「お疲れ様」
現時点、宇宙暦865年から十億年後の未来を見はるかし、ローザ、否、ローザの身に宿った存在は、そう一言呟いた。
その傍らではヤン・ウェンリーが本を胸の上に載せながら、大きないびきをかいていた。
かつての英雄も、今や白髪頭の老人となり、大きな揺り椅子に座り、午睡を楽しむ立場にあった。
そのようなヤンを、微笑みながら眺めていた彼女の意識に、接触してくる姿なき存在があった。
人が見れば彼女は独語しているように見えただろう。
「まだ、満足できないの?」
「余計な干渉だった?そうかしら。悪くない未来が訪れたと思うのだけど」
「敵を滅することはできないのよ。それでもまだ抗うの?」
彼女はため息をついた。
「そう。なら私も付き合うしかないわね。あなたの終わりなき〈皆殺しの波動〉との戦いに」
かつて何かであった〈存在〉は、世界の裏面に入り、その深奥を超え、さらにその先に歩みを進めた。
限りない階層を超え、その先で、その姿を捉えることになった。
世界への善意にして悪意、世界の創始者にして終結者、数多の世界を覆う〈皆殺しの波動〉を。
それは、数多の歴史を、世界を、悲劇とともに終わらせて来た反存在とでも言うべき何かであった。
〈上帝〉すらも、〈皆殺しの波動〉の影響下にあった。
人類も、世界の全てのものが。
〈存在〉はついに抗うべき敵手と出会ったのである。
〈存在〉は、数多の世界を旅し、干渉し、〈皆殺しの波動〉に抗った。
その旅に付き添う者がいた。
人としての人格を持ちながら、〈存在〉に準ずる権能を持ってしまった者、〈時の女神〉。
それは、レディ・Sが放棄した道の先にあった
〈存在〉と〈時の女神〉は、〈皆殺しの波動〉による悲劇を阻止すべく世界に干渉した。
〈存在〉は、〈皆殺しの波動〉の波動の排除を目指した。
〈時の女神〉は人に宿り、人々の思いを汲み取り、〈皆殺しの波動〉が存在する世界においてもより良い未来を選択しようとした。
どちらの試みも完全に成功することはなかったが……
今、ローザ・フォン・ラウエの傍には、ヤン・ウェンリーがいた。
ヤンが目を開けずに一言呟いた。
「ローザかい?」
「はい、なんですか」
「夢を見ていたよ」
「どんな夢?」
「殺されそうにそうになる夢さ。銃で撃ち抜かれて……」
「それは怖い夢ですね」
「でも君が来てくれた。いや、あれはユリアンだったか?それとも?」
「誰かが助けに来てくれたんですね」
「ああ。よくもまあこんな危ない場所に」
彼女は微笑んだ。ヤン・ウェンリーらしい発言だと。
「ヤン、あなたは幸せですか?」
「幸せだよ」
「よかった」
それは、彼女が望んだものの一部だった。多くの者の夢であり、それゆえに彼女の夢ともなったものである。
結果として誰もが幸せになったわけではないにしても、多くの者達が実現したいものが、そこにはあった。
「君はどうなんだい?」
彼女は即答できなかった。ローザではない存在として、考えてしまったのである。
「……勿論幸せですわ」
「君を助けられたらなあ」
一瞬耳を疑った。
「ユリアン、考えてごらん。宇宙が広大であることも。人間が卑小であることも……」
それは、うわ言の一部であったようだった。
それでも彼女は言った。
「ありがとう。ヤン・ウェンリー」
その後も彼女はしばらくヤンを眺めていたが、やがて立ち去った。
一言を残して。
「またね」
彼女が立ち去った後、ボールが一つ部屋に転がり込んできて、ヤンの足元に留まったが、ヤンは反応を返さなかった。
そのボールを追いかけて少女がやって来た。ヤンの孫娘である。
少女は、ボールを拾ってくれなかった祖父に抗議しようとして、その顔を覗き込み、異変を感じた。
少女はボ ールを抱いたまま 、居間へ駆けこんで大声で報告した。
「パパ、ママ、お祖父ちゃんが変なの!」
永遠の静謐に覆われようとしているヤンの顔は、ただただよい夢を見ているかのように安らかな笑顔を浮かべていた。
これにて『時の女神が見た夢・ゼロ』完結になります。
皆様お付き合い頂きありがとうございました。
前作 時の女神が見た夢 を含め、初の二次創作投稿だったのですが、ここまで続けられたのは読んで下さった皆様のおかげです。
ありがとうございました。
本作終了ですが、時間をおいて、何かこぼれ話的なものを追加するかもしれません。あと、登場兵器のまとめを感想で以前尋ねられましたが、時間はかかる気がしますがまとめてみるかもしれません。
しばらく、新規の小説の投稿はしないかなと思います。
ただ、銀英伝の二次創作の話の構想がないわけではないので、
もしかしたらそのうち投稿するかもしれません。
書いたとしたら今回より大分大人しい(当社比)話になるかと思います。
あらためて、お付き合い頂きありがとうございました。