「あの……織斑先生?」
「……ん?どうかしましたか山田先生」
「先程書き直して貰った書類なんですけど……また、誤字です」
「そうか。すまない」
申し訳なさそうに書類を差し出す山田先生から書類を受け取り目を通す。
山田先生が分かりやすいように、赤文字で書いてくれていたのでワードを立ち上げ、その部分を書き直す。
この工程は、ここに至るまで通算5回目。
普段の千冬ならあり得ないミスだ。勿論、書類仕事だけではない。
「えー、ここに書かれている通り……」
「先生、読む場所間違ってます」
「む。すまない」
授業中には教本のページを間違え、それに気づく事なく生徒に指摘されるまで読むことなど当たり前の様に行う。
全てにおいてらしくない。何事もなかった様に振る舞うが誰が見ても何かあった事がバレる。
そして、そのタイミングで不在の織斑一夏と西村赤也。
この二人両方かもしくは片方かに原因がある事は、IS学園にいる誰もが想像した。
「教官」
「教官と呼ぶな。ここでは織斑先生だ、ボーデヴィッヒ」
授業が終わり廊下を歩く千冬を呼び止めたのはラウラ。
「はっ、すみません。織斑先生、体調が優れないのでしたら休息を取るべきだと思います」
「そう簡単に取れんさ。今はやるべき事も多い。
何より、今年の学園は例外が多すぎる。今のうちに、叩き込むべきことは叩き込んでおくべきだろうさ」
「…そう思うのなら、正しく休むべきです。
遠慮なしにいうのなら、今の貴女に教えられても私の力にはなり得ませんから」
ラウラの紅い瞳が千冬を射抜く。
そこには、自身が尊敬する千冬に対する心配が強く込められていた。ラウラのその視線に千冬は言葉を返せない。
そんな千冬を見ながら、ラウラは言葉を続ける。
「赤也が心配なのは分かりますが、あいつはそんなにやわじゃないですよ。
いつもの様に何事もなかった様に貴女の前に戻ってきてくれます」
チャイムが鳴り休憩時間の終了を告げる。
ラウラは教室に戻るべく、千冬に背を向ける。
「待て」
その背中に思わず声をかける千冬。
不思議そうな顔をしながら振り返るラウラに、戸惑いながらも口を開く。
「何故、そんなに断言出来るんだ?」
その言葉に不思議そうな顔をした後、笑い出すラウラ。
一頻り笑ったあと千冬を見る。
「お姉ちゃんですから」
そう微笑みラウラは去っていく。
お姉ちゃん…お姉ちゃんか。ラウラの言葉を頭の中で反芻させ、千冬はそっと息を吐く。
「そうだな、お前はあいつの姉を自称してたな。苦労するぞ、ラウラ。姉という繋がりを赤也は一度断ち切ってるからな」
職員室へと向かいながら、千冬は考える。
友として、四十院神楽と布仏本音がいる。ライバルとしてセシリア・オルコットがいる。自分は師匠だろうか。
IS学園の教師であり、本音と共に赤也の鎖になると誓った為、学園長から様々な情報が届く。
赤也の事で連絡してきた家族が何を言ったか彼が何をしたかも知っているのだ。
「さて困ったな。自分でも何故、こんなに動揺しているのか自覚してしまったぞラウラめ。
あいつが姉と言い切る様に師匠としての自分に満足してたら、こうは思わなかっただろう」
あの日、束が言った様に始まりはあいつの実験に利用されたかもしれない。
だが、赤也と過ごした時間は心地良かったし、何より落ち着いた。
効果が切れたと言われたが、あいつに対する気持ちが無くなるどころか強くなっていっている。
それならもう、束に宣言した時と同様、この気持ちも本物なのだろう。
「…やれやれ、私はこんなに男の趣味が悪かっただろうか」
そう決めるとなると困るのは、自分の立ち位置だなと千冬は思う。
神楽や本音の様に近い距離では接していない。尊敬の念を貰っているのは分かっているが。
そんな事を考えながら職員室に到着した千冬だが、目の前の扉が閉まっていることに気づいていない。
「あだっ!?」
職員室の前でおでこを押さえて蹲る姿が誰にも見られなかったのが、唯一の救いだろう。
「ねぇ、ブレイン?お願いだから、ナスを料理に使うのはやめてくれないかしら?」
「先の一件の罰だ。文句を言わず食べると良い、私の手作りなどそう簡単に食べれるものではないぞ?」
「その貴重な料理になんで、嫌いなものを入れるのよー…」
「そうじゃなきゃ罰にならんだろう」
ナスの炒め物を前に、駄々をこねるスコールと向かい側に座りながら新聞を読んでいるブレイン。
物凄く平和な光景だが、この二人が現在、亡国機業を二分している派閥。その一つのリーダーとはとても見えない。
そして、この場にはあと二人いる。もう一人は自分の目の前に出されたレバーを仇の様に見つめるM、本名を織斑マドカ。
「はっはっは、流石のスコールも形無しだなこりゃ」
そう言って彼女好みのミルク多めのコーヒーを飲んでいるオータム。
スコール、ブレイン、マドカ、オータム。この四人が現在の二分された亡国機業を作り出した役者達。
「仕方ないじゃない。あの時はまだ離反しきれてなかったんだから」
不貞腐れた態度のスコール。
その姿にため息を吐きながら、ブレインはスコールをジト目で見る。
「あのな、仕方ないと言う奴はマドカに指示を出し、彼の友人を傷付ける様に指示は出さん。
どうせお前のことだ。彼の反骨精神がどんなものか調べたくなったんだろう?その気に入った奴にはサディストになる癖治せと言ったろう」
「そうだ!私はスコールの指示に従っただけで、悪くないぞ。だから、このパサパサの臭い肉を片付けてくれ!」
スコールがブレインに攻められていると、これ見よがしに元気になるマドカ。
しかし、ブレインは揺るがない。呆れた様にマドカを見る。
「お前の気持ちも理解しているし、過去に何があったかも知った上で、私とスコールは君を引き取っている。
だが、誰にでも噛み付く事を許した覚えはないぞ。ん?」
「はぃ…」
マドカ撃沈。
もそもそとレバーを食べ始める。その姿はなんとも言えない哀愁が漂っていた。
「くっ、マドカが……でも私は最後まで」
「スコール。食べないのならそれで構わないが」
ブレインの言葉に表情を明るくするスコール。
しかし、次の瞬間その顔は絶望に染まる。
「今夜はワイン抜きだ。それと、風呂上がりに髪を梳かしてやらんぞ」
「食べるから!それだけはやめて!」
何かに取り憑かれた様にナスの炒め物を食べ始めるスコール。
時々、吐きそうな顔をするが弱音は吐かずに食べている。スコールとマドカ、現亡国機業最強候補と呼ばれる二人があっさりとあしらわれていた。
「全く…最初から文句言わず食べればここまで言わんと言うのに」
「そりゃ、無理だぜ博士。この二人だって、自分達が悪いって事ぐらい自覚してる。
だが、その上であんただから駄々こねて構って欲しいのさ」
「「オータム?」」
「おおっと、これ以上はストップらしい。んじゃ、ちょっと真面目に。
博士とスコールの予想通り、アメリカは真っ黒。篠ノ之束と繋がってるなんて噂もあるぐらいだ」
ヒョイっとオータムが投げた書類。
それには彼女がアメリカに潜入し、今現在、ここの病室で休んでいる女性二人を連れ出すと共に調べ上げた暗い取引の証拠だ。
「ふむ。となると例の動画の出所はやはり?」
「あぁ。アメリカだ。流石は世界の警察様だな、色んな所に顔が効く様だぜ」
となると今更ハッキングした所でデータは何も取れないかと呟くブレイン。
彼は天才ではあるが、天災ではない。ほぼ真っ白から情報を引っこ抜く腕はない。
「そこは贅沢言えないわね。私達もまだ、一枚岩になりきれていないし」
口元を優雅に拭きながら、スコールが会話に混ざる。
どうやら食べきった様だ。
「旧体制を飲み込むのも時間の問題だけど、ここで急いでは裏切りやらなんやら起きるかもしれない。
こちらの思想に同意して貰う必要があるわ。その為の時間は必要よ」
先程までの情けない姿はどこ吹く風。カリスマあるリーダーの顔を見せる。
「『たった一人の天災に左右される不安定な秩序の世界ではなく、数多の凡人や天才によって作られる無秩序な世界を目指す』
君の思想に同意して、時にはこの手を血にも染めたがまだ時間がかかりそうな夢だな」
「人はその身に余る夢を見る生き物よ。だから、ここまで繁栄した。
もちろん、誰もがその夢を現実にしようとしたから争いも生まれたわ…でも、そんな奴らが居たから歴史は紡がれた。
そんな誰もが夢へと手を伸ばせる世界を今は失いつつある。それが私には到底納得できる事じゃないの。
今の世界を壊す必要があるわ。そして、壊すには当然力がいる。あの篠ノ之束を超える力が。
その力は私個人では無理。だから、協力して欲しいの。貴方達は、私の同志であり共に戦ってくれる矛であって欲しい」
スコールの演説に聞き入っていた三人。
まず最初に口を開いたのはオータム。この中では一番、今の亡国機業と昔の亡国機業を知っている。
好戦的な笑みを浮かべてスコールを見ている。
「あったりまえだ。その覚悟がなければこの場に私はいない。
理想を言うだけなら、幾らでも出来る。だが、実際にその手を汚せる奴はそう簡単にいないって知っているからな。スコールの理想が形になる瞬間を見たいんだよ。なにせ、私にはそういう理想が持てなかったからな」
オータムに続き口を開くのは漸くレバーを食べ終えたマドカ。
「私には私の目的がある。その邪魔をしないのなら、幾らでも協力するさ。
スコールとブレインには恩義がある。私で返しきれるのか全く、分からないほどの恩義だ。だから、お前らが矛になれと言うならなってやる。どんな敵でも貫ける矛にな」
そして最後に口を開くのはブレイン。
スコールの熱に当てられ、熱を得た瞳でスコールをマドカをオータムを見る。
「ISにも乗れない無力な科学者だが、全力を尽くすと約束しよう。まぁ、そもそも私にその問いを投げる意味はないだろう。
ブレインという男は骨の髄までスコール・ミューゼルという女性に惚れ込んでいるのだからな」
「ありがとう。貴方達と一緒ならこの夢にも手が届く気がするわ」
そう微笑むスコールに対し、僅かに口角を上げることで答えるブレイン。
「…なぁ、マドカ。あれ、告白してるよな?」
「オータム。残念だが、どっちも気づいてないぞ」
「マジかよ」
こんな事を二人が話しているなんて微塵も気づかないスコールとブレインであった。
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