あれは夢か、現実か。
どちらだっただろうか。
私には分からない。
でも本当は、私の心が、あれは現実だったと確信している。
その上で、夢か現実か分からないと思ってしまうのは、今の私が―――■■美森が、もうそろそろ百歳になりそうな歳だからだろう。
頭の中が、ボケている。
でもあの日、あちらの世界に意識が飛んで行かなければ、きっと私は自分がボケているという自覚すら持てていなかっただろう。
私は色んなことを忘れている。
忘れたり、思い出したりしながら……近い未来に佇んでいる"私の死"に、近付いている。
忘れたり、思い出したり、忘れられたりしながら、近い未来に佇む"私の戦死"を感じていた、勇者だったあの頃のように。
子供の頃の私だったら、狂うように忘れたくないと叫んでいた。
あれから80年くらいが経った今の私は、その忘却を静かに穏やかに受け止められる。
変わったものだ、私も。
でも、変わらないものもある。
80年続いた友情があった。
私の"お父さんとお母さん"は、東郷家も鷲尾家も、私が60歳になる頃にはみんな天寿を全うして死んでしまった。
だから。
私と友奈ちゃんが一緒に過ごした時の長さは、親と過ごした時よりもずっと長かった。
80年。それが、"東郷美森と結城友奈"が、友達でいられた時間。
友奈ちゃんが私の友達でいてくれた時間が、私の人生そのものだった。
私が結婚して、友奈ちゃんが結婚して。
子供が出来て、孫が出来て。
老朽化した讃州中学の校舎も取り壊されて、街の形も、世界の形も沢山変わって。
長いようで、短いような時間が流れた。
そんな私の人生を、私は忘れ始めている。
でも、何も怖くはない。
あの日、私の心が隣の世界に飛んだ日に。
私の心は、私を知った。
たとえ、体に据えられた脳が寿命を迎えても。全ての想い出を、私の心は覚えている。
私と彼女の友情は、80年続いた。
私の……結城友奈の一番の親友は、東郷美森であると言っていた子供の頃から、この友情の形はずっと変わっていないと、私は信じてる。
樹ちゃんよりも、風先輩よりも、夏凜ちゃんよりも、園子ちゃんよりも。
その友情は、強かった気がする。
結婚しても、子供が出来ても、ずっと友達のまま付き合いは続いてた。
私が忙しい時は、彼女が私の子供の面倒を見てくれたこともあった。
子供の頃は分からなかった大人の苦労の愚痴を、彼女が私に吐き出して、私が受け止めたこともあった。
私達は大人になった。
容姿も、心も、少しずつ変わっていった。
街の形も、世界の形も変わっていって、交友関係も、所属する集団も変わっていった。
でも、私と彼女の友情は変わらなかった。
この80年、彼女のぼたもちを私が食べなかった年はなかったと思う。
彼女は私を友奈ちゃんと呼び続け、私も彼女を私なりの呼び方で呼び続けた。
だから私の子供や孫は私と同じ呼び方で彼女を呼んで、彼女の子供や孫はみんな私のことを友奈ちゃんと呼んでいた。
ちょっと、微笑ましかったね。
だから、彼女のボケが始まった時。
彼女が初めて、痴呆で私のことを忘れてしまった時。
私はとても、ショックを受けた。
娘が言っていたけれど、私はその時放心してしまっていたらしい。
すぐに思い出してくれたけど、徐々に忘れる事柄は増え、正気でない時間が増えていった。
一日の半分は、彼女が私のことを思い出せない時間になっていった。
その時間は。
彼女が私を知らない時間で。
彼女が私の友達ではない時間で。
私の友達が一人、いなくなってしまう時間で。
"結城友奈と東郷美森の想い出がなかったことになっている"時間だった。
私にとって、とても辛い時間だった。
美森、と彼女の旦那さんが、車椅子に乗った彼女を優しく運んでいく。
私は親が大好きだ。
私は夫が大好きだ。
娘も孫も大好きだ。
友達も大好きで、その中で彼女が一番の特別だ。
誰に忘れられても私は辛いだろうけど、彼女に忘れられることは、本当に辛かった。
「園ちゃんも、こんな気持ちだったのかな」
鷲尾須美に――東郷美森に――忘れられてなお気丈だった、園ちゃんのことを思い出す。
今だから分かる。
園ちゃんは、本当に強かったんだ。
本当に、辛かったんだ。
大人の私ですら、こんなにも辛いのに。
子供だった園ちゃんは、忘れられることがどんなに辛かったのかな。
園ちゃんと同じ立場になった今になってようやく、本当の意味で園ちゃんの苦しさが分かった。
忘れたり、思い出したりを繰り返しながら、彼女は私の友達でいてくれる。
時々自分が痴呆だということに気付いて、それを記憶しているみたいだけど、そう認識したという記憶さえも痴呆でたびたび忘れてしまっている。
認知症は恐ろしい。
自分がそうだと気付いた記憶、正しい自己認識すら、忘れてしまう。
ずっと昔から、こういう認知症の人がいたなら、忘れられてしまう苦しさや悲しみも、昔からずっとあったのかな。
昔の人はずっと、私や園ちゃんが味わったものと同じものを感じてきたのかな。
私はそういうことに詳しい学者じゃない。
でも、きっとそうなんだろうと思う。
だから、私は。
この老体に宿る意識が、隣の世界の私の体に飛んだ時。
老朽化で壊される前の校舎の、想い出の勇者部部室で、『東郷さん』と私が向き合っていたその光景に、とても驚いた。
意識が入れ替わった瞬間、何が起こったのか、美森にも友奈にも本能的に理解できた。
表情に浮かぶのは、少々の困惑。
ここは『宇宙の発生が約80年分遅れただけの平行世界』。
東郷美森と結城友奈は、同一の世界から二人同時に意識が飛び、同一の平行世界へと二人一緒に飛んで行って、部室で向き合う中学生の東郷と友奈の体の中に、その意識を飛び込ませていた。
体は中学生、中身は老人。
まだ80年を共に過ごす前の友奈と東郷の心の中身だけが、80年経った後の二人のそれと入れ替わってしまっていた。
「……若いね」
「若いわねえ」
所作や立ち振る舞い、動きの癖を互いに見て、互いに同時にピンとくる。
80年共に過ごした友達の間には、体の年齢が違えど分かる、深い相互理解がある。
少し話せば、目の前にいる彼女も自分同様入れ替わっているのだと、すぐに分かった。
「今、沢山、話したいことがいっぱいできたよ。東郷さん」
「そうね。私も今、沢山話したいことができたわ、友奈ちゃん」
東郷さん、友奈ちゃんと呼び合い、二人は元の世界での80年の想い出を語り出す。
樹の最初のライブに勇者部皆で行ったこと。
風の失恋を皆で慰めたこと。
夏凜も入れて三人で遊びに行ったこと。
園子を入れて三人で恋バナしたりしたこと。
どれもこれもが懐かしい想い出で、語り合うだけで楽しい気持ちになってくる。
幸せな過去は口に出し、耳で聞くだけで、心が踊るようだった。
これはもう、この世界でしか許されない語り合い。
認知症が進み、過去のことを思い出せなくなった元の世界では、過去の想い出を友人と語り合うことなどできない。
だから、この世界でだけ、許されるのだ。
認知症が進み過去を思い出せなくなった老人でも、この世界に来ている間だけは、認知症のない若い体が記憶に齟齬を起こさないでいてくれる。
この世界に飛んできた意識が、ここ80年の記憶をしっかりと覚えてくれている。
「私ね、東郷さんのことが大好きだよ。きっと、忘れても」
「私も友奈ちゃんのことが大好きよ。きっと、忘れても」
元の世界では、もう楽しく思い出話もできない二人。
この世界では、いくらでも楽しく思い出話ができる二人。
認知症の症状が出ている時は、この大切な友達のことすら忘れてしまい、友達で居続けることすらできず、ただの他人に成り果ててしまうけれども。
この世界に来ている時は、この大切な友達のことを、何よりも大切に想っていられる。
心の世界移動が起こした奇跡。
小さな奇跡で、とても幸せな奇跡だった。
一つ、種を明かしてしまおう。
認知症を起こしているのは、東郷だけではない。
自覚がないだけで、元の世界では友奈も認知症を起こしている。
認知症になったのは友奈の方が早く、症状もまた友奈の方が重かった。
二人は自分が痴呆を起こしていることを時に自覚し、それを忘れ、自分が認知症じゃないと認識したまま日々を生き、平行世界に行って認知症の自覚を持ち、また忘れる。
症状のせいで会話が成立していない時など特に顕著だ。
自分が認知症を起こしているせいで会話が無茶苦茶なのか?
相手が認知症を起こしているせいで会話が無茶苦茶なのか?
主観では、その二つの区別などつけられない。
そして人間は大体の場合、自分が認知症を起こして「相手が何言ってるのか分からない」という状態になっても、「相手が認知症を起こして変なことを言っている」と認識する。
自分がまともだと思いたがるのが、全ての人間に備わった精神の基本構造である。
■■友奈は、自分の話と■■美森の話が噛み合わなかった時の会話を、全部一緒くたにして「彼女の記憶が混濁している」と判別していたにすぎない。
美森は、友奈よりは軽度だ。
だから友奈よりは長い時間、自分が認知症だという認識を保てる。
友奈は、美森よりも重度だ。
だから自分が認知症だという認識を保てる時間は、ほとんどない。
美森が友奈を忘れている間、美森視点二人は友達ではない、赤の他人だ。
友奈が美森を忘れている間、友奈視点二人は友達ではない、赤の他人だ。
二人が友達でない時間が増えていく。
二人が互いを忘れている時間が増えていく。
認知症の症状は更に進行し、80年を友として過ごした二人は、平行世界に行っている時以外の全ての時間にて、互いのことを忘却するようになった。
もう、友奈にとっての美森も、美森にとっての友奈も、友達ではないものになっていて。
やがて、平行世界に意識が飛ぶ事象が終了し。
二人が互いのことを思い出す時間は、完全に消えてなくなった。
その日、美森は孫に車椅子を押されて――彼女視点で――見知らぬ大きな家に来ていた。
認知症が酷くなった彼女のために用意された、新しい家である。
彼女が車椅子に乗っているのは、年齢のせいか年々足が悪くなってしまったからだ。
「うわぁ……大きい。うちってここまでお金持ちだったっけ?」
東郷美森は何故か、"自分が子供だという認識を持ち"、子供のような口調で、子供の頃に彼女が口にしたセリフをそのまま口にしていた。
認知症は、記憶に障害を起こし、時に記憶を巻き戻す。
意識の主観と記憶の状態が、若い頃にまで巻き戻ってしまうのである。
これを記憶の遡上現象と言う。
現在の研究では、こうして記憶が遡った場合、その老人にとっての全盛期まで意識の状態が巻き戻されることが多いのだと言われている。
美森の全盛期は、勇者だった時代。
銀や園子と出会い、友奈と出会い、讃州中学で仲間達と出会い、世界の平和を勝ち取るまでの数年間のどこかが、美森の全盛期にあたる。
美森の記憶にも、遡上現象は発生していた。
彼女の意識と記憶は、銀と園子と共に過ごし、まだ友奈と出会っていない全盛期の最始点―――『鷲尾須美』と『東郷美森』の境界にあたる時期のそれにまで、巻き戻されていた。
「新しい生活、ここから始まるのね」
『記憶を失った東郷美森』が、新しい家を見上げる。
記憶を失った彼女は、自分がどういう人間であるかも完全に忘れた美森は、神世紀299年の頃の……子供の頃に持っていた精神性にて、不安がっていた。
"自分を忘れた"感覚が、美森をどこか不安にさせている。
巻き戻された心は、子供の頃の少女のそれ。
「こんにちわー!」
その不安を吹き晴らすような、元気な声が、美森の背中にぶつかった。
「もしかして、あなたがここの家に住むの?」
「え、ええ」
「じゃあ新しいお隣さんだ!」
車椅子の老婆である美森に、輝くような笑顔の老婆が語りかける。
老婆なのに、まるで子供のような振る舞いをしている、燃えるような赤い髪の女性。
子供のような老人だ、とは思わなかった。
美森はただただ、懐かしかった。
何故か、心のどこかが、嬉しかった。
「あ、私は結城友奈。よろしくね?」
老婆が、車椅子の美森に手を差し伸べる。
握手を求めるその手に、その笑顔に、見覚えはなかった。
何もかも忘れていた。
二人の老女は、『最初に出会った時から今日に至るまで』の記憶を失っている。
なのに、互いの心のどこかに湧き上がる、暖かな何かがあった。
(でも―――私は―――この出会いを―――この言葉を―――)
とにかく大切で、とにかく特別で、忘れているのに、覚えていた。
魂が、その友情を忘れていなかった。
「……東郷、美森」
美森が、友奈に差し出された手を取る。
優しく、互いの手を握る。
それはかつての再現でありながら、新しい始まり。
それは美森の車椅子を押していた美森の孫が、遠い昔に祖母から聞いた、結城友奈と東郷美森が出会った日の短な物語。
全て忘れて、スタート地点にまで戻って、奇跡のように、二人はまた同じ始まりを始めた。
友奈と美森の症状は、症状の重さに違いはあれど似た症状である。
二人が同じように、認知症を起こしたなら。
二人が同じように、記憶の遡上現象を起こしたなら。
二人にとっての全盛期が、同じように、勇者であったあの頃であったなら。
二人の記憶は―――同じだけ巻き戻るだろう。
二人の記憶が同じ段階まで巻き戻るなど、奇跡に等しい低確率だ。
だが、可能性は0ではなく、絶対にありえないというほどのことでもない。
二人の人生において最も苛烈で、最も過激で、最も大切で、苦難と救済が入り混じった幸福を掴もうとした時期は、完全に一致している。
全盛期が同じだったがゆえの奇跡。
友奈も美森も、人生の中であんなにも歯を食いしばった時期は、他に無かった。
だから記憶は同じだけ巻き戻って、"勇者部に入る少し前"にまで巻き戻った。
記憶が全てなくなっても、二人の間の友情が消えてなくなることはなかった。
なら、ここからまた始められる。
老衰が、二人の積み重ねた時間の全てを奪い去っていっても、二人の絆を断つこと叶わず。
二人の友情は、またここから始まった。
記憶が無くなっても残る想いがあるのなら、他の想いも、また新たに始まることで蘇ることもあるかもしれない。
友奈が微笑む。
東郷が微笑む。
今の友奈達の認識からすれば未来の自分達が、本来の友奈達の認識からすれば過去の自分達が、頑張って戦って勝ち取った未来で、二人の老婆が微笑んだ。
この未来で微笑む権利は、この未来を戦い勝ち取った二人の手の中にずっとある。
出会うだけで、自分の人生と運命が変わってしまうような、本当に特別な友達。
人生で何人も出会うことのできない、出会うこと自体が奇跡のような友達。
人はそれを、『親友』と呼ぶのだ。
明日夏空の方を更新します(宣誓)