生まれも育ちも港町であったユニ・マリエ伍長にとって、ジャブローは初めての土地であり、見ること聞くこと驚きの連続であった。
世界最大の湿地の地下に広がる大空洞に建設された基地は、軍事施設というよりももはや小さな都市であり、衣食を扱う商業施設や映画館などの娯楽施設、果てはグラウンドまであり、有志による社会人野球チームまであるというから恐れ入る。
数万人が起居する地下道というのも驚きだが、最初に足を踏み入れた時、天上からつららの様にぶら下がる建物には心底びっくりしたものである。
「驚きましたね。いきなりなんだもの」
そんなユニ伍長もジャブローに配属となって一月、大分慣れてはきたがやはり、相も変わらずここは驚きの宝庫であるようである。
「兵站本部長閣下もお人が悪い」
シロッコらの寄宿舎は司令本部庁舎よりは離れており、そこまでの道すがらを、シロッコとユニは肩を並べて歩む。
「全くです。兵器開発局なんて畑違いもいいところですよ」
「いや、あながちそうでもないな」
「え!? そうなんですか!? 開発局に在籍したことがあるなんて初耳です」
「いや、ない」
「ええ?」
「兵器開発局に在籍した経験はない。製図も電子工学も学んだことはない」
「じゃ、素人じゃないですか! そんなんでバリバリのエリートが専門知識を絞った最新兵器のトライアルに参加しろなんて――」
「確かに専門の知識はないが、このシロッコは知の根源に通じている」
「知の、根源?」
「数学も電子工学も語学も、太古は一つの学問だったのだ、ユニ伍長。レオナルド・ダ・ビンチが発明家にして技師にして画伯であったように、ライプニッツが数学者にして哲学者であったように、知は根源において繋がっているものだよ」
「はあ…」
「これを機に、MSとやらを図面に起こしてみるのも一興かも知れんな。そうすることによって、地球圏で何が起こっているのか、新たに見えてくるものがあるかも知れん。このシロッコもまた新たな境地を開けるというもの」
「なるほど、わからん」
とは口に出さなかったが、少なくともユニ伍長が、シロッコの常識に対し諦観の境地に達しつつあるのは確かであった。
(あ…あれは…)
上司とのおしゃべりを早々に見限ったユニは、ふと施設の一角へと目を止める。
軍事基地であるジャブロー基地内ですらめったに見ないほど大型のトレーラーから、今まさに覆いが取り払われつつあるのである。
「あれは…!?」
取り払われた覆いの下から現れたそれは、地球連邦軍兵士の誰もが見聞きして知っているものだった。それも、死神の代名詞として。
「ザク! ジオンの、ザク!」
「連邦軍諸兄にもその名で呼ばれるとは実に重畳!」
これは、シロッコではない。
そのザクのコクピットから現れた兵士の言葉であった。
(…ジオン兵!?)
そう。兵士であった。それも連邦兵ではなかった。兵士は、ジオン公国軍のノーマルスーツを着用していたのでる。
(敵だ!)
ユニは勇敢にも腰に拳銃を探したが、MSに対し有効な火力ではないことは明らかであった。
(どうしよう…どうしたら…)
凍り付くユニの肩をポンと叩いたのは、彼女の補佐の対象であり、引いては護衛の対象とも言える上司シロッコである。
「心配は無用。彼はジオンだが、敵ではない」
「シロッコ特尉?」
「おお珍しや。そこにおるのはパプティマスの坊やではないか。北洋に飛ばされたと聞いたが、こっちに帰ってしかも、番犬まで飼っておるとはな」
「ば、番犬!?」
憤然、それは私のことかと食ってかかろうとしたユニを制して、シロッコは挙手礼を行う。
「お久しぶりです、ガイストハルト亡命将校。いつからこちらに?」
「御覧の通り、たった今よ。貴軍でもMS開発を検討するということでな。兵站本部長殿よりたってのお招きだ」
「確かに、貴官を招かぬわけにはいかんでしょう」
「番犬。番犬だなんて。でもそれ以前に!」
「どうした、ユニ伍長」
「ジオンです! ジオン兵です! それも武装しています!」
「ああ、そうだな」
「そうだな、ではありません! 退避です特尉!」
「その必要はないよ。繰り返すが、彼はジオン軍であっても、敵ではない」
「…ええ?」
「紹介しておこう。こちらはガイストハルト・クライスト亡命将校。我が軍での待遇は、大佐で在られる」
「亡命将校…?」
「そうだ。地球降下作戦のタイミングで、連邦に亡命された。連邦軍にも離反する者が居るように、ジオンもまた一枚岩ではないということだ」
「異なことを言う。ジオンは一枚岩だし、この俺も連邦に降ったわけでも、亡命したわけでもない」
「…???」
ユニは、話が噛み合わない上官とジオン兵を見比べるばかりである。
「そうでしたな、突撃機動軍大佐殿。貴方は未だ、ジオンの将だ」
「兵を持たぬ俺が、将というのもあれだがな。ともかくこの俺は、ジオンの卒としてここにいるのだ」
「…どういうこと? いったい、何のために?」
ユニの疑問は当然である。大佐、という階級はそうそうなれるものではない。ことにジオン軍における大佐は、方面軍司令、連邦においては少将と同等の権限を与えられる存在のはずであった。
ガイストハルト亡命将校は40歳以上には見えず、年齢に比して十分に栄達していると言える。その身分を捨てて連邦に身を置くわけとは何なのか。
「よくぞ聞いたな、番犬!」
しかし、ガイストハルトがこう言った瞬間、聞かなきゃ良かったとユニは後悔した。
「俺が今ここに在るは、失われつつあるザクの精神を取り戻すためよ」
「ザクの…精神?」
「ザクの精神だ。公国の精神、と言い換えても構わん。我が公国は本大戦に勝利するが、勝利はザクによって為されなければならん。そうでなければ勝利は勝利ではない。いや敗北と言っても良い」
ちょっとこの人、何を言っているんですか意味わかんないと、ユニは傍らの上司の袖を引っ張って説明を求めるが、シロッコは意味不明の笑みを浮かべるのみで何も言ってはくれない。
「分からぬか。公国はザク以外のMSの開発に手を染めたのだ。ザクより高性能で高額なMSの開発にだ」
「新型MS!?」
「そうだ。新型MSだ」
「聞き捨てならない情報です! 聞きましたか特尉!」
「聞いている。既にな」
「すでに?」
「そうだ。亡命大佐が今言った情報の詳細は既に、連邦軍にもたらされている。現在軍情報部が分析を進めているところだ」
「は、はあ…」
「言っているだろう、伍長。彼はジオンだが、敵ではないと」
どうやら、シロッコとこのジオン兵には相互理解が存在するらしい。そしてそれは、ユニの常識を超えているものらしかった。
「ところでガイストハルト亡命将校殿。貴官も参加されるという連邦軍MS開発プロジェクトに、私も参加する運びになりました」
「それは初耳だ」
「そうでしょう。私も今しがた、兵站本部長に申し渡されたところです」
「寝耳に水、足元から鳥か。そんな有様でプロジェクトに参加して何をするつもりだ? まさかお茶くみをするわけでもあるまい」
「ギレン総帥のMS構想と勝負せよ、と仰せつかっています」
「なに?」
「ジオンのザクに勝利せよ、と。どうやらそれが今回の兵站本部長のお言いつけということになるようです」
「ほほう」
亡命将校はニンマリと口角を上げた。
「面白い。では坊やと俺は、ライバルというわけだ」
「どうやらそのようです」
呵々、と亡命将校は哄笑する。
楽しくてたまらぬ、という風であった。
「MSザクは公国そのもの。見事勝利してみろ、パプティマス坊主。その暁には…」
「その暁には?」
「お前こそが、ギレン総帥に代わる、宇宙の支配者だ」