しかしある時ゲーセンに担ぎ込まれた『戦場の絆』の大型筐体には好んで金を突っ込みました。これ、対戦ゲームではあるのですが、ぶきっちょで三連撃(というコンボがあるのですが)もままならない臣も勝利を重ねて将官になってしまえる妙なゲームで、今に至るも続けられています。
1stガンダムを題材にしていたから出会えたゲームでした。何処まで人生を狂わせれば気が済むのか。抱きしめたいな、ガンダム!
そんな1stガンダムと戦場の絆に捧げます。愛に似た物騒な何かを込めて。
宇宙世紀の海洋は、人々の知る如何なるものとも異なっていた。
「手空きの者、上甲板!」
地球連邦北洋艦隊、洋上護衛空母「グルカ」の艦長はいち早く命じる。
船底から這い上がった水兵達に手渡されたのは陸戦隊が使用する暗視装置だ。
「見張れって、この真っ暗な中をか! 何にも見えない! 海に落ちちまうぞ!」
「だから、これがあるんだろ」
戦闘濃度で散布されたミノフスキー粒子の干渉は、「グルカ」の電測兵装の機能を全て奪っていた。甲板に駆け上がった兵が命じられたのは、両舷の見張りであったのだ。
電測が役に立たない以上、目視によって敵を見つけるより他にない。戦闘は今や19世紀、太平洋戦争以前の様相を呈しつつある。
「対潜警戒厳となせ! Z字回避運動始め!」
「了解(コピー)!」
宇宙時代に育った誰もが知らぬこの海で、「グルカ」艦長は確かに有能であったと言えよう。知識の内より電測の存在しない海戦史のページを引き当てた艦長は、それに倣い混乱を立て直そうとしていた。
愚者は、経験に学ぶ。よって経験のないことには対応がとれない。しかし賢者は歴史に学ぶ。経験のないことも知識として活かすことが可能なのだ。
「右舷雷跡らしきもの、一!」
「対音紋誘導兵器行動! デコイ右舷に射出!」
間伐入れぬ指令に、直ちに「グルカ」と寸分たがわぬ動力音紋を放つブイが投下される。アクティブピンガーを発しない以上、これは音紋誘導魚雷であるはずであり、魚雷はこれを追うはずであった。
従来までの戦闘常識に照らせば、艦長判断は正しいものであった。
しかしすでにここは既に人知の及ばぬ、宇宙世紀の海であった。
「なあ、あれ魚雷にしちゃ、航跡でかくねーか?」
兵の誰かが呟いた、まさにその時、海面が盛り上がり、割れた。
そこから姿を現したのは……
「……大蛸(クラーケン)!?」
いや、そいつは、胴部の上に頭と思しきもの、そして二本の腕らしきものを備えていた。
そいつは人であった。
10メートルを上回る体長、水中を50ノットを上回る速力、そして水圧に耐える金属の外皮を備えた人であった。
そいつは、海の巨人であった。
そいつが、深紅に輝く目を開いた。
単眼であった。
「クラーケン! クラーケンだ!」
「いや、違う! あれは……」
MS(モビルスーツ)だ。水中を航行可能なモビルスーツだ。
しかし何故だ? 宇宙に海はない。海を知らぬ者たちがなぜ水中兵器、しかも水中モビルスーツなどという高性能兵器を持っている?
疑問を言葉に発する暇はなかった。
そいつの胴部からの輝きを受け、甲板も、甲板上に居た兵たちも飴のように溶けた。
メガ粒子砲――荷電させた重粒子を磁力により撃ち出す、宇宙世紀の主兵装の威力であった。
MSM-03「ゴック」。
ジオン発の本格的な水陸両用MSとして猛威を振るった、海の王者の開発には謎が多い。
海洋を持たぬコロニー国家ジオンがどうやって、水陸両用MSの開発を行ったのか。行い得たとしても、ゴックの母艦である潜水艦はどうやって手に入れたのか。
ジオンが運用したという原潜は一説には30隻を超えると云われている。大国が総力で5年の建造期間を要する原潜を、僅かな期間でどうやって手に入れたのか。
曰く、「月で開発されたものだ」
曰く、「連邦軍のものを鹵獲したのだ」
主流となっているこれらの説には、やはり説得力に疑問符が付く。戦後四十年余を経た今や、解明されることの有り得ないミステリーとなりつつあった。
ただ確かなことは、海は地図の上では地球連邦の版図であったが、実質的な制海権は未だ連邦の手にはなく、ジオン公国の滅んだ今となっても洋上艦艇は建造され続け、水中戦に対応可能な性能をもったMSは開発され続けているということであった。
一年戦争のさなかの海で、一体何が起こったのか。戦後の海に一体、何が潜んでいるのか。
***
北洋のか細い日差しは、分厚いブラインドによって遮られていた。
特殊樹脂製のサッシとの組み合わせで、12.7ミリのライフル弾までならば抗弾可能なブラインドであり、弱弱しい陽光では到底射通すことなどできるものではない。地上でありながら地の底であるかのような一室では、人造の蛍光灯の光が唯一の光源である。
「貴官はシネマは好きか? パプティマス・シロッコ特務少佐」
うそ寒い部屋全てを見渡せる、窓辺のデスクに坐した男の、開口の一句がこれであった。
「小官は文化をこよなく愛します。詩も歌も絵画も。シネマもまた例外ではありません」
答えた将校、パプティマス・シロッコ特佐の軍服は、通常の連邦軍軍装とは大きく異なるものであった。
先ず色からして違う。典礼用かと見紛うほどの典雅な白無垢の軍装は、仕立てからして明らかに特製のものに違いあるまい。しかしそれに身を包む者の肌は、白無垢の生地を上回る透明度の白皙を備えていた。
「「Uボート」というタイトルを知っているか」
「Uボート……確か20世紀の作品であったと記憶しておりますが」
「私が海軍士官を目指した理由というのは、案外と単純なものでね。あの荒波を割って進むドイツ潜水艦の不屈の活躍に、幼心は踊った。今も鮮明に思い出せるよ。ただ、幼少に感じた筈のときめきを、今はもう感じることは出来ないがね」
「……」
「ウィルム・ディセンベルクだ。本基地を預からせてもらっている」
「最後の連邦軍潜水艦隊司令にお目にかかれ光栄であります、提督」
地球連邦軍サイレントサービス――潜水艦隊。19世紀東西冷戦時代の米潜水艦隊を前身とし、七海最強の覇者であった彼らも今や、落日を迎えつつあった。
潜水艦隊だけではない。
今や海軍そのものが、その必要性を喪失しつつある。
東側国家の瓦解により地球圏統一の偉業が西主導で成され、地球より戦争の根絶は成った。旧国連加盟国の全てが連座した地球連邦政府構想は現実のものとなり、ついに地球圏は統一政府を手に入れたのである。
人類は戦争を滅ぼした。誰もがそう思った。国が一つしかないのだから当然戦争はなくなる。紛争地域はあまた存在したものの、人類はついに国家間の武力衝突という意味での戦争の脅威を排除することに成功したのである。
戦争がないのに武力は必要ない――居ない敵に備える必要などないのだ。
武力を維持していた資金はもっと有意義なことに使うべきだった。
連邦政府は浮いた資金の用途を宇宙に求める。
「時代とともに戦争というものの概念が変わってしまった。今や敵は地球上には居ない。そもそも戦争を行うべき人間は宇宙へと出て行ってしまったのだからな」
戦争の消滅により歯止めのかからなくなるであろう人口増加、それにより発生する雇用を、スペースコロニー建造という全地球を上げての公共事業により一挙解決を図ったのである。
旧世紀の終わりであり、宇宙世紀の始まりであった。
戦争の無い新たな世紀に、誰もが希望を抱いた。
しかし、戦争は姿を変えより大きな力を得て、再び人類の前に現れる。
「世紀は移ろい、戦争そのものが変わった。新たな戦争を知るのは今や、宇宙のジオニストたちだ」
後にイヤー・ウォー、一年戦争として語り継がれる戦いは、端を七日間戦争に発し、宇宙要塞ア・バオア・クーの陥落によって終結した、人類が初めて体験した宇宙戦争であった。
第三次世界大戦、と称する者もいる。
第一次宇宙大戦、と呼ぶ者もいる。
史上これほどの規模で破滅を振りまいた戦争は存在しない。人類最悪の戦争は、しかし人類の揺り籠たる地球を主戦場とせず、宇宙を舞台としたのである。
「我が潜水艦隊の弾道ミサイルは地球の大陸全てをカバーすることが可能だが、宇宙の敵には届かない。ルウムで勝てなかった以上、我々の装備を維持する戦費は、速やかに宇宙の戦友の許へ送るべきだろう」
一年戦争は、そもそもが当初は戦争ではなく紛争であった。人類は今や地球連邦という一国の国民である以上、サイド3がジオン公国を僭称したとしても連邦から見れば一地方自治体であり、連邦法に違反する武装テロリストである。軍事力ではなく、警察力により鎮圧するべき犯罪者であったのだ。
ところが、今や連邦政府の趨勢は、南極条約の調印へと傾きつつある。
条約の締結とは国家間の約款の取り交わしであり、つまるところが、ジオンを国家として認めることに他ならないのである。事実上のジオンの勝利であった。
条約調印に異論はもちろんある。和戦何れになるかは予断を許さない。
しかし何れにせよ、悪魔は蘇った。
人類を滅ぼす戦争という悪魔は、宇宙へと羽ばたくより強き翼を得て蘇ったのである。
「敵は宇宙にあり……事実でありましょう。ですが未来もそうだとは私は思わない」
「ほう」
「遠からず戦争は地球に戻ってくる……私はそう私見しております」
「君の任と矛盾する見解だな。ジオンの工作員に暗殺されたと思われる前任者を次ぎ、我が潜水艦隊の兵員の速やかなる宇宙艦隊編入を管理監督することだと推察するが?」
「仰る通りです。故に私見と申し上げた」
「地上に居るのはアースノイドだけだ。我々の敵であるスペースノイドは、宇宙に居る。敵が宇宙に居る以上、軍も宇宙へと転戦せねばならん。故にこその我が潜水艦隊の解体であり、転属ではないのか」
「……スペースノイドが地球侵略を企てたとしたなら?」
「有り得ん話だよ、シロッコ特佐。奴らは今や宇宙の支配者だ。そして政府は宇宙を与える方向で話を進めつつある。このまま事態が推移すれば、地球の資源が宇宙からの物資に依存している現状、地球の支配者も程なく変わるのではないかね?」
「異論はありません。このままでは地球圏はジオニストの手に堕ちるでしょう。しかしもし連邦政府が、南極会談で講和条約に調印しなかったとしたなら?」
「停戦をしなかったとしても、結果は変わるまい? ジオンが宇宙を維持すれば、地球は滅びをまつのみだ」
「提督は、ギレン・ザビという男をご存じないようだ」
「直接の面識はない。だがそれは貴公も同じだろう」
「……アダムス・ミノフスキー博士。ジオン・ズム・ダイクン。そして、ギレン・ザビ」
最後の潜水艦隊司令は瞳を細める。
脈絡のない名の列挙に、シロッコの言いたいことを計り兼ねたのだ。
「宇宙世紀の巨人を三人あげよというならば、小官はこの三名を挙げましょう」
「ミノフスキー博士とジオン元君に、ジオンの現総帥の名を連ねるというのか」
「ジオン・ズム・ダイクンをマハトマ・ガンジーと重ねる者は多いようだが、小官はレーニンや毛沢東に近しいのではないかと考えております。また、アダムス・ミノフスキーに比するべきは、アインシュタインやニュートンではなく、シュレーディンガーあるいは、ライプニッツでありましょう」
「ジオン元君は開明的な運動家でなく、独裁者となった革命思想家であると?」
「はい」
「ミノフスキー博士は物理学者ではなく、哲学者であるというのか。そしてギレン総帥は、それに比肩するべき人物であると」
「連邦政府の誰一人として、あのジオニストの偉大さを理解しておりません。理解しうるとしたら、小官のみでありましょう。あれとアドルフ・ヒトラーを重ねる者は多いが、小官はヒトラーではなくナポレオンに比するべきであると考えている」
「ヒトラーと同じく欧州の人物だな。戦争勝利によって君臨した点も同じだ」
「ジオンはモビルスーツの性能によって我が地球連邦に勝利したという者が居るが、正しい見解ではない。モビルスーツという兵器を産み出した土壌が、既に先進的であったのです」
「モビルスーツは従来の宇宙戦闘機にはない装甲が施されており対空機銃は効果が薄く、ANBACシステムによる複雑機動で、主力宇宙戦闘機セイバーフィッシュとも優位に戦ったという。非常に優れた兵器であると聞いているが?」
「モビルスーツとは兵器ではなく、戦闘も可能な作業機械であると小官は解釈しております」
「重機の一種であると?」
「ギレンが生み出したかったのは兵器ではない。宇宙でも不自由なく人類が闊歩するための、まさしく機動服なのであります。戦車も戦闘機も戦闘任務以外に役に立たない機械ですが、モビルスーツは宇宙重機の規格に則った仕様であり、機材の運搬、陣地築城、宇宙行軍、その他もろもろに活用することが可能です。しかもモビルスーツは高度電算化により乗員一名で運用可能…つまりこれはジオン兵100万の全てにモビルスーツを与えれば、100万のモビルスーツ部隊が実現可能であるということを意味します。つまりモビルスーツは重機でも兵器でもなく、兵士なのであります」
「宇宙歩兵であるとでもいうのか?」
「ルウムの戦いは宇宙歩兵対宇宙艦艇の戦いでありました。我が連邦軍は宇宙戦闘を海戦を参考に戦おうとしておりましたが、ジオニストは陸戦を参考に行ったのであります」
「なるほど興味深い話だ。貴官は作戦課か、或いは士官学校の研究室に転属をしたほうが良さそうだな? シロッコ特佐」
「小官が申し上げたいのは、ギレンの作り上げた軍には、宇宙も地球もないということだ、司令。宇宙を大地とする彼らにとり、地球はすでに版図となるべきものなのですよ。何故なら地球は、宇宙に無尽に存在する惑星のうちの一つに過ぎないのですから。条約の調整如何によっては、ギレンの魔手は必ずこの地球に及ぶ。そのときにこそ貴方の艦隊は地球に必要なものとなるのです、ウィルム提督」
「……貴官が我がベースに派遣されてきた意味が分かってきたよ。貴官が言いたいこともな」
「提督……先に申しあげました通り、小官は私見を述べたのみであります。小官の胸の内を知るものはまだ誰もおりません。ただ、地球は貴方方を必要としている。それのみを申し上げておきます」
「貴官の私見とやら、いずれまた詳しく聞きたいものだ」
シロッコの背にした扉が開き、小銃を手にした衛兵が二人、姿を現す。
退出せよ、ということのようであった。
「一つ言っておくならばな。宇宙はジオンの手中にあり、地球はまだ連邦の手の内であるとしても……」
ウィルム提督は、シロッコに背を向け、デスクの後ろにあったこの部屋唯一の窓のブラインドを手ずからに操作する。
ブラインドは開き、窓から見える光景は、死のように白々とした北欧の寒空と、同じように昏い鈍色の海原である。
「……海は、その何れのものでもない」
***
朝を迎えてなお昏い部屋の中で、男の肌は、全身が瞳であるかのごとくの輝きを放っている。
夜から浮き出た夢魔のようであった。女の己よりも明らかに、透度が上であろう。
パプティマス・シロッコ。つい昨日この基地に到着したばかりのはずの、この男の名前を思い出したのは、一夜が過ぎ去った後であった。
己の身の上に訪れたことが、まるで夢現のことのようであった。
悪夢であったのかもしれない。
憶えているのは、ベースの通用路でこのひととすれ違ったことだ。すれ違いざまに、左の小指を何かが絡み取った。このひとの右の小指だったと知った時には、もうこのひとの瞳に、瞳の奥を覗きこまれたあとだった。
「女人の須(すべから)くが、地球圏の霊長として君臨するべきだと、私は考えている」
今、この男の瞳は、己のことなど見てはいない。
見ているのは、この世の何処でもない、遥か彼方の何処かである。
「古くの女人は太陽だった。今は月であると言われて久しい。その何れでもありはしない。女人は我らの揺りかご……この地球そのものなのだ」
「……帰らないと」
今の今まで、眠ってしまっていた。恐らく、己の携帯端末の不在着信は両親からのものでで埋め尽くされているだろう。
「ご両親に祖父母が居るのだったな、ユニ・マリエ准尉」
「調べたんですか」
「知っていたさ」
「嘘です」
「嘘ではない。このパプティマスは、悟りを得、金剛知に至る過程にあるのだ。世の全てを見聞し、世のすべてを知る者となる」
サトリという言葉もコンゴウチという言葉も、ユニの知らない言葉であった。
「何者かの知は、このパプティマスの知なのだ、伍長」
「よく……分かりません」
「それでいい。君は女人であるというだけで、この私よりも遥かに偉大なのだということを分かってくれればな」
覚えもないのに、ユニの着衣は浴室にきちんと畳まれてあった。
シロッコが畳んだものであろうか。ならば全てを知ると言いながら、彼は女の下着の畳み方を知っている男を、信用する女は居ないということを知ってはいないのだ。
「別に回答しなくてもよいが……」
シャワーの水音に紛れても、シロッコの声は、耳元に唇を寄せられているようで、ユニは首をすくめる。
「君は事件についてどれくらい知っている?」
「……特佐の前任者のことですか」
「そうだ。ジオンの工作員の仕業ではないかと報告があった、前任者の死のことだ」
ユニは無言で蛇口を大きくひねった。
水音が大きくなる。
「前任者が不慮の死を遂げたとて、地球圏はより多くの死で溢れている。顧みる者は居ない……私を除いては」
「怖くないんですか」
シロッコの言葉は、激しい水音にお構いなく続く。
どうやら無駄のようであったから、シャワーで聞こえないように装おうとして、ユニは止めた。
「前任者の方は何かを知って、それで殺されたかも知れないんですよ? 自分もそうなるって思わないんですか?」
「なるかもしれんな。ジオンの工作員は今もこの私を窺っているかもしれない。いや君がジオンの工作員であったとしても、私は驚かんよ」
「私、生まれも育ちもこの港です。街から出たこともありません。だいたい軍に入ったのも兵学校が学費が安かったからなんです。スペースノイドじゃないし、ましてや人殺しなんて……」
「冗談だ、准尉。君の身元はもう確認している。だがジオンがわが軍の潜水艦を鹵獲せんと画策している、という情報も入ってきているのだ。先遣の諜報員が紛れ込んでいたとしても不思議な状況では、何らない」
うそ寒いものを感じて、ユニは身をすくめる。
「ここで生まれ育ったという君を頼んできくのだが、違和感を感じたことはないかね? 見知らぬ人物、或いは見知った者でも、最近態度が変わった者……」
「潜水艦隊の活動は秘中の秘……基地の誰もが、身元ははっきりしています。私このと知ってるくらいだから、そのことは私よりご存じじゃないかと思います。知らない人の出入りはやっぱり開戦の後増えましたけど、誰が怪しいとか、スパイじゃないかとか、疑って見たことはないです……」
「そうか……だろうな」
「……あの……特佐は、用心した方がいいと思います。前任者のことがあるから……素人の手口じゃなかったって、みんな噂していますし……」
「君も注意した方がいい。もう私とは、関わり合いにならないことだ。私の近くに居たら、君も巻き込まれる恐れがある」
「……そのつもりです」
もうこれきりだと、可能な限り、はっきりと言ってやった。
手早く水気をふき取り、着衣を身に着ける。
「……失礼します、特佐」
「このパプティマスは、須く全ての女人に仕える者だと憶えるがいい」
「……」
「もし君に危機が迫るなら、私は身命を賭して君を守ろう」
ユニは何も言わず、ドアが閉まるに任せる。
オートロックの錠前が、ささやかな金属音をたてて落ちた。
***
如何に処置致すべきか。
前任者同様に屠るべきであるのか。
「放置しておくわけには行くまい」
計画を知られるわけにはゆかぬ。
邪魔されるわけにはゆかぬ。
「ならば何とする」
刺し貫くのみ。
大志の妨げとなる者には、無音の死を。
「気の赴くままにするがいいさ」
計画に遅滞はゆるされぬ。
事態は一刻を争うのだ。
「……」
人気の途絶えた部屋で、男は吐息を吐く。
前任者に続き、新任の特佐が同様のことに及べば間違いなく連邦軍警は本腰を入れてくるだろう。そうなれば計画の全容を隠しおおせるものではない。
だからといって、このまま計画を進めれば、間違いなくことは露見する。
計画が滞りなく進むには、どうあってもあの特佐が邪魔となる。
つまりあの特佐の着任事態が、最後通牒と言えるのだ。
「……パプティマス・シロッコ。連邦軍兵站本部長、ゴップ大将に吸血鬼の子飼いが居るとの噂だったが、あやつだったか……」
モニタに表示された近影は、確かに、生あるもののようには思われないほどの白皙であった。『デイ・ウォーカー』、昼夜問わず闊歩するバンパイアの異名も肯ける。実際幾多の女と関係がリストアップされており、彼女らの生血をすすっていたとしても、驚くには値しない。
「感づいているな、奴は。そしてそれを隠そうともしていない」
恐らくは、前任者が何故に消されたかを、そして己がこれより先どのような危険に逢うかも感づいている。感づきながら、危険を危険とも思っていないようであった。
「よほど度胸があるのか、鈍いだけなのか、或いはそれとも、真の不死のノスフェラットウなのか……」
吸血鬼とは死鬼であり、2度と再び死することはないが、それでも滅びは存在する。
「最後通牒、大いに結構だ。奴の心臓をパイル(杭打ち)して、見事宣戦布告としようではないか」
***
シロッコの前任者の階級は大尉であり、連邦海軍の主計を歴任してきた男であった。
面識、というほどではないが顔を見かけたことくらいはある。ゴップ兵站本部長の許にあっても能吏であったと記憶している。
任務は連邦軍潜水艦隊のインフラの管理委譲や兵員異動などひたすら面倒ではあるか予定の立つ仕事であり、進めれば終わりの見えるものであった。
(死相には二種がある。一つは従容の相。今一つは無念の相)
(大尉のそれは後者だ。つまり死は唐突に訪れたのだ。運命も予期せぬ形で)
遺体が発見されたというここは港町にはよく見られるやや急な坂道で、大尉は任地の宿であり、今はシロッコの宿でもある見晴らしの良いホテルから、ベースのある軍港への道を下って行くところであった。
舗装はされてはいるがアスファルトではなくコンクリに石の混じった簡便なものであり、車両の通用の考慮されていないであろう道幅であった。
そんな坂道をシロッコは、おそらくは前任者と同じように、一歩一歩下りつつある。
そのシロッコの対面側から、一人の男が上ってくるのが見えた。
薄汚れた黒いジャンパーに大きな前掛、ゴムの長靴。背丈はシロッコと似たり寄ったりであったが、体重となると二回り以上はありそうであった。
風体で判断するならば、地元の漁師である。
シロッコは、その漁師の来る方に向かって下っており、漁師はシロッコの来る方に向かって上っている。
程なく二人はすれ違うだろう。
シロッコは坂の右手へと寄った。道の真ん中を歩んでいてはすれ違うのに不便がある。
それを見てとったか、漁師も右手へと寄った。
それだけのことで、すれ違っても肩がぶつからぬ程度の道幅であった。
シロッコは下りていく。
漁師は上ってくる。
「少し、伺いたいのだが良いかな」
唐突に口を開いたのはシロッコであった。
上ってくる漁師の歩みが、ぴたりと止まる。
すれ違うにはまだ早いが、普通に会話するにはやや遠い。
そんな距離であった。
「あっしでしょうか。士官さん」
「そう。君だよ。君の他には誰も居ない」
「あっしに、士官さんが何か?」
「君はこの坂をよく通るのかね?」
「ええ。まあ。町のもんが基地に行くときゃ、ここが近いですからね」
「ならば、ここで事件が起こったことも知っているだろう」
「いえ詳しくは存じません。連邦軍のお偉いさんがここで亡くなったとか、知ってるのはそのくらいなものでして」
「ふむ。そうか。そうであろうな。ではその前後で、何か変わったことはなかったかな? 例えば、見知らぬ顔を町で見かけたであるとか」
「さあ。どうでしょうかね。この町には軍艦もおりますが、漁船もおりますから。市が立てば、余所者を見かけることも珍しいことではありませんし」
「そうか。それは残念だ」
「へえ。どうも」
漁師は頭を下げて、立ち去ろうとするようだった。
「ああ。そうだ。君」
その漁師を、シロッコは呼び止める。
「まだ、なにか」
「君は知っているかね。ここで死んだ連邦士官はね。鋭利な刃物で突き殺されていたんだが、毒でも塗っているならともかく、これは容易なことではないんだ。細い針で腹部を一突きで人を突き殺すには、鳩尾から横隔膜を突き破らなければならない。そんな知識を持っているのはプロだよ。プロ中のプロだ」
「……」
「だが、それを知ってさえいれば、ある程度の腕力があるなら可能だ。君が隠し持っているような、それがあればね」
「……」
「それをどのようにして彼に突き立てたのかな。もしご存じならばパプティマス・シロッコにも教えてくれないか」
このセリフは、その最後まで言葉として発せられることなく、途切れてしまった。
中断させられたのだ。
漁師と思われた男の、殴打によって。
「……なるほど、アイスピックか」
シロッコの腹部を目掛けて来たと思われる漁師の左の拳の、丁度人差し指と中指の間から、にゅっと突き出しているのは、鋭利な釘のようなものであった。思いのほか長く――10センチ以上は突き出ている。
打撃ではなかった。
刺突であったのだ。
「考えたものだ。ここは軍港だが漁港もある。漁港では氷を扱うが常。アイスピックを持ち歩いていても怪しまれることはない。そのアイスピックに血がついていても、魚のものなのか、人のものなのかの見わけなどつかんからな」
「一ついいかい。士官さん」
「何かね」
「どうして俺が、凶器を持っていると見破った?」
「このパプティマス、悟りを得、金剛知に至る過程にある。世の全てを見聞し、全てを知る者だ……と言いたいところだが、実はカマをかけたに過ぎんのさ。この道ですれ違う者全てに言おうと考えていたのところが、何と最初で大当たりを引き当てたというわけだ」
「成程。そいつはうかつだったぜ。お陰で少しばかり面倒なことになっちまった。まあ、やることは変わらんが」
見れば左拳のみならず、右拳にも同様のアイスピックがその鋭利の先端を覗かせている。
「そうか。実は私も、やることは変わらない」
対するシロッコの右手にあるのは、一本の杖であった。
凡そ長さ80センチ余りの木材であったが、柳の枝のように細く、大男の漁師をどうにかするには不足であるように思われた。
それを大男の喉へと付け、空いた左手は……背中へと回している。
老教授が黒板の字句を指し示す、あの姿勢と似ていた。
「フェンシングか。それも古式のものだな。こりゃあ本当に面倒になった」
まんざらでもなさそうに、大男が、ニンマリと嗤う。
相手を嘲って嗤うのではない。敵に牙を剥いたのだ。大男にとりシロッコはもはや獲物ではなく、外敵であった。
嗤ったその表情のままに、大男はその、丸太のような腕を振るってきた。
シロッコの身体ではなく、邪魔な杖を払おうとする動作であった。
手ごたえはない。
右手と杖は、触れ合わなかったのだ。
どちらにしろ問題はない。男には、シロッコと己の間につっかえている杖がどこかに行ってしまえばよかった。
その、杖があった空間に潜り込んで、残った右手を男が振るう。
先ほどとは打って変わって、下から上へと小さく鋭い、コンパクトな刺突だった。もしアイスピックが中指と人差し指の中から突き出ていなかったとしても、ボディブローとして十分、目標を悶死せしめたであろう。
そのボディブローをピシリ、と何かが打った。
男の行く手から消え失せていたシロッコの杖であった。
それが剣を払うように、拳を払ったのだ。
「……!」
男は驚いたようだった。
だが動揺はしていなかった。相手の技量が思いのほか高くとも、それは織り込み済みのことであったからだ。
払った左手が、打突となって返ってきた。
十分な体制となっていたが、これもまたピシリという音とともに、命中コースから叩き出されてしまった。
まるでハエ叩きでハエを叩くようだった。
「ぬ……!」
こんどはシロッコの番だった。
男が後ろに飛ぶ。
後退したのだ。
男が後退したその分を、シロッコが踏み込んだ。
白蛇のような執拗さを備え、杖の先端が追っているのは、男の眼球であった。
「ほう。やるな」
男が飛びのいて足りない分をスウェイバックしていなかったら、今頃杖の先端には男の眼球が掲げられていただろう。
追い切れず、名残惜し気に、杖の先端はシロッコの手元へと戻っていく。
「それはこっちのセリフだぜ。びっくりだ。驚いた」
ごく数秒の攻防が終わってみれば、両者は、先ほどと全く変わっていない位置にいた。
その事実が、両者の技量を雄弁に物語っていた。
「君を捉えて色々と聞けば話が早いだろうと思っていたのだが、なかなか骨が折れそうだ」
「こっちこそ、朝飯前の仕事だと思っていたんだがな」
「正直な男だな。気に入ったよ」
「ぞっとしねえな。俺にそっちの気はないぜ。悪いが帰らせてもらう。朝飯もまだだしな!」
「む……!」
シロッコの杖が、空中を払った。
払ったその空間で、冴えた金属音が響く。
その時には、脱兎と化して男は、来た坂道を駆け下っていく途中であった。
「なかなかに、見事な逃げっぷりではないか」
そのセリフが終わるか終わらないかのところで、坂道に再び、金属音が跳ねた。
男のアイスピックであった。
「また会おう」
もはや男の背は見えず、シロッコの言葉は独語となった。
***
極北の港に、真昼は来ない。
白々と、朝が何時までも続く港は、死のように時が止まっているように思えた。
「……報告は以上です、ウィルム潜水艦隊司令」
「そうか。ご苦労だった」
出仕したシロッコは司令に面会を取り付け、今朝の顛末を即刻報告する。
「男の顔を見たんだな、貴官は」
「は。必要と有ればモンタージュ写真を作成し提出致します」
「必要だろう。即刻手配せよ」
「了解しました。ときに、司令。耳に入れておきたいことが二つほど」
「何か」
「第一に、このシロッコ、この泊地に赴任し僅か一昼夜であるにもかかわらず、賊は私を標的としておりました。この事からも、艦隊中枢に賊と通じるものが居ることは確実かと思われます」
「ふむ」
「第二に、賊は顔を隠そうとはしていませんでした。これは一つには技量に絶対の自信が有り、目撃されたからとて死人に口なしと考えていたものとも思われますが今一つには……」
「今一つには?」
「……今一つには、顔を見られた相手を仕損じたとて不都合は生じないと考えていたもののようにも、私には思えました」
「ふむ」
「己は囮であって主犯は別に居るのか、早晩ここの仕事を切り上げて去るつもりであるのか、あるいは……」
「あるいは?」
「あるいは、艦隊中枢に賊に通じる者が居る恐れがあると申し上げましたが、それと何等かの関係があることかも知れず……」
「確かに、艦隊司令部に見られた顔を報告されたところで、もみ消せば追手がかかることはない。有り得る話だ。参考としよう、パプティマス・シロッコ特務少佐」
「何卒、格別の配慮を」
右掌を胸に傾頭する礼式は、軍式の敬礼ではない。
シロッコ自身の礼法であるに過ぎぬそれに、挙手礼をもって、潜水艦隊司令は答礼した。
(さて、如何致すべきか)
地球連邦軍始まって以来のこの大陰謀、どう報告するべきか。
司令部庁舎を後にしたシロッコは、ウィルム司令の執務室の堅牢な窓を振り仰ぐ。
(いや……ゴップ本部長は、私に任せると仰られた)
(事を予見しつつも、このパプティマスに全て任せると仰ったのであれば……)
(面白い。実に面白い)
艦隊司令執務室を後に、宿へと戻る道すがら、シロッコは顔見知りに会った。
尋常に廊下の左隅で直立敬礼するユニ伍長に、シロッコは歩みを止めずそれに答礼する。
昨日情けを交わしたばかりとは、誰の想像も絶しているだろう。
それを限りに、二人はすれ違った。
***
「甘く見たな」
「全くだ。あそこまでとは思わなかった。で、どうする?」
「奴は感づいている。ただ、それをすぐさまジャブローに報告するつもりはないようだ」
「何故だ?」
「分からん。常軌を逸している」
「事が既にジャブローに露見している、ということはないのか?」
「それであれば、軍憲兵隊が雪崩れ込んできていよう。来ない、ということは未だモグラ共は我らの企てに確証を持てていまい」
「ということは、奴を殺し損ねて正解だったかもな。殺せば、今度こそ奴らに確証を与えちまう」
「構わん」
「何?」
「構わん。言ったはずだ。あの吸血鬼の心臓をパイルして回答とするとな」
「……では」
「計画を3フェイズ繰り上げる。決行は今宵だ」
「……そいつはまた、思い切りのいいことだ」
「我々のような人種にとり重要なのは、一刻も早い決断だ。違うかね?」
「違わんね。では古式に従い、決戦を祝し乾杯と行こう」
「よかろう。前途を祝して」
二人の男の干したグラスは、華麗な音となって床に砕けた。
***
地底の方角へ下る階段は金属製であったが、長年の塩害により到底強度を感じさせるものではなく、シロッコとユニの体重を受け止めるたびに小さく啼く。
先に進むのはユニである。
後に続くのはシロッコである。
「ディセンベルク司令に、基地の案内を命じられました」
シロッコに与えられた私室のドアをノックしたユニは、ことさらに硬い口調でこう告げた。
「お願いしよう」
シロッコはそう回答し、かくてユニ伍長に導かれるまま、奈落への階段を下っているのである。
ユニが何等かの命令を帯びているであろうことは、シロッコには分かっていた。でなければ、二度と再びシロッコの前に現れようはずもない。
ユニに命を与えうる者は限られており、よってシロッコは誰が己を地底へと誘うのかを、窺い知ることが出来た。
「生まれ故郷の地底にようこそ、吸血鬼(ノスフェラトゥ)」
「敬礼は省略させていただこう。ウィルム・ディセンベルク司令」
シロッコの眼前には、ウィルム・ディセンベルク潜水艦隊司令。その背後のハンガーデッキに屹立する人型の巨人は、まぎれもなくMSであった。
この当時、未だ連邦軍はMSの実用化にすら成功していない。
よってこの時代に存在するのは全て、ジオンのMSである。
「世界初の専用設計水陸両用MS、このゴックは、ジオンと連邦の技術者の共同で組み上げられたものだ。MSM……即ち水陸で運用可能なMSは、この後、ジオンの切り札となる」
「その全容は秘中の秘たる連邦軍サイレントサービス艦隊基地の腹中に、ジオンの新型秘密兵器が開発生産されている理由を聞こう」
「理由は簡潔だ。我らは連邦を……いや陸を裏切る」
「概ね察するが、何故連邦を見限るのかね?」
「先に見限ったのはジャブローのほうだと思うが違うかね、特佐。まあ、しかしこれは仕方のないことだ。宇宙にしか戦争はないのだからな。戦争のない海に戦力を置いておく理由はない」
「そうはならない。そう申し上げたはずだ、司令。遠からず戦争は地球に訪れる」
「そうする理由がジオンにはなかろう。短期で連邦を屈伏させ、停戦する。それがジオンの狙いのはずだ。そして目的は達せられた」
「それは条理だ。そして、ギレンという男に条理は通じない。私がギレンであるならば、次に計画検討されるのは地球降下作戦だよ」
「……地球降下作戦だと? 国力30分の一、人口百分の一に過ぎぬジオンが地球に兵を降ろしたところで、どう占領するつもりだ?」
「多くは語らぬが司令、貴方の行動はギレンの地球降下作戦計画を後押しするだろう。ジオンは地球に来るのだ、戦争を連れてな」
「貴官が正しかろうが、そうでなかろうが、地球連邦が海を守る意志を捨てたことには変わりがない」
「連邦軍参謀本部に制海権を放棄する作戦計画などない」
「シロッコ特佐。確かに時代は移ろうかもしれない。いつかは潜水艦隊の時代も終わりを告げよう。だがそれは、今ではない。いや今であってはならない。このウィルム・ディセンベルクの命在るうちは、サブマリナーの誇りは死なぬ」
「今よりジオンに寝返る閣下が、誇りを口にするのか」
「繰り返すが、我らの誇りに唾を吐きかけたのは貴官ら、ジャブローの豚の方だ」
両者はここで、ひとしきり言葉を切る。
口調は終始静かであったが、その分溝の深さは浮彫りの感があった。いや、むしろ溝の深さは両者とも承知であり、それを確認し合っているようにも見えた。
「先ほどより気になっていることが一つあるのだがな、シロッコ特佐」
「何かな」
「貴官はどうやら我らの離反を察していたと見受けるが相違ないか」
「いかにも」
「ではなぜジャブローに報せん。最初から悟っていたとするならば、連絡する隙はあったはずだが」
「必要がない。おそらくゴップ兵站本部長閣下は概ねを掴んでおられると、私は思っている」
「では何故、憲兵隊をここに送らず、貴官一人を派遣した」
「さて、何故かな。この私にもあの人の腹の底は見えん。ただ、私に何も語らなかったところを見ると、私の報告のみを承知し、私の報告しなかったことは不承知とする腹積もりだろう。私は本件についての一切の裁量を与えられたと考えているよ。私が赴く時には、それが通例だからね」
「そうか。「ゴップ兵站本部長の影」が貴官の異名の一つだったな。貴様のような悪魔を飼うとは、奴めますます、魔王と云わねばならんようだ」
「聞きたいことは以上かね、ディセンベルク司令。では私からも一つよろしいかな?」
「何か」
「先刻より閣下は「我ら」と口にしているが、我らとは一体どこの誰だね? 司令一人の離反であればこのシロッコが銃を持っていれば全てを終わりにできるわけだが、それで済む話でもあるまい」
「紹介出来る者は二人だ。もっとも二人ともに貴官の顔見知りだろうがね」
「…む」
シロッコの背後に立つ影が、いつの間にかユニ以外に今一人増えていた。
「よう、吸血鬼」
「やはりまた会うことになったな。名を聞いてもいいかね」
「名乗ると思うかい?」
「お前が現れるからには、私を生かして返すつもりはあるまい。生かして返すつもりがなければ、私が名を知ったところで死人に口なしとなるだろう」
「お前さんが言うと一理あるように聞こえるな。じゃあ一応、ブーンと名乗っておくよ。こう見えて、ジオンの北大西洋特殊工作機関を任されているもんだ」
「むう」
地球連邦軍潜水艦隊司令とジオンの工作員が同室し、それについてユニが全く驚く様子が無いという事態に、シロッコは唸る。
ディセンベルク司令とブーン工作員は一体何時から、こうして共に在るのか。
それは果たして、ディセンベルク司令とブーンだけの繋がりなのか。
ディセンベルク司令だけが例外なのか、それとも同例が他にもいるのか。
何れにせよ、ジオン工作員の伸ばす菌糸が、地球連邦の奥深くにまで達しているのは確かなことであった。
「シネマを好むと言ったな、シロッコ特佐。映画「Uボート」の主人公たる歴戦のサブマリナーが、どういう結末を辿ったのか知っているかね」
「……存じているよ、司令。彼らは死んだ」
損傷を受けながらも全知全能を振り絞り、ドイツ本国にまで辿り着いた彼らは、英雄として母港の兵士たちから歓待を受けていた。その時、連合国の爆撃があり彼らは戦場の露と消えた。
潜水艦と共にあったときにはあれほどに不屈であった彼らが、陸でいともあっさりと、何の抵抗も出来ずに折り重なって死んでいったのだ。
「陸に上がった潜水艦乗りとはあのようなものだ。我らは陸では生きられぬ。むろん、宇宙でもだ」
「海で生きればいいのだ、司令。これより先、連邦軍はあなた方潜水艦隊の力を必要とする。遠からず地球降下を敢行するであろう、ギレンの野望に抗うために」
「特佐の発言は論拠を欠く。連邦は講和を優先し、ジオンも渡りに船とこれに乗るだろう。ジオンに継戦能力は乏しいと、私は見ている。決裂したところで、ジオニスト共がこの上戦場を拡大するとは思えぬ」
「貴方のこれからの行動が、ジオンの継戦能力を大幅に引き上げることを考慮に入れるべきだ、ディセンベルク司令。もしこのシロッコの見立ての通りなら、ジオンはあと十年、いや百年戦える」
「ほう」
「紹介出来る同志は二人、と言ったな司令。他にも同志は居るのだろう?」
にぃ、と司令は牙を剥いた。嗤ったのだ。
「それについては紹介することが出来ない。彼らはこの後の航海の為の配置に付き、基地には残っていないからな。さて、今より私も、彼ら同志のもとに赴き指揮をとらねばならん。訣(わか)れの時だ、特佐」
「この後百年続くであろう宇宙擾乱を、止めることが叶わず残念だ」
嗤った顔のままに、ディセンベルク司令は踵を返す。
司令の歩む先には、ジオンの制海権奪取の切り札たる水陸両用MS、ゴックの16メートルの巨体が、黒々と影を落としている。
「じゃあな、吸血鬼」
見送るシロッコを後ろから追い越す形で、ジオンの工作員ブーンが司令に続く。シロッコの背後を取ったにもかかわらず、何もなさなかったのである。
今やシロッコに、彼らの背に投げる言葉はない。
無言で見送るのみであった。
MSゴックの腹部にはハッチが解放されており、そこから自動巻き取り式の梯子が降りている。大方そこに操縦席があるのだろう。ディセンベルク司令と工作員ブーンがそれに捕まると、梯子は巻き取られていく。
「ああ、そういえば一つ、聞き忘れていたよ、特佐」
「何かね」
両者の距離はすでに、会話には遠い。
よってかなり声を張らねばならなかった。
「貴官は以前、ジオン・ズム・ダイクンを毛沢東に、A.ミノフスキー博士をライプニッツに例えたな。ギレン・ザビをヒトラーではなくナポレオン、と」
「ああ」
「ならばお前は何者と例えられるべきなのだ、パプティマス・シロッコ特佐」
「……ミシェル・ド・ノストラダムス」
これがシロッコの答えであった。
「ノストラダムス……旧欧州の預言者だったな。ではゴップ兵站本部長に伝えてくれ、預言者よ。海はジオンに付くとな」
司令とブーンがハッチに呑み込まれると同時に、MSがその巨眼を開いた。
単眼であった。
「殺すつもりではなかったのか」
ゴックの蹴立てた水しぶきに我が衣服を濡らすに任せ、シロッコは独語する。
初めから殺すつもりはなかったのか。それとも話すうちにその気がなくなってしまったのか。
あるいは会話の端々から、連邦政府との繋ぎに使える人間なのではないかと考え生かしておくことにしたのかも知れない。もしウィルム・ディセンベルクがそのつもりならその役回りを果たしてやっても良いように、シロッコには思えた。
もしそれが去りゆく海の男への惜別の情であるとするならば、珍しいことだ。あの男を失うのは惜しいとすら、今シロッコには思えていた。
「……さて」
ディセンベルク司令と工作員ブーンが去った海より、丘の方を顧みてみると、彼らに取り残された女性下士官が立っていた。
「君は連れて行ってはもらえんのかね、ユニ伍長」
「私には果たさなければならない任務があります」
ユニ伍長は既に、諸手で拳銃を構えていた。
「銃の撃ち方は分かるのかね」
「馬鹿にしないで下さい。私だって軍人です。訓練は受けてます」
「人を殺したことは」
「ありません。だけど私、貴方を人とは思わないことにしました」
ずぶの素人、という構えではないが、それだけだ。的に当てることは出来るのだろうが、的が動き回るとすればどうか。
「どちらにしろ、銃は困るよ。第一に君に抵抗しようと考えた場合、私には手加減が出来ない」
「……覚悟は出来ています。司令だって、本当に私に人殺しが出来るなんて思ってないでしょうから、返り討ちになったって驚かないでしょう」
「それも困る。第二にこの私が、女人に手を上げることは思想信条上不可能なことだからな」
「……どういうことですか?」
「言わなかったかね。これより先、人類の支配は女人によって行われるべきだと。このシロッコは、あらゆる女人に仕える身であると」
「それは、憶えてますけど」
「よって私、このパプティマス・シロッコは君が撃つと言うならば撃たれなければならない。殺すというならば殺されなければ不忠となる。私とて惜しむ命は在るが、そう在らねば私自身に折り合いが付けられないのだ」
数瞬ユニは、呆れ果てて言葉を失っていた。
「……ようするに。女になら誰にでも殺されてもいいっていうんですね。女なら誰を抱いてもいいって思ってるのと同じで」
セリフの途中で、呆れた表情が、明らかに別のものへと塗り替えられていく。
怒りであった。ユニ・マリエ伍長は明らかに怒っていた。
「……そういうことになる」
シロッコがそう答えた瞬間、撃鉄が落ちた。
ユニが引き金を引いたのだ。
銃声はあっけないほど小さかった。
排莢されて飛んだ薬莢が、涼やかな音色を奏でて落ちた時には、ユニは己が何をしでかしたのかを思い知っていた。
「ぬ…ぐ…」
低い呻きはシロッコのものだった。
命中したのだ。
慄然とわが手を見つめたユニは、次の瞬間には手の内にあった銃を、火でも掴んだかのように投げ捨てて居た。
軍人は銃を携えるが、引き金を引けと命じられぬ限りは撃つことはない。近代的な軍においてそれを命じるのは上官であり、上官を任命した軍司令であり、軍司令を任命した為政者であり、為政者を選んだ国民なのだ。
しかるに今己は何をしたのか。
怒りによって引き金を引きはしなかったか。
もしそうならば、それはプロキラーたる軍人の矩(のり)を著しく超えたものだ。そう、己は私怨により殺人を犯したのだ。
「……っ!」
駆け寄ったユニは、銃を捨てた手でシロッコを抱き起していた。
「何故です! 避けられたはずです!」
「……言ったろう。君が撃つというなら、撃たれなければ不忠だと」
「……!?」
出血がないことに、ユニは気づいた。
拳銃弾は命中はしたが、何者かに阻まれていたのだ。
「……私の軍服は特注品でね。9ミリ軍用弾に抗弾する能力を備えている。……とはいえ、自分で試したのは初めてだ。カタログデータに偽りありだな……」
咳き込んだシロッコの口の端には血が付着していた。
弾丸は止まったが、臓器か骨格、あるいはその両方に破壊をもたらしたのだ。
「君の銃が官給品で良かった。この分なら、特殊部隊の使う8ミリ高速弾なら貫通だろう。いや、そうでなくとも頭に当たっていたら即死だったか……」
「貴方は、本当に……」
本当に、撃たれてやる気だったのか。
正気なのか。狂気の沙汰であるのか。
この男はいったい何者であるのか――
「さて、どうやら私は動けぬようだ。今度こそ止めを刺したまえ。ああ、もちろん、頭を狙いたまえよ、伍長」
痛みにたどたどしいシロッコの言葉に、ユニはかぶりを振る。
「……できません」
「私を人と思わぬことにしたのではないのか」
「そうじゃなくて……出来なくなったんです」
ユニの視線の先には海があった。
先ほどジオンMSを呑んだ海面に、小さな波紋がまだ残っていた。丁度拳銃ほどの大きさのものが落下したら、あれくらいの波紋が生まれるだろう。
どうやら投げ捨てた銃はイレギュラーバウンドを起こし、海の藻屑となったらしい。
「なるほど。……ん? おい、何をする」
「ここを離れます」
ユニがシロッコを引っ張り起こす。当然ながら、シロッコは呻く。立って歩ける傷ではないのだ。
「司令が母艦についたら、ここは巡航ミサイルで攻撃されます。その前に安全なところに逃れます」
「君一人で行けばいいだろう。君が殺そうとした私を、連れていくことはない」
「殺せませんでした」
「まだ遅くはあるまい。ここに置いておけば私は死ぬ」
「置いてけば、殺すのと同じってことですよね。でも私、もう一回殺せと言われても出来そうにありません。殺すことが出来ないなら、助けるしかないじゃないですか」
「伍長、君は……」
「さあ、頑張って歩いてください。不死身の吸血鬼なんでしょ?」
ニンマリとユニは笑った。
殺しても連れていくつもりの顔であった。
「……このまま死んだ方が楽そうだが、そういうことなら仕方がない。仕返しされておくとしよう」
「さあ、行きますよ」
そのようなことを言いながら、のろのろと二人は歩んでいく。
海底より炎の矢が舞い上がったのは、二人のやりとりより数分後であった。連邦の敵に使用されるべき潜水艦搭載型高性能巡航ミサイルが初めて使用されたのは、味方であるはずの連邦軍基地に対してであった。
十余条を数えた紅蓮の矢に、北洋の軍港は炎に包まれていく。
***
「どうだい、我が家を我が手で焼く感想は?」
「我々マリナーにとって我が家とは、我が艦のことだよ。それが分からぬお前でもあるまい」
戦果確認を終えたディセンベルク司令は、電子潜望鏡の取っ手を折りたたむ。
「我が艦隊の全ての艦は、無回収でもMSを運用が可能だ。おめでとう。ジオン公国は海を手に入れた」
「そりゃどうも」
ディセンベルク司令より差し出された掌を、工作員ブーンが握り返す。
「ズム・シティのお偉いさんもお喜びだ。……ところで、MSと入れ替わりに降ろした核兵装はどうなさるおつもりで?」
「さてな。ジオンが連邦のように、我らを捨てないと確信出来たなら、その時伝えよう」
「なるほど」
「さあ、帰るぞ。今より深淵こそが我らの故郷だ」
後に「マッドアングラー」の艦名で呼ばれることとなるディセンベルク潜水艦隊旗艦に続く原潜は、実に十六艦を数える。その全てが戦略核搭載型潜水艦であり、核兵装の行方は一年戦争終結後も知れなかった。
これより地球連邦政府は、見えぬ深海に潜む反連邦勢力に怯えながらの政権運営を強いられる。ジオン残党は幾度も陸に上がって連邦に牙を剥いたが、徹底した掃討がなされることはついになかった。
今まさに地球圏は、百年の永きに渡る戦乱の渦中へ引きずり込まれつつある。彼らの艦隊こそは、その水先案内人であった。
***
一年戦争を物量を持って勝利したと云われる地球連邦軍の兵站を、戦中戦後を通して一手に引き受けたとされるゴップ大将の評判は、紛れもない勝利の立役者であるにも関わらず、はかばかしいものではない。
戦中一度も前線に出ることなくジャブローの穴倉に潜み、兵が血と汗を流している間あまたの美術品を収集し、美男美女に軍服を着せて侍らせ、太鼓腹を揺らして歩む姿は軍の腐敗に軍服を着せ勲章で飾ったようだと噂される、これらは彼を知る兵士達の大方の印象であろう。
「そうか。ディセンベルクは行ったか……この先奴は、暮らし豊かではないかも知れないが、誇りと共に在るであろうな」
地球連邦軍大西洋潜水艦隊の「消滅」とジオン潜水艦隊の「出現」を報告したシロッコに対しての、ゴップ兵站本部長の答えはこのようなものであった。
驚く気配は一切感じられず、シロッコの察した通り予期していたのだとすれば、やはり食えぬ男であった。
「シロッコ」
「は」
「何か言っていなかったか? ディセンベルクは」
「……言っておりました。『海はジオンに付く』と」
「……そうか」
ルウム戦役に敗れた地球連邦は既に宇宙を喪失している。
連邦政府議会は講和派が大勢を占める。コロニーがオーストラリアに落ちて以来、戦争を続けるには余りにも多くの同胞を失いすぎた。
何を置いても先ずはこの戦争を停止するべきだ――この論調は非常な説得力を持って、連邦議会を圧しつつある。
この上さらに制海権すらジオンに奪われたまま講和すれば、今後の宇宙でイニシアティブを喪失するだろう。ジオンのこの上もなき勝利と言える。
「一戦一勝、即講和……これがジオンの取るべき常識的な戦略だ。しかしお前の言う通り、ジオンの総帥はそう思ってはおらぬようだ、儂と同様にな。さらなる犠牲を払っても、地球の勝利でこの戦は終わるべきなのだ」
「は」
「ジオンは戦争を続ける算段を怠っておらぬ。これで議会も、レビルの新しい玩具に付ける予算を承認するはずだ。程なく我々は、新たな姿の地球連邦軍を手にすることになる。それによって我らは勝利するのだ。……さて、シロッコ」
「……は」
「ディセンベルクの同類が、まだ連邦にはいると思うかね」
「ディセンベルク司令は前例を作りました。後に続く者は居るでしょう」
「そうか。ならば手配をしておくとしよう」
俗物を絵に描いたようなこの男の内に軍人を見るのは、時折見せるこの眼光であった。
「敵中に在っても何処かに味方は居るものだ。味方の中にも必ず敵が潜むのと同様にな。ディセンベルクには、敵中の味方となってもらう。奴とて、海の滅びは望むまい。……シロッコ。お前には新たな任地に赴いてもらう」
「……は」
「とはいえ、未だ傷も癒えまい。補佐を用意した。入り給え」
「入ります」
インカム越しの音声とともに、先ほどシロッコの入ってきた扉が開く。
「君は……」
「ノストラダムスって、ノートルダム、つまり聖母マリアって意味だったんですね」
入室してきたのは、シロッコの知る人物であった。
「ユニ・マリエ伍長、これよりパプティマス・シロッコ特佐の補佐を拝命致します。よろしくお願いしますね、預言者さん」
敬礼しつつ、ユニ伍長が微笑む。ニンマリ、といった感じの例の奴だ。
視界の隅では、ゴップ本部長が似たり寄ったりの笑みをニンマリと浮かべている。
(つくづく、食えぬお人だ)
極々珍しいことに、自称預言者の答礼は、吐息混じりあった。
了
ここまで読んで下さりありがとうございました。
もし戦場の絆をプレイしている方がいらっしゃいましたら、何処かの戦場でお会いしましょう。