「…ちょっと休むか」
波立つ心を鎮める為に僕は寝転がる。
「おや、今日はもう終わりかい?」
「……集中出来ないんだ。少し、休ませて欲しい」
「御生憎様。そうしてやりたいのはやまやまだけどね、君の目標は夢に終わってしまうよ」
「……」
ささくれ立ってできた高潮を喉元で呑み込む。無い筈の胃がムカムカする。
僕が自分の都合で彼に指導を仰いだのだ。怒りを吐けば、ソレは恩を仇で返すのと変わらない。彼は僕を諭しているのだ、真実を突き付けることで。彼は私を否定しているのではない。
激情が沸き、彼に向かんとする矛先を下げる。
夢幻の体を起こすと手元に何の変哲もない木剣が掌中に顕れる。
「では座学は此処までにしよう。ボクにぶつけておいで。ただし型は忘れずにね」
痛いのは嫌いだ。恐い。
でも暗い思案に沈むことはなくなる。
木剣の柄を握り、立ち上がる。
声を張り上げてにじり寄ると彼が笑った。
「後ろ足が動いてないよ、恐いんだね?」
顔が茹で
ここで闇雲に突っ込んでも刺すような鈍痛に苦しむ羽目に会うだけだ。
大きく息吹くと彼はその瞬間を突いてきた。
「……!」
力負けせず正中に構えた剣を握り締め、逸らして猶直撃コースの刺突を首を傾け避ける。
当たれば、最低でも眼窩骨折は確実だろう。
人体の脆さか、それとも武器によって底上げされた暴力のどちらに恐怖しているのだろう。
きっと両方だ。
固まる体が命の危機に突き飛ばされ、いっそ過敏なほどに動く。
何度目かなんて枝葉末節は忘れたが、これだけは僕はにも分かった。
此方が怯えようが敵はお構い無しなのだ。
そも敵とは命を脅かすからこそ敵と呼称されるのだと。
―――――――――――――――
助けたいという思いがあった。けれど彼女の成長を目の当たりにする度にそれは薄らいでいった。
同時に劣等感、焦燥感、対抗心に嫉妬心が育まれていった。
自己卑下に陥ったが、意欲の削がれていった僕はコレを利用すれば良いのだと思い直した。
そうでないと心が折れても身を粉にする彼女を嫌いになりそうだった。
地に這う虫だった僕は、一等星の内でも格別な光輝を放つ彼女に憧れ、眼前にすれば手本にすることもなく、何故と思索することもせず、差だけを見ては嘆いた不満を薪炭に焼き餅を焼く。
彼女を認識すれば醜い自分を意識せざるを得ず、それで毛嫌いすれば新に、なし崩しに私は彼女に嫌悪を感じる様になってしまう。
そして僕は願った、彼女になりたいと。
彼女という高潔で曇りのない、貴石の鏡に映る自分の泥じみた醜悪さ。
例外を除いた、僕と彼女だけの奇妙な状況は、どうでも良い誰かがこれを僕に見せたかったのかもしれない。
結局直視に耐えかねた僕は、彼女を唾棄する様なろくでなしになりたくなくて、結果、私は克服する道を選んだ。
だから僕は彼女が覚醒している内もマーリンに指導を仰った。
僕が何かを理由につけめげると彼が奮い、起こさせた。
けれど霊魂だけの私だが、無い筈の肉体から生じる疲労に引っ張られる事が数多くあった。
現実に肉を持っていた事による害だろうか。
「まだ就寝の時間ではありませんよ、オルタ」
「…下着はみ出てるよ」
グイと体が起きる。
貫頭衣だから有り得る筈がないのだが。
まぁしかし、はっきりと醒めたが眠気とは寄せては引く波のようなモノ。
仮眠も録に取れなければ未だ波打ち際にいるのと変わりない。
「…」
早速睡魔のお出ましだ。
芯の抜けた意識は波にへにゃりと膝を折り、攫われ、飲み込まれる。
「ちょっと寝る、時間を浪費したくない」
そう言い捨て返事も受け付けずに私は机に突っ伏した。
床に脊を置くと熟睡してしまうのだが、生前授業中にやってたコレは効くのだ。
「…寝てしまいました」
「放って置きなさい。さぁ、続きだ」
近隣の人間にはそういう奴だと思われるのが中々に辛いのだが、コレで起きようと意識した結果、寝覚めが良くなるのだ。
とはいえ仮眠は所詮仮眠だ。
砂浜に砂城を建てても程度が知れている。
まとまった休息が何時かは必要になるだろう。
自己が蝋燭の灯の如く消失する。今生安らかに死ぬ事が叶えば、きっとこんな感覚なのだろう。
―――――――――――――――
目が覚めた。
けれど僕は夢を見ているのだろう。明晰夢 というヤツだ。
僕に肉はなく、よって脳味噌という臓器もない。
マーリンが見せているのだろう。
ベッドから上体を起こし、夜に目が慣れるのを待つ。
それにしたって寒い、みしみしと音をたてて芯の血液まで凍てつくようだ。
物の輪郭が掴めるまでに及ぶと邸内を散策する。
二度寝はしたくない主義だが、薄着でスキー場にいる気分だ。薄布の寝床に潜りたい。
粗末なサンダルを履く。申し訳程度の、獣臭いブランケットで身を包み、体を縮こませて寝室を出た。
この邸宅は、この時代においては随分と贅沢な作りをしているらしかった。この毛布も、これでも上等なのだろう。
先ず身体的に強くなければ生き残れない。平時からコレに晒されるとなると、幾多の赤子が風に煽られた綿毛の如く散っていくのも分かる。
軋みを上げて玄関の扉を開くと冷気が頬を突き刺す。
「……」
きらつく雪原が月明かりで辺りを照らしていた。辺りを雪虫がふわふわと漂泊している。
肺も氷る極寒の空気を吸い込む。澱んだ空気が消えて寧ろ空っ欠になった心持ちだ。
清爽な見晴らしだった。
嘆美に一息大きく吐くと足を踏み出す。意外と積もっていない。
足跡が映ずることの無い様に前方にのみ歩を進め、立ち尽くした。
久方ぶりの外界は言われ得ぬ絶景だった。
降り落ちては融けて行く思考の間に、ふと音が差し込んだ。
「…何してんだ、アル?」
「ケイ義兄さんこそ、どうしてここに?」
「珍しく月が出てたからな、お前は?」
「きっと同じ理由だよ」
「……そうか」
「今ばかりは不敬をお許しください、ケイ義兄様」
「そんなんじゃない、ちょっとびっくりしただけさ」
この人が誰だか僕は今知った、今まで意識したことが、認識したことがなかった。
目の前の人が何者であるかは――――恐らく持ち主は――――アルトリアの記憶野が教えてくれた。
彼女が身内に対しても敬う姿勢を崩さないことも。
と言うことは僕は夜更かしをしていることになる。
彼女に迷惑をかけたくはないし、ボロが出るとマズい。
僕は僕という人間でしかなく、他者を演じるのに不慣れな以上怪しまれること請け合いだ。目尻に皺の無いヤツが自然な笑顔を造れるのか?つまりはそういう事だ。
ここはさっさと体を休めに戻ろう。
暫くぶりの見知らぬ人間との邂逅に心を踊らせていたが、後ろ髪を引かれる思いで僕は戻ることに決めた。
正直気が気でない中で話すのでは楽しめないだろう。
「先に寝るよ、お休み。ケイ義兄さん」
「あぁ、お休み、アル」
―――――――――――――――
昨日見た安穏なアルとは真逆の、熾烈で
女の子だからと手を抜いたある日の事を思い出す。
全く油断ならぬ妹だ。
あの時は想像の及ばぬ激しさに意表を突かれ、痛打を頂いた。今回はそうはいかんぞ。
「――――ふんっ!」
狙いの甘い一撃を鍔で受け止めつつ刃の根本で横に弾くと、思いきり振り抜いた剣に引っ張られアルの体勢が崩れる。
ガツッ。力を込めすぎて勢い余ってしまった。
厚布を巻いたとは言え、木剣は立派な凶器、最も真剣に近い武器なのだ。
側頭部に当たって倒れ伏すアルに駆け寄る。
「アル!大丈夫か?アル!」
「…えぇ、平気です」
差し伸ばした手に木剣で応じられる。体に染み付かせた動きで難なく防ぐが、腰の入っていない振りなのに異様に重い。
「ぅぉ・・・」
「そもそもですね、腕の長さが違うんですよ」
「・・・」
釈明を端から放棄していたアルが俺の体を指差してズルいと文句を垂れ始めた。
気遣いの返礼に対する不満が驚愕に上から埋められる。こんなことを考えてたのか。他者が周りにいた時と違う、壁の無い態度に、胸の隙間に充足にも似た何かがなみなみと注ぎ足される。
「槍ありませんか、槍?」
「あるけど・・・」
「貸してください」
「それでどうするのさ」
「同じ気持ちを味わって頂こうかなと」
「いや無理だろ」
「何でですか!」
ここは大人しく貸した方が面倒が少ないか。しょうがなしに槍を引っ張り出して戻ってくる。
「ほれ」
「槍でもこれは馬上槍でしょう」
何言ってんだアルは。
「槍は馬に跨がって突くもんだろ」
この場に馬はいないし、安定性と高い突貫力の為にランスというのは訓練用と言えども重い。俺らのオモチャとは違うのだ。
ただオトナな感じのするコレは何時だってワクワクさせてくれる。俺も何時かは試合で優勝し、騎士として召し抱えられるのだ、父さんの伽話に出てくる騎士の様に。
口を一文字に結んだアルが左手を添え、右手で柄を掴み、両手で持ち上げる。のろのろと持ち上げ切ると誇らしげな顔をした。
「・ぐ・・・ふッ」
「ほれ見ろ。マトモに動かせやしないだろ」
速度も狙いも拙いアルの突きが、何をするでもなく正中に構えた剣に逸らされる。
突いて、引く。
突いて、引く。
溜め息が出る。避け様に槍を握ってがっしりと固定すると
「やぁあ!」
風が吹いた。
耳鳴りの如く鼓膜を突き刺す甲高い爆風を背後に、アルが飛び込んでくる。驚きに声を上げる間もなく意識の灯火が吹き消され、視界が暗転した。
―――――――――――――――
「ごめんなさいは?」
「・・・ごめんなさい」
「宜しい」
恥ずかしい。この年になって(?)子供みたく叱られるとは。とは言え、再びの娑婆に子供みたくはしゃいだことが原因だからこそなのだが。
「じゃあ罰として右腕はそのままだね」
「えっ」
肩を基点にぷらぷらと揺れる右腕。偉大なるマーリンに彼女の体を
「それは困る」
書くにも体を激しく動かすにも支障が出る。と言うか凄まじく痛い。汗ぐっしょりになる所まで再現しなくて良いのにと頭の片隅に思う。
子供の神経は敏感だ。小さな頃に中辛のカレーを食べたことを思い出す。
「これを機会に両利きになれば良いじゃないか。」
そういう問題じゃない。痛みから転じた怒りにそう叫び散らしたかったが非があるのは僕だ。甘んずるしかあるまい。
やはりというか、間もなくして僕は音を上げた。
「ごめんやっぱこれ治して」
「だ~め☆」
魔力放出のし過ぎには気を付けよう!
痛み感じるんでしたよね?