、何もかもを力でどうにかし続ければ何れそれらは破綻する。

 

 力による排斥は双方に恨み辛みを生むし、多かれ少なかれ人的にも物的にも出血を齎すだろう。そうすれば呪術社会の混乱は免れず、身内の削り合いで混乱する隙などを見せればそれこそ進歩的な外来魔術師たちの思うままだ。

 

「俺がテメエの意見を封殺し続けるのは結局、テメエは生きにくい世の中をテメエの独善的な正義感と浅はかな自己顕示欲でもってテメエの手で変えたいだけだっていう心が明け透けに見えるからだ。そんな浅い展望で混乱を起こすことこそ未来を潰す行為そのものだろうが。弁えろ、俺たちには俺たちの役目と役割がある。その区分を越える越権行為は俺が許さん。未来を憂慮するならまずはテメエの役割を十全に果たせ」

 

「くっ……! 失礼ッ!」 

 

 宰三の言葉に若者は憎悪する様な目を向けた後、踵を返してその場を辞す。

 余りに身勝手な行為に周囲からも批判の声が向くが全ての野次を宰三は気だるげに払う。

 

「ほっとけ、ほっとけ。いつもの急進派だろうが」

 

「とはいえ不平不満も堪りましょう。こうして毎回噛みつかれていれば」

 

「おう、神宮司。お前もアイツが嫌い派か?」

 

「別にどうとも無能で無ければ問題ありませんよ」

 

「お前は相変わらずだなァ」

 

 如何にエリートと言わんばかりの眼鏡を掛けたスーツ姿の人物の言葉に宰三は苦笑する。仕事が出来るならば人格を問わない佐賀県の代表は、今日も変わらず平常運転のようだ。

 

「とはいえ、今回に限っては少しばかり皆に同調する部分があります。先日、聞いた話では日光の方面で今、大騒ぎだそうですからね」

 

「ああ、例の羅濠教主の急襲か」

 

「ええ。私が探ったところでは現在、草薙王がかの王を相手取っているとか。全く、何を目的とした来日かは知りませんが、確か日光と言えば九法塚が神鎮めの巫女を採ろうとしているとか、件の巫女が万里谷家の人間だとか。……何故、草薙王が日光の方にと疑問でしたが、案外、その縁で居合わせたのかも知れませんね」

 

「何でそんなに正史編纂委員会の事情に詳しいんだか……俺より詳しい辺り実は『官』のスパイなんだっていわれても驚かないぜ、お前さんはよォ」

 

「ははは、ご冗談を。私は根っからの『民』ですよ。そして『民』であるがゆえに世間に対しても敏感に耳を尖らせているのですよ」

 

「さよけ」

 

 いけしゃあしゃあと言う神宮司に宰三は肩を竦めるに留まる。

 一時期流行った風水ブームに乗っかって関連グッツやら占いやらで儲けを必要分かっさらった後、さっさと引き上げるという目利きの良い商人じみた男の腹は先ほどの青年と違い相変わらず見えにくい。

 

「しかしそうなると現在日本には少なくとも我らが王を筆頭に三人の神殺しがいることになりますか。ははは、これは大嵐の予兆ですかね?」

 

「笑えない冗談を言ってんじゃねえぞ……ま、流石に今回に限っては閉塚の小僧も乱痴気騒ぎに混ざるまいよ。小僧は今は九州(こっち)だし、逆に向こう連中がこっちに来る理由もあるまい。件の草薙王が敗走した場合は知らんが、いずれにしても飛び火はしないはずだ」

 

「そうですかねェ。こういう時に限って混乱というのは伝染するものですよ。そこんところはどうなのですか霧島衆の代行殿?」

 

 不意に神宮司が目を向けたのはこの場に列席する一人の男。

 着物を纏い、一昔前の文豪然とした顔立ちからも人格が見て取れる柔和そうな人物。姓を姫凪、名を天羽という。

 他ならぬ姫凪天羽──王の伴侶、姫凪桜花の父である。

 

「心配しなくとも先ほど確認したところ、我らが王は今は私の家内の所にいらっしゃいますよ。まあ、瞬間転移の権能をお持ちですからその気になれば日光に赴くことも出来るので断言は出来ませんが……」

 

「おい待て。さっきって何時だよ。現在進行形で会議中だが、いつの間に連絡取ってたんだお前さんは」

 

 天羽の言葉に宰三がツッコミを入れる。

 それに返ってきた言葉は、

 

「宗像殿が大内の若君に噛みつかれていた隙に少々席を外して確認しました。私、争いごとは苦手でして言い合いは聞くのも当事者になるのも御免です」

 

「お前は……」

 

「ははは、天羽殿らしい。それに隠形の腕は健在の様で。嘗て『撃剣会』で期待の星だった技量は今も衰え知らずらしい」

 

「過分な評価ですよ。この手の技なら甘粕君が一つも二つも上ですしね。今は確か沙耶宮の懐刀をやっているそうですから差は前以上に開いてるかも知れません」

 

 飄々と言ってのける天羽。

 嘗ては共に腕を嫌々競いながら苦労を分かち合った友人の立場を思い、煽てつつも内心同情する。

 自分は上手く文芸方面にドロップアウトしたが、かの隠密は未だ社畜の檻に囚われたままなのだろう。可愛そうに、と。

 

「……何、遠い目で微笑んでんだ? コイツ?」

 

「きっといつものように無自覚に誰かを苦労を憐れんでいるのでは?」

 

 作家としての才能が開花したことにより世の柵から解放された元社畜の天羽は、その経歴から無自覚に今も社畜の檻に囚われる者を憐れむ癖がある。

 それを知る二人は地味に失礼なこの男に同情される誰かを憂いた。

 

 ……余談だが、この日この時この瞬間。

 日光の混乱に苦労する何処かの忍者がくしゃみをした。

 

「ともあれ、それならそれで良いだろう。日光の混乱には同情するが、うちはうちでやることがあるからな。天羽、勝手に抜け出したなら王様にキチンと用件は伝えてあるんだろうな」

 

「ええ。既に家内を通して拝顔賜りますようお願い申し上げていますよ、今日の昼頃にはこちらに到着するでしょう」

 

「そうか……ハッ、せっかく小僧の祝い日だ。せいぜい派手にやってやんなくちゃなァ。修祓用の詞もうちで一番古株の柳に頼んどいたし、誓杯用の杯も県外から一級品を引っ張ってきた。宗像大社の婚約儀式はいつでも準備万端だぜ……!」

 

「祝い振りして盛大に弄る気満々ですね宰三殿は」

 

「まあまあ、祝辞なんですから良いはありませんか。うちの娘の新たな門出でもありますから盛大なことに越したことはありませんよ」

 

「こういうのは花嫁の親としては複雑な心境なのでは?」

 

「いえいえ、娘は性格上、少々慎み深い時がありますからね。OLとして何処かの企業に就職した日には社畜と扱われるのが目に見えています。社会に出るより早く安全な身の振り方を出来たのは父としてとても喜ばしい」

 

「ふーむ。天羽殿の基準は相変わらず社畜かそうでないかなのですね。……これは一周回って貴方が社畜という檻に囚われている所作では?」

 

 先ほどまでの緊迫した空気は何処へやら、途端にぐだぐだになる会議場。

 自身の王を煽り揶揄うことに全力を振るういい大人に、社畜じゃ無ければ幸せだろうという頭の可笑しい理論を掲げる花嫁の父。

 この場で尤も常識的なのは腹黒商売人という様である。

 

 これらが各県筆頭の呪術者であるのだからある意味、あの若者の意見も間違っていないのかも知れないと神宮司は思った。

 

「……この場は王の来訪に伴う緊急会議の場では?」

 

「さあ、良いんじゃ無いんですか。件の筆頭があの通りですから」

 

 困惑する側近にそんな言葉を吐きながら神宮司はふと、仏の笑みで娘の未来を祝う天羽に向けて疑問を投げる。

 

「そういえば天羽殿。何故、貴方が代行としてこの場に訪れたのです? 檀殿は何か急用でもお有りで?」

 

 神宮司が疑問に思ったのは天羽の存在そのものだ。

 姫凪天羽は確かに個人として王の伴侶の親、『民』の隠形として九州では有名とこの場の会議に参ずる資格を有すに十分な高名と縁を持っているが、それでも彼は半ば呪術界から隠居している立場の人間である。

 

 それでもこの場に訪れるのは時折、参席できない彼の父……高千穂峰にて山岳を奉じる修験道一派、霧島衆の首魁たる檀行積の代行であるからだ。

 

 しかし此度は彼らにとって王の祝宴に纏わる会合である。

 その会合に代理を立てて、他に用事とは一体どういうことなのかと。

 

「……それについては私も疑問にしているのですよ。父に曰く、『霊峰にて異変有り、これに対処するため会合にはお前が出ろ』との事ですが」

 

「異変?」

 

「ええ、何でも信仰の土地を守る土地の結界がどうにも昨晩破られたらしく──」

 

「──何だと?」

 

 天羽の言葉に食い付いたのは先ほどまで自分たちの王をどうやって祝ってやろうかなどと巫山戯ていた宰三だった。

 今や瞳に鋭い知的な色を見せながら天羽に問いを投げる。

 

「高千穂峰の結界が破られた、そういったんだな檀老は」

 

「間違いなく」

 

「ハッ、そいつは可笑しい。可笑しすぎるぜ。高千穂の山には『例の鉾』に関連して厳重な封印が掛けられてたはずだ。それこそどっかの神様が掛けたのかってぐらい厳重な奴がな」

 

 宗像宰三は優れた風水師である。

 だからこそ高千穂の山に張り巡らされた土地由来の大結界の強度については誰よりも理解がある。あの結界はそれこそ件の日光にある『とある神格』を封じたものに匹敵するほどの強度を誇っている。

 加え、高千穂峰の周辺には修験道の霧島衆他、正史編纂委員会の研究員たちが存在しており異変があれば彼らが即座に気づいて対応するはず──。

 彼らがいて尚、結界が破られるまで何ら異変を感知できなかったなど……。

 

「それに抜けるでも壊すでもなく破ったってことは結界そのものを真正面から打ち消したって事だろうが。そんなマネを出来るのはそれこそ──」

 

「き、緊急ッ! 宗像殿はおられるかッ!?」

 

 ドタドタと足音を鳴らしながら息絶え絶えで襖を開けるのは宗像大社に勤める宮司であった。

 顔を青くして焦燥する宮司を見て、会議に集う呪術者達は皆、何事かとざわめいた。

 

「チッ……静まれ! んで、宮司用件は!?」

 

 一喝で場を黙らせながら睨み付けるようにして宮司に問いかける宰三。

 それに対して宮司が返した言葉は、

 

「け、『剣の王』! イタリアの神殺しであるサルバトーレ・ドニが来襲し……た、高千穂峰に侵攻! 結界は断ち切られ霧島衆も壊滅的な被害を受けているとッ──!」

 

「何だとッ!!?」

 

「……ハァ、どうやらこちらはこちらで別件により騒がしくなりそうですね、天羽殿」

 

「の、ようです。……少し席を外しても?」

 

「構いません、というよりお願いします。どうやら我らが王にも手番が回ってきたようですしね」

 

 東では中国の神殺し、羅翆蓮と日本の草薙護堂。

 西ではイタリアの神殺し、サルバトーレ・ドニと閉塚衛。

 混沌を呼ぶ神殺しが四人も同じ場に居合わせるという最悪。

 

「──妙な話ですね。東西で同時期に騒乱を引き起こす。誰か、盤を誘引しましたか、或いは単なる偶然か………仮に誘引したというならば──」

 

 混乱する場を何処か人ごとの様に感じながら神宮司は、この狙い澄ませたようなタイミングに何者かの気配を読み取る。

 

「やれやれ──これは成る程、もしや本当に大嵐となるやも知れません」

 

 来たる大騒乱の気配を察し、神宮司は憂いの言葉を小さく呟く。

 波紋は広がる、大乱は広がる。

 全ての災禍が東と西に集中する。

 

 

 その間隙に──。

 

 

「さて────最後の鍵を取りに行こうか」

 

 

 曇天覆う都内の私立校城楠学院の校門。

 先月には神殺しによる激突が行われたその場所で神々の王は不敵に笑う。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 端的に言って、男には魔術の才能が無かった。

 生まれつき魔力を貯め込むことの出来ない男は魔術と武術、その両立が必須と言って良い騎士団に身を置く存在であって、先天的に片方の才能を欠如しており、騎士団では常に落ちこぼれとして扱われていた。

 

 武術においては魔術の才能に恵まれなかった分、と言うべきか或いは武術があった故に魔術の才能に恵まれなかったのか、他の追随を許さないほどに卓越した技量を持ち、剣だけの男と揶揄されながらも周囲から、こと剣術においては彼を嫌う者も好む者も共通して認めるほどだった。

 

 とはいえ、当の本人にはそれらの評価、環境等々は一切どうでも良かった。

 最初から彼が興味を持っていたのは剣だけだ。

 剣だけだったのだ。

 

 剣を極めることこそ唯一、彼をして興味を持つ事柄。暇つぶしの享楽に耽ることはあれ、心は常に常在戦場。求むるは血の滾る試合舞台。

 剣の切れ味を極め、確かめ、結ぶことこそ唯一男が感心を持つことだ。

 

 その果てに──ある日、神を切った。

 

 その日から彼の日常は一変したが、それでも尚彼は変わらない。

 求めるのは剣。極めるためには闘争を。

 故に──己の目的を遂げるため、一切を斬り伏せることに躊躇い無し。

 

 剣を極めるためならば女子供だろうとも師であろうとも何であろうとも。

 神々さえも──断ち切って見せよう。

 

 何故ならば。

 

「──僕は、僕に斬れぬものを許さない」

 

 嘯くように言霊を唱える。

 男──剣の王、サルバトーレ・ドニは飄々と笑い、

 

「さあ、派手にいこうか!」

 

 斬、と魔剣が振るわれた。

 

 

 

 

 

「懺悔、懺悔、六根清浄」

 

 宮崎県と鹿児島県の県境に位置する火山、標高約1600㎝を誇る霧島連峰の第二峰。日本名山にも名を連ねるその山を高千穂峰という。

 天孫降臨の地として今も信仰を集め、そしてある『鉾の神器』に対しても逸話を持つ霊峰であり、あの歴史に有名な坂本龍馬も登頂した山でもある。

 

「懺悔、懺悔、六根清浄」

 

 噴火の影響で近年まで登頂が禁止されていたが、数年前より解禁されており、既に幾人もの登山家が足を運んだことだろう。

 標高こそかの富士山と比べればその半分とない高さだが、火山とだけあって足場が悪く、強風も吹くため相応の登山装備が必要となる。

 

 しかし……。

 

「懺悔、懺悔、六根清浄」

 

 錫杖を鳴らしながら何事かを呟く老人に、らしい装備は一つとしてなかった。

 トレッキングポールこそ錫杖が代わりに役目を果たしているものの、鈴掛に、頭に被る頭巾と斑蓋、どう考えても防寒の効果などありはしない。

 

 さらに背には水分補給用の水筒や高山を登るための酸素マスクの入ったリュックなどでは無く、老人と同じほどの箱笈。

 装飾品のように身につける数珠やら法螺やらと並んで登山の助けに何一つ鳴ってない上、寧ろ登山の難易度を引き上げかねない装備たちである。

 挙げ句、足下は藁で編んだ草鞋……とても登山に挑む者の総評して装備では無い。

 

「懺悔、懺悔、六根清浄」

 

 にも関わらず老人の足は異常なほどに速い。

 走っているわけでも無いのに踏み出す歩は力強く、進む速度は風のよう。

 環境の過酷さを鼻で笑うように老人は往く。

 

「懺悔、懺悔、六根清浄」

 

 その山伏装束を身に纏い、言葉を唱えながら独特のリズムで山登りを行う行為を「山駆け」という。単に山中に行くのでは無く、宗教的な自覚を伴い行う山間踏破は霊山修行者たちにとって山籠もりの修行の一環である。

 数十年に及び日常と等しく生涯を修行としてきた老人にとって今更、過酷だと喘ぐべき者では無く、積み上げた年月は未だ老衰にも不動であった。

 

 紗蘭(しゃらん)紗蘭(しゃらん)と錫杖が鳴る。

 

 山に木霊する鈴の音はある種の神聖さを呼び起こし、山は原初の聖域へと顔色を変えていく。

 古代人にとって山とは『モリ』である。

 地面がただならずモリ(・・)あがった場所、草木が異常に密生するような場所、或いは『塚』と呼ぶべき場所……そうした自然的神秘が働いた結果、生まれた場所に原初の人々は人ならざる力を感じて「(モリ)」聖域とした。

 

 またモリとは死者が坐す場所でもある。

 モリは黄泉から発せられる力によって生まれた場所であり、行けば災いが我が身を襲うとして、時に禁足地とした。

 

 モリ、即ち山に宿る見えざるものは「タマ」「カミ」「モノ」などと呼ばれ、人知及ばぬ神秘であり奇跡であり強大で凶暴な絶対者であった。

 これに人々は時に捧げ物を差し出し、忠誠を使ったが、人ならざるものの真意など人には読み解くことが出来ない。

 

 よって人々はこれら目に見えぬ超常……山に満ちる神秘を理解するためこれらと一体になる方法を考案する。

 山に満ちる力を操る術、即ち「魔術」。

 山に満ちる力そのもの、即ち「験力」。

 

 山に行き、山と一体となり、山に満ちる力を振るう。

 歴史に曰く、原始自然崇拝(アニミズム)に端を発する修験道の目的とは即ち、山に満ちる超自然的力と一体となり、これをモノにすることだ。

 

 そういった意味で老人は度外れていた。

 

 長き修行により身に付せた神秘は神がかりの巫女のそれを優に越え、纏う風は天狗が操るそれそのもの。

 修行を経て身につけた天狗の焔の清涼さはあらゆる穢れを焼き殺し、祓い清めるだろう。暴君として長き時を君臨するかの魔王が死者の行軍でさえ老人の前では灰となる。

 

 老人の名を檀行積、高千穂峰を信仰する修験道一派『霧島衆』が筆頭である。

 

「────む」

 

 老師の言葉が突如として途絶える。

 重ねた年月に相応しい皺を荘厳と顔に刻んだ行積はふと瞑目する。

 

 山を通り過ぎる風、風に吹かれる草木、遠くから響く野鳥の声。

 黙して感じ入るだけで山の全てを行積は感じ取る。

 当然──山の異変も。

 

「山の結界が斬られたか」

 

 霊視する。

 それは巫女の行う技術とは異なる霊感。

 目に見えないはずの魔力の流れや霊峰の息吹などを見る験力である。

 

 その目によって行積は真っ二つに裂かれた結界を読み取った。

 

「土地を乱したわけでも、山に勝る霊気で持って壊したのでは無い。剣の魔力、そして所有者の力量によって断ったか。なるほど、魔剣であるな」

 

 ふわり、と行積の身体が宙に浮く。

 急斜面から自らの意思で身を投げだしたのだ。

 

 このままならば行積の矮躯は地面の急斜を転がり、ただならぬ怪我を行積に与えかねないはずだが、行積の身体はしかし地面を転がる事無く、風に流される風船のように、だが、風船のように天高く流されること無く斜に構える地面と平行して浮く。

 

 山を駆け抜ける風に揺られ、そのまま行積の身体は風に流された。

 それは一見して無作為な風流のようで、紛れもなく意思のある流れだった。

 まるで行積をその場所に導くように風の流れそのものが行積の意思に同調して行積をその場所へと往くことを助ける。

 

 半刻──風に揺られた行積が到着したのは山の中腹付近だった。

 そこには倒れ伏す霧島衆、正史編纂委員会が派遣した呪術者達の姿。

 そして倒れる彼ら彼女らの中心に立つ、剣を携えた若者の姿。

 

「──異国の羅刹王殿であるか。名を聞いても?」

 

「サルバトーレ・ドニ。サルバトーレでもドニでもどっちても良いよ? 君が此処のリーダーだよね? 今の、面白い力だね。魔術でも僕たちが使うような神様の力でも無い……でも似た力なら知っているよ、前に会ったことのある珍しい神獣が似たような力を使ってたなァ、確か精霊、だっけ?」

 

「さて、異国の術に関しては拙僧は恥ずかしながら精通して降りませぬが故。当方、命を受けて以来この山と共に過ごし、歳を重ねてきましたが故に」

 

 明らかに襲撃者と分かる出で立ちの青年、サルバトーレ・ドニに対して、行積は特に態度を乱すことは無かった。近くには身内の人間達も血を流して倒れているにも関わらず彼はただ一人、泰然と孫ほど歳の離れた青年に礼を払いながら言葉を交わす。

 

「して、当山にはどのような御用向きで」

 

「ちょっとしたお使いさ。僕自身、目的は別にあるんだけど此処まで送ってくれたことに対する交換条件って奴でね」

 

 ウインクしながら剣を携える手とは逆の手で小瓶を見せる。

 小瓶には乳色の液体が注がれており、ゆらゆらと波に揺れている。

 それを見た行積は眉を僅かに顰めた。

 

「霊薬……それもかなり高位の一品ですな。由来は何と?」

 

「さあ? 僕も渡されただけだからよく知らないや。説明されたような気もするけど、僕にはどうでも良かったしね。あ、でも確か不老不死の秘薬とか何とか……」

 

「なるほど」

 

 にへらと笑うドニに泰然としたまま頷く行積。

 表面上は双方、特に険悪という訳でもなく理性的に言葉は交わされる。

 だが、不意にドニは何気ない仕草で、

 

「じゃあ、やろうか」

 

 などといってアッサリと剣を構えた。

 構えた、というには余りにも無気力でだらしない構え方だが、同時に構えたと分かるほどの圧が行積の身を襲った。

 人付きする犬が獰猛な恐竜に転じたようなギャップ。

 それを前にしても行積は小揺るぎもしない。

 

「武力を持って押し入ると? 当山は敬虔なる信仰者も修行僧も、或いは戯れに登山を遊興として楽しむモノも否定はしませぬ。ならば羅刹王が某かの用事を済ませることもまた」

 

 行積にとって山は聖域だが、同時に山は何者も否定しない存在であることも知っている。例えば行積のように山岳信仰を行う信徒達も、山登りを楽しむというために訪れる俗人も、山では全て同列に扱われると思っている。

 

 超自然を前に人が課した区分など馬鹿馬鹿しい。

 訪れる人々は皆、すべからく山に挑むヒトなのだから。

 だからこそ行積は例えドニの行為が侵攻そのものであっても止めはしない。山は全ての存在を受け入れるが故に。だが……。

 

「例えば、これが神様を呼び起こしてもかい?」

 

「……ほう?」

 

 ドニの言葉に初めて行積がピクリと反応する。

 それを知ってか知らずか、ドニは申し訳なさげに続ける。

 

「いやあ、これは僕の勘だけどね。これ自体には大した力はないはずなんだ。だけどこの山でこれを使うと何か神様が呼び出されるような感じがするんだよねぇ。それに此処に来るまでにどうも胸騒ぎがして落ち着かないんだ。これって結構、不味いと思わないかい?」

 

「御身自身が危険を承知であると。では何故、災いを理解した上でお使いなどと?」

 

「そりゃあ、それだけ危ない神様ならきっと僕の剣の切れ味を十分に確かめられると思うからさ! うん、本当に君たちには悪いと思っているんだよ? 護堂の故郷でもあるしさ。でも……悪いけど僕としても興味があるからさ。此処は一つ、許してくれよ」

 

 まるで友達に謝るかのような気軽さでとんでもないことを言うドニ。

 その余りに身勝手極まる言葉には彼の同胞とて唖然とすること間違いないだろうが、それでもやはり行積は泰然としたままだった。

 

 泰然としたまま、ごく自然な動作で臨戦態勢に移行していた。

 

「確かに、仕方有りませぬな。御身が望むところが成された暁には災いが日の本を襲うとなれば、拙僧もまた人のみでございますが故、止めねばなりますまい」

 

「うん、いいよ。実の所、君とはちょっとやってみたかったんだ、感じは違うけど師匠と似ている気がするんだ」

 

「それは光栄ですな。拙僧が羅刹の君の師に及ぶとは到底思えませぬが──」

 

 穏やかに言葉を交わす──その刹那。

 

「その御身の目に狂いがないよう、せいぜい務めなければなりますまい」

 

 一瞬にしてドニの目の前に現れた行積の掌底がドニの胸を強打した。

 ズドン、という凄まじい音を発しながら衝撃に飛ぶドニ。

 砂煙をまき散らしながら彼の肉体は数十メートルと飛翔し、大地に着弾。

 轟音が山間を大きく揺らした。

 

「──うわあ! 凄いな! 今のは神様や護堂が見せてくれた《神速》かな? 僕たちみたいな奴以外の人間が使うなんて初めて見たよ!」

 

 しかし、土煙の奥から姿を現したドニは恐ろしい事に無傷だった。

 魔術によるモノか、或いは権能の力か。

 如何な手法で身を守ったのか、打ち込んだ行積本人はよく分かっていた。

 

「打撃直前で上手く流しましたな。拙僧が見えていたので?」

 

「うん、まあね。中華の武侠たちは心眼之法訣って言ってたっけ? 僕は独学でやったから余り覚えていないけど……しかし、今のが君の力か! じゃあ僕もお返しに見せてあげないといけないよね」

 

 服に付いた埃を払いつつ、剣を片手に構えながらドニは、

 

「ここに誓おう。僕は、僕に斬れぬ物の存在を許さない。この剣は地上の全てを斬り裂き、断ち切る無敵の刃だと!」

 

 不遜な宣誓と共に膨大な呪力が剣に纏わり付いていく。

 無骨な剣は超常の力を宿す剣に……全てを斬り裂く唯一無二の魔剣へと変貌する。

 これぞサルバトーレ・ドニが持つ剣の権能。

 全てを斬り裂く鋼の権能『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・リッパー)』!

 

「ふむ、老骨には過ぎた魔剣でしょうに光栄と言うべきか、過評と嘆くべきか。何にせよ……臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前────」

 

 遂に開陳されるドニの権能を前に行積は苦笑し、言葉とともにサッと剣印を結んでいく。独股印から大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印と自然な動作で、しかし恐るべき早さで結ぶ。

 

 剣印を結んだ後、四縦五横の格子状に九時を切る。

 九字護身法、それは言わずと知れた除災戦勝の仏前作法。

 だが行積は立て続けに言霊を放つ。

 

「──天魔外道皆仏性(てんまげどうかいぶっせい)四魔三障成道来(しまさんしょうじょうどうらい)魔界仏界同如理(まかいぶっかいどうにょり)一相平等無差別(いっそうびょうどうむしゃべつ)

 

 如何な呪術なのか、唱え終わると行積に恐ろしいほどの呪力が満ち満ちる。

 その霊気は高千穂の峰に吹雪く霊気と恐ろしく似通っており、まるで行積自身が高千穂の峰と同一の存在になり変わったかの如し──。

 

「さて──これで多少は御身のお暇を埋めるに足る験力とたり得るか……」

 

「はは、いいぞ! これは期待以上だ!」

 

 まつろわぬ神や同族を相手取る時ほどでは無いが、今目の前の老人に対して身体に少なからず熱がこもる。これ即ち目の前の老人が神殺し足る存在をして『脅威』と認識したことに他ならず──。

 

「では、少しばかり付き合って戴きましょうか、この老骨に」

 

「本番前のウォーミングアップって奴だね! 大歓迎さッ!」

 

 二者、同時に地を蹴り激突する。

 既に勝敗は見えているものの──剣の王と修行僧は遂に全力を持って戦端を切ったのだった。




イタリアの馬鹿、遂に来日!

ぶっちゃけ衛くんにとっては羅濠に並ぶ天敵中の天敵だったり。
性格的にも特性的にも。

そして拙作的にも大きく動きまする。
是非、お付き合いをお願いしますね。





……作者がエタらない限りは(ぼそっ)

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