まぁ、たまにはな。その分この先で苦労してもらうけど
ファッ!?
月海原学園の保健室で2つの人影が無言で向かい合っていた。
清潔感の漂う白い床を蛍光灯が照らしている。
壁際にはなにやら薬の入った棚や、身体測定用の器具などが並んでいた。
部屋の一部を仕切るカーテンには染みひとつなく綺麗で、その向こうにはこれまた丁寧に整えられた真っ白なベットが見える。
しかしここは ”彼女” を主として聖杯戦争のマスター達を陰ながら支えてきた空間ではない。
中央のテーブルにかけられているのは血を思わせる真っ赤なクロス。その上には飲みかけのティーカップが置かれている。
室内に花などの生気を感じさせるものは一切なく、ところどころに置かれた銀製の燭台が放つ鈍い光は部屋の冷たい雰囲気に拍車をかけていた。
”彼女” が去り新しい主を迎えた保健室はまるで凍り付いたように静まり返っている。
「さて、どうしてここに呼び出されたのか分かっていますよね?」
先に沈黙を破ったのは人影の片方である漆黒の修道服を纏った銀髪の少女。
現在この保健室の主であるカレン=オルテンシアだった。
「2回戦の猶予期間も今日で4日目だというのにその間全く例の件の報告がないというのはどういうことなのかしら。あなたは言われたことすらできない無能だということですか?」
明らかに不機嫌な声が少女の口放たれる。
その原因は彼女の正面に立つ一人の男だった。
「少しは大目に見てもらいたいものだな。なにしろ初めての仕事に慣れるので精一杯でね。おまけに手のかかる従業員まで押し付けられたとあっては業務に支障がでるのはやむを得ないことだとは思わないかね?」
壊滅的に似合っていないコック服に身を包んだその男、言峰綺礼はカレンの刺々しい言葉にも全く動じることなく皮肉まで混ぜて返答する。
全く悪びれないその態度にカレンの頬がピクリと引きつった。
「自分の立場が分かっていないようですね。料理人の仕事に不満があるのなら明日からは校舎のトイレ掃除を担当してもらってもいいのですよ」
「それはいいな。私がトイレ掃除担当となった暁には全ての便器を完璧なまでに磨き上げ、ウォシュレット諸々を完備し最高の空間を作りあげてみせよう。もちろん使用する側にも相応の資格が求められる。数々のトラップを突破し最後にトイレの番人たる私を倒した者だけが至高のトイレで用をたすことを許されるのだ。どうかね?」
「私でも思いつかないような虐待トイレの構想ありがとうございます。今すぐ死んでください」
脅し文句にもまるで堪える様子がない言峰にカレンの機嫌はますます悪くなっていく。
彼女が他人に対してここまで感情をあらわにするのは珍しいことだった。
早く要件を済ませて言峰をここから追い出したいカレンは仕方なく話を先に進めることにする。
「……もういいです。これまで報告がなかったことは水に流しましょう。では改めて今ここで私が頼んだ件の報告をしてください」
言峰は苛立ちを抑えながら話を戻そうとするカレンを見て楽しそうに唇を歪める。
「寛大な処置に感謝しよう。ではまず学生食堂の売り上げだが1回戦の時と比較して約300%増となっている。これにより我が食堂部門の営業成績は売店部門を抜いて1位となったわけだな」
「ええ、それから?」
「次に今後の営業方針だがキャンペーンマスコットの導入、新メニューの追加、従業員の教育強化によるサービスの向上などを考えている。2回戦終了まで我が食堂部門は成績トップを譲らないことを約束しよう」
「……ええ、それから?」
「従業員から不満の声があがっている。曰く『いくらなんでもこき使いすぎっス! 1日だけでもいいんでお休みくださいなんでもしますから』だそうだが、まぁどうでもいいことだったな。この件は聞き流してもらってかまわない」
「…………ええ、それから?」
「オーナーとして一度食堂の視察に来てはどうかね? 私の特製麻婆豆腐で存分にもてなして――――」
「いい加減にしてください!!」
いつまでも『本題』に入ろうとしない言峰にとうとうカレンが叫んだ。
彼女の周囲に聖骸布が展開し攻撃態勢に入る。
命じればすぐさま目の前の男を拘束し、場合によっては絞め殺すだろう。
「あなたわざとやっているでしょう! これ以上はぐらかすつもりなら縛って吊るして踏んづけますよ! ていうかもう殺します絶対!!」
「そう興奮するな。今やお前はこの月海原学園における最高権力者だ。食堂の料理人ごときに熱くなることもあるまい」
その最高権力者に威嚇されているというのに言峰は面白そうな笑みを浮かべている。
ついにカレンの怒りがレッドゾーンを突破した。
展開していた聖骸布が言峰に向かって放たれる。
涼しい顔で身をかわした言峰の背後で身体測定器具が破壊され派手な音をたてた。
口元に浮かべた笑みをそのままに言峰はカレンに問いかける。
「カリギリの記憶が戻るのがそんなに怖いかね?」
「……っ!」
カレンの表情が変わる。
身体測定器具を破壊した聖骸布が彼女のもとに引き戻され再び攻撃態勢に入った。
それを見ても言峰は意に介さず言葉を続ける。
「封印の状況はそちらでもモニターできているのだろう? にもかかわらず私にカリギリの監視を命じて逐一報告を入れさせる念のいれようだ。1回戦で消えると思っていた彼女がどういうわけか生き残り、封印した記憶を取り戻しつつある。お前としては気が気ではないだろうな。カリギリが全てを思い出した時お前は――――」
言峰がその先を言う前にさらなる速度をもって放たれた聖骸布が彼の首に巻き付いていた。
深紅の布がぎりぎりと言峰の首を締め上げていく。
「これ以上戯言を吐くのならここで潰します。圧縮したデータは明日ブタ子さんに焼却炉で焼いてもらうことにしましょう」
「悪かったここまでにしよう。カリギリは記憶を取り戻しつつあるが、その記憶の意味にはまだ気が付いていないようだ。食堂でも質問を受けたが一応誤魔化しておいた。今回の報告はそんなところだ」
言峰は両手を上げて降参の仕草をしながら『本題』について首を絞められながらも淀みない報告をする。
その首から聖骸布を外しながらカレンはため息をついた。
封印の状況はこちらでも把握できるが、それによってジナコが何を見たかまでは彼女には分からない。
故にカレンはジナコの行動を常に監視しなければならなかった。
だから猶予期間1日目にあったジナコからの申し出はカレンにとって渡りに船の事だったのだ。
仕事をさせると称してジナコの行動を縛り、その行動の全てを監視下に置くことができるのだから。
ただ誤算だったのはその監視を自分ですることができなかったこと。
1回戦の後消えたもう一人の監視対象である ”あの女” を探す為、ジナコの監視を目の前にいる言峰綺礼に頼まなければならなかったことだった。
結果として大嫌いなこの男とこうして定期的に顔を合わせなくてはならなくなっている。
『彼女の代役』という呪いから逃れる為可能な限りの権限を集め、この月海原学園で最高の権限を持つに至ったカレンだが状況は全く彼女の思い通りにはならない。
「用が済んだのなら早く出て行ってください。あなたと同じ部屋にいることは私にとって苦痛でしかありません」
「そうさせてもらおう。こちらも今日の仕込みがあるのでね」
そう言って言峰は踵を返すと保健室の扉に手をかける。
部屋を出る途中で彼は一瞬立ち止まった。
「私としては保健室の主は ”彼女” よりお前の方が好ましいと思っているよ」
不意打ちのように残された言葉と共に扉が閉まる。
保健室に一人残されたカレンはその扉を見つめた。
大嫌いなはずなのに。
顔も合わせたくないはずなのに。
なぜかカレンは彼の言葉の一つ一つを無視することができない。
胸に湧き上がってくる感情を必死に否定しながら気持ちを落ち着ける為にテーブルに置かれたティーカップを持ち上げる。
「……余計なお世話よバカ」
そう言って口をつけた紅茶は少し冷めていたがまだ十分暖かかった。
父と娘がイチャイチャする。
ただそれだけの話でした。