時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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52話 輝く星々のかなたより その9 シリウス星域の決戦 前篇

 

「ほとんど不死に近いほどの生命力、合理的な新陳代謝のメカニズム、どれをとっても生命進化の極致といってよろしい。生物工学の最新技術を駆使して、この生体組織を人間の身体に応用できたら、人類にとって可住空間は無限の拡大を見せるでしょう」

……西暦時代、ユニヴァーサル化学食糧会社火星支社長の言葉

 

 

国家間の戦争が終結して三年、再び発生した大規模決戦は複数の観点から捉えることができた。

 

それはまず、人類と〈蛇〉の決戦だった。

人類が初めて接触した地球外生命スウェルと、同じく初めて接触した地球外知的生命体ストーン。人類に運命を狂わされた二つの生命体の落とし子である〈蛇〉と人類の戦いは、二つの異なった形の「知性体」による銀河の覇権争いであった。

また、科学が生んだ「フランケンシュタインの怪物」の人類に対する復讐戦でもあった。

 

同時に、時代を代表する二人の軍事司令官、ヤン・ウェンリーとユリアン・フォン・ミンツの何度目かの決戦でもあった。

ヤン・ウェンリーは、本人の性格を問題視される面もあったが、基本的には新銀河連邦体制の光の側面を代表していただろう。

一方で、ユリアン・フォン・ミンツは新銀河連邦体制が抱えた矛盾の体現者であり、闇の側面を代表していたとも言える。

新銀河連邦体制下において、ユリアン・フォン・ミンツの名は警戒と場合によっては忌避の対象とさえなっていたが、一方で弱い立場の者達からはある種の希望の象徴となってもいた。

その点で二人の再度の対決は、〈蛇〉のことがなくとも、いつかは起きたはずのことだったのかもしれない。

 

遡れば、ユリアン・フォン・ミンツとヤン・ウェンリーの戦いは、自由惑星同盟と独立諸侯連合の、フェザーンを巡る戦いから始まった。

 

フェザーンを巡る戦いの前哨戦において、間接的にではあったが、ヤンはユリアンに敗北した。

その後のフェザーン本星周辺での戦いにはヤンが勝利し、ユリアンは捕虜となった。二人が直接相対し共に重傷を負うという、近代戦らしからぬ結末となったが。

 

その次は独立諸侯連合/新銀河帝国の合同軍と神聖銀河帝国軍の戦いだった。

ヤンは連合軍遠征艦隊の司令官で、ユリアンは神聖銀河帝国軍の総参謀長にして副司令官的な立場だった。

アルジャナフ星域における緒戦は、ユリアン側の勝利だったが、ヴェガ星域における決戦はヤンの勝利に終わった。

太陽系における最終戦はヤンとユリアンの直接交渉の結果、神聖銀河帝国の条件付き降伏で終結した。

 

総じてユリアン・フォン・ミンツは、ヤン・ウェンリーに敗北し続けて来たことになる。しかし、ユリアンはヤンに対して常に一矢報いてきたし、戦いを通じてヤンから学び、成長していった。

来るべき一戦が、ユリアン救出という拘束条件を抱えた上でもヤンの勝利に終わるのかどうか、誰にも断言できなかった。

 

多くの者にとって現時点でわかっていることは、この決戦の行方によって銀河の命運が大きく動くということだけである。

 

 

 

 

 

 

 

惑星ロンドリーナ地表から500kmほど上空の衛星軌道上にはエルウィン・ヨーゼフの処刑場となるはずの人工衛星が臨時に設置されていた。

 

エルウィン・ヨーゼフは人工衛星ごと艦砲射撃で火球に変えられることになると公式には発表されていた。

 

 

人工衛星近辺にはそのための艦艇三千隻がアッテンボロー提督に率いられ、待機していた。

 

銀河保安機構宇宙艦隊司令長官ミュラー率いる本隊八千隻、ザーニアル中将率いる七千隻、ヤン長官直卒でフィッシャー中将が指揮を代行する五千隻が、シリウス第一、第二惑星の影に潜んでいた。

いずれもかつて神聖銀河帝国が拠点としていた惑星である。

新銀河連邦領内主要惑星の防衛のために割いている艦隊を除けば、これが銀河保安機構の動かせるほぼ全軍だった。

 

 

オーベルシュタインとバグダッシュも、ヤンと共に銀河保安機構の総旗艦となったヒューベリオンに搭乗していた。

 

バグダッシュは直属の上司に話しかけた。

「奇妙なものですなあ」

 

オーベルシュタインはバグダッシュの方に顔を向けた。

「何が奇妙なのだ?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツに警戒心を持っている者は多い。しかし、彼がエルウィン・ヨーゼフを救いに来ることはほとんど誰も疑っていない。閣下も含めて」

 

「彼は純粋で、人が良すぎるからな」

ユリアンに対する意外な評にバグダッシュは驚き、その顔を確認した。その顔からは何も読み取れなかったが。

 

「何を驚く?私は個人としてのユリアン・フォン・ミンツを嫌っているわけではない。しかし、上に立つ者としては純粋過ぎることも、人が良すぎることも、危険なのだ」

 

「そう仰る閣下も、純粋過ぎるような気はしますがね。お人好しではないとしても」

その発言には多少の勇気を要した。

 

「だから私はトップを目指さないのだ」

その声は独白めいて小さく、バグダッシュは危うく聞き逃すところだった。

 

 

 

 

宇宙暦805年2月28日10時、処刑予告時刻の4時間前に〈蛇〉はシリウス星域に現れた。

その数、八千体。

銀河各国との交戦を経て、現時点で新銀河連邦領内に存在する〈蛇〉の数は一万体前後と推定されており、ほぼ全力での来襲と考えられた。

八千体の〈蛇〉は、ワープアウト後、惑星ロンドリーナに向けて猛然と進撃を開始した。

途中、シリウス星系唯一のガス惑星である第七惑星を掠め、スイングバイによって方向転換を行いつつ、ロンドリーナに向かった。

 

〈蛇〉の来襲を確認して、銀河保安機構軍本隊も当初の予定通りロンドリーナに向けて前進を始めた。

 

来襲した〈蛇〉の中には銀河保安機構の想定通りユリアンがいた。精神波が光速の制限を受けないとはいえ、遠方からでは精密な艦隊運動などできないのだから当然でもあった。

 

ロンドリーナには計16基の衛星が設置されていた。

いずれの衛星にも、スレイヴを含んだ土壌が積載されており、外部からエルウィン・ヨーゼフの精神を探知しようとしても難しく、どの衛星にエルウィン・ヨーゼフがいるのかユリアン=〈蛇〉には判断できなかった。

 

ユリアン=〈蛇〉は16基すべてに同時に接触するべく、ロンドリーナ軌道上に広く展開することにした。

 

これは銀河保安機構、ヤン・ウェンリーの想定通りだった。

しかし、想定通りではないこともあった。

ロンドリーナに迫る〈蛇〉の群れから多数の小塊が分離したのである。

小塊群を、保安機構の偵察艦の望遠カメラが捉えた。

それは〈蛇〉の特徴とも言える淡緑色で滑らかな表面を持ちながらも人の形をしており、手足をゆらゆらと動かしてすらいた。

その数は実に10万を超えていた。

 

銀河保安機構軍のオペレーターの誰かがその存在を即席で「ヒトガタ」という名で呼び始めた。

多数のヒトガタが高速でロンドリーナに向かっていく様はまさに異様で、人々を恐怖させるに足るものだった。

 

総旗艦ヒューベリオン艦橋で誰かが叫んだ。

「あれはもしや〈蛇〉に囚われた人々か!?ユリアン・フォン・ミンツは彼らを肉の盾にしようとしているんじゃないか!?」

〈蛇〉が民間船を乗っ取った際に行方不明となった乗員は数十万人に及んでおり、ユリアンが非常に徹してその数割を今回犠牲にするつもりでも不思議ではなかった。

 

ヤンの高級副官スーン・スールズカリッター大佐が蒼白な顔でヤンを見た。

「本当にそうだとしたら当初の情報局の案では失敗していましたね」

スールズカリッターは、〈蛇〉をユリアンごとゼッフル粒子で殲滅しようという作戦案のことを言っていた。

民間人を人質にされたも同然の状況だからだ。

 

それに冷たく声音で答えたのはヤンではなく、オーベルシュタインだった。

「私はあれが人だとは思わないが。仮に人なのだとしても、10万人程度の犠牲など銀河の平穏とは比べるべくもない」

 

たじろぐスールズカリッターに、ヤンが落ち着いた声で話しかけた。

「まあ、現行の作戦案への影響は少ない。様子を見ようじゃないか。スーン大佐、当初の予定通り進めるよう改めて通達を出してくれ」

 

「しょ、承知しました」

スールズカリッターにとっては、10万人もの民間人が虚空を漂っているかもしれない現状で、なおも落ち着き払っているヤンにも、オーベルシュタインに対して同様理解しがたいものを覚えていた。

 

バグダッシュが見かねて声をかけた。

「ヤン長官閣下もあのヒトガタの中には人間は入っていないと予想しているんだと思いますよ。いてもいなくても、我々はそれを考慮して動かざるを得ない。ならば、ユリアン・フォン・ミンツからすれば、あの中に貴重な労働リソースになるはずの人を入れておく必要はない、とね」

 

「は、はあ……」

スールズカリッターも、そうかもしれないとは思ったが、到底割り切れるものではなかった。

 

バグダッシュは苦笑いを見せた。

「お互い、常識外の上司で苦労しますなあ」

 

「……ははは」

オーベルシュタインがこちらを見ているのに気づいたスールズカリッターは、バグダッシュに対して乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 

 

想定を外れたことはもう一つあった。〈蛇〉本隊は惑星ロンドリーナに向かっていたが、ヒトガタの半数程度は若干進む方向が異なっており、アッテンボローの艦隊の方に向かっていたのである。

 

アッテンボローは対応に迷ったが、最終的には回避を命じた。

それでも、五万を超えるヒトガタ全てを回避することはできなかった。

艦隊を構成する艦艇の5割程度にそれぞれ一体以上のヒトガタが衝突した。

 

艦体に小さな破口が生じるとともに、赤い液滴が周囲に広がる様子が艦体設置のカメラに捉えられた。

 

その様子を見た多くの者が吐き気を覚えた。実際に吐いた者も少なくなかった。

自らも吐き気を抑えながらアッテンボローが檄を飛ばした。

「動じるな!宇宙空間に血飛沫が飛ぶはずがない!血液が液体のままでいるはずがない!あれは別の何かだ!」

 

たしかにその通りだと、皆どうにか気を取り直した。

ヒトガタが衝突した艦艇の被害も小さく、殆どが小破以下に留まっていた。

 

艦橋の人員が衝撃を受けている様子を見て、ヤンは通達を出すようにスールズカリッター大佐に伝えた。

「〈蛇〉は遠距離でも精神波による干渉を試みている。過剰な動揺や恐怖はその影響だ。動じてしまっては敵の思う壺だから注意するように」

 

スールズカリッターは思わず声をあげた。

「そうだったのですね!」

そう考えてみれば、たしかに過剰に動揺してしまっている気もしてきた。

 

ヤンはこともなげに答えた。

「各艦、精神波対策にスレイヴ入りの土壌を大量に積んでいるし、そんなに影響はないんじゃないかな」

 

スールズカリッターは、思わず反問した。

「では何故そのような通達を出すのですか?」

 

「多分これからもゲンナリするようなことが続きそうだからね。そう伝達しておけば、恐怖を敵の干渉のせいにできて、多少なりとも皆前向きに戦えるんじゃないかな」

精神波など使えなくとも心理の誘導はお手の物のヤンだった。

 

「は、はあ」

まるでペテンじゃないか、という言葉をスールズカリッターはなんとか飲み込んだ。

スールズカリッターがヤンの戦闘指揮に副官として付き合うのはこれが初めてでまだまだ慣れないことが多かった。

 

 

ヒトガタがばら撒いた赤い液体は、たしかに血液ではなかった。

しかし、その正体はさらに悪辣なものだった。

 

ヒトガタが衝突した艦艇で警報が鳴り響いた。

「艦内に侵入者あり!迎撃の必要あり!」

 

赤い液体は強襲揚陸艦にも採用されている装甲溶解液だった。それをあえて赤く着色して心理的動揺を誘ったところは、ユリアンがペテン師の弟子と呼ばれる所以だっただろう。

 

少なくともアッテンボロー艦隊と接触したヒトガタは、ヤンやオーベルシュタインの読み通り、人間ではなかった。〈蛇〉が人の形を真似ただけのものだった。

しかし、それだけに厄介だった。

ヒトガタは艦と衝突しても生命を保っていた。それらは艦の装甲を溶かし、それによって生じたわずかな穴から艦内に侵入し、人外の膂力と〈蛇〉としての機能で内側から艦艇を乗っ取るべく動き出した。

 

アッテンボローの艦隊は殆どが無人艦だった。〈蛇〉による損害を最も受けることが予想されたためであり、必要に応じて捨て駒にしてもよいと考えられていたからである。

しかし、この場合はそれが悪い方に作用した。無人艦ゆえに艦内に侵入したヒトガタを防ぐ手段がなかった。

ヒトガタは最終的に艦橋にたどり着いて艦と融合し、制御を乗っ取った。ヒトガタもユリアンと精神的にリンクしているため、艦に人が乗っていなくとも一定の運用が可能となっていた。

 

アッテンボローは無人艦に自爆の指令を出していた。しかし、その指令は届かなかった。

異常なレベルの通信妨害が引き起こされていたからである。

通常の艦隊であれば自分達の通信も届かなくなるため実現不能なレベルの通信妨害だったが、〈蛇〉は精神波によって通信を行なっていたために可能となった芸当だった。

アッテンボローが、連絡手段を旧時代的な光学信号に切り替えて自爆の指令を伝えるまでに千隻に及ぶ艦艇が乗っ取られて〈蛇〉の眷属となっていた。

アッテンボローは無事な艦艇で乗っ取られた艦を砲撃して破壊しようとした。

通信に苦労するアッテンボロー艦隊と、ヒトガタに乗っ取られた艦艇の間で、戦闘が発生した。

いずれも艦隊運用に関して万全とは程遠い状態であり、戦闘は艦隊戦と言うよりも稚拙な殴り合いの様相を呈した。

アッテンボローにとっては非常に不本意な状況であった。

 

その間にも〈蛇〉の本隊はロンドリーナに迫って衛星群と接触し、内部の確認を開始した。

殆どはもぬけの殻だったが、一つの衛星で年若い少年と見られる存在を発見した。

 

ユリアンは〈蛇〉の精神ネットワークを通じてそれを知覚した。

その結果……

「エルウィン・ヨーゼフではない。やはりただの罠だったんですね」

 

衛星にいたのはエルウィン・ヨーゼフではなかった。

乗っていたのはそれらしく変装した別人だった。

 

ユリアンはまず安堵した。ともかくもエルウィン・ヨーゼフが無事でよかった、と。しなしその感情は〈蛇〉の制御によって薄らぎ、もう一つ生じていた別の感情、騙されたことへの怒りに取って代わられた。

エルウィン・ヨーゼフが実際には処刑されないことは予想していたし、わかった上で駆けつけたのであるが、ユリアンがそうせざるを得ないことを見透かしてヤン・ウェンリーあるいはオーベルシュタインは卑劣な罠を仕掛けたのだ。

 

怒りの中で、ユリアンは確認を怠った。身代わりとしてそこにいた存在が一体誰なのか。

 

ユリアン=〈蛇〉は何よりも惑星軌道上からの退避を優先した。

しかし、この時既に銀河保安機構軍二万隻は惑星ロンドリーナの周囲に集結し、〈蛇〉に対する包囲を完成させていた。

ユリアン=〈蛇〉にとっては惑星を後背に抱えて退路を断たれた状況である。

 

 

ヒトガタによるアッテンボロー艦隊の想定外の混乱はあったものの、事態はここまでヤン・ウェンリーの手の内だった。

 

ヤンは呟いた。

「やれやれ、なんとか次の段階に進めるな」

 

 

しかし、同時に現状はユリアンの想定の範囲内でもあった。

 

「ヤン・ウェンリーはこのまま包囲を狭めて僕/僕達/〈蛇〉をロンドリーナの大気圏内に押し込み、ついには地上に落として、かつての同胞たるスレイヴの精神波によって無力化しようというのでしょうね。でも、そうはさせない」

ユリアンは怒りや憎悪とともに、ある種の昂揚を感じていた。ヤン・ウェンリーとの知略勝負を楽しむ気持ちが自然に発生していた。

ユリアンに生じた憎悪とは異なる感情について、〈蛇〉の本能は反応に迷ったが、現状の打破を邪魔するものではないため、結局放置されることになった。

 

 

「さてさて、これからどうなることか」

エルウィン・ヨーゼフに変装して衛星に待機していた存在はアルマリック・シムスンだった。

〈蛇〉が彼をエルウィン・ヨーゼフと誤認して、ユリアンの元に連れていってくれれば話は楽だったのだが、その通りにはならなかった。

彼は、現代屈指の用兵家同士の戦いをしばらくは見物する以外にないと考えていた。

その後に再度彼の出番があるかどうかもわからなかったが。

 

 

戦いはまだ序盤に過ぎなかった。


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