あらすじにも書いてある通り、旧作ではなく原作に入っていきます。旧作はいずれ番外編として出すつもりですので、ご安心を。
三十八話 紅き霧
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【リリス】
とある一室。派手な装飾はなく、ただ服が収めてあるタンスや布団のみが存在感を放つ殺風景な部屋に、私はいた。
マヨヒガと呼ばれるここは、幻想郷とは隔離されたどの世界にも属さない『異界』。外の現代世界の影響はもちろん、幻想郷からの影響も受けにくい。
ここに入れるのは、
式である九尾、八雲 藍やその式である橙。博麗の巫女に冥界の女主人。そして、元式である私。
「……」
こんな殺風景な部屋ではあるが、ここは私……厳密にいえば、八雲 空が使っていた部屋。この部屋を空として使うのは、今日が最後になるだろう。
というのも、それには訳がある。
新たな時代の到来……言わば、世代交代である。
これまでの異変は、博麗の巫女を初めとする幻想郷の守護者が、幻想郷の平穏を守るために起こる異変を全て武力で無理矢理抑えてきた。
その大半の異変の首謀者は妖怪であり、幻想郷を我がものとする輩ばかり。そういった不穏分子を徹底的に排除するために、容赦なく無慈悲に妖怪を下してきた。
だが、それにも限界はある。その武力行使をよく思わない者も当然いる訳であり、武力が武力を呼ぶ結果となってしまう。つまり、そういった連鎖が幻想郷を脅かすことになるのだ。
そこで、先代と当代の博麗の巫女と、妖怪の賢者達の間で作られた新たなルールが生まれた。
それは、これまでの異変解決を根本的に覆すものであった。武力でもなく、最も平和的に、そして誰も傷つかない解決方法。
それこそが、スペルカードルール……所謂、弾幕ごっこである。
これまでの武力行使ではなく、互いの弾幕を見せ合い、美しさを競い合う、誰も傷つかない美しき戦い。かつての異変で飛び交う、断末魔や血肉が飛び交うことの無い決闘方法。
今回は、その本格的な導入として、ある異変が起こされる。私は、その
特に、このスペルカードルールの本格導入について思うことは何も無い。試作的な実用にあたっての異変でも特に問題は起こることはなかったし、私自身もそれはとてもいい案だと思っていたからだ。
だが、今回ばかりは
これまでの異変は八雲の使者として、その異変の結末を見届ける者として動いていた。特に異変で思うことも無く、私自身もそれしかやることが無かったというのもある。
だが、この異変はそうではない。今回起こされる異変は、私にとっては意味が全く違う。
これは
今思えば、それはいつでも出来たのかもしれない。サリエルを倒した時に、することは出来た。でも、出来なかった。
怖かったのだ。家族を傷つけた私が、今更家族に許しを乞い、許してもらうなんて出来なかった。家族に会う資格などないと。家族に拒絶されるのが、どうしようもなく怖かったのだ。
────もう、罪から逃げるのはやめよう。
いつまでも逃げていては、彼女達に辛い思いをさせるばかりだ。それだけは私も嫌だ。
だからこそ、このチャンスを逃すわけにはいかない。
この異変で、終わらす。終わらせなくてはならない。
かつての罪を、この異変で償う。
────それが、この紅霧異変における私の思いだ。
「……これを着るのも、久しぶりだな」
引き出しのタンスから手に取ったのは、赤い衣の服。私が小さい頃から着ていた、リリスの服だ。
魔界での戦いでボロボロになってなくなってしまったと思っていたが、どうやら藍が直してくれたらしい。ボロボロだったであろう箇所も、隅々まで元通りとなっている。
私は今着ている八雲の服を脱がし、その赤い衣を身に纏う。胸元のリボンと腰の大きいリボンをギュッと縛ると、懐かしい感覚が身体に伝わってきた。
そして、かつての私のように伸びた髪の毛の一部を縛り、右側を髪留めでとめてサイドテールにしあげる。この髪の感覚も、さっきのように懐かしい感覚が伝わる。
「…よし、行こう」
そうして、屋敷の庭に私は姿を表した。
隔離されたマヨヒガに通じる者達は、独特の移動手段を持っている。それぞれに似合った術で組上げた、『異界と異界を繋ぐ』術式。それを発動し、幻想郷へと繋げる。
すると、輪っかのようなものが浮かび上がり、その中には、血のように紅い霧に覆われた幻想郷の空が映し出された。
恐らく向こう側の守護者達は動き出しているだろう。博麗の巫女と友人の魔法使いを筆頭に、解決に向かっているはずだ。
心配はしていない。弾幕ルールの試験的運用時の異変で、彼女達は成長した。実力も申し分ない。余程の
私も遅れる訳には行かない。そう思いその扉に足を踏み入れ用とした刹那──
「……行くのね」
不意に、背後から声をかけられた。
その声の主など、見なくともわかる。記憶を無くした私を導いてくれた、恩師にも等しい人。
「…はい。もう、ここに戻ってくることは無いでしょう」
「…そう」
思い残すことは無いと、そう思いながら私は声の主に振り向く。そこには、扇子で口元を隠して表情を読み取らせまいとするも、その瞳には微かに哀しみが滲む幻想郷の妖怪の賢者、八雲 紫がいた。
「寂しく、なるわね」
────彼女には、返しても返しきれないほどの恩がある。
記憶を無くした私を導いてくれたことから始まり、右も左も分からない私を本当の娘のように可愛がってくれた。私自身、彼女に母親に向ける感情を向けていたのは確かだ。
この行為が、恩を仇で返す行為と同じ事なのは百も承知。けれど、今ここで引き返せば、また逃げることになる。それだけは嫌なのだ。
「…貴方にはお世話になりました。返しても返しきれないほどのことを、私にしてくれた」
彼女だけではない。彼女の式である藍も同じだ。家事全般や武術などの手ほどきをしてもらったこともある。彼女らは、それほどまでに私を可愛がってくれた。
「けれど、今逃げてしまったら、きっと後悔してしまう。逃げるわけにはいかないんです」
「……わかってる。貴方がこの異変にどんな思いを寄せているのかは、重々理解してるつもりよ。」
けれど、と震える声で彼女は言う。
「…やっぱり、娘の旅立ちは、親にとっては辛いのよ」
「……」
────もう、八雲には戻れない。
それはつまり、紫の手を離れることと同意義だ。私が彼女らを親のように思っているように、彼女らもまた私を娘のように思っているのは、私も分かっているから。
彼女にとって、私の行動は娘の巣立ち当然なのだろう。誰だって、愛する娘が自分の手を離れるのは、嬉しくもあり悲しくもあるのだから。
「けれど、せっかくの娘の旅立ちだもの。笑顔じゃなきゃ、貴方が心配になってしまうでしょ?」
「…!」
その口元を隠す扇子をしまい、笑顔で私を見つめる紫。
───あぁ、敵わないな、この人には。
私の思いよりも、彼女の方が重い。彼女が私に対する思いの方が、何倍も重いのだと、ここで痛感する。
今思えば、その思いは前々からあったのかもしれない。それに気が付かなかった私は、まだまだだなと思う。
「…行ってらっしゃい」
なら、応えることはただ一つ。
「────はい。行ってきます。
私も、母親に笑顔を向けることだ。