世界には巡り合わせというものがある。
出会った世界があり。
出会わなかった世界があり。
残酷な世界があり。
そうでない世界がある。
仮に、他の世界の、別の可能性の自分を見ることができたとしよう。
羨むことは簡単だ。
自分の世界に自信を持つことは難しい。
『もしもの世界』を見れば、『もしもの自分』を見れば、誰もが「羨ましい」と思うだろう。
自分の世界にないものを羨んで、自分の世界にあってその世界にないものを軽んじるだろう。
「他の世界の自分がこの世界の自分より幸せ」と知って、その上ですぐに割り切って後に引きずらないということは、とても難しい。
とても、難しい。
朝起きた時。
朝起きた時。
高嶋友奈は、不思議な世界にいた。
何かが。
何かが違う。
空気が違う。
街が違う。
世界の色が違うように見えた。
それは、世界に四国しか存在しない、高嶋友奈が見たことのない世界だった。
高嶋友奈は、不思議な世界にいた。
何かが。
何かが違う。
空気が違う。
街が違う。
それは、平和な2018年の四国、高嶋友奈が見たことのない世界だった。
少し街を見て回って、高嶋友奈はとても驚く。
少し街を見て回って、高嶋友奈はとても驚く。
こんなにも陰鬱で閉塞感のある世界を、高嶋友奈は見たことがなかった。
こんなにも平和でゆるやかな世界を、友奈は数年ぶりに見た。
「なんだろう、この世界……」
「懐かしいな、この感じ……」
高嶋友奈は、格闘技が好きなくらいで、普通の女の子だった。
普段は奈良在住だが、今日は四国に親と一緒に旅行に来ていた。
はずだった。
寝て、目覚めて、するとそこには今までとは全く違う世界。
平和な世界で生きていたはずの高嶋友奈は、バーテックスによって侵攻された危険な世界、終わりかけの世界の自分と意識が入れ替わってしまっていた。
高嶋友奈は、勇者だった。
奈良などという人類の生存圏はもうなく、四国しか残っていない。
はずだった。
寝て、目覚めて、するとそこには今までとは全く違う世界。
終わり行く世界の勇者だったはずの高嶋友奈は、バーテックスも天の神もいない世界、平和な2018年の世界の自分と意識が入れ替わってしまっていた。
理由は、まるで分からなかった。
理由は、まるで分からなかった。
「ここがどんな世界なのか、調べてみないと……」
「……なんでだろう。
平和な世界のはずなのに……
何も心配することがないはずなのに……
平和な街を見てるのが……ちょっと……辛いのは、なんでだろう……」
「図書館に行って……新聞とかで調べて……え、何、これ?」
「こういう世界を、私は取り戻さないといけないのに……
辛いのは、まだ私が私の世界を全然守れてないって、分かっちゃうからかな」
「……酷い。どうなってるの、この世界」
「早く元の世界に戻らないと。若葉ちゃんやぐんちゃんが心配してるかも」
なんとなくに、二つの世界の友奈は分かっていた。
自分達の意識だけが入れ替わっていることも。
この異常な事態が、永遠には続かない泡沫の夢であることも。
この事象が、何かを救うことはないということも。
(友達)
(友達)
いつも友達思いな友奈の心に浮かぶのは、彼女らしく、この世界での友達のこと。自分の世界で大切な友達だった彼女らのことを思い出して、友奈は笑んで、そして「この世界ではどうなんだろう」と何気なく思った。
「美園さん達、こっちではどうしてるのかな」
「こっちだと、ぐんちゃんは何してるのかな」
友達の事を思うと楽しい。
こんな異常事態の中でも、心に光が射す気がする。
友達はいつだって、高嶋友奈の心が奮い立つエネルギーだ。
ここの世界と元の世界は世界がズレているだけだから、友奈の友達もこの世界のどこかで違う形で生きている。そういうものだ。
「よしっ」
「よしっ」
そうして、平和な世界から終わりかけの世界に来た友奈は、図書館で調査のために広げていた新聞を片付け始めて。
ある新聞の、死亡者・避難者リストが目について。
そうして、終わりかけの世界から平和な世界から来た友奈は、勇者の親友・郡千景の実家までバスを乗り継いで訪問して。
昔友奈が千景から直に住所を聞いた、かの村の、千景の家に辿り着いて。
平和な世界では高嶋友奈の親友だったはずの奈良の人達が、奈良で皆、バーテックスに殺されていたことを知った。
郡千景が、いじめを苦に自殺していたことを知った。
この世界の自分が、奈良で親友達を誰一人守ることもできず、むしろバーテックスが一般人を喰った分の時間だけ友奈が逃げる時間が得られたことを考えれば―――高嶋友奈が友達の犠牲の上に生き延びたという事実を、知ってしまった。
いじめに耐えられず。過激化する村八分に耐えられず。
怪物が攻めて来ることもなかったので、千景が褒められることも、認められることもなく。
何一つとして救いなく、千景の悪夢のような毎日が変わるきっかけは一つも訪れず、川の水が流れていくようにごく自然に、郡千景は誰も優しくしてくれない地獄の毎日を苦に自殺した。
「えっ―――」
「えっ―――」
『この世界では一番仲の良い親友が死んでいる』。
そんな事実を、二人の友奈は突きつけられた。
「……」
「……」
ここは彼女らの世界ではない。
彼女らの世界で、彼女らの一番の親友は死んでいない。
平和な世界の友奈の奈良での親友は、奈良で友奈を待っている。
戦いの世界の友奈の親友・千景は、丸亀城で友奈を待っている。
元の世界に帰れば、親友にまた会える。
一番大切な親友を守れなかった痛みなど、元の世界に帰れば、もうそこにはない。
けれど、今ここにはある。
今、二人の友奈の目の前に、親友の死という結果がある。
「辛いな……この世界、こういう酷いことがあるんだ……」
平和な世界の友奈の親友は、平和である限り死なない。
けれどバーテックスがくれば必ず死ぬ。
友奈は勇者に選ばれる人間になっても、それを防ぐことはできない。
小学校の頃から友達だった、奈良の女の子が、バーテックスに殺されて。
助けることも守ることもできず、奈良を捨てて四国に逃げて。
勇者・高嶋友奈の物語は、喪失と別れを経て、四国に辿り着いた瞬間より始まるのだ。
平和な世界の友奈は、終わり行く世界に生きるもうひとりの自分に同情する。
「辛いな……この世界、こういう酷いことがあるんだ」
終わり行く世界の郡千景は、この世界だからこそ救われる。
怪物が世界を蹂躙しなければ、千景が勇者に選ばれなければ、千景は救われない。
村八分といじめが始まった理由にバーテックスは関係ない。
千景の地獄は、バーテックスが来る前からあったのだから。
『バーテックスという救い』はこの世界には訪れなかった。
『勇者という救い』は千景に与えられなかった。
友奈は千景に出会えなかった。友達になれなかった。守れなかった。
70億が死んで、千景が笑えるようになったのが、かの世界なら。
70億が生きて、千景が一度も笑えず死んだのが、この平和な世界。
終わり行く世界の友奈は、友達を自分の手で守る力を持たないもうひとりの自分を憐れむ。
(私がこっちの世界の私じゃなくて、本当によかった)
(私がこっちの世界の私じゃなくて、本当によかった)
平和な世界に生きる友奈は。
友を守りたいと思った時に守れる力を得た友奈は。
もうひとりの自分を、羨ましいと思い。
もうひとりの自分にないものを思い、同情した。
「そう、だよね」
日々の中で、不満を持たない人間などいない。
平和な世界に生きる友奈にも、終わりかけの世界に生きる友奈にも、不満はある。苛立つことはある。
ああだったらよかったのに、と思うこともある。
こうなったらいいのにな、と思うこともある。
日々の中で『もしも』を想像しない人間などいないだろう。
そして本来、そういった『もしも』を人間は見ることができない。
「都合がいいだけの世界なんてない、か……自分の世界で、頑張らないと」
けれども、この二人の友奈は見てしまった。知ってしまった。
ここではないどこかの世界。
どこかの世界のもしもの自分。
今の自分が親友だと思っている人が、他の世界ではどうなっているかを。
きっと、どこの世界も同じだ。
何か、どこかに、幸せがあって。
違う形の不幸と、消えることのない不運がある。
幸せなだけの世界もない。
不幸なだけの世界もない。
でも、自分が生まれた世界を生きていくしかないのだ。
『もしも自分が平和な世界に生まれていたら』。
『もしも自分が勇者という特別だったら』。
そう思うのは勝手だ。
だが、二人の友奈の思いは同じだろう。
「あんな世界は嫌だ」と思うに違いない。
たとえ自分が勇者という特別になれるとしても、人を守る力が得られるとしても、平和な世界の友奈は、あんな沢山人が死ぬ世界は嫌だ。
たとえどんなに平和だとしても、たくさんの人が生きられた世界だとしても、千景が不幸なまま救われず死んでいく世界なら、勇者・高嶋友奈はそんな世界を受け入れない。
「私はあの世界で生きていく」と、友奈は自分の世界の形を改めて噛みしめる。
この世界はもういいと、そう思った。
「私はあの世界で生きていく」と、友奈は自分の世界の形を改めて噛みしめる。
この世界はもういいと、そう思った。
最後に一つ、もうひとりの自分に向けて、紙一枚程度のメモを書いて、簡単な伝言を残していく。
平和な世界の友奈は、勇者の友奈へのエールを。
勇者の友奈は、ただの少女な友奈へと、一人の友達についてのことを。
勇者でない友奈から、勇者である友奈へ、書き残す。
「頑張って、私」と書いた。
「隣の世界から、ずっと応援してる」と書いた。
「私だから、私のことが分かるから、私のことを応援してる」と書いた。
「いつか、あなたが笑ってみんなと一緒にいられる未来が来ますように」と書いた。
書いたメモを、『今の体』の服のポケットの中に入れておく。
意識が入れ替われば、このメモはもうひとりの友奈へと届くだろう。
これからも戦い続けるもうひとりの自分への、ありったけのエールを紙に書いていく。
それは、とても友奈らしいメモだった。
勇者である友奈から、勇者でない友奈へ、書き残す。
「ぐんちゃんのことを覚えていてほしい」と書いた。
「ぐんちゃんは勇者、郡千景。
群じゃなくて郡。
私がそう読み間違えちゃったから、ぐんちゃんって呼んでるんだ。
血液型はA。好きな食べ物はうどん。鰹も好きだって言ってたよ。
ゲームが本当に上手くて、ゲームが好きな子だったんだ。
あなたにだけは覚えておいてほしい。
私にだけは……『高嶋友奈』にだけは、覚えておいてほしい。
その世界にも、郡千景っていう女の子が、生きていたってことを」
書いたメモを、『今の体』の服のポケットの中に入れておく。
祈るように、ポケットに入れた。
この世界で、郡千景の死を悼んでいる人はおそらくいないだろう。
だから、一枚の紙に、友奈は千景のいいところをありったけ書いた。
自分の一番の親友のことを、ありったけ書いた。
『せめて高嶋友奈だけは、ぐんちゃんのことを覚えていますように』と祈りながら。
それは、とても友奈らしいメモだった。
意識が戻る。
意識が戻る。
元の世界に帰る。
元の世界に帰る。
平和な世界の、平和な光景が広がっていた。
友奈は世界を見渡して、ああ、やっぱりこっちの世界がいいな、と背伸びする。
瞼を開くと、遠くの横断歩道に、友奈を探している千景の姿が見えた。
友奈は生きている親友を見て、ああ、やっぱりこっちの世界がいいなと、ほっとする。
二人の友奈は「こっちの世界がいいな」とは思ったが、「こっちの世界が一番だな」とはついぞ思うことはなかった。
平和な世界の友奈は、無性に友達と話したくなった。
声が聞こえなくても良い。
ラインでもいい。メールでも良い。
"平和な2018年を友達と一緒に過ごせているという得難い幸運"を、友奈は噛み締めていた。
「御守くんとか、美園さんとか、今暇かな……」
平和な世界の友奈は、スマホを取り出す。
この世界の平和が、終わることはない。
高嶋友奈が戦う未来は、どこにもない。
彼女が人と世界を守る必要など、どこにもないのだ。
終わりかけの世界の友奈は、無性に千景に抱きつきたくなった。
そう思った時にはもう、千景に抱きついていた。
「ぐーんちゃん!」
「た、高嶋さん!?」
「うりうりーっ」
「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
"千景が生きていて、出会い、友達になれたという得難い幸運"を、友奈は噛み締めていた。
友奈の手にも、千景の手にも、スマホが握られている。
それは友達と繋がるためだけのものではなく、血みどろになって戦うためのもの。
この世界の戦いは終わらない。
高嶋友奈の戦いの終わりは見えない。
彼女らが守らなければ、人と世界の命運は絶える。
だが、それでも。
千景を抱きしめる友奈は、「平和な方の世界がいい」だなどとは、全く思わなかった。
「ぐんちゃんはあったかいね」
「高嶋さん? どうしたの? 何があったの?」
抱きしめた千景から、暖かさが伝わってくる。
世界と友達とを天秤にかけて、友達を迷いなく選べるほど高嶋友奈は個人主義にはなれない。
けれど、それでも。
『平和』というものが、この『暖かさ』より価値があるだなんて思えなかった。
たとえ、この先何があろうとも。
郡千景が死んでしまったり、不幸になったり、報われないまま終わってしまったら、それは絶対に間違っていると―――そう叫ぶであろう自分の心を、友奈は感じていた。
バーテックス「ぐんちゃんが救われたのは俺らのおかげなんやで」