レディ・S、トリューニヒトとの話し合いには最終的に以下のメンバーが参加することになった。
ヤン・ウェンリー
ユリアン・フォン・ミンツ
ライアル・アッシュビー
フレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー
マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー
リリー・シンプソン
ルイ・マシュンゴ
マシュンゴは警護役の代表としてであったが、ユリアンが彼を推薦したのは、一つ気になることがあったからであった。
ユリアンはマシュンゴと共に一足早く、話し合いの場となる地球財団管理の会議室に着いた。
先に片付けるべき用件がいくつかあったからである。
一つ目はマシュンゴのことであった。
マシュンゴは今回、マルガレータ達とは別のところに囚われていた。
事態解決後、レディ・Sが亜麻色の髪を持った女性であることを聞いたマシュンゴは、自らが頻繁に見る、予知夢あるいは幻視のようなもののことをユリアンに打ち明けた。
人類に訪れた破滅の時、倒れた自分、そこに現れた長い亜麻色の髪の……
「人類は運命には逆らえませんから」
ユリアンは、マシュンゴの口癖の理由を初めて理解した。
ユリアンはその夢がレディ・Sと何らかの関係があると判断し、マシュンゴを話し合いの場に参加させたのだった。
マシュンゴは、レディ・Sをその目で見て驚愕した。
「あなたは、夢に出てきた……」
レディ・Sは首を傾げた。
「夢?私が?」
「あなたは、倒れた私のことを上から覗き込んでいた……」
レディ・Sはマシュンゴの顔をじっと見つめた後に言った。
「ああ、そういうことね。珍しい」
マシュンゴは勢いこんで尋ねた。
「一体どういうことですか?」
その夢は、マシュンゴの人生を縛ってきたものだった。
その正体が判明する機会を、マシュンゴは逃すつもりはなかった。
「慌てないで。これからの話でわかるわ」
そう言われてはマシュンゴも一旦引き退らざるを得なかった。
「ところで、レディ・S」
「何?ユリアン」
ユリアンは先程から気になっていた。
「トリューニヒトさんの膝の上で、話をするつもりなのですか?」
レディ・Sはまるでぬいぐるみのようにトリューニヒトの膝の上で抱っこされていた。
「そうよ。手足がなくて椅子だと安定しないんだからしょうがないじゃない。この歴史におけるヤン・ウェンリーの奥さんに斬られたせいでね」
乗せている側のトリューニヒトも加勢した。
「そういうわけだ。少し見た目に問題があるかもしれないが、話をするのに問題はなかろう」
トリューニヒトとレディ・Sがかつて恋人同士であり、今も互いに恋愛感情を持っているように振舞っていたことはユリアンも既に知っていたが、今の様子を見ると演技ではなかったと理解せざるを得なかった。
「それはそうと、ユリアン君、リリーに私がアンドロイドになったことを話してしまったんだね」
「はい、独断で申し訳ありません」
トリューニヒトは首を振った。
「彼女は私への依存心が強かった。本当は今回の機会に私のことなど忘れて、彼女自身の人生を歩んで欲しかったのだがね」
「それは……すみません」
「いや、君がそれで面倒な状況になったことは私も把握している。しょうがなかったのだろう」
「ご理解頂きありがとうございます」
「実は君を私の政治における後継者と考え、彼女のことをそのうち任せようと考えたこともあったんだがね。そうすれば彼女も私から離れることができたかもしれないのだが」
トリューニヒトの意図を理解し、ユリアンは顔をひきつらせた。
彼女絡みの噂で家族会議をしないといけなくなったことは、ユリアンにとってあまりいい思い出ではなかった。
「それはどうかと思いますが」
トリューニヒトは笑った。
「昔の話だよ。私が銃撃されることなく、同盟で権力を握ったままで、君が同盟に大人しく戻って来ていたら、という今更の話だよ。流石に四人も婚約者がいる今の君に、彼女のことを任せるつもりはないさ。……気にかけてもらえるとありがたいがね」
「安心しました。わかりました」
突然、レディ・Sが話に割り込んで来た。
「その当の本人がやって来るわよ」
トリューニヒトは、膝の上のレディ・Sをユリアンに預け、リリーを待ち構えた。
リリーは、トリューニヒトの顔を見るなり、周囲も気にせず涙を流し始めた。
「先生!またお会いできるなんて夢のようです!」
「私も君とまた会えて嬉しいよ」
「先生、これから姿を隠されると聞きました。それならば私もついて行きます」
トリューニヒトの返事は端的だった。
「いや、その必要はない」
「え?」
「リリー君。君には助けられた。だが、私はアンドロイドとなって体力の問題もなくなったし、これからは表立って政治に関わるつもりはない。君の力は必要ないんだ」
「そんな……それでも私は……」
「私はもはや過去の人だ。しかし君には未来がある。もはや会わない方がいい」
それはリリーにとっては死刑宣告のように聞こえた。
「先生……私は、私は独りに」
「君も独り立ちの時が来たんだ。政治家として大成できるだけの能力も実績も君にはある。私の存在はむしろ君の邪魔にしかならないんだよ」
「そんなことはありません!先生がいなければ私など何もできません!助けてください!」
途端にトリューニヒトの表情と雰囲気が変わった。
「君は私の目が間違っていたというのかね?」
それは、トリューニヒトが相手の対応に失望した時に見せるものであることをリリーはよく理解していた。
「い、いえ!そんなことはありません……」
「私は君の能力を見込んでここまで引き立てたんだ。私の顔に泥を塗るようなことはしないでもらえるかな?」
「は、はい!」
リリーはそう答えてしまった。
トリューニヒトは再び笑顔を見せた。
「こうしようじゃないか。君がこの後、政治家として大成したと私が判断すれば、私はまた君に会おう。安心しなさい。私はアンドロイドだ。いくらでも待つさ」
リリーの顔が明るくなった。
「私が大成したら、また会って頂けるのですね!」
「ああ。そうしよう」
「それなら、その時は一つ、お願いを聞いて頂けませんか?」
「聞こうじゃないか。叶えられるかどうかは聞いてみてからだがね」
「……そうですね。それで構いません。先生、見ていてください!私は先生の名に恥じぬ政治家になってませます!」
「ああ、見ているとも」
レディ・Sはユリアンに抱えられながら呟いた。
「ヨブ、やっぱり人の扱いがうまいわね。ユリアンも参考にするといいわよ」
「そうします。しかし、僕はいつまであなたを抱っこしていればよいのでしょうか」
アンドロイドのあなたは重いので、と言わなかったのはユリアンの気遣いである。
レディ・Sはユリアンの発言に応答が遅れた。何かを我慢するような顔をしていた。
「……ごめんなさい。降ろしていいわよ」
「そのような顔をされると困るのですけど。僕達、殆ど初対面ですよね?」
「この歴史ではね」
ユリアンはその返事を訝しんで再度尋ねようとしたが、折り悪くマルガレータがやって来た。
「ずる……じゃなくて、レディ・S、何でユリアンに抱っこされているんだ。早く離れろ」
レディ・Sはトリューニヒトの膝の上に戻った。
リリーも涙を拭き、席に着いた。
ヤンやライアルもやって来て、話し合いが始まった。
レディ・Sは話を始めた。
トリューニヒトの膝の上で。
「集まってもらってありがとう。皆さん。最初に、今回のこと、いや、私の関わった一連の出来事について謝罪するわ。それでは済まないことも十分に承知しているけど、それでもよ」
ヤンが、ただ平静に返した。
「その通り、謝罪じゃ済まない事態だ。でも、それには理由があり、その説明がなされるから我々はここに集まっている。早くその説明をしてもらいたいものだね」
「話が早くて助かる。……多分想像がついている人は多いだろうけど、私は何度もタイムワープを繰り返しているわ。複数の方法で、何度も何度も、回数も忘れるほど。そして無数の人々の記憶と思いを引き継いでここに立っている」
ヤンは頷いた。
「タイムワープについてはそうではないかと思っていた。しかし、人々の記憶と思いというのはどういうことかな?」
「それを今から説明させてもらうわ。長い話になるから覚悟してね」
レディ・Sはゆっくりと語り始めた。
レディ・Sという存在と人類のあり得た歴史、そして、その先に絶望が待ち受けるその物語を。