太陽王の娘   作:蕎麦饂飩

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ステイナイト

 聖杯が収められた洞窟で、間桐の面々が揃う。

 身の程知らずの悪でしか無い彼らは、ハッピーエンドの物語では踏み台として倒される側の存在だ。

 

 そんな悪の軍団へと裏切った元正義の味方は、己の利用価値があと僅かである事を理解した上で、悪の総帥へと直訴した。

 

「この戦いが終わったら、桜を解放して欲しい」

 

 スペアでしか無い孫の所有する使い捨てサーヴァントの意見を、マキリの君主は受け入れた。

 

「…よかろう」

 

 どのみち、聖杯が完成した時点で、完成する過程で間桐桜個人の存在は無くなる。

 どのみち、約束をした相手であるアーチャーはいなくなる。

 どのみち無効となる約束を結ぶことで、駒が従順になるのならそれで良い。

 悪い魔術師は、そう考えた。

 

「まあ桜がいなくても、間桐家には僕がいるからね」

 

 魔術師としての己の価値を、桜と比較して理解した上で慎二はそう同調した。

 己が当主となれば、スペアである桜は要らなくなると、敢えて実状を理解しないような偽悪的な笑いを浮かべた。

 

「そもそも、聖杯と虚数で繋がったアサシンがいれば、聖杯を使ってまで願いを叶える必要は無いんじゃ無いか?」

 

「「違う」」

 慎二のその意見を、人の血肉を喰らう吸血鬼へと堕ちた老人達は即座に否定した。

 

「じゃあ、その願いは何なんだ?

英霊の軍団が完成しても出来ない程の事なんだろうか?」

 

 儂の願いは――――――

 私の願いは――――――

 

 

 擦りきれるほどに苦悩した二人の老人は、その言葉の続きを言えなかった。

 だが、一つ言えることがある。

 

「あの姫を倒したとき、話してやろう」

 

 その時には、きっと全てを思い出せるような気がする。

 蟲の老人の言葉を、若々しい虚構の老人は誰よりも納得していた。

 

 

「故に、死ぬ気で倒すが良い」

 

 アーチャーは頷いた。

 正義を捨てた守護者が、正義に愛される勇者のトロフィーに立ち向かうとは皮肉だと己を嘲笑いながら。

 

 

 

 眠らされてこの場にいる間桐桜は、本来なら何処までも被害者であり、救済されるべきヒロインである。

 しかし、美しいものだけを望む世界は、汚された少女に冷たい。

 羽化(美しさ)を奪われ、永遠の芋虫に変えられた(穢された)少女にヒロインの権利は無い。

 救いなどは無く、弱い己、不運な己の自己責任だと冷たく切り離す。

 誰もが他者の為に、危険で汚い道へ踏み込んで助けに行く勇者になんてなれない。

 眠り続ける茨姫を助けに行く勇者様になんて、誰もがなれるわけでは無い。

 

 けれど、決して願うことすら無意味では無い。

 しかし、願い裏切られる辛さを知る少女には、願うことすら残酷に映る。

 絶望で濁った瞳には、鮮烈で無いものは映らない。

 いや、瞳を開けることすら恐れている。

 彼女は目を開けた世界を恐れて、起きているのに瞼を閉ざし続ける茨姫。

 

 けれど、彼女には薄汚れた騎士がいる。

 王子様すら見向きもしない穢れた姫を閉ざした茨の城に、それでも彼女を救う為に傷だらけになりながら、泥まみれになりながら、姫の眠る部屋を探す騎士がいる。

 

 

 正義と幸福に愛されたお姫様の眠る岩の城(ピラミッド)は、踏み入れた不届きな悪を天誅した。

 悪と絶望に取り憑かれたお姫様の眠る泥の城は、正義に属して踏み入れる者を人誅する。

 

 そこに違いは無いのに、正義か悪か、煌びやかか灰塗れに汚れたか。

 ただそれだけが、全てを逆にする。

 

 しかし、灰に塗れた娘だけが得られる至高の称号があるのだ。

 その名前は――――――『シンデレラ』。

 

 

 

 

 

 

 

 

   △

――△△△――

 

 

 

 

 

 寛容とは何か――――

 寛容とは、『超越』である。

 寛容とは、『無関心』である。

 

 寛容は、自分達の側に都合が良いから許可することとは違う。

 寛容は、自分達の視界にすら入れる必要の無いものへと行われる。

 

 寛容に不寛容なことも、不寛容に寛容なことも、真に寛容なことでは無い。

 許さないことを許さない。許すことを許さない。許さないことだけを許す。

 それは、真の寛容とはほど遠い。

 

 例えば、バスの中で赤子が泣きわめくことに腹を立てて、母親に怒鳴りつけた中高年の男を逆にバスの運転手が摘まみ出したとしよう。

 例えば、肌が黒い人と同じ席に座りたくないと腹を立てた白人女性が、客室乗務員に叱責されたとしよう。

 これは、この話に賛同する側にとっては美談であるだろう。

 他者に不寛容な人間を否定したことになるだろう。

 しかしこれは、不寛容な人々に不寛容な人々(・・・・・・・・・・・・・)が居たというだけとも言える。

 結局は、己の信じる正義にそぐわない者を拒絶したに過ぎない。

 

 完全に寛容な人々は、お抱えの運転手に送迎して貰い、ファーストクラスやプライベートジェットにしか乗らないので、そもそもの大衆や彼らの生活に伴い起こりうる喧噪と縁の無い人々である。

 関心を持てば、どちらかの側に肩入れしてしまうことも多い。

 しかし、接点も無く、関心さえ無ければ、寛容な人々にも不寛容な人々にも寛容でいられる。

 不寛容が生まれる問題自体と接点が無ければ、少なくとも不寛容では無くなる。

 

 空に佇む星には、地上に住まう虫たちの争いなど影響も無く、関心すら無い。

 どの虫とさえ、無視出来るだけの誤差で隔絶した距離を持つ。

 故に誰もに平等に、明るく光を放つ。

 ――――美しい寛容の輝きを。

 

 太陽は誰もを平等に照らし出し、近付くことを許さない。

 それは、誰かだけを照らさないという残酷さの側面をも併せ持つ。

 

 ならば、太陽(オジマンディアス)に特別に愛された王妃(ネフェルタリ)は、太陽(メルタトゥム)に特別に愛された(遠坂凛)は一体何なのであろうか?

 その答えは太陽にしか分からない。

 

 その特別の為に、どれだけの有象無象の価値を太陽が認めるのだろうか?

 今日も太陽は無関心に全てを照らし、無関心に沈む。

 慈悲深く残酷な光源は、光に集まる虫達を焼き尽くしながら、寛容を示す。

 

 

 

 シンデレラにとって継母が最後の敵ならば、継母にとってシンデレラこそが最後の敵であるとも言える。

 澄んだガラスの透明度は光を何処までも透き通らせる。

 それは相手の光を受け止めはしないということ。

 とてもとても残酷な真実。

 

 

「悪しき闇を祓い、母上をこの世界へ」

 

佇む夜(stay night)を祓い、妻をこの世界へ」

 

 何処までも正義でしか無い光達は、王妃ネフェルタリをこの世界に救い出す為に、闇を這う虫達の城を祓いに行く。

 そこには救いしか無く、祝福しか無く、正義しか無い。

 

 何処までも美しく正しいラストボスが、道を踏み外した勇者を倒しに行く。

 これはそんな残酷なお伽噺。

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