夜空が明るみに霞み始める。
まるで
メディアとシオンを置いて先に帰ろうとしていた王女は、ある視線に気付き、そちらを向いた。
視線の先にいた暁の日差しを背に背負った、王女もよく知る相手もまた王女に真っ直ぐに視線を向けていた。
王女は、少しだけ冷めた表情を向けて口を開いた。
「今日の夜会はもうお開き。踊り足りなくても明日にするといいわよ、凛」
「…今ここで戦うつもりは無いわよ。…というかメルト、貴女わかって聞いているんでしょう?」
友人の呆れたような仕草に対して、数千年を生きる王女は後ろ髪を払いながら、悪戯がバレた少女そのものな無垢の微笑みを浮かべる。
朗らかで純粋で、それでいて気品もある笑みであった。
現実にありながら幻想的な、お伽噺のお姫様の笑顔であった。
遠坂凛は、間桐のやり方には最早付いていけないと同盟を破棄した。
そして間桐が同盟を破棄して明確な敵となった遠坂を、許すはずもないことを理解していた凛は、そのタイミングを見計らっていた。
勿論臓硯も、当然いずれ凛が裏切ることなど承知している事も凛は理解していた。
つまり、お互い理解し合った上で、何処で隙を作るか。
その読み合いがあった。
結果として、その読み合いに勝利したのは遠坂凛。
臓硯は、遠坂の娘が己の元を逃げ出すときには、間違いなく負い目のある妹を連れ出す。
そこで離脱が失敗する。
つまり、間桐桜という最終ラインがある限り、そこを重視して気に掛けていれば、逃げ出した遠坂凛は蜘蛛の巣にかかった蝶のようになると踏んでいた。
自分の代わりに遠坂家を追い出されて、間桐家に捕らえられた哀れな妹を置いてはいけないと。
蝶は蝶でも美しい成虫ではなく、羽化することの無い永遠の醜い芋虫に作り替えられた妹が枷になると。
その前提は間違っていなかった。
しかし、臓硯が軽んじていたのは、潜在的な敵陣営である遠坂凛の逃亡を、間桐の家に召喚されたサーヴァントであるアーチャーが扶助したことであった。
聖杯戦争の参加者である遠坂凛を助ける為に、桜を見捨てろとエミヤは凛に言った。
桜は必ず己が救う。
だから、それを信じて待て。
故に、今は――――見捨てろ。
英霊エミヤはそう告げた。
凛はそのやり方を受け入れたくは無かったが、アーチャーの偽悪的な正義感、否、ここでは無い何処かで彼を信頼したという存在しない可能性が、遠坂凛に英霊エミヤの言葉を受け入れさせた。
臓硯の前提である、少なくとも臓硯の見立てでは自ら助けられるつもりも無い人質である桜を使う、最初の罠が動くこと無く潰えた。
生前とは真逆の結果を手にする為に、護りたい者全てを護る為に、それ以外の全てを捨てる覚悟を決めたエミヤ。
当然、彼自身の保証など一番最初に捨てている。
臓硯に遠坂を逃がしたことを責められても、飄々と皮肉で答えるだけに過ぎない。
間桐の最大戦力は間違いなく二体のサーヴァントだ。
その認識が間桐家で共有されている限り、それ以外の有力サーヴァントが脱落するか、アサシンが聖杯の力を十全に引き出せるようになるまでは、自分に利用価値がある。
だからその切り捨てが可能になるタイムリミットまでに、間桐桜を救えるのならエミヤの勝ち。
逆に臓硯の立場で言えば、敵のマスターを逃がす原因になった、使い勝手が良くないサーヴァントは効率的に使い潰すのが良策と言えた。
故に、アーチャーを最大限に利用して消費させる。
それが間桐家でのアーチャーの最終着地点。
そこでエミヤに助け船を出したのが慎二だった。
いや、助け船と言うよりは、三途の渡し船の同行というのが正しいのかも知れない。
慎二とエミヤで、他のサーヴァントを遊撃すると申し出た。
それは、エミヤを未だ生かす理由を補強する為のものであり、エミヤを自由に動かす大義名分でもあった。
慎二はもし万が一、有力な敵陣営を全て破壊した後には、アーチャーを自害させる事を条件に、臓硯から言質を得た。
慎二はエミヤに貸し一つだと、悪友に対して悪ぶって笑った。
遠坂凛は、そう言った経緯を経て、今この瞬間、最高の友にして最大の敵である
あらゆる少女の夢想する物語の原点にして、世界というウェディングプランナーに一身に愛される永遠の処女。
全ての王子様に愛されるお姫様。
遠坂凛が知る限り最大の存在に、真っ当な手段で勝てるとは到底思えないのに、真っ当な手段で勝ちたい。
戦いたくないのに戦いたい。
矛盾した感情が凛の中には混在するが、きっとそれらを全て見通した上で、メルトが受け入れてくれると凛は信じている。
逆にメルタトゥムは、凛の全てを見通せたとしても、更にその奥を覗けたらと思っているのだが、凛が知るところでは無い。
「凛。私が最初に
そして最後に踊る相手も貴女だと嬉しいと思っているの。貴女も同じ気持ちだと嬉しいわ」
「ええ。私が貴女に
その答えは、まさしく王女が望んだものだった。
「レイズを重ねてもフォールドしない。私は貴女のそういう所が好きよ、リン」
「持ち金が少ない私の行動が、オールインしか出来ないのを分かっていて聞くなんて、随分と趣味が悪いわね」
「…フフ、いいわ。
ええ、それでこそ貴女。
それでこそ私のリン。
この高揚感。この気持ちを、恋と呼ぶのかしら。
リン、第十九王朝ラムセス二世が娘メルタトゥムは貴女を…いえ、
…ある意味、貴女の前では王女としての私は殺されてしまったようなものね。
とは言え、私は何処までも王女なのだけれど。
でもね、リン。
…それ程の衝撃だったのよ。貴女だけは特別の中の特別。
貴方だけ。貴方だけが母以外で私の欲望を剥き出しにさせてくれる。
不死者であるこの私を殺したのよ。
だから、だからね、――――――――私を殺した責任、取って貰うわ」
それは、愛の告白だった。
情欲と熱意に燃えた瞳。
その瞳には怯えや期待など無く、ただ確信だけがあった。
「…私は
「それも今のうちだけだから大丈夫よ。死の後も可愛がってあげるわ。
…ああ、今すぐ貴女をここで打ち倒したいけれど、デザートは最後に取っておくと既に決めたことだから」
女性である凛をして魅惑的な王女。
しかし遠坂凛は同性愛者では無く、親友の枠組みに置いているメルタトゥムからの告白は、正直にいうと気まずい。
少女の憧れを詰め込んだお姫様に迫られて、恣意的に魔術を掛けられたわけでも無いのに理性が削られる異常事態。
メルタトゥムにして言わせれば、これも恋と呼んだのかも知れない。
大切な相手でありながら、護るべきものとして自らの保護下に置くのでは無く、互いを自らの敵として認識する。
友情を共有しながら、敵意をも共有する。
その歪な関係に、シオンとメディアは少しだけ倒錯的な耽美を感じた。
その感情は――――
「マスター…」
「キャスター、貴女が言わんとする事に同意します」
その感情は――――――嫉妬に似ていた。