……不安だなぁ
物体が空を引き裂く轟音。
イヤホンを両耳に差していた会社帰りの男は驚いた。隙間を埋める密着型のソレで、最大音量の音楽を流していたにも関わらず耳を劈いたのだから。
人の疎らになった帰途で気晴らし途中だった所、気分を害された男は戦闘機乗りの不幸を願った。
それにしたって随分な低空飛行を試みる操縦士がいたものだ。
職場にでも墜ちねぇかなぁ。
サイレンを鳴らして横を通りすぎる救急車に男は合掌した。
新都のビル群の屋上で睨みを利かせる弓兵は気付いた。
背後に現れた人物こそがその騒々しさの主だと。
着地に遅れ、騒音を引き連れて飛来した者へ番えた矢先を向ける。
「……」
常であれば皮肉の一つも投げるものだが、今回ばかりは言葉を失った。
セピア調の砂嵐の内に不朽に輝く日々の
一般人?子孫?魔術師?
排除する人種、その絶対の基準が揺れ動いた須臾を彼女は突き込んだ。
仇なすのならば容赦はしない。
背に広がる夜空へ飛び退き、身を投げ出した弓兵は、矢を引き絞り、放つ。
―――――――――――――――
「っはぁ、ハァ、ハァっはぁ」
足が上がるばかりで前に進んでくれない。胸の付け根は痛むし肋骨の裏辺りも呼吸の度に疼く。
服は肌に張り付き額を伝う汗もなく、咽頭は咳を吐き過ぎたみたい。
今すぐにでも歩みを止めてしまいたかった。
けれどそれは出来ない。間に合うものも間に合わなくなってしまうかもしれないから。
途中目が覚めてしまった私は、予行演習としての偵察を頼んだ結果、一時眼帯を外したライダーと視覚を共有する。
膨大な霊力の発露を感じ取ったライダーがそちらを見た。
英霊とは凄まじい視力の持ち主らしく、間桐邸の天井から柳洞寺から救急隊員と御坊さんに、担架で運ばれる葛木先生と、彼に付き添う素敵な人が見えた。
(あれは…恐らくキャスターですね)
(えっ)
葛木先生達と一緒に救急車に乗り込む、時代錯誤な格好の女性に焦点があたる。彼女は腫らした目許から涙を流していた。
(じゃあ……眼鏡の人は)
(マスター…でしょうか)
葛木先生は上級生に人気のある教師だ。反対に私達下級生には恐がられており、そうでもない。だから言葉をかける機会は職員室で挨拶するぐらい。
けれど日常的に顔を会わせる様な人間が死ぬだなんて、考え付かなかった訳じゃない、その時になって私は実感を伴ったのだ。
(サクラ、あれを)
新都の方で、小振りの花火が上がったのかと思った。
コンクリートジャングルを縦横無尽に駆け巡る大蛇の様に連続する閃光の付近には、人、だろうか。二つの粒が光に見え隠れしていた。
(あれって…)
(弓兵と…何者でしょうか、撃ち合ってますね)
あれは、あの方向には病院がある。
糸屑の様に絡まった感情が胸の内に湧く。
起きようとする体を引き止めた。戦争とはそういうモノなのだ、有志であれば尚更だ、自業自得、やむを得ない。
それなら、と浮かび上がる先輩と姉さん。
初見で特定できる、伝える特徴を考える。
(…赤毛短髪の男性と同年代の髪の長い二つ結びの黒髪女性、見つかる?)
(お待ちを……)
先輩には痣が浮かんでいた。
姉さんは御三家の内の一つ。
前者はとにもかくにも、後者はきっと参加しているだろう。いや、目をそらしちゃいけない、二人が参加している可能性を。
もし、もしそうでなくとも。
傷付いた葛木先生が浮かび出る。
死なないかもしれない。
でも死んでしまったら?
話したら二人は優しいから慰めてくれるだろう。けれど私が誰かを見殺しにする人間だと思われたら?その事を話さずとも、後ろ暗い思いを抱えずに二人と顔を会わせられるのか?
少なくとも私は絶対に、笑顔で誰かを見殺しにしたなんて言えない。
自分が嫌いになりそうだった。
胸の奥でつっかえるモノがあった。
葛木先生と睦まじいだろうあの女性。
別に感謝されたいのではない。
ただこうすれば良かった、ああすれば…。そう、後悔だ。後悔が早くも存在を主張していた。
まだ助けられるかもしれない。
何で助けに行かない?
余分な思考が生まれる前に体を勢い良く起こす。
寝巻きの上からカーディガンに袖を通すとスリッパから運動靴に履き替え外に出る。
「……寒いです」
冬木と言えどもこの季節の冷気に首筋がぶるりと震える。
走れば温かくなる、そう自分に言い含めて駆け出した。
……取り敢えず姉さんの家に行こう。
―――――――――――――――
「サクラぁ!!」
懐かしいとすら言える怒声に体が反応する。気分は悪いことをして見咎められた子供のだけど。
「お爺様から聞いたぞ、何やってんだ!お前!」
自前の自転車をこいで追い付いてきた兄さん。
心配してくれているのだろう。
息を整えてもバツの悪さに言葉が出ない。
「……」
「……」
「帰るぞ、桜」
「ま、待って!」
言わなきゃ。
私の腕を掴んだ兄さんの手を握り返す。
「……」
「……」
何でもいい、出鱈目だって構わない。言え、言え!
「先生…」
「先生が?」
「先生が大変なの!助けなくちゃ!」
「……」
真剣な眼差しの兄さんはじっと私を見て何も言わない。不安がムクムクと膨れる。
自分の行いが親に駄々を捏ねる子供のソレなのは分かってる。やっぱり駄目だったのかな……
「ダメだ、その言葉が本当だったとしてもな」
背筋が冷える。見透かされてた…
「乗れ」
「……えっ?」
そっぽを向いた兄さんがぶっきらぼうに言う。
「行き先は?」
何で?どう言うこと?一体全体わからない。
混乱する私を兄さんが催促する。
「行き先は!?」
「新都の病院の方、です…」
「ふぅん…」
ほら乗れよと言うのでおずおずと兄さんの腰に手を回して二人乗りになる。
「とばすぞ、しっかりつかまれよ」
―――――――――――――――
兄さんの言葉通りの速度で坂道を駆け降りる自転車。
落ちたら只では済まないだろうし、バランスをソレで崩したら兄さんの身も危ない。
がっしり掴まっていると触れ合う体を媒介に前を向く兄さんの声が不意に聞こえた。
「なぁ、桜は何がしたいんだ」
「……?」
「……
私は何がしたいんだろう。
兄さんの言う通りだ。感情の赴くままに出てきたけれど、冷静になるとどうして自分を突き動かす程の衝動が湧いたのか不思議だ。
「それは、先生を…助けたい、から…」
さっきと比べると勢いが明らかに衰えている。
「僕はね、お前はそこまで殊勝な奴じゃないって思ってる」
突然なその言葉に催した反感を口に出す。
「兄さん…」
「まぁ聞けよ。でもな、お前はそうあろうって奴だって僕は思う」
「……どういう、意味ですか?」
「お前は良い人間であろうって奴だってコト。先天性衛宮じゃない、後天性衛宮だ」
「何です?ソレ」
思わず笑いが溢れる。
「笑うな」
兄さんの言うことは違うけれど、全く外れてはいない。
「私は…兄さんの言う通りです。良いヤツでありたいんです。先輩や姉さんに顔向け出来るような」
「…それが先生にどう繋がるんだよ」
「さっき柳洞寺で葛木先生…多分キャスターのマスターが救急車で搬送されていくのを見たんです。ライダーの目を通して」
乾いた空気に良くブレーキの音は良く通る。急に止まった兄さんは私に振り返った。
「お前敵のマスターだぞ!?」
お前は自分の立場を弁えてそんなことを言っているのか。
そう問う兄さんに私は頷く。
「……でその先生は危険な状況下にいるって?」
「搬送先の病院付近で二人のサーヴァントが戦ってるみたいなの」
「ハァ!?馬鹿なのお前?」
お爺様にサーヴァントが如何なるモノかを聞かされた私達の認識はこうだ。
とびきりエゴの強い天災。
お爺様をしてこう言わしめるのだから会えば録な目に会わないだろう事は予想がつく。
しかし災害と災害はぶつかりあうのではなく、合併してより大きな災いとなる。被害を撒き散らす事だけに焦点を当てると、英霊とは正に厄災なのだ。
ライダーと言えどそんな場所に単身では危険だろう。
「ライダーだけじゃ心配だから姉さんや先輩に声をかけようかなって…」
「……待ってろ」
兄さんが電話を掛けるが空しくコール音が響くだけだ。
「家電繋がんねぇじゃねぇか。あークソ、衛宮の野郎…まぁ、いっか。帰るぞ」
手は尽くしたと言わんばかりに自転車を降りる兄さん。兄さんは考えを曲げたのではなかった、最初からこうだったのだとこの時気付いた。
「向き変えるから退け」
「…兄さん」
「……何だよ」
思い出すのは
「…キャスターにとって葛木先生は大事なヒトみたいなの……兄さんはもし私が危険な目にあってたら、どう思う?」
「だから帰るんだよ」
どちらを天秤にかけるまでもないと即答する。私の問い方は卑怯だと思うが、兄さんの答え方もズルい。
黙るしかなくなった私が自転車を降りるとライダーから念話が来た。
(サクラの仰った御二人を見付けました。教会の近くに一人加えて三人でいらっしゃいます。
それとですが、弓兵と争っているのは馬上槍を所持する女性とお見受けします)
馬上槍、女性。
(ランサーかと思われますが…)
(ライダー、その人の髪色は…?)
(はい?……サクラと同じ、綺麗な
実感がまるでない。
(ライダーは戦況と二人の様子を私に報告して、私は先輩と姉さんの所に行きます)
念話を切ると兄さんを呼び止める。
「兄さん、新都の方で弓兵とオルタが戦ってる」
「……ホントか?」
「先輩と姉さんは聖堂協会にいるって」
「うわっ、新都の方の奥じゃないか…急ぐぞ、桜」
はい。
そう言おうとすると目の前に人が降り立った。
「その必要はございません。私はライダーですので」
「ええと…」
話が見えてこない。どうするつもりなのだろう。
「つまりですね…」
「おい!何すんだよライダー!」
ライダーに抱えられた兄さんがママチャリの篭にお尻からダンクされる。彼女は次に荷台を叩いた。
「こういうことです。お乗りください、サクラ」
「ふざけてんのお前?ねぇ?」
「私の騎乗はA+。例えママチャリだろうとWGP覇者に勝る走りをお見せしましょう」
「何ソレ?てかそういう問題じゃないんだけど!?」
お爺様に二人の見張りをお願いすると携帯を閉じてライダーに抱き着いた。
「お願い、ライダー」
「待って、マジでこれで行くの?」
「お任せを、サクラ」
ライダーのペダルに乗せた足がぶれる。瞬間、空気の壁に体を引き剥がされそうになる。
視界を流れる風景が闇色に融けてゆく。
「嘘だろぉぉぉおおおおお!?」
ごめんね、ありがとう。兄さん。
―――――――――――――――
「…」
「どうしたんだ、遠坂」
「アーチャーと念話が繋がらなくて…?」
チリンチリン。教会を出た三人の元に鐘の音が届く。
「とぅっ」
目前の下り坂を跳んで来たのはママチャリに跨がる三人組だ。
月を背景に彼らの姿が目に入る。
自転車とは飛べる物だと言う錯覚を見る者に植え付けた一瞬だった。
「きゃぁぁあああああ!?」
「シンジ、オウチ、カエル」
ドリフト走行から車体を進行方向の垂直に傾けると、タイヤを押し当てられたタイルから黄色い声が上がり、黒い轍が出来上がった。
「…」
「…」
「シンジ、サクラ、御到着ですよ」
鉢から枯れた植物の様に、籠から手足を投げ出す慎二。
女性の背に押し付けた顔を呆けさせる桜。
一人だけ声に喜色を滲ませた色々妖しい女性。
騒然としたお出迎えだ。マスター共々と言うのは身を守る為か、それとも戦う以外の別の企図があるのか。凛は訝しんだ。
士郎は割りとそうでもなかった。級友と殺し合えと言われて躊躇い無く出来るか?出来たらソイツはきっと
「桜?慎二?大丈夫か?」
―――――――――――――――
全身の筋肉が疲労を訴え、吐き気に頭が冷める。
ライダーの運転は完璧だった。故に彼女に張り付けるギリギリのラインを攻められ続けた。責め苦とはこのことか。
ただ派手な登場の甲斐あって一触即発という空気でもない。今がチャンスだ。
二人に敵だなんて思われたくない。でもここまでライダーと来てしまった、後には退けない。兄さんだっている、私は一人なんかじゃないんだ。
何かあったらライダーが私と兄さんを守ってくれる。
お前は他人からの悪評と自分にとって替えのきかない人を天秤にかけるのか?
震える唇を噴き上がる心火で
「…大丈夫です。それよりもです。姉さん」
姉さんの方を向く。
彼女の緩んだ表情が引き締まった。
此処に着くまで何を言ったら良いのか、どんな返事が来るのか、そしたら何と対応すべきなのか、ずっと思索してきた。
けど言うときになれば心臓の爆発に全部消し飛んでしまった。だから私が言えたのはこれだけ。
「オルタが…アーチャーに殺されちゃう…!」
助けてと請う。
対する姉さんの反応は芳しくなかった。
どうして?
不穏な未来への鬼胎が小山を覆う層雲の如く心を蝕んでいく。考えていると姉さんがしかめ面になった。
「ソイツ、私のサーヴァントなのよ。でも連絡がつかないの」
「それじゃあ…」
「今不利なのはアーチャーかもしれないのよ」
―――――――――――――――
車道を挟んで建ち並ぶ摩天楼を並走する。
重機関銃めいた炸裂音を発する豪速の突きから飛翔する魔力の弾丸。
側面を矢で弾くことで悉くを撃ち落とす。
「弓兵に槍を持ち出すかね、それは傲慢というものだ」
「……」
絡繰りが読めてきた。
巧い、そう思う。
扱う技術は魔力放出と魔力凝縮、身体強化、シンプルなモノだ。
槍を砲身に、炸薬と弾丸を圧縮した魔力で補い、無理な出力から来るだろう反動を筋繊維の隙間すら通す魔力操作で損傷無く耐え、魔力放出で勢いを殺し切る。
地味だ、この上無く地味だ。魅せることを考慮しない、殺しに特化した技術は現代の兵器に通ずるモノがある。
だが調節された速度と威力、籠められた神秘の質量は英霊だろうと銃器を前にした一般の人間と変わらない。
(銀の弾丸という訳か…)
正面から衝突すれば矢も剣も打ち砕かれる。
空中に投影し、射出した剣総て迎撃に割いている。
怪奇な迄の彼女の狙いの良さがそうさせるのだ。意表を突いた動きにもぴったりと追随する彼女の様は退路を塞ぐ猟犬だった。
「根比べなら負けないがね…!」
相手の集中力、魔力、或いは体力が切れればこちらの勝ちだ。凜の魔力量は桁外れているが戦いを長引かせる理由にはならない。
陽動を試みれば追い込まれ、後手に回ればより追い詰められる。
なら正々堂々と奇襲してやろう。
――赤原を征け、緋の猟犬――
一様に役目を終えて落ちて行く中、弾の軌道を変えた
速度は音速の六倍。
英霊だろうと駆けるだけでは逃げ切れんぞ。
迎え撃つ時間は与えない。
相手の気の逸れた所へ弾幕の密度を引き上げる。
対応に間に合わないと見て彼女は跳んで閃くと、白銀に赤のラインの鎧を身に纏い槍を構えた。
――
彼女を目に荒れ狂う暴風が矢を藁のように端から吹き飛ばしていく。足許に展開した乱気流で
瞬きの間の事だ。
(出鱈目だな)
だが失策だ、場当たりに過ぎたな。
何故ならソコは私の用意した檻の中だ。
―――
そうして幾百もの刃が突き立てられた。
彼女の背後の空間に。
対象に向かう武器の軌跡を含めてケージなのだ、ソレをずらされては意味がない。
鷹の目を凝らせば見える。
光を歪ます不可視の渦が。
ギチギチと音を立てるがそれだけだ。終いには無貌の闇が見える針の穴に吸い込まれてしまった。
(…吸収の魔術か!)
極々小規模とは言え光すら捉える魔術。英霊を一撃で血霧に変えるだろう殺傷力の高さ。彼女を高速戦闘機だとすると、英霊を一般人の歩行速度に変換可能な程にかけ離れた速力と、ソレを支える無尽蔵にも思える魔力の底の無さ。
とんでもない。尋常な敵ではない。だが…
「生憎だが、人並み外れた程度なら見慣れている」
霊長の守護者は人類全体を脅かす存在と相対する機会に恵まれている。
此の程度ならば常識の範疇に過ぎないのだ。
「それにだ、弓には自信があってね」
チートタグ追加します。
これぐらいしないとアーチャーの凄さが伝わんないかなぁって…
あとプレビューと編集時で改行のズレが頻りに起こるので可笑しい点があればご報告お願いします。