極東の城塞   作:アグナ

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そういえば最近、外出ると場所問わず皆マスク付けてますね。
そのせいでマスクが足りず高騰しているとか。

作者は半ば家に引きこもっているので縁が無いのですが……。
よう実のリアルイベントに参加したときにみんなマスク付けてたのでこれが例のウイルス効果かと。

ともあれ、皆さんもお気をつけくだされ。



まあ作者はウイルス対策何もしてないんですけどね!
マスクは邪魔になるし……どうせ罹るときは罹るし(おい)


眠れる街と斬り裂く魔剣

 サルバトーレ・ドニによる高千穂峰襲撃と同刻。

 時を同じくして、夜明けの長崎港でも異変が起こっていた。

 

「あれ? 今日はやけに霧が濃いな……」

 

 長崎県長崎市にある国の重要港湾である長崎港では時折、霧が発生するため、霧自体はさして珍しいものでは無い。しかし、そんな港街の住人が思わず霧が濃いと評すほど、その日の霧は濃いものだった。

 

 港一帯は勿論のこと、濃霧は地方都市として栄える長崎の街をも覆い尽くしており、視界は十メートル先を見通すのがやっとという程。

 そのため絶えず道路を行き交う車はいつもよりも鈍足で、霧のせいか街自体の活気も普段と比べれば格段に静かであった。

 

 音の少なさが呼ぶ静寂はまるで微睡みのようだ。

 濃霧は静寂を呼び、静寂は微睡みを呼び、そして街は人気を忘れていく。

 夢の中、そう形容するほどその日の長崎市に現実感は無かった。

 

「あら? この音色……」

 

「これ歌か? 一体何処から……?」

 

 そんな静寂な街にふと美しい音色が響き渡る。

 数少ない街を歩く住人達は皆、歩を止め、思わず歌に聴き入る。

 

 異国の言葉、なのだろう。

 少なくとも日本語ではないその歌は不思議と耳からするりと身体に入り、理解できずとも自然と歌声と音色に聞き入る事が出来る。

 さながら子守歌のように。

 

 そして聞き入る内に……理解できないはずの言葉が脳に直接、語りかけるように理解できる言葉として彼ら彼女らへと伝わり始める。

 

『冥府で踊る死者達よ、冥府で踊る女神達よ。どうか私の詩を聞け』

 

 圧倒的な美声である。

 テレビやラジオで耳にする如何なる歌手をも凌駕する美声は聞き手に一切の不快感も与えず、問答無用に聞き入らせる。それは一種の催眠のよう。

 美声の音階が聞き手の心を鎮静させていくのだ。

 

 音の世界には聞き手の自律神経を活性化させ、精神安定させるゆらぎというものが存在するというが、美声の主はそんな音の概念を置いて、ただ美しい音色というその一点で聞き手の心を静めていく。

 

『私は願う、どうか私を憐れみたまえ。私は願う、どうか私を憐れみたまえ』

 

 極限の美を前にした時、人は忘我するという。

 衝撃的な感動が心を一色に縫い止めてしまうが故に。

 それほどまでに、嘆きの美声は絶対的だった。

 

 ただ美しい。これほどの美声が歌が、地上に存在するのかと疑うほどに。

 

『死者達よ、私をどうか導きたまえ。女神達よ、私をどうか導きたまえ』

 

 ラン、と五感を揺さぶる琴の音色が響く。

 悲哀の慟哭に合わせて、嘆きの音が奏でられる。

 

『悲哀の涙が頬を伝い、嘆きが私の胸を刺す。おお、どうかどうか私を憐れみ導き給え。冥府を下ったその果てに。私は愛を取り戻すのだ』

 

 霧が濃くなる。いっそ濃くなる。

 既に視界は一メートルと聞かず、詩を聞いた住人達は子守歌を聴く赤ん坊のように微睡みのうちに居る。

 街が眠る、人が眠る。あらゆる全てが眠りに落ちる。

 

 酩酊感にも似た快楽と微睡みの内に住人達は思う。

 ああ、これは人の成せるモノでは無い。

 もっと高貴なるモノ、高位なるモノの成せる奇跡である、と。

 

 ポロロンと再び琴が響き渡る。

 脳を揺さぶり、心を静め、感動の内に眠りを呼ぶ。

 霧の彼方に夜明けは閉ざされた。

 

 故に夜の眠りは尚続行。

 街は目覚めること無く夢の中に沈んでいく。

 

「──チッ、またこのパターンか。つくづく運の悪い」

 

 ──たった一人、詩に聞き入ることなく佇んでいた。

 一人の黒い貴公子を例外として。

 

 眠れる街でアレクサンドル・ガスコインは面倒くさげに、しかし確かに微睡みを呼び込んだ敵手の存在を睨み付けた。

 

 

 

 

 そして──銀色の輝きが全てを両断した。

 

 ドニの放った一斬はしかし剣による斬撃というには余りにも規格外なものであった。

 僅か一撃一斬、ただそれだけで山を覆う草木が大地が、真っ二つに斬り分かれたのだから。

 

 連鎖的に起こる土砂崩れの轟音を背に紙一重で斬撃を躱した行積は、相変わらず泰然としたままにドニの偉業に感心する。

 

「成る程、これが神々の権能か。閉塚殿がこの御山に匹敵する結界を雷にて一瞬のうちに形成したのはお目に掛かったことがあるが、ふむ……神威の一撃、凄まじい限りだ」

 

「だろう? この通り、僕に斬れないものはない。だから君も全力で立ち会った方が良いよ。僕の力は何というか、加減ってモノが出来ないからね!」

 

「確かに。これでは峰打ちであろうとも斬殺は免れますまい。では児戯ですが、拙僧も一つ、技を披露してみせようか」

 

 言って行積はあろうことか目にもとまらぬ速度でドニの懐へと……剣の間合いへと踏み込んだ。

 それは誰が見ても自殺行為だ。

 何故ならば目の前の剣士はこと剣に関して世界四指の実力者。

 言わば近接戦のエキスパートである。

 

 加えて手にした権能はケルト神話の神王ヌアザより簒奪した万物全てを断ち切る銀の魔剣。正に鬼に金棒といった権能である。

 そんな男の間合いに自ら飛び込むなどそれを自殺行為と呼ばず何という。

 

「正面から飛び込んで来るのか! やる気だね!」

 

 しかし愚行に対してドニは笑う。

 そう、相手が無策であるなどとあり得ない。

 何故ならば初手に放った不意打ちの遠間斬撃を見切って(・・・・)、避けた相手である。少なくとも一刀で住む有象無象の類いでは無いと戦好きの神殺しの感性は強く訴えていた。

 

 果たしてそれは、正しかった。

 間合いに飛び込んできた行積に合わせて放った迎撃の一斬。

 獲物を斬殺するはずだった一刀は虚空を斬る。

 

 そして打ちは放たれるは音速の発勁。

 容赦なく標的を心臓と据えた一撃がドニを襲う。

 だが、桁外れの反射速度でドニは僅かに半身を逸らすことで躱す。

 

 さらに空振った先の一斬を返し、今度は突き出された行積の腕を切り飛ばそうと刃を振るうが、まるで知ってたよう(・・・・・・)に行積は腕を曲げた肘打ちをドニの手元へ向けて打ち放つ。

 剣を振り切るよりも先に気勢を削ぐように放たれた一撃は鋼の魔剣の脅威を発動させない。そして剣を振るいきれず、中途半端な姿勢で留まったドニに向け、行積は体当たりを喰らわせながらドニの鳩尾目掛けて強烈な寸勁を放つ。

 

 さしもの神殺しといえどもこれは効いたのかドニの身体はくの字に曲がり、受けた衝撃にたたら踏む。

 その隙に行積は更なる追撃を加えようと再び手を引くが、拳を打ち込もうとした直前に何かを察したように足を引き、達人すら目を見張るような見事な体重移動で僅か一足のうちに十数メートルと間合いを広げてみせる。

 行積が間合いを広げた刹那に──遅れて豪速の払いが虚空を切る。

 

 剣を握る手とは逆の手を使いドニは行積を打ち払わんと一撃を見舞ったのである。だが、予め逃れていた行積を振るわれた亜音速の払いは捉えること無く、大気を切るに留まった。

 その威力、その速度、仮に直撃していたならば行積の肋骨を粉々に打ち砕き、確実に戦闘不能へと追い込んでいただろう。

 

「やるねえ! 素手だとちょっとやりずらいなぁ何て思ってたけど、こうも上手く僕の剣を躱してみせるなんて!」

 

「何、羅刹の君の神威に比べれば拙僧の技など所詮、余技にございます」

 

 一連の攻防を終えたドニは愉快げに笑いかけながら再び弛緩しただらしない姿勢で剣を構える。強烈な一撃を受けただろうに、その笑みに曇りは無く、目立ったダメージを受けた様子も無い。常人ならば一撃で昏倒して然るべきだろうに。

 神殺しの耐久力は達人の一撃程度では揺らがない。

 

「鋭い読み、じゃあなさそうだねぇ。ひょっとして僕の頭の中身でも覗いているのかい?」

 

「然り。拙僧が御山にて鍛え、身につけし、五の神通。うちの一つが他心通。行基大徳には遠く及びませんが……拙僧もまた修験の道にて験力を極めましたが故に」

 

「神通力……確か似たようなのを中国の武侠が使ってたなァ」

 

 教えによって定義は異なりが、修験道において神通力とは現世と他界の境を自在に飛越し、神霊と対話しうる超能力のことを指す。

 観音経や維摩経に曰く神通、即ち超能力は六種あるという。

 

 一は神境通、たちどころに何処でも行ける能力。

 二は天眼通、物的霊的を問わず全てを見る能力。

 三は天耳通、遠近細大構わず音全てを聞く能力。

 四は他心通、他人の心を見通し、読み取る能力。

 

 五は宿命通、人の過去の生死宿業が読める智力。

 六は漏尽通、煩悩を滅ぼす、または煩悩から解脱した知性を言う。

 

 これら六つが神通。

 修験者が修行の果てに体得できる超能力である。

 過去、これら全てを具備していたのは『日本往生極楽記』や『大日本国法花経験記』などに名を残した偉大なる仏法の僧、行基である。

 

 故に清らかさ山紫水明の如しと謳われた行積でも体得できたのは六神通がうち四つ。それでも修験者として行積がどれほど卓越しているかは語るまでも無いだろう。

 山と常に共に行積は既に高千穂の霊気と一体となる領域まで験力を高めている。

 

「大陸の教えは寡聞にして知りませぬが、恐らくは同一のものでしょうな。我が修験の道はかの教えと重なる部分もあります。何れかの過程で混ざり合ったモノでしょう。大陸の蓬莱山における神仙修行でも当山の行うそれと似たようなことを行うと耳に為て事があります」

 

「へえ……まあ、その辺りはどうでもいいや」

 

 行積の言葉を話半分に聞き流すドニ。

 彼にとっては技に伴う歴史など、どうでも良いものなのだろう。

 重要なのはそれがどういうものでどういう力を持っているのか。

 それさえ分かれば問題は無いのだ。

 

「僕の考えが読まれるっていうなら、考えなければ良いだけだしね!」

 

「……むっ」

 

 言うや否や今度はドニから攻めかかる。

 玄妙な足さばきで距離と歩幅を誤認させ、意識の間隙を縫って一瞬のうちに行積に肉薄した手腕は行積をして目を見張る絶技である。

 間合いを踏破したドニは愉しげに口元を釣り上げながら突きを放った。

 音速を優に越える勢いで放たれたためか、繰り出すと同時に大気を突き破るような轟音が耳を衝くが、その衝撃に狼狽えること無く行積は後ろに飛び退いて突きを回避する……しかし、その回避運動を読み切っていたようにドニは次なる手を打つ。

 

「ッぬ!!」

 

 銀の魔剣、あらゆるモノを引き裂く無骨な鋼の剣が回避する行積を追うように伸びたのだ。これには流石の行積も驚愕し、強引な重心移動で飛び退きから後ろに倒れかかるようにして何とかこの不意打ちを凌いでみせる。

 だが、その代償に行積の体勢は完全に崩れていた。

 

 その隙を獣と謳われる神殺しが逃すわけなど有りはせず、ドニは続けて先のお返しとばかりに強烈なフックを行積の腹部に突き立てた。

 

「ガッ!?」

 

 まるで鉄棒で突かれたような強烈な威力。

 ミシミシと沈む拳は臓器にこそ届かなかったモノの代わりに幾つかの骨に亀裂を与える。痛みのあまり行積はくぐもった悲鳴を上げるも、痛みに竦んでいる暇は無かった。

 間髪入れずドニは魔剣を振り下ろす。

 ……アレだけは受けてはならない!

 

「風ッ!!」

 

「わ、ぷっ!!」

 

 呪を伴った言霊を行積が言い放つとドニの顔面を覆うように不自然な木枯らしが吹き付ける。不意の風殴りにダメージこそ無いものの、ドニは視界を閉ざし、背中を反らして仰け反った。

 よって追撃の一斬は遅れ、何とか行積は逃れ出る。

 

 ……かのように思われた。

 

「ッ! ……な……にっ……!?」

 

 刹那、煌めく銀閃。明らかにドニの反射速度を凌駕した一撃が、まるで蛇のように揺らめいて標的を視認しないままに斬り裂いた。

 微かに引き裂かれる行積の脇腹。だが驚愕すべきはそこでは無い。

 今、目前の神殺しは明らかにこちらを感知していなかった。

 にも拘わらず剣そのものに意思があるように勝手に剣閃が奔ったのだ。

 

「……無我の極致か!」

 

「──────」

 

 返答は無い。

 それが何よりも決定的な証拠だった。

 

 先ほどまで死合いに愉悦していた青年にもはや表情も感情も無く、澄み切った明鏡止水の心持ちで剣のみが凶暴な獣染みた猛威を振るう。

 それは正しく剣の極致、卓越した剣の求道者のみが至るという無念無想の理である。

 

 何も念じず、何も思わず──ただ標的のみを、斬る。

 

「ぬっ、おおおッ!!」

 

 刃が奔る。先刻ドニが伝えたように何も考えずに振るわれた絶閃を余裕無く回避することなどもはや行積は出来なかった。

 他心通は既に如何なる思念も見通さず、聞かせることはない。

 心が無の境地にあるからだろう。

 

 剣の王は既に内心を無へと変え、如何なる次手をも悟らせない。

 

「懺悔、懺悔、六根清浄……!」

 

 タンタンと森に響き渡るように大袈裟な足音を奏でる行積。

 特定のリズムを作ることで意図的に心の乱れを落ち着かせるためだろう。

 同時に唱えた呪文と合わせ、内の霊気を整える。

 

 次いで心の目で以て開眼。

 通力、天眼通を使いしかとドニの剣筋を見定めた。

 

 そこから先は神速の攻防だ。

 天眼通に加え、風を纏った行積の動きはもはや山を駆る天狗と比べて遜色なく、影の使い手では影すら踏めぬものと化す。

 しかし対する相手もまた尋常では無く無我のまま振るわれる太刀は恐るべき事に全て神速と化した行積の動きを抑えていた。

 天眼通がなければ間違いなく神速越しに叩き切られていただろう剣閃の数々を、行積は目と直感を駆使して、僅かな誤差も許さない回避で凌ぎ、斬られれば終わりの氷上の綱渡りを実現させる。

 

 無我域へと沈んだドニに容赦は無い。

 頭部、首、心臓……急所となり得る箇所への斬撃は勿論のこと、氷上舞踏を封じるためか隙あらば脚部への損傷まで狙ってくる。

 しかもそれら斬撃に意図が無い(・・)ものだから堪らない。

 ドニの次手を読むには筋肉の収縮や骨格の動きからしか察せられず、即ち受け手はどうしても後の先でもっての回避を強いられるのだ。

 

 ただでさえ卓越した剣士を相手取るのは意図や殺気ありきでも厳しいのにも関わらず、それが無い上で後の先を読み続けるなど如何な達人でも不可能だ。

 加えて、この剣士。見た目に寄らず中々に質が悪い。

 

「森よ、鳴らせ!」

 

 行積が怪異の言霊を唱える。

 日本書記において都に響いた雷の轟音。

 曰く、天狗の咆吼だと呼ばれた音の怪異を呪術によって再現する。

 

 近距離で対する両者の合間に突如として発生した轟音は衝撃を伴い、両者を問答無用に吹き飛ばさんと衝撃の波を大気に伝播させるが、その波紋が人体に届くより先に音速を凌駕した神速の太刀が大気ごと音の衝撃を叩き切った。

 轟音を上回る剣の振り音と人外の剣筋に悲鳴を上げる大気。

 余りにも力業と言って良い、相殺方法は二次被害でその場に暴風を呼び込むが、強引さ故に剣を振り切った後のドニは無防備を晒していた。

 

 ようやく晒した隙に刃持つ銀の腕を押さえようと行積は柔術の要領で掴みかかるが、ドニは押さえられまいと接近した行積に身当てを喰らわし、拘束を防いだ。

 そして接近してきた獲物を逆に仕留めてやろうと大きく刃を振りかぶり……。

 

「ガアアア!!?」

 

 大地を踏み砕くような震脚で意識の外から行積の機動力を破壊した。

 

 絶死の一撃を大袈裟に晒し、より確実な一手で敵手の戦力を削ぐ。

 剣に拘りながらも囚われないその有様は戦闘者として超一流だと言っても過言ではあるまい。そして……。

 

(しまっ……!)

 

 片手落ちで凌げるほどドニの魔剣は甘くなく、

 

「────中々愉しかったよ、大丈夫。殺しはしないさ………多分ね」

 

 大きく振りかぶった剣の腹で以て、横薙ぎに。

 剛力に任せて行積ごと鋼の魔剣を振り切る。

 

 壮絶な衝突音と次いで鞠のように吹き飛ぶ行積。

 地を転がり、木々を六つと粉砕した後、轟音と土煙を立てながら行積は地に沈み、沈黙する。

 

 ……如何な卓越した超人とて所詮は人間。

 神殺しに勝る道理などありはせず。

 

 ──海千山千の達人は、此処に王の威光を前に倒れた。

 

 

………

……………

…………………。

 

 

「ふぅ────思ってたより全然、良いウォーミングアップになったよ」

 

 沈黙した老師を前に首をならしながらドニは言う。

 当然、答えは返ってこないもののそれで満足したのか、ドニはウインク一つ残した後、剣を片手に山登りを再開する。

 

 ザッザッと地面を踏みならしながら急斜面や低酸素も何のその、尋常ならざる神殺しの身体機能を十全に生かし、半刻と掛からずに高千穂峰を踏破した。

 

「さて、と」

 

 山頂──辿り着いた先にあったのは鎖に覆われた石垣と、石垣に突き刺さる石槍の威容。

 伝説に曰くこれこそが高千穂峰の頂上に鎮座する秘法。日本の天地創造の伝承、国海に際して、イザナミとイザナギが使い、かの坂本龍馬が高千穂峰登頂の際に頂上で抜き放ったという伝説の鉾────国作りの逆鉾、神器『天逆鉾』である。

 

「うーん、邪魔だなァ」

 

 しかし、なんと不遜なことか。

 あろう事かドニはその立ち入り禁止を意味する鎖の敷居を飛び越えるだけに留まらず天逆鉾に触れるや否や強引に抜き、それを投げ捨てたでは無いか!

 

 間違いなく歴史や信仰を重んじるような人間が見たら激怒必至の暴挙。

 だが、それを止めるべく動ける信仰者も呪術者も全てドニの手で沈黙している。

 

 故に暴君の勝手を止めることが出来る者は無い。

 彼は好き勝手に振る舞う。

 

「後はコイツの中身を此処に落とせば良いんだっけ?」

 

 言って取り出したのは行積にも見せびらかした小瓶。

 日本に訪れる際、『船』を使ってドニを此処に送り込んだ人物らに曰く、不老不死の妙薬にして彼らが奉じる神の計画の一端だという品。

 

「何だっけな……創世神話、『神域』創造、再生の物語……色々言ってた様な気がするけど……」

 

 この謀略に際し、彼らはドニに計画の一部を語っていた。

 曰く、『最後の鋼』を手に入れる。

 曰く、魔王撃滅の宿業を簒奪する。

 曰く、天地創造の大権能を持って世界を新生させる。

 

 間違いなくドニの側近たるアンドレアが聞けば「世界を滅ぼす気か馬鹿め!」と叫ぶだろう災厄の予感しかしない単語群、或いはかの黒王子であれば語られる内容から結果を予想できるのだろうが……。

 

「ま、試してみれば分かるさ!」

 

 この男、最低最悪に途方もなく馬鹿だった。

 敵手の謀略に全て乗っかった上で強敵と戦えれば良しと言う傍迷惑具合。

 

 だからこそ享楽の剣王は実にアッサリと、

 

「よっと……!」

 

 小瓶を銀の魔剣で叩っ切り、中身を高千穂の大地に垂れ流す。

 こうして、余りにも呆気なく……。

 

 ────地獄の釜は開かれた。

 

 乳液が大地に染み渡る。

 その秘薬の名は『アムリタの甘露』。

 インド神話における天地創造神話、乳海攪拌によって醸造されし、不老不死の秘薬にして、万物を生み出した創世の海から抽出されるという世界創造の欠片である。

 

「お? おお?」

 

 山が脈動する。大地が脈動する。

 地の底から響く地鳴りは高千穂峰のみならず、霧島連峰全域を震わせ、さらには山岳地帯の外にまで揺れを伝播させる。

 震度二、三、四、五……とやがて揺れは大きくなっていき、遂には観測最大震度七という膨大な揺れを生み出した。

 

「わわ、うわわ……!」

 

 ドニをして膝を付くほどの揺れ。

 振動はやがて近く、近く、近く感じるようになる。

 そうして揺れが臨界に達する頃……。

 

 世界の終わりを思わせる大爆発が山間に轟いた。

 

 その現象を噴火。

 超自然が生み出す大災害の一つである。

 しかも巻き起こった噴火はただの噴火では無い。

 

 栗野岳、蝦野岳、甑岳……。

 韓国岳に、硫黄山。

 新燃岳に、御鉢、そして高千穂峰。

 

 霧島連峰に連なる新旧の火山。

 全ての噴火口が同時に爆発し、マグマを噴いた。

 

 それはもはや連峰の爆発だ。

 山という形自体を崩壊させながら爆発するそれは地形をまるごと粉砕し、摂氏千度を凌駕する絶大なる高温度の溶岩流を流出し、形成する。

 

 当然、爆心地の最中央にいたと言って良いドニも爆発と噴火と溶岩流に巻き込まれ……。

 

「うわあああああああああああああああああああッ!?」

 

 何処か間抜けな悲鳴を上げつつ、灼熱に巻き込まれた。

 

 

 

 そして傍迷惑な神殺しが溶岩の海に沈んだ後。

 膨大な火砕流の中に一つの人影が生み出される。

 

「おお……おおおお何たる事か! この地を覆う凄惨たる混沌! 正しく大地を広げる創世神話の再現ぞ! 既に完成されたる大地をこれ以上広げようなどと暴挙も暴挙。母なる大地を傷つける愚行なるぞ! ええい、どこの大馬鹿者だ!? よもやシヴァが短気を起こしたのではあるまいな!!?」

 

 顕現した人影が褐色の若者だった。

 顔には顕現するなり惨状に目の当たりにしたためか、苦悩するが如き皺を刻み、右手には仰々しい杖を携えている。

 僧侶の袈裟衣装に通じる衣服を身に纏い、額には白毫を模した赤い点が刻まれている。

 

「おのれ! 我らが平定せしめた大地を再び乱したこの暴挙! 下手人には相応の罰を与えねばなるまいて! 天地の道理を掻き乱す大罪人めが!!」

 

 若者は激怒していた。

 大地を殺しかねない炎熱の再生を実行した犯人に。

 

 若者は激怒していた。

 平定したはずの大地を乱す全ての愚者と罪人に。

 

「ならばこそ! 手が威を以て再び大地を平定せん! おお我が手に戻れ! 天魔反戈の独鈷杵、天逆鉾よッ!! 天地を乱す天魔外道を我が手で討ち滅ぼしてみせようぞ!!」

 

 故にその全てを誅するがため、轟き荒ぶる。

 何故なら彼は『まつろわぬ神』であるが故に。

 世界の摂理を破壊するものを神威を以て蹂躙する。

 

 その神名────。

 

「大梵天の怒りを知れ!! 世界を乱すもの共よ。如何なる天魔外道でさえも、我が威光を逃れるに能わずッッ!!!」

 

 仏法の守護者として、またインド神話に君臨する創造神として。

 彼は猛々しくその神格を解き放った。

 

 斯くて厄災は此処に顕現する。

 荒ぶるは天地開闢に居合わせた創造神。

 或いは眠れる街に着岸する英雄船団。

 

 嘗て無い苦難が九州の地を覆う。 




流石ドニ、安定して余計な事しかしないネ!

そういうことで今回はインド神話のヤベー奴。
特にあそこの主神クラスというヤベえ具合。

ついでに霧島連峰大爆発。
四方四県、大ピンチ。
加えて実は観光中だったアレクが騒ぎに混ざります。



……どうすんの、これ。
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