「俺さ……」
「うん」
「………………アルバイトしたいんだけどいいかな?」
「うん、それ無理」
きっと反対はされないだろうと思っていたために、咄嗟に言われた言葉を理解できなかった。そして……その直後に俺の腕に付けられた謎の輪っか。現物は見たことがないけどよく刑事物のドラマで目にするものだ。
あまりの出来事に脳がついていかずまったく理解できない。
「京太郎はアルバイトなんてしなくていいんだよ。ずーーーーーーーーーーーーーっと私が面倒見てあげるからさ♪」
――――ヤンデレジェンドEND
「ええと……確か、ここらへんだったよな」
ある晴れた休日。俺はとある場所に行くために、辺りをキョロキョロと見回しながら街中を歩いていた。
住み着いてから一年近く経つ阿知賀だったが、別に全ての道を通ったというわけではなく、また一度通ったからと言って全部を覚えているわけではないので、渡されたメモや携帯の地図を見ながら懸命に目的地を探す。
案の定目的地の近場に来ると、なんとなくそこを通った記憶もあるがほとんど覚えていなかった。何度か目的の建物の近くを通ったことはあるけど、直接行くのは二回目だしな……。
さて、そもそも俺がなぜこんなことをしているかというと、先日晴絵と話してアルバイト……しかも家庭教師の方をすることになったのが事の発端だ。
あのあと色々話し合ったのはいいが、ここら辺では結局子供の勉強はどうなっているのかということもあり、その方面では晴絵は頼りなかったため、実家の事もあって顔が広い新子にも相談したのだ。
そして色々相談した結果、まず塾はここらへんではあまり存在しなく、あっても新しく誰かを雇うことはなさそうだということで、俺達の大学があるような都市に行かなければほとんど仕事がないということだった。
また、いざやるとなると、それだと休日や長期休暇に入った場合に向こうまで出勤することになったら移動の手間もかかるし、いきなり不特定多数の相手に教えることを考えたら家庭教師のほうがいいんじゃないか、というアドバイスをもらった結果こうなったのだ。
流石新子頼りになる。
そしてその流れで新子から、近くに住む知り合いの家の子供が今年から六年生で、来年から中学生という事もあって勉強について色々考えているみたいだからよかったら話をしてみないか?という案が出たのだ。
新子曰く、その子はちょっと変わった子で、訳あって塾には行き辛いらしいという話も聞いていたから、先方さえよければどうだろうとのことだった。
俺として初めての生徒でいきなり気難しい子に教えるのは不安であったが、とにかく会って見なくては始まらないという事で話を進めてもらった。
ちなみに相手は女の子という事で晴絵から色々と言われたが、流石に照と同じ年の子に手を出すわけがないだろうと説得した。
男勝りでさっぱりしているように見えて、あれで恋愛には臆病なのである。まあそこらへんも可愛いと思うけどな。
そんなわけで現在、相手の親とその娘さんに会うために相手方の家に向かっているのであった。
「ええと……あったこれか。というかやっぱりここだったのか……」
ようやく着いた目的地の建物を見上げると、懐かしさが思わず込み上がってくる。
そう、俺が向かっていたのは二年前、初めて会った晴絵に教えられて泊まったあの松実館である。
当時は色々とあったのであまり覚えていなく、こちらにきてからその場所柄訪れることもなかったが、なんとなく記憶に残っているのと同じ姿でそこにあった。
とはいえ感傷に浸りたかったが時間も差し迫っているのもあって、ゆっくりと眺めるわけにもいかずさっさと中へと入ることにする。
当時と違い、今日は歩いてここまで来たので駐車場へは行かずにそのまま正面の入口へと向かった。
そこで受付にいた中居さんに名前を告げると、先日直接電話してアポを取った時、先方から話しては通しておくと言われた通り、承っているとのことで奥の事務所へ通された。
そこで数分待っていると、直ぐに俺の親父とそう変わらない歳の男性が現れた。
相手は先日電話のやり取りをした男性で名前は松実さんといいこの旅館の経営者だ。
その後軽い自己紹介を済ませると早速詳しい話をすることになり、まず俺のことについて色々と聞かれた。恐らくだが、いくら新子の紹介だとはいえ年頃の娘に男の家庭教師をつけるのは不安だからだろう。
とはいえ、たいして聞かれることはなく学歴や成績、そして人間性を確かめるために軽く趣味などを聞かれたぐらいだ。
ただ、恋人の有無について聞かれたときに晴絵の彼氏ということを話すと「ああ、例の彼か」という事を言われてならば安心だ、ということで納得されてしまった。
以前から思っていたが、晴絵の名前はほんと此処じゃ有名なんだな。
そんなこんなで一応親御さんの許可が得られたので、後は勉強を教える本人がどう思うかという話になった。
一応事前に改めて話を聞かせていただくと俺が教えるのは彼の娘さんで、なんでも数年前から旅館の仕事に対し以前よりも積極的に興味を持ち、経営のための勉強を頑張ると言って子供ながら懸命に取り組んでいるとの事だ。
とはいえ個人や学校の勉強だけでは出来る範囲も限られ、新子から聞いた通り塾に通うのは訳があって難しそうという話なので、来年には中学受験をするかもしれないという事もあって家庭教師の話が出たということだった。
そんなわけで現在、応接室にて松実さんがその娘さんを連れてくるのを待っているという状態だ。
ちなみに松実さんに何故塾にいかないのかという事を聞いたときに「それは本人に直接聞いてもらってほしい」と言われたのは疑問であったが、まあすぐにわかるだろう。
そうやって考え事をしながら数分ほど待っていると、遠慮がちにだが扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
「……失礼します」
返事をすると、入ってきたのは伏し目がちでおどおどとした少女だった。
後ろには先ほど娘を連れてくるといって出て行った松実さんもいることからして、この子がそうなのだろう。
――しかし……どっかで見たことあるような……。
未だ肌寒い時期とはいえ室内でマフラーを巻いている姿にどこかデジャブを感じるが、まぁ外ですれ違ったりしたのだろう。
何度かすれ違っていてもおかしくないし、ここらへんはあまり子供もいないから記憶に残っていても不思議ではないな。
「初めまして須賀京太郎です。もしかしたら今度から君の家庭教師をやるかもしれないんだ。よろしくね」
「……はぃ………………その、私は…………!!?」
相手に会わせて立ち上がり、あまり背の高い子じゃないのもあって怖がらせないように少し屈んでから自己紹介をすると、向こうも小さな声だが返事を返してくれた。
ところが娘さんが下を向いていた顔をあげてから自分の名前を言おうとしたら、何故か目を見開いて固まってしまった。
「えーと……大丈夫、かな?」
「あ…………は、はいィ!? わわわ私、松実宥です!! あ、あああの……!?」
「ゆ、宥どうしたんだ?」
「お、お父さんっ!」
何故か慌てだした女の子――宥ちゃんが同じように驚く親父さんを連れていきなり部屋から出て行ってしまったので、一人残される俺。いったいどうしたんだろうか?
なんか粗相でもしたか?鼻毛でも出ていたか?と不安になり部屋にあった鏡でそそくさと確かめてみるが、なにもなく安堵する。ではなんだろう?
不安になりながら待っていると、数分経ってから二人とも戻ってきた。ただし先ほどまでと違って、宥ちゃんは松実さんの後ろに隠れてしまっているが。
「いや、先ほどはすみませんでした。少し事情がありましたので」
「いえ、かまいませんが……」
そういうと松実さんは俺に座るように促し、松実さんも出ていく前と同じ席に再び座り直す。それに続いて宥ちゃんもその隣へと座った。
先ほどとは違い松実さんの後ろには隠れていないが、両手でマフラーを掴んで顔の下半分を隠している状態だ。しかし何故か視線だけは、俺に向かって真っ直ぐ注がれている。
「それで不躾に悪いのですが、須賀君はこちらには大学の為に一年前から住んでいるとのことですけど」
「え、ええ……そうですが」
ジッと見つめてくる宥ちゃんの視線に思わず姿勢を正していると、松実さんがずいっと体を前に倒しながら聞いてきたので、少し慌てながら答える。
持ってきた履歴書にも書いてあることを聞かれ、今更どうしたのだろうと思っていると松実さんが隣に座っている宥ちゃんに耳打ちをされていた。
俺が訝しげに見ていると、二人とも慌てて姿勢を正した。
「こほん……最後にもう一つだけ聞きたいのですが、こちらに住む以前にここを訪れたことはありましたか?」
「え? えーと……はい。一度旅行に来たのと大学の見学、後は引っ越し前の確認の三回ぐらいですが」
「それはいつ頃かわかりますか? 特に旅行の時と大学見学の時で」
「あー……確か、八月の半ばと同じように九月半ばぐらいだったと思います」
真っ直ぐこちらを見てくる二人の視線から逃れたいのもあって、視線を天井に向けて当時の記憶を辿り、指折りながら答える。
携帯を見れば晴絵とのメールで正確な日時を確かめられるだろうが、二人の様子を見るによくわからないけどそこまでは必要なさそうだ。二人とも目を合わせて笑いながら頷いているし、俺には分からないがなにやら話が進んでいる。
「いやはや、色々申し訳なかった。それではこれから宥の勉強をお願いしてもよろしいですか?」
「え……ですが、彼女の意見は?」
「いえ、この子もあなたなら良いと言っていますので、是非お願いします」
「お、お願いします……っ!」
「え、ええ……わかりました」
松実さんだけでなく宥ちゃんにも頭を下げられてしまい、よくわからないが勢いで了承してしまう。もしかしたらさっきの問答のせいかもしれないが、全くと言っていいほど心当たりはなかった。
その後、勉強の内容や日程、給金などの話を進め、あれよあれよという間に契約が決まってしまった。
「それでは私は仕事があるのでお先に失礼します。須賀先生、宥の事をお願いします」
「わかりました。精一杯務めさせていただきます」
「ありがとうございます。それでは私はこれで。宥、後は頼んだよ」
「うん」
そういうと松実さんは部屋を出ていき、部屋には俺と宥ちゃんだけが残された。
あえて残されたってことは少し話をして打ち解けておけってことだよな。まあ、次に勉強を教えるときに最低限のコミュニケーション取れないとだめだしな。とはいえそう言われてもどうするべきか……。
「あの……須賀先生」
「……ん? どうしたんだ宥ちゃん」
「そのぉ……」
俺の事を話すべきか?いや、向こうのことを先に聞くべきか?と悩んでいると、先に宥ちゃんの方から声をかけられた。
宥ちゃんは最初に見た時と違い、何故かリラックスしているせいか表情も硬くなっておらずにむしろわずかに微笑んでいたが、一方で何から話すべきかと言葉にも詰まっていた。
とりあえず向こうが話してくれるまで焦らせずに待っていようと思ってなんでもない風を装う。しばらく待っていると言いたいことが決まったのかいきなり宥ちゃんが頭を下げた。
「その……お久しぶりですっ」
「え、久しぶりって……もしかして俺たちって会ったことある?」
「はい……」
いきなりの話から驚く俺の言葉に、どこか寂しげに頷く宥ちゃん。
なるほど……だから最初俺の顔を見た時驚いてたし、その後の話がスムーズに進んだのか。しかしどこで会ったんだ……?
宥ちゃんが僅かにだが悲しげな表情をしているのが気になって記憶を辿ってみる。
――松実さんや宥ちゃんの反応を見るにただすれ違ったというわけではないだろう。だけどここ最近会ったなら流石に覚えているだろうから今年ではない。ならば去年かと思うと、先ほどの親父さんとの会話を思い出した。
何故か一昨年にこっちに来た時の事を聞かれたよな?あの時ここで会ったのは晴絵とおばちゃんで、後は奈良巡りと大学に行ったぐらいだもんな。後は…………松実館?
松実館に泊まったのは晴絵に初めて会った日だよな?頭の中で確認しながら宥ちゃんを改めて見ると、彼女が首に巻いているマフラーが目に留まった。
マフラー。別にまだギリギリ冬だしおかしくはない。室内だが寒がりなら別に巻いていてもおかしくはないだろう――寒がり?
マフラーと寒がりという言葉が頭の中で木霊する。
「マフラー……寒がり……………………あ、もしかしてあの時の!」
「はい、あの時は一緒に探してくれてありがとうございましたぁ」
「そっか、あの子って宥ちゃんだったのか……」
なんとなく連想しているうちに、宥ちゃんの言葉で思い出すことが出来た。
俺が出会った時のことを思い出したのが嬉しいのか、宥ちゃんは先ほどよりも顔をほころばせている。
そういえば此処に泊まった時に外を散歩していたら、夏なのにマフラーを探している女の子に会ったんだっけか……。おぼろげながらもなんとなくだが思い出してきた。
「はぁーなるほどな……でも悪いね、こうして話すまで全然思い出せなくて」
「仕方ないです。あれから一年以上たってますし……」
「だけどなんとなくそのマフラーとか見覚えあるよ。あの時もそうだったけど今でも大事に使ってるんだな」
「はい、お母さんが買ってくれたものだから……」
「そっか……」
大事そうにマフラーに触れる宥ちゃんに何でもない様に話を合わせておく。
ここに来る前に新子と話した時に、松実家のお袋さんは子供たちが小さい頃に亡くなっているから話す内容には注意しろって言われていたからな。
「でもまさか君がここの子だとはあの時は思いもしなかったな……」
「私も須賀先生がうちのお客さんだってわからなかったです。知っていたらちゃんとお礼も出来たのに……」
「まあ、気にしない気にしない。むしろこうやって親父さんに取り成してくれたんだから十分だよ。やっぱさっきのって俺が昔会った本人かどうかの確認だったんだろ?」
「はい、あの時の人だってお父さんに話したら、もしかしたらって当時のお客さんの名簿を調べてました……」
申し訳なさそうに説明する宥ちゃんの言葉に納得がいく。
当時俺がここに住んでいないなら旅行客で来ていたと推理して、その時期に自分の所に泊まった客の中にいてもおかしくはないと踏んで調べてみたのか。
んで、実際にそこに名前があった上に実際に話して本人だと確認したってわけか。
しかしこれで新子や松実さんが言っていた事情も理解した。宥ちゃんは寒がりだから塾などの夏には冷房がガンガンに効いているところに簡単に通えないだろう。
先ほど松実さんがあえてそのことを言わなかったのも、そのことに変な先入観とかを持ってほしくないという事だろうな。
「初めての家庭教師の仕事ってことで不安もあったけど宥ちゃんなら安心だよ。これからよろしくな」
「はい、よろしくお願いします須賀先生」
「あー……そうだ。その須賀先生ってやつは勘弁してくれないか。別にそんな偉い立場でもないし、背中が痒くなってくるんだ……だから普通に呼んでくれていいぞ」
確かに家庭教師ならそう呼ばれてもおかしくはなさそうだが、慣れないのもあるしなんか偉そうにしてるみたいで今の俺にはまだまだ無理そうであった。
そんな俺のしかめっ面が面白かったのか、宥ちゃんがクスクスと笑い出した。
「ふふっ、じゃあ……京太郎、さんってよんでもいいです、か?」
「ああ、全然かまわないぞ」
「そ、それじゃあ……私も……宥、でいいです」
「いいのか?」
「はい」
「そうか……それじゃあこれからよろしくな宥」
「はい、よろしくお願いします……京太郎さん」
これからのことを思い、口だけではなく行動でも示そうと右手を出すと、宥は最初おっかなびっくりだったが、それでも恐る恐る手を伸ばして答えてくれた。
――こうして俺の初めての教え子は、何の因果か以前こちらで偶然関わった少女、松実宥となった。
そして……晴絵とは違った意味で、宥はのちに教師となる俺にとって特別な存在となるのだった。
<その後のレジェンド>
あれから松実館を後にして家に帰ると、晴絵が夕飯を作って待っていてくれた。
俺も手伝おうと思ったけど既にやることはなく、着替えて座って待っていろとの事だったので後は晴絵に任せておいた。
「それで面接はどうだった?」
「まあぼちぼちって感じだな、来週から授業開始だ。お、うまそうだな」
結果が気になるのか皿を運びながら晴絵が今日の成果を聞いてきたので、先ほどの事を思い出しながら答える。
ちなみに今日のメニューは肉じゃがだ。
「ありがと、それにおめでとう。でも口でいうよりもなんか機嫌良いね」
「ん? ああ、ほら、俺が教えることになった娘さん。あの子実は昔会ったことがある相手だったんだ」
「え、マジ?」
「マジ。だから話もスムーズに進んでな、見知った相手だし宥は素直ないい子だからうまくやっていけそうだよ」
「へぇー……」
驚く晴絵から箸を受け取り、腹が減っていたのと料理が予想以上に上手くできている為にそちらに気を取られる。いやー、ホント晴絵料理上手くなったなー。
用意も揃ったことだし、さあ飯だ!と箸を伸ばしたところでやっと晴絵の様子がおかしいのに気付いた。
「どうした晴絵?」
「べっつにぃーーーーーーーーーーーー」
「…………ほら、おいで」
「………………」
不機嫌になりながらテーブルの向こう側に座る晴絵を見て、なんとなく予想がついたので手招きをする。
すると最初はじーっと猫のようにこちらを見つめていた晴絵だったが、少しずつこちらに移動していつも通り膝の上へと乗ってきた。
「もしかして妬いてるのか?」
「……だっていきなり名前で呼んでるしさ」
「そこらへんは照たちと一緒だよ。だから、な?」
「……うん」
そんな感じで晴絵の機嫌を取りつつ食事を進め、忙しい一日は過ぎて行った。
阿知賀メンバーで最初の登場はまさかの宥という十八話でした。みなさん当てられましたか?
宥はこんな感じで、京太郎にとってはレジェンドみたいな恋愛対象ではないがちょっとした特別な相手。そして宥にとって京太郎は――――な相手という感じです。
また、一番最初に出た今回みたいに、宥は阿知賀メンバーの中でも扱いがちょっと別になるかもしれませんが、一応サブヒロイン筆頭(予定)ということで許してください。
それではこんな所で今回は終了。今年も皆様ありがとうございました。今年の投下は今回で最後(の予定)です。
それでは皆様よいお年を。また来年お会いしましょう。
キャラ紹介の過去編に【松実宥】追加しました。