夜会が始まる日の朝。
凛と葛木を笑顔で見送ったメルタトゥム。
彼女はその笑顔のまま、コルキスの姫に告げた。
「メディア姫。裏切るつもりなのでしょう。悲しいけれど仕方ないわ」
それは疑問では無く断定。
「貴女があの男性と生きて行くには、聖杯への願いが必要。
けれど私は、母の復活と父の受肉を諦めるつもりはない。
聖杯では、願いが叶えられるのはどうあっても二つが限度。
――――枠が欲しければ奪うしか無い。
恋は戦争とはよく言ったものね。
…いいわ。私に挑戦することを許します」
裏切りすら許す。
寛容にも程が過ぎる発言だった。
加えて、この場には彼女の父であり最大の戦力であるオジマンディアスはいない。
秘匿など知った事かとメディアが動けば、メルタトゥムは窮地へと立たされる。
「裏切った?
何時からの事を言っているの。
今現在? それとも開幕当初のラジオキャスターに扮したとき? …それとも私の過去のことかしら?」
思惑を見抜かれたメディアもさるもの。
平然として、その余裕を崩すことは無い。
「
貴女は父上以外のサーヴァントと比しても、十分に勝ち筋を狙える優秀なサーヴァントよ。
だから勝利を掴もうと思っても、何もおかしな事も無いの」
シオンにそのつもりが無いとしても、既にメディアは時間を掛けて、合図を送ればシオンを己の支配下に落とし込む魔術を仕込んでいる。
やろうと思えば、何時でも自分にマスターからの指示も令呪も利用出来る。
聖杯戦争のシステムに介入出来る時点で、直接の戦闘以外の全てにおいてメディアは極めて優秀な優勝候補とも言えた。
「――――それに、私は嬉しいの」
エジプトの王女は心からの祝福をコルキスの王女に送った。
遠坂凛が王女で無いメルタトゥムとして、個人としての欲望を向けられる相手ならば、メディアは王女であるメルタトゥム個人としての境遇を理解し合える相手。
そもそも個人であるメルタトゥムと王女であるメルタトゥムの境界はあやふやな物で、メルタトゥムはお姫様であり、お姫様の概念の化身がメルタトゥムである。
故に、メディアのその反逆の意思さえ、祝福に値する。
メルタトゥムは、己の大切な人達が、大切な敵として己の前に存在することに歪んだ祈りで祝福した。
その祝福は少しの寂しさと、少しの憧憬と、自然的な偶像で出来ていた。
「神々の陰謀で男に恋をした貴女は、祖国を裏切った。
でも今の貴女は、己の意思で恋した男の為に裏切りたいと思っている。
それは、とても素敵なことだと思わない?」
「…まさか祝福されるとは思わなかったわ。
そこまで善意を向けられるとやりにくいわね。
それも織り込み済みだろうし、その上でも潰す気なんでしょうけど」
「ええ、勿論」
またしても断言。
「ふふっ、言うまでも無かったわね」
王女同士の会話は、シオンには幾ら思考を重ねても、とうてい理解が出来ない世界の話であった。
これは感情の話。
思考の数や速度を増やせば正解に行き着けるというものでは無い。
単純に、マスターとして同意するか、しないか。
それを決めるのは、単純に己のサーヴァントの恋を応援するかどうか。
秤の反対側には、圧倒的に有利な勝算と権益が乗ってある。
ただ、それだけでしかなかった。
何処までも簡単な問題なのに、天秤の反対側に乗っているものが大きすぎて動けない。
そもそもシオンは聖杯に望むことも無く、サーヴァント達を使ってタタリを倒すことだけを目的としていた。
サーヴァントが何かを望んでいれば、その望みの為に積極的な参戦が必要であったものの、取り分けて執着する目的の無いと申告したメディアを引けた事にホッとしていたくらいだ。
それが、途中で譲れない願いが出来ました。
だからサーヴァントの意向で動かないといけない。
こんな状況になれば、他のマスターであっても戸惑うに違いない。
少なくとも、別の世界線でメディアを引き当てていたアラブの富豪なら憤激するだろう。
その上、メルタトゥムもメディアも王族同士として対等な会話を行っており、そこに平民であるシオンを挟んでもいなかった。
「マスターは、如何するのかしら?」
メルタトゥムはマスターであるシオンに問いかけるが、その視線はメディアから離れていない。
結局は、メディアがマスターに如何させるのか。
メディアの意向次第に過ぎない。
シオンは代弁者、いや腹話術師のパペットに過ぎない。
そんな現実があった。
勿論、それを否定して欲しいとシオンが願えば、それを察したメルタトゥムは甘く優しい言葉で丸め込んでくれるだろう。
しかし、それは欺瞞以外の何物でも無い。
それをシオンが理解していることを含めて、メルタトゥムは理解して寛容するだろう。
きっと、力無い平民でも、遠坂凛であれば違ったかも知れない。
彼女は、メルタトゥムの世界でヒロインになれる者だ。ヒーローになれる者だ。
しかし、シオン・エルトナム・アトラシアは対等な相手ではなく、保護下にある者である。
保護下にある以上護ることに努めるが、良くて愛玩までが精一杯だ。
キングにもクイーンにもジャックにもジョーカーにもエースにもなれない。
己を蚊帳の外に置かれ、当初の前提を反故にする。
マスターとして自害を命じて、引き続きメルタトゥムの保護下で、タタリ討伐を行った方が成功の可能性も高い。
そう動いたとしても、きっとメルタトゥムは寛容を示すだろう。
彼女はそういう存在だ。
太陽とはそういった存在だ。
少なくとも、シオン・エルトナム・アトラシアにとっての、王女メルタトゥムはそういった存在であった。
――――シオンは決断した。
「メディア。令呪を以て命じます。
恋にも戦争にも、絶対に負けはありませんっっ!!」
その様を見たメディアは、一瞬呆けた後、美しい礼を取りながら、謝罪と共に己の仕掛けた隷属の罠を解いた。
そして砂漠の王女は――――
「ようやく、聖杯戦争の主権ある参加者となったのね。
シオン…いえ、シオン・エルトナム・アトラシア。
貴女を私の敵として敬意を以て迎えましょう」
今までの寛容とは違う、別種の寛容を示す礼を取って、それを受託した。
「女の子に生まれたのならば、誰にでもお姫様を目指す権利があるの。
どうせなら憧れるだけよりは、自分がお姫様を目指せば良いだけのこと。
その分不相応な意思を、私は何よりも美しいと思うわ」
勿論、母上と私の次にね――――。
そう付け加えたメルタトゥムは、どこまでも始まりの姫と呼べた。
メルタトゥムが去った場所で、真の意味でマスターとなったシオンに、メディアは告げた。
「侮っていたことはごめんなさい。
そして、共に戦ってくれてありがとう」
「今までも、そうしてきたじゃ無いですか。それに――――
私は、貴女のマスターですから」
それに、眼鏡男子愛好会の会長でもありますとまでは、流石に雰囲気が崩れるからシオンも口にしなかった。
「…そうね。つまらない質問だったかしら。
物語を終えたお姫様には、二つの選択肢があるの。
新たな姫の為に魔法使いになるか、…新たな姫の為に
私は悪い魔女だけど、貴女の魔法使いになってみせるわ」
「それは…心強いです」
ハッピーエンドの魔法にかかった姫に挑むは、魔法少女であった悪い魔女と、新たな時代のルーキープリンセス。
これにて、役者は漸く揃い、万夫不等の英雄達が、己以外全ての英雄を屠り臨む、血と希望に満ちた祝祭の夜明けを迎えた。