「そのときはしかたない、殲滅されるさ」
……リン・パオ、作戦失敗の可能性を指摘されて
ユリアン=〈蛇〉は、銀河保安機構軍による包囲網の突破を試みた。
それに対して銀河保安機構軍は、ユリアン=〈蛇〉の突破の試みを悉く潰していった。
〈蛇〉による通信妨害は相変わらず非常識なレベルだったが、発光信号の多用で不完全ながらも補った。無人艦艇の制御に関しても、敵を包囲した現状では予めのプログラムで大きな問題は発生しなかった。
銀河保安機構軍は衛星軌道から上昇してくる〈蛇〉に砲撃を集中させた。また、戦力を一箇所に集中しようとする動きも火線の集中によって阻害した。
ユリアン=〈蛇〉としては、混戦に持ち込み、接舷戦術による艦艇の乗っ取りを行いたいところだったが、惑星の重力、〈蛇〉の機動を著しく制限していたし、2.5倍の物量差もそれを困難にしていた。
艦を覆う流動するスウェルの層は艦の防御力を高める役目も果たしていたし、新たに現れたエンジン部だけが人工物の〈蛇〉に至ってはエンジン部以外に弱点を持たなかった。
このため、〈蛇〉の損失はゆっくりとしたものだったが、それでもじり貧であり、徐々に惑星に向けて押し込まれつつあった。
「このままいけそうですね」
「だといいんだけどね」
スールズカリッターの希望的観測に、ヤンは面白くなさそうに答えた。
それほど時を置かずに、ヒューベリオンのオペレーターが警告を発した。
「多数の艦艇がワープアウトしてきました!……〈蛇〉です!数は……五千体!」
ヤンは落ち着いていた。
「五千体か。流石に八千隻が全軍ということはなかろうと思っていたが、大分残っていたんだな。だけど……」
新たに出現した〈蛇〉は、先に現れたものと同様に第七惑星を掠める軌道をとっていた。ロンドリーナのユリアンと〈蛇〉の救援に来ようとしているのは誰の目にも明らかだった。
「アッテンボローと、それから、フィッシャー中将にも向かってもらおうか。ここには五百隻だけ残して残り四千五百隻で向かってくれ。倒す必要はない。牽制でいい」
アッテンボローはようやくヒトガタに乗っ取られた艦艇を片付けることに成功した。その代償に艦数は千隻あまりにまで減少していた。
アッテンボローとフィッシャー、計五千五百隻程度が五千体の〈蛇〉の対応に向かった。
彼らはアッテンボローが発案し、艦隊参謀長ラオ少将が急ぎまとめた作戦案に従い、周囲から〈蛇〉増援を半包囲する方針だった。
〈蛇〉増援の真正面にはあえて戦力を配置しなかった。〈蛇〉が今回もヒトガタを放出した場合に備えて、回避しにくい正面を避けた形である。
仮に〈蛇〉が速度を上げてがら空きに見える真正面から抜けようとした場合に備え、蛇の正面の宙域には拡散性ゼッフル粒子を散布していた。
〈蛇〉がゼッフル粒子の存在に気づかず直進すればそのまま火だるまにできるし、気づいて方向転換を図ろうとしても半包囲に持ち込むことが可能なはずだった。
ヤンも、五千体の〈蛇〉に対する対策としてはそれで十分と考えていた。
ただ、同時に失望も感じていた。
「その程度なのかな?ユリアン」
スールズカリッターが怪訝な顔をしたのを見て、ヤンはうっかり思ったことを口にしていたことに気づいた。
ヤンとしてはユリアンに打開策があると踏んでいたのだが、現状はヤンの想像を上回るものではなかった。別働隊の数は多少予想より多かったが、程度問題で対処可能な範囲だった。
久々に心踊る知略勝負を楽しめると思ったのにこれでもうおしまいか、と、ヤンは残念な気持ちになっていたのだ。
ヤンは自らの思考の傲慢さに気づき、自己嫌悪に陥った。
ユリアンに優れた策がない方が死傷者の数は抑えられるのだから、その方がいいにしまっているではないか。
ヤンはここでオーベルシュタインの視線に気づいた。
「どうしたんだ?オーベルシュタイン中将?」
「侮られますな」
「何?」
「ユリアン・フォン・ミンツがここで終わるような男なら、そもそもここまで警戒する必要もなかった。まだ手は残しているはずです」
「手?貴官は何か思いついているのかい?」
「いいえ。しかし、あなたならここからでも逆転できるはずだ」
オーベルシュタインの義眼は長い付き合いとなった上司の目をしっかりと見据えていた。
お互いに言いたいことはいろいろとあったが、その能力についてはお互いに信頼していた。
しかし、ヤンとしては戸惑いを覚えていた。
「いくら〈蛇〉とはいえ、五千体程度で逆転できる策などないさ。兵数を揃えられなかった時点で、戦略的には負けだよ」
「では、兵数を揃える策はないのですか?」
「……いや、しかし、この短期間でワープエンジンの大量生産など無理だ。技術局の分析でもせいぜい三千基程度も用意できれば御の字という話だったはずだ。我々の知らないところで、例えば宇宙海賊の船を〈蛇〉が襲って数を増している可能性を考慮してもせいぜい数千」
ユリアン=〈蛇〉がこの戦場に用意した一万三千体という数はそれらを含めてようやく達成可能と思われる数だった。
つまり、これ以上兵力を増やすことは難しいはずである。
「恒星間航行可能な船をそう簡単に増やせるものでは……」
そこまで話して、ヤンの脳裡に閃くものがあった。
ヤンはずっと引っかかっていた。
何故ガス惑星でスイングバイを行う必要があったのか?
ヤンは急いで命じた。
「先の〈蛇〉の群れがスイングバイを行った際の映像はあるか?あるなら何か不審な行動を取っていないか解析してくれ!」
二十分後、その結果が出た。
「ガス惑星に向けて、何かを多数投射している様子が確認されました!」
ヤンは即座に指示を出した。
「アッテンボロー、フィッシャー両提督に伝えてくれ。ロンドリーナまで後退せよ、と」
アッテンボローとフィッシャーは即座に命令を実行した。
理由は不明でもヤンの命令に意味がなかったことはないからである。
ほどなくその理由が判明した。
五千体だったはずの増援の〈蛇〉は、いつの間にか二万体にまで増えていた。
「五千体だったはずだ!」
「数え間違いなどあってはならんミスだぞ!」
「数え間違い!?そんな馬鹿なことがあるか!」
動揺する艦隊に、ヤンから指示が飛んだ。
「包囲は続行!後ろ半分の艦隊で敵の援軍に対処せよ」
世にも奇妙な状況が出来上がった。
惑星の周囲に敵味方の層が出来上がったのだ。
第一層はユリアン=〈蛇〉の本隊、第二層は銀河保安機構軍、第三層が〈蛇〉の増援である。
今や不利な立場となったのは、銀河保安機構軍の方だった。
包囲されつつ前後から挟撃されるという前代未聞の状況に陥っていた。
スールズカリッターがヤンに伝えた。
「各艦隊司令官から敵の数が増えた魔術のタネについて説明を求める声が上がっています。一体何が起きたのでしょうか!?」
ヒューベリオン艦橋の人員の多くが耳をそばだてていた。
「ワープエンジンを短期に大量生産するのは難しい。だけど星系内航行用のエンジンだけならそうでもない。我々だってコスト面を考えて恒星間航行能力のない警備艦艇を持っているだろう?」
「……たしかに、星系内航行用のエンジンなら性能にこだわらなければ万単位で用意することもできるかもしれませんが」
バグダッシュが口を挟んだ。
「新銀河連邦は星系内航行用エンジンについては結構な数を連合や帝国から輸入していたはずですから、乗っ取った商船の積荷として獲得した数も多かったんじゃないでしょうか」
「だろうね」
「しかし、星系内航行用エンジンだけで、恒星間空間をどうやって移動して来たのですか?移動可能な質量は結局ワープエンジンの数によって制限されるはずです」
「移動しないんだよ」
「えっ!?」
スールズカリッターは何を言われたかわからなかった。
「ユリアンはエンジンだけをシリウス星系内に持ち込んで、星系内で船体となる〈蛇〉を調達したんだ」
「どうやってですか!?」
「第七惑星ですな」
オーベルシュタインが口を挟んだ。
ヤンは頷いた。
「そうだ。事前に〈蛇〉がシリウス星系のガス惑星に侵入していたんだ。〈蛇〉はガス惑星である第七惑星の資源と熱エネルギー、シリウスの光エネルギーを使って増殖した。ユリアンは第一陣として八千体の〈蛇〉と共にシリウス星系にやって来たが、その時に一万五千個のエンジンを持って来て、第七惑星接近時に惑星内に投射したんだ。ビーム兵器やレールガンもエンジンとともに投射したかもしれない。
それを惑星内の〈蛇〉が受け取って船体を形成した。
そしてワープして来た救援五千体が第七惑星でスイングバイした際に、そこに紛れ込む形で我々の方に向かって来たんだ。
これがユリアンの使った魔術のトリックさ」
「でもシリウスを戦場にすることを決めたのはごく最近ですよ!決まってからは星系の警備と監視も強化されていたのに!」
「別に一つに絞る必要はないさ。ユリアンは、決戦の場になる可能性のある星系のガス惑星にはほぼ手当たり次第に〈蛇〉を予め仕込んでおいたんじゃないかな。〈蛇〉は対数的に、急激な速度で増殖するからね。仕込むコストは小さくて済むのさ。新銀河連邦内のガス惑星を片っ端から調査する必要があるね。この戦いに勝てればだけどね……」
「長官閣下……」
スールズカリッターはギョッとした。
「どうしたんだい?」
「この状況で笑われるのですか……」
「えっ!?ああ、まあ」
ヤンは我知らず出ていた笑みを急いで引っ込めた。
ヤンは、立場を忘れて嬉しくなっていたのだ。ユリアンが自らの予想を超えた手を打ってきたことに。そのような相手でなければ、ヤンも知略の働かせ甲斐がなかった。
同時にヤンは罪悪感も覚えてしまっていた。
……戦いを楽しむような人間が軍事組織のトップにいるべきではないよなあ。早く後任を見つけて引退したい。それこそユリアンはどうだろうか。まあこの戦いに勝てたらの話なんだけど。
「ヤン長官、どうなさるのですか!?」
ヤンの物思いはスールズカリッターの焦りに満ちた声で邪魔をされた。
「……機を待つしかないね」
「え?」
艦橋の多くの者が驚いた。ヤンが何か策を用意しているものと思い込んでいたのだ。
ヤンは繰り返した。
「今は機を待つしかない。とにかく防戦に努めるよう通達を出してくれ」
スールズカリッターは僭越であることを自覚しながら、つい言わないではいられなかった。
「それだけなのですか!?我々はダゴンにおけるヘルベルト大公のごとく、殲滅されようとしている状況ですよ!手をこまねいていては」
「無理に突破を図ったとしても追撃を受けることになるだろう。そうなれば我々は大損害を受けて立て直しが不可能になるし、新銀河連邦領は増え続ける〈蛇〉の支配下に陥ることになる。それは避けなければいけない」
「いや、しかし……」
「機は来る。必ずなんとかするから今は従ってくれ」
不敗の名将ヤンにそのように頼まれて、なおも言い募ることができる人間はこの場にはいなかった。
ただ一人、オーベルシュタインを除いて。
「万一の時は、わかっていらっしゃいますな」
冷厳なその言葉にヤンは頷いた。
「わかっているさ。万一の事態となれば、ユリアン救出は諦めざるを得ない。その上で最善の策を考えるさ」
「よいでしょう。オペレーター、ヤン長官の指示を早く艦隊司令官に伝えるように」
オーベルシュタインの促しによって、銀河保安機構の全軍に防戦の指示が行き渡った。
一方のユリアンは、その秀麗な顔を歪ませて哄笑していた。
「あっはっは!見事に嵌ってくれましたね。ヤン・ウェンリー!僕/僕達/〈蛇〉を甘く見るからですよ!」
ひとしきり笑った後、ユリアンは不意に不機嫌な顔になった。
「もっと楽しい勝負になると思ったけど、ヤン・ウェンリーなんてこの程度だったのか。こんな奴に二度も負けたなんて過去の自分が許せないや」
ユリアンは思った。
僕がヤン・ウェンリーに負けなければ、##が死ぬことはなかった。あるいは、○○が死ぬこともなかった。
**がいなくなったのも僕が不甲斐ないからだ。
僕が、僕が、僕が、僕が、
僕が、僕が、僕が、僕が、
僕が、僕が、僕が、僕が
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ユリアンは不意に殴られたような衝撃を受けた。物理的なものではなく、精神的なものだった。
〈蛇〉が自らを傷つけかねないユリアンの自責の念にストップをかけたのである。
ユリアンはしばらくうずくまっていたが、やがて顔をあげた。その目からは血涙が流れ出していた。
「そうだよね。憎むべきはこいつらだ。殺さなければ。取り込まなければ。その先に皆が幸せになれる未来が待っているんだから。こいつらも僕/僕達/〈蛇〉の一部になればわかってくれるよね?」
ユリアンは憎悪と善意の混沌の中、逆包囲の下に置いた敵に対する攻撃を強めていった。