校舎へ続く坂道の両脇に咲く桜を眺めながら歩いているといつのまにか玄関まで辿り着いていた。高校二年生となった最初の登校日。本来なら玄関やグラウンドに大きく張り出されている筈のクラス表は見当たらない。
その代わりに玄関の横には数人の先生が箱を抱えて並んでいる。その顔ぶれの中から去年担任だった西村先生を見つけた。
「おはようございます。鉄人先生」
「金丸、何度その呼び方は止めろと言わせる気だ?」
「ですが、西村先生。トライアスロンの競技者にとって、“鉄人”とは最も名誉な称号だと思うのですが? 私を含めて多くの生徒が西村先生の事を尊敬して鉄人と呼んでいますよ」
大好きなヒーローが活躍するヒーローショーを観覧する子供のように瞳をキラキラと輝かせている金丸。西村先生こと、鉄人は小さく溜息を吐く。勿論、本気でそう思っているのは金丸だけで、他の生徒は面白半分に言っているだけだ。
人と違う価値観を持つ金丸にこれ以上、話をした所で実になるとは思えない。懇切丁寧に説明すれば理解するだろうが今はそんな事をやっているような場合じゃない。仕方ないので問題を先送りにした鉄人は持っていた箱から一つの封筒を取り出す。
「一応、結果は決まっているが受け取れ」
「はい、ありがとうございます」
『九条院金丸』と宛て名が書かれた封筒を受け取り、頭を下げる金丸。封を切り、きっちりと折り畳まれた紙を開く。そこには『九条院金丸――Fクラス』と書かれてあった。
――――Fクラス。それは進学校である文月学園において、バカと問題児が集まるクラス。文月学園へ入学して既に一年が過ぎている。Fクラスが学園において最低評価である事は金丸も十分に承知している。
自分に齎された評価にふむ、と頷く金丸。特に気にした様子もなく、紙を封筒へ戻すと手に持った鞄へしまう。
「いつもの成績なら十分にAクラスだったんだがな」
「いえ、お気遣いなく。スケジュールの調整に失敗したこちらのミスですので。勉強はどんな劣悪な環境でも出来ます。それにFクラスなら“奴ら”もいるでしょうし、退屈しないと思いますから」
「それはそれでこちらが迷惑するんだが。まあ、いい。新しいクラスになるが今年も頑張るように」
「はい、それでは失礼します」
礼儀正しく頭を下げて自身の下駄箱へ向かう金丸の後ろ姿を見届けた鉄人は校門を抜けた生徒の顔を確認して手元の箱から新しい封筒を取り出した。
◇
下駄箱で上履きを履いて、階段を上がって廊下を歩きながらFクラスへ向かう途中、一際大きなクラスが金丸の目に入った。クラスのプレートを確認してみれば二年A組と書かれたプレートが入り口にぶら下がっている。Fクラスの金丸に用は無いAクラスであるが興味本位でAクラスの教室を覗き込み、目に入った施設にピクリと眉を顰める。
本来、黒板が配置されている筈の壁には壁全体を覆うほど巨大なプラズマディスプレイのモニター。規則正しく配置された勉強机。その周辺には個人用のノートパソコンや冷蔵庫、エアコンなどが見て取れる。勿論、リクライニングシートやその他の設備も完備している。なにより、明らかにクラスの人数に対して教室の規模が大きすぎる。
「どうしたんだい、そんなところに立って? 自分の席が判らないなら一緒に探してあげようか?」
「ん? 利光か。いや、残念ながらAクラスに用は無い。興味本位で覗いていただけだ。私はFクラスだからな」
Aクラスの入り口で立ち止まっていた金丸に声が掛かる。振り返るとメガネを掛けた友人の一人――久保利光がこちらを見ている。
「……Fクラス? それは本当かい?」
「ふむ、嘘を言っても仕方ないからな。振り分け試験には所用で学校を休んだ。Fクラスでも仕方あるまい」
「……なるほど。残念だけど学校の方針だからね」
金丸の言葉に怪訝そうな表情を見せた久保は説明を聞いて、納得した様子で頷く。
「姫路さんも熱のせいでFクラスと聞いたし、これなら“試験召喚戦争”が起きた時、Fクラスは要注意しておく事にするよ」
「まだ知らないが、それはFクラスの代表が決める事だ。だが、戦争になった暁には全力で相手をさせてもらおう」
お互いに不適な笑みを浮かべて握手を交わす。その光景に周囲の女子生徒から黄色い声が上がった。理由が判らず、首を傾げた二人はそのまま別れてお互いの教室へ向かう。渡り廊下を抜けた先に金丸がこれから通う事になるFクラスが見えてくる。
二年F組と書かれたプレートを見て、隣のクラスであるEクラスの前を通り抜けようとした時、Eクラスから人影が飛び出して教室の前を歩いていた金丸と接触する。
「きゃっ!」
「おっと!」
胸に軽い衝撃が奔り、小さい悲鳴が聞こえる。教室を飛び出し、金丸へぶつかった人影は体勢を崩して尻もちをつく。
「すまない、こちらの不注意であった。怪我がないか?」
イタター、と腰を擦る人物へサッと手を差し伸べる金丸。しかし、金丸の視線は転んだ人物を見ずに天井辺りを彷徨っている。なぜならば――。
「――っ! お、王子!」
尻もちをついていた“女子生徒”は無言の悲鳴を上げて、スカートを押さえる。お互いの位置からして金丸にはスカートの中身が丸見えだ。顔を林檎のように紅葉させて、金丸を見上げる女子生徒。視線を困った様子で泳がせる金丸にホッとした後、金丸へぶつかった事を理解して顔を更に赤くさせる女子生徒。
「あ、ありがとう……」
「元気が良い女の子は魅力的だが、お転婆が過ぎるのも考え物だな」
「そ、それじゃあ!」
顔を真っ赤に染めた女子生徒は金丸の差し出した手を取り、立ち上がる。顔を真っ赤にした女子生徒は金丸へペコリと頭を下げると脱兎のごとく金丸の前から逃げ出す。
「廊下は走るものでは……って、もう行ってしまったか。む?」
廊下を爆走して走り去る女子生徒へ注意しようとする金丸は既に遠くへ行ってしまった女子生徒へ声を掛けるのを諦める。気を取り直してFクラスへ向かう金丸は何かを蹴った感覚に視線を足元へ落とす。
「……彼女の学生証か?」
落ちていた学生証を拾って、名前を確認する。そこには『三上美子』と書かれた名前と写真が貼られていた。
「ふむ、ぶつかった拍子に落としたのか。仕方ない」
金丸はEクラスを覗き込み、知り合いがいないか教室を見渡す。女子生徒の数人が少女マンガの王道的展開に瞳をキラキラさせていたり、古典的過ぎる出会いの仕方にハンカチを噛み締めている男子生徒がいたりするが、自分に注がれている視線だと気付かない金丸は去年のクラスメイトを見つけると特に気にした様子もなく、学生証を渡してくれるように頼むと今度こそ、Fクラスへ歩き出す。
「ふむ、すこしばかり寄り道が過ぎたか……」
右腕に着けた時計で時間を確認した金丸は小さくぼやく。クラスが変わるのでなるべく早めに登校したのだが、HRまでの時間はもうそんなに残されていない。
「………………」
「おはよう、秀吉。どうかしたのか?」
Fクラス前の廊下に立っていた金丸の友人――木下秀吉を見つけた金丸は声を掛ける。無言で金丸へ視線を注ぐ秀吉に不思議そうに首を傾げる。
「おはよう、それより金丸。やはりお主、演劇部へ入らぬか? あの台詞が劇でもなく、普通に出てくる辺り、お主は劇に向いておる筈じゃ。……役が王子役に固定されてしまうと思うがの」
「すまない、何を言っているのか判っていない」
秀吉の言葉を受けて意味が判っていない金丸。文月学園に入学してからの付き合いである秀吉は恐ろしいレベルのフラグ建築士でありながら、致命的に一般人の感覚とずれている金丸の感性に戦慄を覚えつつ、小さく溜息を吐く。秀吉はあまり思っていないのだが、姉の優子や雄二達がよく金丸の事を“少女マンガのヒーロー・ラブコメの主人公”と喩えている。しかし、先程の光景を見せられたらなるほど、と納得してしまう。
それに確か秀吉の記憶が正しければ、金丸の隠しファンクラブの存在を耳にした事がある。ファンクラブに所属する女子生徒には王子と呼ばれていた気がする。正直な所、そのあだ名だけは秀吉も納得してしまう。学業優秀、運動万能、眉目秀麗にして世界経済の一端を担うグループ会社の後継者。少女マンガに出てくる王子キャラのイメージをこれでもか、と詰め込んだ人間が金丸だ。
本来なら学費が安い文月学園に入学してくるような人物ではない。ただ文月学園のPRポイントである“試験召喚システム”を体験したい、という理由で入学してきたキワモノだ。金丸にとって高校の“肩書き”程度は興味本位に負けるぐらいの価値しかない。
「それよりそろそろHRが始まる。はやく教室へ入ろう」
「そうじゃな。不謹慎かもしれんがわしはお主が振り分け試験を受けられなくて良かったと思っておる」
「む、そうなのか?」
「わしらがAクラスになるのは不可能だからの。学年最低のFクラスとはいえ、今年も同じクラスになれて嬉しいのじゃ。…………雄二と合わせて、わしを男と認識している貴重な人材だからの」
「そうか、ならば来年は皆がAクラスになれるように勉強を教えてやろう。とりあえず、今年もよろしくたのむ」
「こちらこそ」
秀吉と金丸は握手を交わすとこれから一年間、学び舎となるFクラスに踏み入れた。
書いたことのないタイプの主人公なので手さぐりで進めていきたいと思います。