いまだ熱戦の余韻が冷めないスタジアム。アカネの勝利、しかも覚醒に至る謎の力を
間近で目にしたエキスパートトレーナーたちは互いに意見を交わし合うわけでもなく、
ただ心のなかで自問していた。あの力は自分の内にも眠っているものなのか。
もしそうだとしたらどうすれば発動することができるのか。ポケモンとの距離を
ぐっと縮め、トレーナーとして更なる円熟をもたらす力であるのは確実だからだ。
観客へ手を振りながらアカネが控室に戻ると、ブラックボックスが閉じられ、
外からその様子が見えなくなった。扉に一番近い位置に座っていたのは
フーディンだった。そのそばにエリカがいて、ナツメは一番離れた席にいた。
「これはおめでとうございます、アカネさん!まさかあなたが勝ち残るとは
わたしも少し驚きました。どうやらなかなか見るべきところがあるようですね」
これまで通り、胡散臭い誉め言葉だった。続いてエリカはというと、
「ふふふ・・・新たな力を手に入れたようですね。それは素晴らしいことです。
ですがそれでもなお、最強はあなたではないということを覚えておきなさい」
何やら含みのあることを言ってきた。しかしいまアカネにとってこの二人は
どうでもいい。自分を窮地から救ったのは他でもないナツメなのだ。
彼女が何と言ってくれるかが大事だった。自分の勝利を心から祝ってくれるか、
それとも自分ではなく謎の力にのみ関心を抱いているのか、それが知りたかった。
「・・・ナツメ!あんたの喝のおかげで勝てたで。ホンマ助かったわ・・・」
するとナツメはにやりと笑った。その笑顔はどこか黒さを秘めたものだった。
まさに己の目的のためなら何でも利用する悪魔の顔だった。
「くくく・・・やはりわたしの目に狂いはなかった!トレーナーとポケモンに
限界以上の能力をもたらすあの力・・・。見せてくれるならきっとあなただと
思っていた。これでまた一歩わたしの目指しているものが近づいてきた!」
「ナ・・・ナツメ?」
「よくやったアカネ・・・勝敗なんてどちらでもよかった。あれを発動してくれた、
あなたをこれまで飼っていたかいがあったというものだ。先の二人は期待外れ
だったがあなたは手駒としてじゅうぶんに働いてくれた・・・」
まるでアカネではなくあの力が目当てであったような言い方だ。アカネをうまく使い
自分の駒のように扱って、それがうまくいったのを喜んでいる口振りだ。
「・・・・・・・・・!」
だがこのときアカネは目にした。ナツメの左右の手のひらからは血が流れていた。
アカネの勝利を願い力を込めすぎたせいで拳の中に爪が突き刺さっていたのだ。
しかもナツメは表情や目つきこそいつもと変わらないが、その声は僅かに
震えているではないか。それが感動によるものなのか、緊張が続いた後だから
なのか、どちらにせよアカネのことを心から深く思っている証だ。そのとき
アカネの瞳に涙が溢れた。そのままナツメに抱きつき、その胸に顔を埋めた。
「・・・・・・・・・」
「ううっ・・・ありがとな・・・ありがとうなぁっ・・・!」
バトルに勝って泣くのは初めてだった。いくら止めようとしても止まらなかった。
「カツラのジイさんが言うとった。あんたは頼りがいのある教師、師匠やって。
その通りや。あんたといれば・・・もっともっと強くなれそうや」
「・・・ならばわたしとフーディンに従う道を選ぶか?わたしたちは目的も理想も
違う集団だが、もはやわたしたちに逆らわずに・・・」
師弟関係であるのならナツメに服従するということだ。ところがアカネは涙を拭うと、
「・・・いや、やっぱりうちの最終目標はあんたに勝つことや!サカキのオッサンと
覆面トレーナーどもを蹴散らしてからあんたとうちで決勝戦といこうや!
そこであんたを超えたる。だからあんたらの手下にはなれんなぁ」
きっぱりと誘いを退けた。するとナツメは怒るのではなく大いに喜んだ。
「そうだ、それでいい。もしここでわたしたちの僕になると言ったらあなたをここで
見限るつもりだった。さすがはこの五人のなかでただ一人一切の嘘がない
真っ直ぐなアカネだ。その言葉を聞いて更なる可能性を感じずにはいられない!」
ナツメはアカネの頭を数回優しく撫でてから、ゆっくりと歩き出した。
「そしてもしあなたがわたしの弟子であるというのなら・・・弟子の勝利に
発奮しない師はいない!エスパー使いのナツメ・・・いざ!」
その後にフーディンも続く。ナツメがこの第四試合に臨むようだ。アカネの作った
流れに乗り、連勝を狙うため自ら前に出た。自信に満ちた堂々とした姿に
アカネの目は輝いた。ところがナツメは部屋から出てスタジアムに向かうための
扉のドアノブに手をかけた瞬間に動きが止まってしまった。
「・・・ど、どうしたん?まさか怖いんか?いやいや、あんたに限って・・・」
緊張や恐怖による躊躇いではなかった。ナツメは笑っていたからだ。
「・・・くくく!これは・・・この扉の先にはとんでもない強さを誇る
トレーナーが待ち構えている!超能力ではない、気配でわかるのだ!」
「なんやて!?まさか・・・あんたよりも強いんか!?」
ナツメだけでなく、フーディンも笑いだした。強敵の出現を喜んでいる。
「ええ・・・このわたしですら敗れる可能性があるほどです。それもサカキさんの
スピアーのような特別なポケモンではない、あくまで普通のポケモンに負けて
しまうかもしれない。それだけのトレーナーが参戦しているのですよ!」
そのような相手をねじ伏せてこそ、新たな支配者となるにふさわしい第一歩だと
ナツメとフーディンは出ていこうとした。しかし、ナツメが再度扉を開けようと
した瞬間、その体が宙に浮いた。そのせいで伸ばした手は空振りに終わった。
「・・・ん!?これは!前へ行けん・・・!」
後ろにいるフーディンまでも同じ状態で、よく見ると二人の足には長くて太い
つるが絡みついていた。それは植物のものであり、そうなると犯人は一人だった。
ウツボットが自慢のつるで二人の足を止めたのだ。もちろんこのポケモンが
自分の意思でそうしようとするはずがない。主人の指示であるのは当然だ。
「・・・エリカ!何をする!」
「よくやりましたウツボット。もう少しそこの二人の足止めをお願いしますよ。
私がここから出るまではね」
口に手を当てて軽く微笑みながら部屋から出ていった。それを見届けるとウツボットは
ナツメとフーディンを乱暴に開放した。フーディンは背中から落下しそうになった
ところをエスパーの力で回避し、ナツメのほうはアカネが見事受け止めた。アカネの
その豊満な胸がちょうどいいクッションになっていた。
「おい、ふざけているのか!お前はこれから誰と戦うのかわかっているのか!
仮にわかっていてこのような暴挙に走ったというのなら愚か者の極みだ!
目の前の男にお前が勝てる確率はゼロだ!いいか、一切勝機はない!」
「・・・わかっていますよ、この方が誰か・・・それくらいのことは」
「だとしたら話は早い!わたしはその男と戦いたいのだ!それをくだらない方法で
邪魔するとは・・・!とっとと戻ってわたしと代われ!」
「ふふふ、何を言うかと思えば・・・。一度外に出て対戦者同士が顔を合わせたら
もう変更はできない、そういうルールではありませんか、ねえ皆さん?」
エリカの言う通りだった。ナツメはエリカの座っていた椅子を荒々しく蹴飛ばした。
楽しみを奪われたフーディンも苛立ちを隠さなかった。それほどまでに彼女たちが
戦いたかった相手、果たしてどんなトレーナーなのだろうか。
「なあナツメ、あんたたちはもうあの覆面野郎の正体がわかっとるんやろ?
あんたたちをそこまで熱くさせるトレーナー・・・どんなやつなんや?」
ナツメはいまだ怒りが収まっていなかったが、アカネの問いに平常心を取り戻し、
「・・・アカネ、十日前わたしがあなたに対して、わたしの超能力を覆して未来を
変えたのはあなたが二人目、そう言ったのを覚えているな?」
「ああ、忘れとらん。結局その一人目については聞きそびれてもうたけどな」
「それなら説明はもう不要だ。あの男こそ他でもないそいつなのだから。
わたしが勝つという未来予知を捻じ曲げてバッジを手に入れた男!」
圧倒的な暴虐の嵐で相手を粉砕するフーディンですら負けるかもしれないと言う
相手なのだ。今日登場した誰よりも格上のトレーナーであるに違いない。
「こ・・・こりゃあ楽しみになってきたで・・・しっかり見な・・・」
ナツメが蹴った椅子は誰も直さず転がったままに、座り順は左からフーディン、
ナツメ、アカネ、そして残る一席にはアカネのピッピとピィがいっしょに
座っていた。彼女たちの目にはエリカの後ろ姿、そしていまだ正体を明かさない
サカキの繰り出す謎のトレーナーの装束姿が映っていた。
これから対抗戦の第四試合が始まろうとしている。敗れた側は勝ち越しが
なくなってしまうという大一番のはずだ。なのにエリカの表情はバトルに
臨むようなものではなく、恍惚としていた。見るからにまともな精神状態にない。
「なぁ、エリカさんどうしたんだ?おかしいだろう」
「酒でも飲んでいる・・・のか?だがそんな人じゃないはずだが・・・」
場内はざわつき始めた。だがそんなことはお構いなしと言わんばかりに
エリカは両手を自分の前で組み、なんとトレーナーの所定の立ち位置から
一歩前に出た。そして覆面のトレーナーに向かって語りかけた。
「ああ・・・わたくしはどれほど・・・あの日からどれほど待ちわびた
ことでしょう。光なき暗闇の夜がいまようやく明けようとしているのですね」
エリカはずっとこの瞬間のために今日まで生きていたと言える。もしこのときが
訪れたならば自分はどうなってしまうかという心配すらしていた。喜びのあまり
我を忘れて発狂してしまうか、感極まって滝のような涙を流してしまうか・・・。
そんな不細工な顔を見せるわけにはいかなかったが、案外己を制することが
できていた。感動と興奮を極力抑え、軽い絶頂に達したがそれだけにとどめた。
「さあ、そんな覆面など外して早くそのお顔を・・・レッドさん!」
その名を呼ぶと、それに応えるように全身を覆う装束を脱ぎ捨て、ついに覆面をも
外し、伝説の少年が人々の前に姿を現した。三年前に突然チャンピオンの座を
返上し、そのまま失踪して生存すら疑われていた男が戻ってきたのだ。
「・・・・・・・・・」
「ふふ・・・さすがに三年は長すぎですよ、レッドさん。ですが必ず生きて
帰って来てくださると信じていました!わたくしの愛するお方!」
レッドが登場してからしばらく、場内は騒然としていた。先ほどのアカネの
謎の力と同じほどに、彼が現れたのは我が目を疑う事態だったからだ。しかし
やがて正真正銘本物のレッドであることがわかったとき、大きな歓声が
スタジアムに響いた。史上最強かもしれないというトレーナーが、それももう
二度と見ることはできないであろうと思われた男が目の前にいるのだから当然だ。
『な、な、なんと―――――っ!これは大物中の大物がやってきた――――っ!
非常に多くのファンを魅了しながらも我々の前から突然姿を消したチャンピオン!
レッドが今日、このセキエイのスタジアムに帰ってきた――――っ!!』
解説のオーキドもレッドの登場に思わず立ち上がり、もう一度よく確認した。
『・・・間違いない!三年前から成長しておるがあれはレッドくんじゃ!
またこうして元気な姿をこの目で見ることができるとは・・・!』
一時代を築いた男の帰還に、彼をよく知る者たちもこれは夢かと思うほどだった。
「・・・レッドくん!まさかわしの隣にいたのが彼だったとは・・・!いくら
彼が無口で体格からは正体がわからないように細工してあったとはいえ
ついさっきまでそばにいたのに気がつかなかったとは・・・・・・」
「あ、あたいもわからなかったです!無口な人だとは思いましたが・・・」
カツラとアンズが目を丸くしていた。カリンもただ驚くばかりだった。
「・・・あら、懐かしい顔ね。街の至るところで騒ぎ声がしていると思えば」
「ああ。忘れるものか、彼のことは。そうか、生きていたのか・・・!」
カイリューの背に乗りフスベシティに到着していたカンナたちは、民家や
店で中継を見ていた人々の声に何事かと確かめてみたところ、レッドの顔が
そこにはあった。かつてポケモンリーグで戦った少年、それも四天王だった
自分たちを遥かに上回る素質と強さの持ち主だ。二人と共にいたイブキが
ワタルに好奇心から尋ねてみた。
「ワタルの前にチャンピオンだったこのレッドとワタルを倒してチャンピオンに
なったゴールド・・・両方に負けた身としてどっちが強いと思う?」
二回も年若い少年の踏み台にされた記憶に苦笑いしながらもワタルは即答した。
この質問は初めてではなかったからだ。やはり皆が気になるところなのだろう。
「どちらとも言えない。二人とも文句のつけようもないチャンピオンだからだ。
防衛期間や獲得賞金ではすでにゴールドくんのほうが上だ。見ていて安心できる
揺るぎない王者だと思う。自ら返上しない限りはしばらくは彼の天下だろう」
「まあそうよね。この私にも勝ったんだもの。ゴールドのほうが・・・」
「ただ・・・ゴールドくんの場合はもしかしたら勝てるんじゃないか、相手が
そう思うのに対し、レッドは一切そんなことはなかった。おれも実際に
戦ったが・・・これはどう転んでも勝ち目がないというバトルを経験したのは
彼が最初で最後だ。リベンジしようという気にすらならなかったよ」
レッドとゴールドどちらが強いのか、ファンの間でも議論になることが多い
この話題だが、ゴールドのそばにいる二人は当然、現チャンピオンを支持した。
「あれが伝説のトレーナー、レッド・・・でもゴールドのほうが上でしょ?」
「ええ。実際に戦ったとしてもおそらくはゴールドさんが勝つかと・・・」
クリスとミカンがゴールドを挟んで話していた。するとグラウンドにいたエリカが
彼女たちのほうを見て、呆れて物も言えないといったような顔をして首を振った。
そしてレッドに向かって話し始めた。穏やかな口調であったが内容は痛烈だった。
「レッドさん、やはりあなたがいなくなっていた期間はあまりにも長かった。
そのせいであのようなことを宣う者たちまで現れる始末・・・。あなたの
ことを少しでも知っていれば間違っても口にしないでしょう。己がいかに
無知な痴れ者であるか、彼女たちはそれにすら気がついていないのです」
「・・・・・・・・・」
「何とも嘆かわしいとは思いませんか?あなたがどう思うとしてもわたくしは・・・」
レッドに対して目を輝かせながら語りかけ続けるエリカだったが、レッドを
待っていたのは彼女だけではなかった。サカキの隣にいた、この後の第五試合で
ナツメと戦うはずの最後の覆面トレーナーが自らそれらを放り捨てた。
「おい、レッド!お前、生きていたならどうして今日までたったの一言も
連絡をよこさなかった!?おれにも爺さんにも、お前のお袋さんにすら
何にも・・・!それなのにのこのこと出てきやがった上に自分の正体を
ずっと言わないで・・・どういうつもりだ、この野郎――――っ!」
「・・・グリーンくん・・・」
最後の五人目はトキワジムのリーダー、グリーンだった。レッドに対して激しく
憤っている彼をよそに、今度はナツメが話に割り込んできた。
「ふふっ・・・このわたしの相手はお前か。これは楽な勝負だ。もはややる前から
勝敗は決している。すっかり興醒めだ、つまらん」
「なに――――っ!?」
「お前なんかどうでもいい。それよりもそこのレッドだ!やはりわたしの予感は
正しかった。おいエリカ!さっさと棄権しろ。あなたでは勝ち目はない!
そしてわたしに機会を譲れ!わたしはその男と戦いたいと何度も・・・」
すると、エリカの目つきが急に鋭くなり、心優しいお嬢様として有名な彼女の
普段の様子からしたら考えられないものになっていた。思わずグリーンは
一度後ろに下がり、他の者たちもすっかり黙ってしまった。
「・・・ナツメ、ではあなたに聞きます。レッドさんと戦いたいというのなら・・・
おそらくは常日頃からレッドさんのことを思い返していたのでしょう。それは
どれほどの頻度でしたか?この方をどのくらい想っていたのですか?」
「はぁ?・・・うーむ・・・二週間に一度くらい・・・か?わたしのジムに
足を踏み入れた挑戦者のなかでは別格の存在であるそいつだ。再戦したいという
思いはきっとわたしだけでなく・・・・・・」
それを聞くとエリカは笑った。ナツメに対し勝ち誇ったように見えた。
「・・・ならばあなたに資格はありません。なぜならわたくしはこの方のことを
常に、ずっと、どのようなときも考え続けていたのですから。朝も昼も夜も、
街を歩くときも何かを食べるときも、人と話すときも職務に励むときも、
ただの一時も欠かさずレッドさんのことばかりを想っていたのです!
話になりません、出直してきなさい!わたくしたちの再会の邪魔は許しません!」
「・・・あ、ああ・・・」
ナツメが気圧されるほどのエリカの迫力。それだけレッドに対するエリカの
執着は本物だということか。波乱の幕開けの予感があった。