目覚めた時、上里ひなたは違和感を覚えた。
自分の部屋なのに、自分の部屋ではない。
寝る前に見た光景と、どこか何かが違う。
……落ち着いて、周りに目を向け、自分に目を向けると、違和感の正体に気が付けた。
「違うのは、私?」
ひなたの体と、中身が違う。
彼女が巫女だからだろうか?
彼女は早くに、自分の体と中身にほんの僅かな"ズレ"があることに気が付いた。
どこかの世界のひなたと、どこかの世界のひなたの精神だけが、するりと入れ替わったらしい。
「むむ、なんだか楽しいことになってますね」
今ここにいるひなたは、ひなたであってひなたでない。
乃木若葉の幼馴染という点は共通するだろうし、外見も性格もほぼ同じだが、どこか何かが違う平行世界の別人である。
中身だけが、別のひなたになっているのだ。
平行世界に意識だけが飛んだという現状認識は、本能というべきものか、魂というべきものか、そういったものが感じ取っていた。
「さて」
深呼吸して、現状認識。
そうして落ち着いたひなたがまず考えたのは、いつもどおり幼馴染の乃木若葉のことだった。
「この世界の若葉ちゃんはどんな若葉ちゃんなんでしょう?」
ひなたの雰囲気が、一瞬でウキウキしたものへと変わる。
平行世界の若葉の写真も持って帰ろう、と考えて。
「よく考えれば意識だけ飛んでる状態でカメラとか持って帰れませんね……」
断念。
仕方なく、記憶に焼き付けて帰ろう、と考える。
ひなたは若葉のことが大好きだ。
それはもはや、異性愛や同性愛の類を超越したものがある。
そそくさと移動し、こっそり隠れて、この世界の若葉を見に行く。
「おおっ」
この世界の若葉は、
勇者としてもガンナー。
銃を振り回す姿がとても格好いい。
ひなたは銃の訓練をしている格好いい若葉を見つめ、うっとりと恍惚の表情を浮かべる。
「かっ……かっこいいっ……スタイリッシュ若葉ちゃんです……!」
かっこいい若葉を堪能した後、ひなたは電話やLINEなどで風邪を引いたので部屋で大人しくしてますなどと連絡を回し、その一日に誰とも会わず、眠りについた。
一度眠れば、この世界を脱することができるというのは、感覚で理解できていたから。
そうして、眠って。
目覚めた時には、別世界にいて。
目覚めたひなたは、槍を振るって訓練する、槍の達人であるかっこいい若葉の姿を見た。
「……これはこれで!」
"若葉ちゃんのかっこいい姿が一つ多く見られるなんてラッキー"と、ひなたはちょっとだけ思っていたというのは内緒。
元の世界の刀の若葉、銃の若葉、槍の若葉と、かっこいい若葉の姿を記憶に収め、ほっこりした気持ちで元の世界に戻るため、就寝した。
次の世界で弓の達人の若葉を見た時、ひなたは心の中で更に狂喜乱舞したという。
その次の世界で鞭使いのかっこいい若葉を見た時、ちょっといけない気持ちにもなったらしい。
世界から世界に移動する時、カレンダーの日付がずっと9/15であることにはひなたも気付いていたが、さして気にも留めなかった。
「ここは、元の世界……じゃ、ないですね」
新しく訪れた世界では、若葉は格好いいままだったが、口調がとても女性らしかった。
ひなたはまた世界を移動する。
「むぅ、若葉ちゃんは優しい子ですけど……
この世界の若葉ちゃんは、軟弱気味なくらい、ちょっと優しすぎますね」
若葉を細かいところまで見てきたひなたには、細かな若葉の個性が分かる。
"これは自分の世界の乃木若葉ではない"と見分けることができる。
この世界は違う、この世界も違う、と若葉を見るだけで判別できるのだ。
そうして、また別の世界に向かう。
「そろそろ、元の世界に戻る頃でしょうか」
そこから、十の世界を越えた。
「日付が進んでいないなら、若葉ちゃんも心配はしていないでしょうが……」
そこから、十の世界を越えた。
「……そろそろ、元の世界に帰れる頃でしょうか」
そこから、十の世界を越えた。
「元の世界に帰るには、特殊な手順が要る……?」
そこから、百の世界を越えた。
「どうすれば、元の世界に……私の若葉ちゃんに……」
そこから、百の世界を越えた。
「帰りたい……私の、私の世界に」
そこから、百の世界を越えた。
「私は、帰れない……?」
そこから、百の世界を越えた。
「違う……若葉ちゃんはもうちょっと背が低くて……前回の若葉ちゃんは背が高すぎて……」
そこから、百の世界を越えた。
「若葉ちゃんはここまで打たれ弱くない……若葉ちゃんはこんな大きな顔の傷はない……」
繰り返し、繰り返し。
元の世界がどうだったかを思い出しながら、世界を移る。
1つの世界につき1日。
100世界なら100日。
365世界で、体感時間は1年を超える。
越えた世界の数が1000を越えたところから、ひなたは通過した世界の数を数えるのをやめた。
そんな余計なことを考えていたら、どんどん"元の世界がどうだったか"を忘れてしまいそうだったから。
元の世界がどういう世界だったかという記憶は、どんどん薄れていく。
街のどこに何があったか。
どこに誰がいたか。
丸亀城の仲間は誰がいたか。
乃木若葉は、どういう人間だったか。
そういった記憶は、時間の経過で徐々に薄れ、曖昧化し、混濁していく。
「これじゃない……若葉ちゃんの性格は、こういうのじゃなくて……もっと優しくて……」
最初にひなたがいた世界と同一の世界かどうかを確認するには、比較しかない。
丸亀城はどんな形だったか?
仲間には誰がいたか?
乃木若葉はどんな人間だったか?
そういった情報を一々思い出して、今いる世界と比較・照合しなければならない。
だがそういった繰り返しは、記憶を摩耗させる。
間違った形の丸亀城と、記憶の中の丸亀城を何度も比較してる内に、記憶の中に数百種類の丸亀城が記憶され、どの丸亀城が本物か分からなくなる。
仲間が増えたり減ったりして、最初の世界で誰が仲間だったかの記憶が曖昧になっていく。
『最初の世界で見た格好いい乃木若葉の姿の記憶』が、『後に見た数百人の格好いい乃木若葉の姿の記憶』の中に混じって溶けていく。
カレンダーの日付は、まだ一日も進んでいない。9/15のまま。
まだ一日も経っていない。永遠に等しい時間が流れても、一日すら経過することはない。
「若葉ちゃん……若葉ちゃん……」
もはや、すがれるものは若葉の記憶だけ。
仮に体感時間で百年を超えようと、ひなたは"自分にとっての乃木若葉の姿"を忘れない自信があった。
もうどのくらい世界を渡ったか分からなくなって久しいが、それでもひなたの中の若葉の記憶だけは比較的摩耗していなかった。
ひなたの深くにまで刻まれた記憶。
明確に刻まれていたがために、劣化しにくく摩耗しにくかった記憶。
乃木若葉に関する記憶は、ひなたの中で別格のものだった。
「違う……若葉ちゃんは音楽なんてしてなくて……
これは……この若葉ちゃんは名字が違う……
この若葉ちゃんは言葉のニュアンスが本物と全然違う……
次……これも違う……若葉ちゃんはこんな垂れ目じゃなくて……」
もはやひなたにとって、自分が最初にいた世界に帰るための指標は、若葉しかなかった。
若葉のことしか、明確に覚えられている気がしなかった。
若葉以外のことは、もう正確に覚えている自信がなかった。
だから、若葉の記憶だけを頼りに、移動した先の若葉が本物かどうかを確かめ、違ったら次の世界に心を渡らせることを繰り返す。
あれは目が違う。
あれは厳しすぎる。
あれは誠実さが足りない。
あれは自己中心的すぎる。
そうやって、若葉を見定めて、見定めて、見定めて。
「これも違う、あれも違う、それも違う、帰りたい、また違う、違う違う、助けて、でも違う」
"助けてほしい"と思ってしまった瞬間に、『若葉ちゃん助けて』と思ってしまった瞬間に、ひなたの中の若葉に対する正確な理解象に『理想』が混じってしまったことにひなたは気付かない。
上里ひなたを助けてくれる理想の乃木若葉――ひなたにとっての本物の若葉――を自分が探していることに、ひなたは気付かない。
誰も指摘できない。
よって気付くことはない。
カレンダーの日付は進まない。
三つ前の世界で、自分が最初にいた世界を通り過ぎていたことに、上里ひなたはついぞ気付くことはなかった。