いいんだよ好きなんだから。
月の霊子虚構世界「
なぜなら聖杯戦争に参加しているアタシ達の身体は自身の精神や魂といったものをデータの入れ物に押し込んだ仮想体であるからだ。
眠っている間に見る夢は脳が作り出す情報であり、そしてその脳が仮想体には存在しない。
足のない者が歩けないように、口のない者が話せないように、脳のない者が夢を見ることはできないのである。
神代の英雄が聖杯をめぐって戦ってるもろファンタジーな空間の割には夢のない話っスよね。
いっそのことアタシが聖杯戦争に参加してるところから夢だったらよかったんだけど。
さて、ではアタシが見ている
そう思いながら肩をすくめつつ周囲を見回わした。
清潔感の漂う白い床を蛍光灯が照らしている。
壁際にはなにやら薬の入った棚や、身体測定用の器具などが並んでいた。
部屋の一部を仕切るカーテンには染みひとつなく綺麗で、その向こうにはこれまた丁寧に整えられた真っ白なベットが見える。
アタシが月に来てから何度も目にしている光景なので間違いない。
どうやらここは月海原学園の保健室のようだ。
第二回戦の猶予期間3日目の夜。
今日も今日とて食堂でコキ使われたアタシは、マイルームに帰るなり日課のスレ監視と夜のお菓子もキャンセルして眠りについたはずだった。
そして気が付いたらここにいたというわけである。
そういえば前もこんなことがあったっスね。
以前眠っている間に見た夕暮れの校舎での出来事を思い出す。
そこにはアタシの姿をした「ジナコ」が現れ、倒れていた ”誰か” とそれを介抱しようとしていた ”誰か” に巻き込まれ、保健室に連れ添っていったところで終わったはずだ。
そしておそらく今回もあの時と同じことが起こっているのだと確信する。
なぜなら
『あ~も~どうしてこんなことになったんスか~』
アタシの目の前に椅子に座りながら盛大にテーブルに突っ伏している「ジナコ」がいるからだ。
『そりゃジナコさんは一応ここの臨時教員っスけど、保健室の先生をやらされるなんて聞いてないっス。おのれ藤村め。確かに職員会議を全部ブッチしてたアタシもちょっとは悪いかもっスけど、いない人間をめんどい役職に推薦するとか教師のやることじゃないっスよ……』
アタシの目の前で「ジナコ」は気だるげにぼやくとテーブルに置いてあった湯呑に入ったお茶をすする。
向こうからアタシは見えていないようだ。
ためしに近くの花瓶に腕を伸ばしたが手は花瓶に触れることなくすり抜けた。
どうやらここではアタシはただの『観客』らしい。
『男の君なら藤村先生のようなセクシーダイナマイツな先生が保健室にいた方がいいっスよね? 尼さんみたいな恰好してるから怪我がひどくて死んじゃってもバッチリ念仏唱えてくれそうだし。肉食っぽいから2人きりの保健室でイケナイ個人授業なこともあるかもしれないっスよ?』
よく見ると「ジナコ」とテーブルを挟んだ向かいにも湯呑が2つ置いてあった。
しかし並んだ2つの椅子には誰も座っていないように見える。
「ジナコ」は正面の誰も座っていない椅子に向かってからかうように言った後、今度はその隣の椅子に目を移すとおびえたように体をのけぞらせた。
『じょ、冗談っスよ。冗談だからその「殺っちゃいますよ」的な黒い笑みを今すぐひっこめてほしいッス。それは女の子がしていい顔じゃないっスよ。大体どうしてアンタの方が怒るんスか全くもう……』
そう言って誰も座っていない椅子を前に「ジナコ」はガクブルしている。
なんか一人芝居してるみたいっスね。
誰もいない保健室でエア友達に話しかけるアタシ。
どこぞのラノベヒロインかと。
やばい、死にたくなってきたっス。
アタシは目の前で展開される黒歴史に頭を抱えたが、「ジナコ」の表情や仕草は実に自然で一人芝居をしているようにはとても見えない。
もしもアタシにあそこまでの演技力があれば、15年間ニートなんかやってないっス。
女優か声優にでもなって某お笑い芸人のバラエティーに出演したり、魔法少女の声でもあててるところっスよ。
となぜか頭に浮かんだ妄想を頭の隅に追いやりながらテーブルに視線を戻す。
どうやらアタシに見えないだけで「ジナコ」にはそこにいる ”誰か” が見えているらしい。
話の内容からして正面にいるのが男でその隣に女が座っているようだ。
今のは正面に座っている ”彼” をからかったところをその隣に座っている ”彼女” に怒られたのだろう。
しかし分かるのはそこまでで座っているのが誰なのかは当然分からない。
『まぁ誰か怪我人が来たらそっちに任せるっスよ。今度からはノートPCでも持ってくるっス。あ、ここちゃんとネット繋がるっスよね?』
そう言って右手で頬杖をつく「ジナコ」を見ていたアタシはその姿に違和感を覚えた。
目の前の「ジナコ」には何かが足りないような気がしたのだ。
そして違和感の正体に気が付いたアタシの目は、頬杖をついたその右手に吸い寄せられる。
そこには令呪がなかった。
アタシは自分の右手を確認する。
そこには一つ使用して2画になっているが、聖杯戦争に参加するマスターの証である令呪が確かに刻まれている。
ならば目の前にいる「ジナコ」にはなぜ令呪がないのか。
やっぱりこれはそういうことっスかね。
アタシは前回から感じていたことが正しかったことを確信する。
もしこれが夢なのだとしたら少々の現実との食い違いは納得できる。
月海原学園にいる「ジナコ」の右手に令呪がなかったとしても「まぁアタシの頭が書き忘れたんだろう」で終わる話だ。
だがこれが夢という空想の産物ではなく事象を記録した映像だと考えるのなら話は変わってくる。
月海原学園にいる「ジナコ」にどうして令呪がないのか。
それはこの「ジナコ」がまだ予選を通過していないからだ。
つまり今見ているのは聖杯戦争予選の映像であり、そこにいる「ジナコ」は予選の時のアタシというわけである。
1度目の時は確信が持てなかったが、今見ているのはアタシが思い出せない予選の時の記憶で間違いないというわけだ。
となると次に気になるのは……。
『でも保健委員が君達で本当によかったっスよ。昇降口でのことといいなんか縁でもあるんスかね。これが顔も知らない人間だったら一緒の部屋に放り込まれた時点でジナコさん窒息してたところっス』
アタシは「ジナコ」が話しかけている2つの椅子に目を向ける。
気になるのはこの椅子に座っている2人が誰なのかということだ。
昇降口でアタシと出会った2人。
1人が男で1人は女。
保健室の女というと一番最初に思い浮かぶのはカレンだ。
ということは女のほうはカレンなのだろうか。
いや、なんかそれは違う気がするっス。
アタシはもう一度周囲を見回しながらその考えを否定した。
確かにここは月海原学園の保健室だ。
しかし、カレンがいた保健室とは全く雰囲気が違う。
テーブルにかけられた可愛らしいクロス。
先程アタシが触れなかった花瓶には清楚な花がいけられている。
奥の棚の上ではお茶を出す時に使われたであろうポットがコポコポと優しい音をたてていた。
部屋の雰囲気はその主に似るものだ。
アタシの部屋が布団敷きっぱなしの汚部屋なのは置いておくとして、この部屋の主は可愛らしく清楚で優しい性格にちがいない。
この部屋の主とカレンの人物像は月とすっぽん、聖女と魔王、某ハーレム吸血鬼とワカメくらいかけ離れている。
『お茶とお菓子は用務員室よりこっちの方がおいしいし、しばらくはこっちで過ごすのも悪くないかもしれないっスね。というわけでこれからよろしくっス――――と――――』
そう言った「ジナコ」の言葉は最後まで聞き取ることができなかった。
急速に周囲の景色が歪み、それと共にアタシの意識が遠のいていく。
ぼやけていく視界の中で「ジナコ」はなおも話し続けている。
向かいの2つの椅子には確かに ”誰か” が座っているのだ。
「君達は一体誰なんスか……」
意識が闇に沈んでいく。
アタシの発したつぶやきもまた意識の闇に溶けていく。
『やはり完全に封じるのは無理ですか。ならば全てを思い出す前に……』
聞き覚えのある声が頭に響いたのを最後にアタシの意識は完全に途切れた。