ポケットモンスターS   作:O江原K

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第59話 ぼくたちの失敗

チャンピオンとなった後のレッドは以前よりもずっと多くなった人々の視線をうまく

かわしながら密かにエリカと会っていた。ただのトレーナーであったときとは違い、

いまエリカとの関係が公になったら面倒なことになる。予想していたよりも自由な

時間が確保できるなかで、これだけが彼の不満だった。他地方のチャンピオンをも

退け、この国で最強の王者と呼ばれたレッドであっても王座に座り続ける緊張感は

息苦しいものがある。エリカとの癒しのひと時は必要不可欠だった。

 

『どうですか、チャンピオンとして見る風景にももう慣れたのでは?』

 

『そうだね、よくも悪くも思っていた感じとは違うかな』

 

セキエイ高原の充実した設備、挑戦者や四天王との緊張感に満ちたバトル。

ポケモンの能力とコンディションを高めるにはこれ以上ない環境であったが、彼が

真に求めているものではなかった。タマムシでエリカと二人三脚、赤の他人から

見ればとてもポケモンマスターを目指すための訓練とは思えない時間を過ごした

あの頃のほうが大切なことを学び、貴重な経験に胸を躍らせ、自分もポケモンも

成長できた。だからレッドには次なる夢があった。呼吸を整えてエリカに言う。

 

『・・・エリカ、明日の大会で優勝したら伝えたいことがある』

 

三週間前の大会でレッドが破った北の大地のポケモンリーグの女チャンピオンは、

レッドが海外でも通用すると言った。逆に言えば国内にはもう敵はいないと。

チャンピオンの地位を返上することは考えていないが、翌日に控えた大会の後は

この国の代表として外国に遠征し、更なるレベルアップ、未知のポケモンとの

出会い・・・大きな夢が広がっていた。そしてレッドはこの旅にぜひとも

エリカを連れていきたいと強く願っていた。もちろん簡単な話ではない。

ジムリーダーを辞めなくてはならないことを筆頭に、多くの反対を押し切って

タマムシで築いたたくさんのものを後にする必要がある。払う犠牲が大きいのだ。

 

『・・・・・・はい、お待ちしております』

 

エリカは笑顔で答えた。レッドが何を言いたいのか、察しはついていた。彼の緊張を

和らげるような優しい微笑みだった。すでにエリカはずっと以前から決めている。

ただ決められた通りに人生を送るはずだった自分に太陽の光を、真に生きる意味を

与えてくれたレッドと生涯添い遂げようと。レッドの様子からして、何もかもを

捨ててついて来いと彼は明日勇気を振り絞って言ってくることだろう。それはもう

プロポーズのようなものであり、わざわざ明日までとっておくのもわかる。

 

『じゃあ・・・またこの場所で。いろんな面倒な式典が終わってからだから・・・

 夜の七時ごろに。僕が優勝したらここで会おう』

 

レッドのほうもそのつもりでいた。これまでの関係よりもずっと緊密な間柄に

なりたいと願っていた。このときまではそうだったのだ。ところが翌日、

レッドは姿を現さなかった。『沈黙の日曜日』と呼ばれた日のことだった。

大会を棄権し、チャンピオンを降り、エリカとの愛までも終わりにしたのだった。

いまだに理由は明らかになっておらず、誰もが憶測で語るしかなかったこの事件、

三年以上の空白の時を経てそのレッドが再びセキエイに帰ってきても彼は

それを語ることを拒み続け、己だけが知るべき秘密とした。

 

 

 

 

『フシギバナの全身が激しい炎に包まれた――――っ!ソーラービームのための

 にほんばれが災いし大炎上だ―――――っ!!』

 

『な・・・なんて威力じゃ。これはもう・・・・・・』

 

「フギャアァ―――――ッ!!」

 

リザードンのかえんほうしゃによってフシギバナは炎のなかで悶え苦しむ。それを

エリカは遠くを眺めるような目で見ていた。とうとう最後の望みが断たれたのだ。

何もかもが終わったことで、自然と寂しい笑みが浮かんでいた。

 

(・・・皮肉なものですね、レッドさん。タマムシジムが燃えたあの日、あなたが

 命がけで救い出してくれた二体の幼いポケモンのうち一体はフシギダネ、いまや

 フシギバナとなったこの子だというのに。わたくしたちの思い出も火の粉と共に

 空に消えてなくなっていくかのように・・・・・・)

 

エリカは顔を伏したまま無言でモンスターボールを取り出し、フシギバナを

ボールに戻した。これ以上バトルを続けることができないのは明白であり、

また苦痛から早く解放してあげたかったという気持ちから審判団よりも早く

戦闘不能を認めた。これでエリカのポケモンは三体全て倒れた。

 

 

『バ・・・バトル終了―――――っ!!非常に長かった第四試合!終わってみれば

 レッドの完封!一体も倒されることなく勝利を決めました―――――っ!!

 かつての王者が復帰戦を飾りました!強い、強すぎる――――っ!』

 

レッドの登場時には大歓声に満たされたスタジアムが、今や静まり返っていた。

エリカの必死の懇願を幾度も退けての王者の無慈悲な圧勝劇に皆黙ってしまった。

勝利が決まった後も、エリカに何を言うでもなくリザードンをボールに戻すと

ピカチュウと共にサカキたちの待つブラックボックスへと帰っていこうとした。

しかし背後からの声に、振り返らずにレッドは立ち止まった。

 

「・・・お見事でしたレッドさん。わたくしもこれで諦めがつきました。ですが

 最後に一つ・・・なぜあの日あなたが去ってしまったのか、それだけは教えて

 いただけませんか?せめてこのささやかな願いくらいは・・・・・・」

 

レッドは後ろを見ようとしなかった。ただ首を何度も左右に振るだけだった。

 

「・・・・・・すまない、その質問に答えることはできない」

 

「・・・そう、ですか・・・・・・」

 

とうとうレッドの気持ちを変えることはできず、エリカは静かにその場に座り込んだ。

だが、それを哀れに思い、持ち前の熱気と正義感からとうとう黙っていられなくなり、

激しい怒りに燃えた少女がいた。席を立つと、レッドに対して怒鳴るように叫んだ。

 

 

「ちょいと待てや――――っ!このまま終わる気かこら―――――っ!!」

 

「・・・きみは・・・」

 

「なあレッド!いったい何なんや!あんたには人間の心がこれっぽっちもないんか!」

 

伝説の王者に向かって物怖じせずアカネが噛みついた。エリカの代わりに自分が

レッドに文句を言ってやろうという、誰に頼まれたわけでもない、だがそうせずには

いられない。人によっては迷惑なお節介かもしれなかったがアカネは止まらなかった。

 

「あんたにはわからんのか!?そりゃあうちもはじめは誤解しとった。エリカのことを

 ストーカーだの気味悪いだの・・・ホンマに申し訳ない失礼な話や。せやけどいま、

 はっきりわかった!エリカはもうあんたを縛ろうとは考えとらん。もう終わった

 恋なのは承知や。それでも・・・ただ知りたかった。あんたの失踪の理由を!

 それにケリをつけんことにはエリカの時計はあの日から止まったままや。

 なのにあんたは無視、ほったらかしにしてまたいなくなるつもりかい!」

 

レッドが消えたのは自分のせいなのか、エリカは三年以上、ずっとそれを考えていた。

自分の愛が重すぎて、負担に感じたレッドが逃げ出してしまったのか、それとも彼が

人知れず抱えていた悩みに気がつくことができず、助けになれなかったのか。

いまだにレッドを愛しているからこそ、レッドが自ら望んで人との繋がりを断って

シロガネ山で生きていく道を選んだのならそれを止める気はエリカにはなかった。

 

「ピカチュウ!あんたからもそいつに何か言うてやれや!このまま終わってエエんか!?

 あんたらは最高の親友なんやろ?あんたがガツンと言わんでどうすんねん!」

 

「・・・ピ、ピカ~・・・・・・」

 

ピカチュウはレッドの心の内をわかっている。彼がなぜエリカのもとを去り、その理由を

話そうとしないかも知っている。誰が何を言ったところでその決意を変えられないし、

彼がその決断をした日に自分も他のポケモンたちもその行為に同意した。それでも

アカネの勢いに圧されるままに声をかけてみたが、やはりレッドは無言で引きあげていく

だけだった。レッドの後に続き、ピカチュウも元気なく歩き出した。

 

「・・・・・・」

 

「・・・それが・・・それがポケモンマスターと呼ばれた男のすることか!血も涙もない

 人でなしにならんとポケモンマスターにはなれないんか?そんならうちは・・・・・・

 ポケモンマスターになんかなりたないわ――――――――っ!!」

 

「・・・ア、アカネ!」

 

怒りが頂点に達した瞬間、アカネが再び黄金の光に包まれた、ピッピとピィ、それに

ハピナスにもアカネの感情が伝わり、戦いのための構えをとっていた。

 

「・・・・・・その力・・・・・・」

 

実のところレッドは先ほどの試合よりも前からこの力のことを知っていた。人々が

驚愕しているなかで、自分のものとやや性質は異なるが不思議なパワーを使える

トレーナーがいたのか、と皆とは異なった驚き方をしていた。そう、レッドは

アカネが覚醒するずっと以前にこの力に目覚めていた。

 

(・・・でもいまの僕には使えないだろうな、そしてこれからも・・・)

 

 

「落ち着け!いまは戦うべきときではない!」

 

「はなせ―――――っ!」

 

アカネはナツメによって抑え込まれていて、どうやら連戦とはならないようだ。サカキと

グリーンの待つブラックボックスに戻ったレッドに対し、グリーンは何から言葉を

始めたらよいかわからずにいたが、サカキは拍手で出迎え、そしてレッドの肩に手を置いた。

 

「・・・やかましい女どものことはもう気にするな。きっときみにもいろんな事情が

 あるのだろう。詮索はしない。きみほどの男が下した決定だ、尊重されるべきだ」

 

「・・・・・・」

 

「久々にこれほどの大観衆の前に出て疲れただろう。少し休むといい」

 

レッドは深く目を閉じた。運命の『あの日』のことを思っていた。

 

 

 

 

セキエイ高原の秘密の場所でエリカと別れてからレッドは自分の部屋に帰ろうとしていた。

二人は恋人であったが口づけすらしたことのない清い交際をしていたためこんな夜に

彼女を連れてくるなどあってはならないことだった。しかし明日、全てが変わる。

大会に優勝し、それからは同じ部屋で暮らすことだろう。一人で顔を赤くしながら

歩いていると、ポケモンリーグの五人の長老たちが数人の男と話しているのが見えた。

その者たちのほとんどはなんとエリカの家の人間で、タマムシの支配者たちであった。

 

『・・・ちょうどいい。いまのうちに挨拶に・・・』

 

レッドは彼らのもとに近づこうとした。結果として、それが間違いだったのだろう。

 

 

『・・・ところで最近噂になっておりますな。我がセキエイの若きチャンピオンと

 そちらのエリカ嬢が密会しては楽しそうにあれこれと会話に花を咲かせているとか。

 聞けば以前から二人の関係は普通のものではなかったとか・・・』

 

『まあ間違ってはいませんよ。ポケモンの調教や買い物、彼が街に滞在していた時期は

 いま以上に二人で行動を共にしていたようですから』

 

ばれていたか、とレッドは苦笑いした。だが、その僅かな笑みすら奪われることになる。

 

『・・・しかしまさかエリカ嬢の将来の相手に、とは考えておりますまい』

 

『もちろんですとも。全国でポケモンバトルが一番強いとか言われているそうですが

 とてもエリカの相手ではない。すでにふさわしい婚約者を用意してあるのです。

 彼はタマムシデパートの創始者一族の長男、エリート中のエリートですよ。

 タマムシを支配する二大勢力の息子と娘が共になることでもたらされる経済効果は

 我々であっても想像ができないほどですから・・・ふふふ』

 

エリカが結婚することになるであろう青年は、レッドがそこそこ離れている場所から

一目見ただけで、『成功者』となることが約束されているような男だった。彼の服や

装飾品はポケモンの毛皮や骨を用いたもので、ほとんどが違法に、それも高額で

取り引きされていたポケモンたちの体の一部だった。

 

『それは素晴らしい!ぜひそのときが近づきましたら私たちにもお声をおかけください。

 私たちとしてもうれしい話です。いまレッドくんに変な噂やスキャンダルが起きたら

 たまったものではない。彼ほどのドル箱は簡単には現れない、貴重な商品なんだ』

 

『ハハハ・・・彼が得る賞金の数十倍以上の金を皆さんは手にするというわけだ。

 ポケモンと心を通わせるとかいう男がいくら稼ごうがたかが知れている。所詮は

 私たちとは住む世界が違うのだ。真の勝者とは、ポケモンを物として利用し

 莫大な富を手に入れる者たちだというのがこの世の真理なのですからな!』

 

 

レッドは彼らのもとに向かうことなくその場を去った。ロケット団を解散させても

このような輩がいなくならず、むしろ勢力を増している。これは別にそこまで

レッドの心を痛めつけるものではなかった。全ての悪人を除き去るなど不可能で、

それにいちいち気を乱されていてはストレスが溜まるだけだと折り合いをつけている。

 

同じように、自分とポケモンたちがポケモンリーグからは商品として扱われている

点に関してもレッドは特に何も思っていない。彼らの思惑と自分たちの戦う理由は

そもそも違うのだから、それぞれが己の求めるものを手にすればいい。旅の途中

幾度も無料でポケモンセンターの世話になったりもしたのだから、不当に搾取されて

いるなどとは考えたこともなく、不満とは無縁の毎日だった。

 

『・・・・・・知らなかったわけじゃない。目を逸らし続けていただけだ。

 あの人の優しさに埋もれて・・・あまりにもそれが心地よかったせいで』

 

この先どれほど努力しても決して自分はエリカの生涯連れ添う相手の資格を持てない、

レッドの絶望の原因はその一点であり、シンプルではあるがどうすることもできない

問題だった。エリカが将来結婚するあの青年は莫大な資産を有した家で育ち、

この国で一番の教育を受け、ビジネスの世界で大金を指先一つ、その一声で動かすことに

なる大物だ。談笑していた者たちのうちの一人が口にした『住む世界が違う』、

レッドとエリカたちを的確に表現したまさにこれ以上ない言葉だった。

 

『何がいっしょに海外で戦おう、だ。ありえないだろう、あの人にそんな真似を

 させるのは。運と偶然が運んでくれた僕たちの間違った関係もここまでだ』

 

 

自室に戻ってからずっとレッドの元気がないことをピカチュウをはじめとした

ポケモンたちが心配し近づいてきた。レッドは彼らに励まされ、再び前を向く力を得た。

しかし明日の大会のためではなく、新たなる冒険の第一歩を踏み出すためであった。

 

『・・・ポケモンと心を通わせる男などたかが知れている・・・か。ならば僕は

 もっとそれを極めよう。僕にはそれしかないのだから。マック、それにみんな、

 明日から僕たちの絆と友情を更に深める旅に出よう』

 

 

翌日、大会の開始時間になってもレッドは現れなかった。やがて彼の置手紙が発見され、

パソコンのボックスに管理されていたポケモンたちが全員、たったの一体も残されずに

引き出されていた。自分のすべてのポケモンと共にレッドはシロガネ山に向かった。

誰もいない、誰も来ない道を進むレッド。一見ひとりぼっちの旅のように見えるが、

ポケモンたちがいたので、彼は一人きりではなかった。シロガネ山の最深部は

ポケモンと真に優れたトレーナーにとっては楽園の地であり、レッドはついに

永住を決めた。それでも毎日のように頭を過るのは何も言わずに別れた愛する人の

ことであり、自分のことなど一日でも早く忘れてくれるようにと願うばかりだった。

 

 

 

 

念願の再会が悲劇に終わったことでいまだに動けずにいるエリカをどうにかして

視界の外に出そうとレッドはこのバトルに出場したポケモンたちのケアを始めた。

シロガネ山の水をピカチュウに飲ませ、カビゴンには毒消しの薬を与えた。

アカネだけでなく一部の客からもその非情さにブーイングが起きたが、

 

(・・・これでいいんだ。だめになった僕を見てエリカさんも愛想が尽きたはずだ。

 本当ならあの日曜日、いなくなる前にやっておかなくちゃいけないことだったのかも

 しれない。でもこれで・・・全ては終わったはずだ)

 

レッドは表情一つ変えずにリザードンに誉め言葉をかけてその頭を撫でた。

一方アカネは全身の発光こそ静まったもののいまだ怒りに燃え続けていた。

 

「くそ~~~~っ!ナツメ、教えてくれや!うちが間違っとるんか!?

 あんたらのような非道がこのポケモン界では正解やって言うんか!?」

 

するとナツメはアカネの振りかざした右手に自身の両手を重ね、こう言った。

 

「いいえ、あなたが正しい。相手が誰で、どんな世界だろうとあなたが正しい。

 あのレッド相手に義憤に駆られて立ち上がる、あなたでなければできない

 正義感に満ちた素晴らしい勇気の表明だ、わたしはそう思う」

 

心からの誉め言葉で、ナツメがごく稀に見せる天使みたいな微笑みと優しい声だった。

しかしそれも束の間、すぐに残忍で愛情を持たない悪魔のように変貌すると、

 

「だが・・・それでもわたしはやつが許し難い!大きな罪を犯したのだからな!」

 

何歩か前に出ると、エリカの罪を厳しい口調で糾弾し始めた。

 

 

「おいエリカ!お前は最低だ!無様な負け方も当然だが、レッドへの恋心とかいう

 くだらん理由でポケモンを利用したことが断じて許せん!わたしとフーディンが

 今回の行動に至ったのは、まさにお前のような自分の欲望のためにポケモンを

 所持し、利用するようなやつに裁きを与えるためだと聞いていたはずだろう!」

 

「・・・・・・・・・」

 

「お前がシロガネ山に入ることを許されなかったのは力が足りなかったせいではない、

 ポケモンへの愛情が不足していたからだ!お前は最初から怪しいと思っていた!

 カンナやカリンは偽りを語っていたが実のところは自分のポケモンへの愛ゆえに

 この戦いに参戦していた。だがお前から感じられるのはとっくの昔に終わったはずの

 レッドへの狂った愛のみだった。立て!すぐに立ってわたしの前から消えろ!」

 

一瞬だけエリカはナツメを睨むような目つきになった。あなたに何がわかる、

そう反論したかったのだろうが、すぐに視線を下に向けると、言われた通りに

起き上がった。そして意外なことに、その表情は普段の彼女のものと同じ、

穏やかで上品な笑顔だった。ようやくレッドとの別れを受け入れたのか、

吹っ切れたようなその様子からは悪い感情の一つも感じ取れなかった。

 

 

「・・・ええ、その通りですね、ナツメ。あなたたちにはご迷惑をおかけしました。

 やはり私は起きながらにして眠っていたようです。ようやく長い夢が終わりましたよ」

 

レッドが現れてから、エリカは自分のことを『わたくし』と言うようになったが、

いまそれは元に戻っていた。そのことにナツメとアカネは不思議に思いながらも

些細な話であると思い指摘しなかった。エリカは続けてアカネにも言葉を贈る。

 

「アカネ、あなたが私のために立ち上がってくれたときは嬉しかったです。そんな

 あなたを何度も悪く言ってしまったことを謝罪します。あなたはいい人です」

 

「・・・い、いや・・・うちもあんたのことを何もわからんで・・・」

 

「そんなあなたに忠告してあげます。あなたはいま危険な人間に惹かれているよう

 ですから、騙されないようにしなさい。その人の姿を借りた悪魔はいずれあなたを

 裏切り、簡単に捨てるでしょう。鬼畜のような言動と所業を思い返しなさい。

 せっかく恋をするのなら・・・そう、レッドさんのような方がいいでしょう!

 そうすれば私のように満ち足りた気持ちになることでしょうからね」

 

ナツメがいかに時々優しく接してくるとしても、惑わされてはいけないとアカネに

警告した。容赦なく自らを非難し罵声を浴びせ続けてきた、その姿がナツメの本性だ。

エリカはそのアドバイスを、失敗者としてではなく、恋愛の成功者の経験談として

語ったのだった。こんな素晴らしい人物に恋をしたことは貴重な財産で、自分は

確かに幸せだったと笑顔で語るエリカに、アカネは思わず泣きそうになった。

 

 

挨拶を終え、仲間の二人に背を向けてから、エリカはいまだに自分を見ようとしない

レッドに対して話し始めた。特別に変な様子は感じられなかった。

 

「では・・・レッドさん。残念ですがお別れです。あなたに対して悪いことは

 何も述べたくないのですが・・・最後ですし一つだけ聴いてもらいましょうか。

 あなたのポケモンへの愛は世界の誰にも負けない、素敵なものです。その

 愛情や優しさの半分・・・いや、四分の一でも私に向けていただければ

 よかったのに・・・・・・少し寂しい気持ちです」

 

「・・・・・・・・・」

 

「ですからもし生まれ変わるのなら・・・私はあなたのポケモンになりたいです」

 

 

エリカはそう言い終えると同時に、素早い動きで着物の中から何かを取り出していた。

銀色に光る、護身用として携帯していた短刀だった。レッドがチャンピオン戦に挑む

前日、レッドの勝利に命を賭けるとナイフを机に突き刺しジムリーダー仲間たちを

驚かせたが、いま刃は自らの腹部に向けられていた。その意味は明白だった。

誰も彼女が何をしようとしているかわからず、手に何かを持っているな、くらいにしか

認識していない間にエリカは全く躊躇うことなく命をかけた愛に幕を下ろすべく

両手に力を込めた。

 

 

「・・・・・・さようならレッドさん、わたくしの太陽・・・」

 

 

空中に飛び散る赤い血飛沫は、まるで花びらのように美しく舞っていた。


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