フー・アー・ユー
雪君が憐と校舎を飛び出したあの日から丁度一週間が経った。あの時、雪君を追って出て行った憐が目にしたのは、過呼吸を起こし苦しそうにして倒れている恵那さんと眠りに着いていた雪君の姿だった。
憐は二人をF高の保健室まで何とか運び、雪君が目覚めるまで付き添っていたという。
そこで先に体調の回復した恵那さんから一体何があったのかを聞いた所、「わからない」と返されてしまい、結局は雪君に何があったのかは、本人にしか分からなくなってしまった。
勿論、雪君はその後しっかりと目覚めた。しかし何処か様子が可笑しく、私と憐が何があったのか聞いても、「関係ないことだから」と話してはくれなかった。
「はぁ・・・・・・」
深い溜め息が口から漏れる。
今、私達の高校では他校よりちょっと遅めの文化祭の準備が始まる時期だ。一ヶ月後の文化祭に向けて、今も目の前でクラスの男女が協力して飾りづけのセットの作成に取り掛かっている。
ただ、そこに雪君の姿は無い。家でも顔を合わせることは少なくなり、話を一度もすることなく、少し寂しい一週間だった。
・・・・・・雪君があの日、何か自分の中で変化があったのだろうとは薄々感じていた。一緒に居た恵那さんが過呼吸を起こしていたこともあって、何か大変なことがあったのではと考えてしまう。
――大変なこと・・・・・・夢原 翔真。
可能性は低いと憐は言っていた。夢原 翔真程の天才が、たかだか高校生一人を確保、処理出来ないなんて可笑しい筈だと。確かにそうだが、記憶だけを処理された可能性は大いにある。現に、恵那さんは何があったのかわからないと言っていたのだ。幾ら過呼吸で苦しかったとはいえ、何が起きていたのか、少なくとも、何故過呼吸を起こしたのか位は覚えている筈だ。それさえ、彼女は覚えていなかった。
だが、もし仮に雪君の記憶が消えていたとして、今の雪君と前の雪君を比べて、何の記憶が消えたのか自分に分かるだろうか。
いや、分からない。元から私は、過去の雪君――記憶喪失になる前の雪君が好きだった。だからこそ、記憶喪失になり私のことを忘れてしまった雪君と心を通わせ、また元の仲の良い幼なじみという関係を戻そうとしたのだ。
そう、ただそれだけ。今までの私の全ての行動は、全てその為の行動だ。関係を元に戻すことだけを考えて、私は雪君と接していた。だからこそ、私は雪君に対して「慣れたら凪と呼び捨てにして欲しい」と言ったのだ。
そうだ、私は、結局今を見ていなかったのだ。ずっと過去に縛られて、過去の雪君を追い求めて、過去の関係に戻りたくて――
――今の雪君を見ているつもりで、過去の消えた雪君を見ていたんだ。
そんな私に、今の彼が何を喪ったのかなど分かる筈がない。それで良く自分に今の彼のアフターケアが出来ると思っていたなと、今更過ぎるそれに気付き、勝手に傷ついている自分がひたすらに情けなくなり、自らを攻め立てる。
――力になれない友人なんて、必要ないのかもなぁ・・・・・・なぁんて・・・・・・
「あの、会長?凪さーん?」
「っ、憐?来てたんだ」
気付けば憐がすぐ隣に居た。そういえば、文化祭準備の時間は比較的自由行動が許されているからと私が呼んだのか・・・・・・。
「まぁ、今さっき来たばっかっすけどね」
「そっか・・・・・・。あ、それで恵那さんはどうだったの?」
「体調は完全に回復してるみたいっすけど、相変わらずあの時の記憶は無いみたいで。ただ――」
「ただ?」
「恵那さん、面白い物を持ってたみたいなんすよね」
これっす、と憐が一枚のカードを胸ポケットから取り出す。デュエマのカードだ。裏面は色がしっかり着いているが、表面のカードのイラストやテキストは完全に脱色してしまってモノクロのようになってしまっている。日焼けカードだろうか?
「この《龍装艦 チェンジザ》なんすけど、あの日雪ちゃんの足元に落ちてて、どうやら、恵那さんがZ事件の被害者から受け取った物らしいんすよ」
「え、それって、恵那さんはZ事件について何か知ってる可能性があるってことなんじゃ」
それはつまり、恵那さんはZ事件の関係者の知り合い、もしくは生き残りの可能性が高いということなんじゃないだろうか・・・・・・。
「恵那さんがZ事件の生き残り、もしくはその生き残りの関係者なら、夢原 翔真に狙われるには十分な理由になるっす。恵那さんが過呼吸になった理由は、きっと夢原 翔真の手によるものが原因だと思うんすよねぇ・・・・・・」
過呼吸はパニック、不安、緊張などで起こる現象だ。Z事件に纏わることで、それ程までに精神的ダメージを負っていたのだろうと思うと、どうにも可哀想に思えてしまう。
本当に、何故またも夢原 翔真の手で被害者達は脅かされなくてはならないのだろうか。
「一応、恵那さんにZ事件で何があったか知ってるか、憐は聞いたの?」
「いんや、流石にそれを話すには時間が掛かるってことでまだ。ただ、RAINの交換はしてあるんで後で答えられる範囲で答えますよ。と」
「そっか・・・・・・うん、じゃあ、憐、雪君と恵那さんのことお願いね?」
「は?」
憐が虚を突かれたように目を丸くする。まるでそう、猫がフレーメン反応を起こしたような感じだ。お前は何を言っているんだ、といった顔をしている。
「いや、会長も協力するんすよ」
「んー、私はちょっと力になれないかなーって思っちゃってさ?正直、雪君のこと、憐より知ってても良い筈なのに、本当は、記憶喪失になった雪君のこと、何も知らなかったから――」
「またネガティブになって・・・・・・会長が知ってて俺が知らないことだってあるっすよ、大体――」
「・・・・・・無いよ。そんなこと。現在いまの雪君についてなんて、私は、全然知らないんだ」
「っ――そうっ、すか・・・・・・」
じゃあ、これで失礼します。と言い残し、憐はクラスから出て行った。最後にちょっと怒らせちゃったかな。ネガティブなところを見せて、面倒に感じた筈だ。でも、それだけ今回気付かされた事実は辛いものだったのだ。
誰かにぶつけないと、耐えられなかった。
本当は、泣きたいくらいなんだけどね。
「あーあ、会長、ありゃかなりダメージ入ってるなぁ」
独り言を呟きながら、騒がしい自分の教室へと向かう。
またいつものネガティブモードだろうと思っていたのだが、どうやら今回のは段違いのレベルらしい。
その証拠に、会長は俺の言葉を遮ってまで、自らが無知であると口にした。・・・・・・今までの会長との会話で最後まで意見を言わせて貰えなかったのは初めてだ。オマケに表情は何とか取り繕ったボロボロの仮面で隠そうとしてる。本当は笑顔なんて浮かべることもキツいのだろうに。
――だけど、事実なのかもしれないなぁ・・・・・・
会長は現在いまの雪を見ていなかった。それは、否定出来ない。
会長が雪ちゃんのことを好きなのは勿論知っている。だが、それは記憶喪失になる前の雪ちゃんとの関係性に恋をしていたのだ。今もそう、会長は、現在いまの雪ちゃんではなく、根底では記憶喪失になる前の過去の雪ちゃんが恋しいのだ。だから、記憶喪失になる前の雪ちゃんが居ない今、現在いまの雪ちゃんに恋をしていると錯覚してしまっていたのだ。もう叶わないかもしれない恋が報われて欲しいからと、今の雪ちゃんをちゃんと見ていなかった。正に、恋は盲目、と言った所か。
そんな問題の解決を、俺が幾ら嘘をついて遠まわしにした所で、会長は必ずまたこの壁にぶち当たる。これをどうにかするには、もう本人に吹っ切れて貰うか、どうにか雪ちゃんから会長に罰を与えて貰う・・・・・・もしくは、説得してもらうしか道が無い気がする。ただ許しを与えられた所で、ああいうタイプの人間はそう簡単には完全には立ち上がれない。それよりは、罰を受けた上で許しを与えられた方が心の底から完全に立ち上がれるからだ。
――ま、雪ちゃんにも問題はあるんすけどね・・・・・・
「はいはい、戻りましたよー」
教室の扉を開け、文化祭準備に取りかかっている自分のクラスメイトに伝わるようおどけた様子で中に入る。
「お、憐。帰って来たならこの仕事頼むわ。俺、今からGRクリーチャーとかオレガ・オーラとかについてカドショで勉強してくるから」
「エスケープな・・・・・・了解。あー、雪ちゃんは・・・・・・居ない、か」
「あぁ、白菊君?それなら憐が居なくなった後、違うクラスの恵那さんとどっか行っちゃったよー」
確認の為に雪ちゃんを探すがどこにも見当たらない。クラスメイトの一人がその発言を聞き、雪ちゃんが恵那さんと何処かへ行ったことを教えてくれた。
『関係ないことだから』
――何か、俺も少し落ち込むっすねぇ・・・・・・
保健室で目覚めた雪ちゃんに言われた言葉を思い出す。友人として接していた人物から拒絶されたようで、酷く心が痛む。今すぐにでも、雪ちゃんに協力させて欲しいと、あの放課後の時のようにもう一度言いたかった。
教室からの騒がしい声も聞こえない少し離れた階段で、彼は私との会談を持ち掛けて来た。指定された時間に直接話し合いたいと言われ、今に至る。
「恵那さん、今から聞くことは、もしかしたら恵那さんにとって辛い思いをさせてしまうことかもしれない。それでも、どうしても直接聞きたいことがあるんだ」
「何?」
此方を見る白菊君の顔が、彼の顔と重なる。やっぱりどこか似ている。前に会った時もどこかそんな雰囲気はしていたが、私が過呼吸で倒れてからは、もっと似て来たように思える。
私がそう観察していると、白菊君は私の想像していなかった質問をしてきた。聞き間違いだろうか・・・・・・?
「えっと、すみません。もう一度質問してもらっても――」
「恵那さんは、Z事件に関わっていたりする?あの、夢原 翔真の起こした事件に」
・・・・・・記憶喪失だというのに、どこからその情報を入手したのだろうか?まさか、外部から漏れたか、もしくはあの時――過呼吸で私が倒れた時に、私のノートを見た?いや、そうでなかったとしても、もうこの顔は確信している。
そういえば彼も、こんな風だったかな?
「・・・・・・そうだね、うん。私は生き残りだよ」
もうZ事件のことは掘り返さない。そう思い誰にも話さずに居たのだが、今の彼になら、話すべきだと思った。
生き残り、そうだ。私はZ事件の生き残り。きっと一番、あの事件で被害に合わずに居た生存者。
そして誰よりも、逃げて来た者でもある。
「・・・・・・Z事件で、何があったのかを教えて欲しい。生き残りの名前も含めて。出来るだけ沢山」
「分かった。分かったから・・・・・・そうだね、どこから話すべきかな・・・・・・。よし、じゃあ、まずは生き残りの名前から。とは言っても、全員を覚えている訳じゃない。一人だけ思い出せなくてね?そこだけは目を瞑って欲しいな」
「分かった」
彼と仲が良かった茶髪の彼だけは、どうしても思い出せない。コミュニケーションを取ることがなかったのが原因だ。どうせなら、彼とももっとコミュニケーションを取るべきだったと、今は少し後悔している。
目の前の白菊君に、生き残りの名前を開示して行く。あの時施設で生きていた人の名前を一つ一つ、間違えのないように。
「一人目、白菊 雪。これはまぁ、白菊君だね」
「・・・・・・」
「二人目、私、恵那 由里」
「・・・・・・」
「そして、三人目、名前は忘れてしまったけど、茶髪の陽キャそうな男の子。同い年かそれ以上に見えた」
「背が高かったってこと?」
「そうだね。私達生き残りの中でも一番じゃなかったかな?」
白菊君の質問に答えながらも、最後の一人の名前は、大切なものを扱うかのように丁寧に言葉にする。
今の君と良く似た彼。その姿はまだ見ていないが、今も元気にしているだろうか。
「そして四人目、最後の一人、私達と同い年で、茶髪の子と同じで、この人もまだ私は見ていないと思う。この学校にも、居ないんじゃないかって思ってる」
「その人の、名前は・・・・・・?」
「黒枝 雪くろえだ ゆき。白菊君と同じ、雪」
「黒枝、雪・・・・・・?」
その名前を聞いた瞬間、俺は酷く心が動揺した。
あの時、あの黒男と戦った時に思い出した記憶には、確かに自分と同い年くらいの死にかけの男の姿があった。
あれが、黒枝 雪だったのか・・・・・・?だとしても、あの状態で助かったというのか・・・・・・?
「その黒枝って人が生きているのは、確かなの?」
「その、それはちょっと分からない。私は飽くまでもZプロジェクトの被害者で、逃げることで精一杯だったから・・・・・・だから、あの夜に警察が突入して来た日の朝に目にした生存者のことしか知らないんだ」
「そうか・・・・・・」
黒枝 雪が生きているのか。どこに居るのかはとても気になる所だが、他にも聞くべきことがある。
目を真っ直ぐに向け、恵那さんの目をじっと見つめ、次の質問をする。
「夢原 翔真について教えて欲しい。出来れば、表に出ていないような情報」
「夢原 翔真のことは、まぁ、聞いて来るんじゃないかなとは思ってた」
ここにきて、恵那さんの雰囲気が変わってきたこと気付く。前は固い口調でよそよそしい雰囲気だったが、今は慣れ親しんだ人と話をするかのように自然体だ。
そんな彼女から、衝撃の真実が語られることになるとは、正直思いもしなかった。
「夢原 翔真は被害者だよ。多分、私達被害者の中では飛びっきりのね」
デュエマ無し!でもそろそろ欲しい所。
凪さんに重度の精神的ダメージ、憐にも結構なダメージが入っていた模様。雪は一人、Z事件について恵那さんから新たな情報を得る。
一緒に頑張ってZ事件の謎解きしようという今までの関係性が、雪君に起こった変化により変わり始めていますね。宿命を背負った者として“ただの雪”を辞めた結果、皆と頑張る、という姿勢が一転。一人で頑張る、になってしまったようですね。あれれ?雪君もしかして元の世界に戻る方法を探すことを忘れてそっちに専念してる節ない?