メルタトゥムは、穢れた少女の想いに応えて抱き締める、擦り切れた青年を視線に収める。
メルタトゥムにとって、自由自在に宝具を作り出せるアーチャーはジョーカー足り得ない。
精々、トランプで言えば10の数字札であろう。
自由自在に武器が使えるから何だというのだ。
王女からしてみれば、全ての女の子は、自分がなりたい物語のヒロインに自由に変われる。
己の夢を自由に見られる。己の未来を自由に変えられる。
それに比べれば、自在に武器を作り出せる事なんて、大したことでも無いのだから。
王女にとってキングは己の父。
クイーンはシオンとメディア。
ジャックはギルガメッシュ。
10はアーチャーと慎二。
あとはエースが揃えば、完全無欠のロイヤルストレートフラッシュだ。
残りのエースは遠坂凛――――――ではない。
遠坂凛は対戦相手のプレイヤーであり、カードとは一線を画す相手だ。
ならばエースとは?
エースとは、
「ここでめでたしめでたし、と終わるわけにはいかないのでしょう?」
「如何にも。
山あり谷ありの末に行き着いた特異ながらも、どこまでも平凡なラブストーリー。
そんなものを映画館では無く闘技場で見せられては、観客が冷めて帰ってしまう。
あまりにも場違い。あまりにもナンセンス」
脚本家気取りの悪の親玉の片割れは、そう斬り捨てた。
「然り然り」
もう片方の親玉もそれに同意する。
「ですが、どうなさるの?
行き場を無くした膨大な悪はまもなく臨界を迎えるわ。
可哀想な嫌われ者に同情して、一緒に退場する?」
残酷に告げる王女の両端には、彼女の父と、彼女の夫を自称する勇者がいる。
王女の意向一つで最強と最強が同時に牙を突き立てるのは明白であった。
「退場するのは、お主らの方よ」
「然り然り。分を弁えず夜に姿を現す太陽など、脚本乱しにも程がある。
退場願うのが筋というもの」
先程の逆に、臓硯の言葉にズェピアが追随する。
「正直に言って、ここまで悪に染まった聖杯をそのまま手に入れたところでどうにもならないわ。
貴方達の願いが何かは分からないけど、世界を破壊する類いの願い出なければ、貴方達にはどうしようもできない。
ねえ、メディア姫」
メルタトゥムはどうにかできる相手に向かって、意味深に微笑みを携える。
今後以降どうなるかは別として、この場限りであればメディアの技術であれば負に染まった聖杯でさえ上手く扱える。
「ええ、そうね」
敵に気が付かれれば矛先を押し付けられるこの状況。
コルキスの姫は、それでもその時はその時だと不敵に笑みを返す。
「で、世界を破壊して何をしたいの?
それともそれ自体がお望み?」
それは臓硯とズェピアの始まりに対する侮蔑であった。
しかし、憤慨する権利は無い。
何故なら、彼らの始まりを最も侮蔑しているのは、現在の彼らなのだから。
正義と幸福を求めた賢者の未来は、悪と絶望を求めた愚者であったが故に。
臓硯とズェピアは、敵に意識を向けながら、己の過去を内面に探す。
しかし、あと一歩のところでそこに辿り着けない。
過去の自分が今を赦さない。
今の自分が過去を赦さない。
今と過去が互いに拒絶する故に、最後のところで辿り着けない。
一瞬即発の前の静けさ。
それを壊したのは、臓硯達でも正義の陣営でも無い。
大聖杯の暴走であった。
間桐桜を介さずともあふれ出る悪の奔流。
その暴走が、臓硯達のあと一歩を後押しした。
「そうか儂は――――――」「そうか私は――――――」
「「――――世界を救いたかったんだ」」
それは彼らの始まりの願い。
荒廃する今を、破滅する未来を救いたい。
その始まりから歩を始めた二人の青年は、何時しか摩耗して手段と目的が入れ替わり、その内に目的を忘れてしまった。
「「だが、遅すぎる」」
そう、二人は汚れすぎた。
汚されすぎた間桐桜とは違う。
他者を殺めて己を汚しすぎた。
「いえ、遅すぎるなんて事はないわ。
救いはここに」
それでも王女は寛容する。
世界を破滅させようとする男達を、彼女は正義の陣営にありながら正義でも悪でも無い視点で、彼らの始点を肯定する。
その場しのぎでは無く、今後の憂いの無い完全なハッピーエンドを手土産にして。
「どうするつもりだ?
流石に我が后といえど、どうにもなるまい」
「じゃじゃ馬娘に育ったものだ」
黄金の王達は、やんわりと不可能だと伝える。
しかしその眼差しに否定的な色は無い。
その期待を当然の様に応えてみせると、王女は語る。
「聖杯と繋がった間桐桜の
あと一つ
理論としては全くその通りだ。
しかし、それは所詮理論に過ぎない。
そこには実現の為に、決定的に欠けている物がある。
「残りの
ズェピアは問う。
この証明出来ない証明問題の解を。
「貴方も、本当は分かっているのでは無くて?
――――――――――
メルタトゥムは己の胸に掌を向ける。
運命が閉じる時間――――
なんたる暴論。
なんたる無謀。
なんたる不条理。
なんたる荒唐無稽。
けれど、誰もがそれでどうにでもなると信じられた。
信じれば、願いは叶う。
これはきっとそんな素敵な物語なのだから。
限定された第六法の担い手たる王女を核として、虚数を使う三名が術式に身を委ねる。
「我が友ゾウケン。この様な喜劇があるものか?
私達がしてきたことは全て無意味だった。
ご都合主義のヒーローがいとも簡単にその不可能を成し遂げてしまう。
かつて我等が力無い正論だと跳ね除けられたにも関わらず、この様な綺麗事がまかり通ろうとしているっ。
だというのに、だというのにだっっ!!」
「言わずとも良い。
短い時であったが、言わんとせんことは伝わっておる」
少し気を抜けば全てを持って行かれてしまう、複雑怪奇にして膨大な量の魔力に集中しながら、その心はつまらない術式から遠く離れたところにある。
その証拠に、二人の男の目からは涙が流れていた。
「タタリ――いえ、ズェピア・エルトナム・オベローン。
過去の願いを再出発するというのであれば、私個人のことに関しては赦すとしましょう」
焼き切れそうな程の情報を並列的に操る事で、術式を維持する。
その計算の要となるズェピアとシオンには膨大な負荷がかかっていた。
ズェピアに話しかけるシオンの口元と鼻から血が出ているのが、何よりの証拠だった。
「私は、私の物語を始めたい。だから――――」
「ああ、始めよう」
間桐桜は虚数を複雑に処理出来る技能も、王女のような万能の才能も無い。
しかし、それでも彼女を抱きしめてくれる人がいる。護ってくれる人がいる。愛してくれる人がいる。
だから、彼女は彼女の物語のメインヒロインになれる。
叶わない願いなんて存在しない。
もしそんな願いがあるのなら、無理矢理にでも叶えてみせる。
世界に一身に愛されたからこそ、それは許される。
しかし――――――その無茶には代償を伴うのだ。
「ちょっと、メルトッ!?」
最初に気が付いたのは凛だった。
明らかに己の親友は異常な状態にある。
世界は己がウェディングプランナーである事に耐えられなくなるのだ。
プロデューサーがプロデュースするアイドルに恋をする。
宝石商が商品とする宝石に執着する。
世界が、彼女を己だけの花嫁へとせんと、その存在そのものを奪いに来た。
「おのれ世界め、我の花嫁をどうするつもりだっ!!」
「娘が魅力的とは言え、これは頂けんな」
だが、王女は薄れかかる身体も、溶けていく衣装も、何も気にすることは無い。
「モテる女というのも罪なものね」
世界からの求婚を前にして、それの返事さえすること無く彼女は己の責務を全うする。
ハッピーエンドの体現者。
シンデレラにして魔法使い。
世界に住まう全ての少女の希望の護り手。
世界に住まう全ての少年の初恋。
だから、世界への返答など一つしか無いのだ。
「まずは、―――――お友達から始めましょう」
世界からの干渉が最後の最後で止まった。
その時間を使い切るように、聖杯を完膚なきまでに正の願いに使い切る術式がここに完成する。
願われた祈りは、素敵な夢が叶いますように。
何の具体性も無い願いが、世界の人々に向けて届けられる。
これで世界から犯罪が完全に消え去ることも、世界の破滅が永遠に来ないと言うことも無いではあろう。
けれど、それが少しだけ近くなるだろう。
以前より少しだけ平和に、少しだけ幸せな世界になるだろう。
ほんの少しだけ、世界が優しくなるだろう。
これだけの為に、聖杯はその役割を永遠に終えるだろう。
それでも、それでもあと少し。
完成の完成まではあと少しだけは足りない。
運命が閉じる時間――――
魔法が解ける。お姫様のドレスが、硝子の靴が、ティアラが砂へと変わる。
ダンスホールは輝きを失い、音楽を奏でていた楽器達は倒れて曲を止める。
「まだよ――――まだ、終わりじゃ無いわ」
何もかも失っても、それでも自身をお姫様だと言い張るお姫様は、無理矢理に無理矢理を重ねて立ち上がる。
しかし、自分が補っていた一片の負担が急に消えた。
メルタトゥムはそこで倒れた。
ほんの僅かな、ほんの少し膨大なあと少しを残して。
「ここまでやったんじゃ。慎二、あとは任せた」
「及第点といたしましょう。シオン、任せました」
あと少し、その膨大なあと少しに、かつて世界に挑んで破れた二人が再び挑んだ。
その代償は、先程王女が迎えようとした世界からの消滅。
それでも、それでも彼らに救いはあった。
それは間違いなく彼ら自身が知っていた。
エースが示すは、一しか持たぬものでは無い。嘘みたいな夢を護る騎士なのだから。
世界の存続を願い、巨悪が正義に殉じ、この世を文字通りに去った。
これは勝利であった。
見下す太陽よりも、人が
イカロス達に、後悔なんてあるはずもない。
「ねえ、目を覚ましなさいよ。
ほら、終わったわ。
ハッピーエンドよ。もう完璧なハッピーエンド。
私達の決着は付いてないわよ。起きなさいよ馬鹿メルト。
ねえ、起きなさいよ」
僅かに身じろぎしながら、消えかかる手前で倒れたお姫様。
その瞼が開くことは無い。
彼女の父親の宝具であっても、世界に存在を奪われることは癒やせないのだから。
けれど――――――
「――――助ける方法はある」
そう告げたのは彼女の父親だった。
「娘は吸血種だ。特別な血液があればあるいは――――」
その視線は、遠坂凛を真っ直ぐ向いていた。
「…そう、それで良いのね。
わかったわ。初めてなんだからありがたく受け取りなさい」
遠坂凛は、己の口の中を噛み切り、血を含んだその口を、メルタトゥムのそれに重ねた。
口を通じて、血が流れ込む。
その血の色は―――――――――真っ赤なリンゴに似ていた。
凛は突如抱きしめられるのを感じた。
思わず目を開くと、目の前の少女も目を開いていた。
「キスで目を覚ますなんて、とても素敵。
リンもそう思わない?」