2月2日の深夜。
聖杯戦争が、幕を上げた。
メルタトゥムが把握しているマスターは全体の半数。
メルタトゥムが認識しているのは、間桐慎二、アインツベルン家のホムンクルス、そして、遠坂凛。
スカラベと特殊部隊による観察と人工衛星での監視結果なので、間違いないだろう。
それ以外の者は発覚次第、対処する。
だがまずはその三人に向けて、メルタトゥムは仕掛けることにした。
遠坂家には特殊部隊による突撃命令。間桐家にはスカラベの大軍。アインツベルンには予め囲ませておいたエジプト陸軍の誇る
それらは全て深夜になったと同時に、当初の命令通り容赦なく躊躇無く実行された。
日が変わったと共に引き起こされる複数箇所での大爆発。どうせ後からはガス爆発の事故だなんだと理由を付ければ良いとメルタトゥムは考えていた。
「戦争の時間よ。――そしてさようなら、凛」
感傷など全て終わった後にすれば良い。
メルトと呼んでくれる友に心の中で別れを告げながら、小型犬サイズの近代風スフィンクスに連動させた遠見の魔術で様子を見た。
少なくともそれぞれの屋敷は壊滅的な被害を受けているのは間違いなかった。
敢えて言うなら、間桐の家は爆発が起こっていない分だけ静かであったかも知れない。
だが、フンコロガシはただでさえ、最も力が強い昆虫の一つである。それも数百年以上生きたスカラベの軍団ともなれば、三家の中では一番恐ろしい脅威と言えた。
因みにこのスカラベ達はメルタトゥムが死の眠りから覚醒めた時のスカラベ達の子ども世代である。
此処だけはエジプト軍でなく、メルタトゥムの戦力が入っていることは大きい。
間桐家にはマスターであろう慎二以外にも同居人がいるのは知っているが、これは戦争である。
父親に冬木を焼き払わせるよりはよっぽど人道的な手段の為の犠牲だとメルタトゥムは思うことにした。
「余の娘が優秀すぎて、これでは出番が無いではないか」
不平不満を言っている風に見せかけて、娘を褒めている父親の戯れ言は軽く無視して、戦争に集中する。
…決してメルタトゥムは照れくさい訳では無い。
未だ一口も付けていないファジージュースの入ったグラスで頬を冷やしているのは、きっと何かの気のせいだろう。
先手で決めるのが戦争の定石だ。戦争は始めたときに多くが決まってしまう。
故に、最初期こそ気を張らなくてはいけないことを娘は生前の父親の姿から学んでいた。
ホテルのスイートルームとは言え、ファジージュースを飲みながら、ふかふかのソファーを満喫する
遠坂邸とアインツベルン城は大炎上している。火の粉が舞い、屋根は崩れていく。
メルタトゥムの目論見通りだ。
一方、間桐邸は思ったような手応えが無い。
メルタトゥムは無線で空挺部隊に潜入を命じる。命令は既に下してある。
更に、サソリやクモの群れもその援護として送り込んでいる。
勿論、ただのサソリやクモで無いのは言うまでも無い。
ヘラクレスと戦ったサソリには及ばないだろうが、化け物サイズのサソリでしかも群れている。
火にも強い特性がある為、炎上しているアインツベルン城にも向けている。
例え炎の中から逃げようとしても、容赦なく片を付ける目論見だった。
だが、メルタトゥムの思惑は大きく外れた。
無線機から聞こえてくるのは空挺部隊の断末魔だった。
しかも、サソリやスカラベに襲われているのが途切れ途切れの声から聞き取れる。
何者かが事切れた空挺隊員の無線機を奪い、メルタトゥムに宣戦布告をしてきた。
「お前さんが何者かはわからんが、虫の扱いが余り上手くないようじゃな」
そのしわがれた言葉がメルタトゥムの耳に入ってくる頃、スフィンクスの視界からは遠坂とアインツベルンの映像が送られてきた。
燃え盛る炎の城の中からは、筋骨隆々の男が斧にサソリを突き刺して悠々と歩いてきている。
その腕の中には幼い少女が抱えられていた。
但し、その周囲には何度か確認されている少女の世話を焼いていた従者の姿は無い。
そして、遠坂邸でも炎の中から見目麗しい金髪の少女と共に、メルタトゥムがよく知る友が姿を現した。
メルタトゥムの友――遠坂凛は焼ける屋敷に顔を向けるスフィンクスに向かい、吠えた。
「開始早々に仕掛けてくるのはわかっていたから、こっちも対策させて貰ったわ。
サーヴァントが当たりじゃなかったら危なかったかもね。
メルト、聞いているんでしょ。私の家をぶっ壊したこと、絶対後悔させてやるんだからっ!!」
そう言った凛の気迫に合わせるように、金髪の少女はスフィンクスに急接近して切断した。
メルタトゥムへと届く映像はそこで途切れた。
メルタトゥムの策は全て不発。初撃の奇襲にて狙ったマスターはただの一人も殺すことは出来なかった。
完全な失敗である。
その失敗したメルタトゥムは下を向いて震えていた。
オジマンディアスはその姿を見て、ちょっぴりバツが悪くて恥ずかしくなったのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
父親の方を振り向いて見上げたその瞳は、炎上する屋敷よりも、砂漠の熱砂よりも、遙かに高い熱量を持った太陽の如く燃えていた。
「…面白いわ。これでこそ闘争。これでこそ抗争。これでこそ戦争。
サーヴァントを持って仮初めの王になった新人さん達にしては、実に見事な踊り方といえましょう。
まだ、仕掛けは残していますが、これではそれも食い破られてしまうやも知れません。
…でも、所詮は私たちの引き立て役に過ぎませんわ。――――ですわよね、父上」
「余の出番という訳か。
ああ、魅せてやるとしよう。
ネフェルタリに、――――そしてお前にもな」
エジプトの親子は、どちらから言うのでも無く、同時にファジージュースが入ったグラスを持ち上げると、重ねて音を立てた後、共に呑み干した。
ノンアルコールでした。