ポケットモンスターS   作:O江原K

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第60話 嫁ぐ日

エリカは持っていた短刀を腹部目がけて突き刺そうと力を込めた。人々がそれに

気がついたときはもう手遅れ、そんな瞬間的な出来事だった。一番近い場所で

観戦していたカリンたちも、両陣営の席からも介入は間に合うはずがなかった。

 

 

『あ・・・ああ――――――っ!!これは―――――――っ!?』

 

直接取り押さえるのも、手持ちのポケモンに止めさせるにもすでに遅すぎた。

刃が肉に達した証に、そこからすぐに赤い血が噴き出した。場内が悲鳴に包まれた。

 

「うわ――――――っ!」 「きゃあぁぁぁ――――――っ!!」

 

『し、し・・・信じられないことが起こってしまった―――――!』

 

レッドに敗北し、彼がもはや自分から遠く離れてしまったと悟ったエリカは自ら

命を絶とうとこのような行動に出た。これ以上希望のない生涯を続けるよりも遥かに

よい道だと、あらかじめ思い定めていた。この衝撃的な事態に人々は思わず目を背け、

その瞬間を見ていなかった。悲鳴や絶叫がやまないなか、それでもどうなったのか

おそるおそる視線をフィールドに戻し始めた者たちは、予想外の画に思わず

一度別のところを見てから再びそれを確認した。やはり己の目は正常だ。

 

 

『な・・・な・・・なんと―――――――っ!!!』

 

人の死ぬ瞬間など珍しくもないサカキや、あまりにもそばにいたせいで惨劇から視線を

逸らす暇すらなかったアカネたちは観衆よりも一足早くそれを目にしていた。

しかしサカキたちであっても、人々と同じほど驚き我が目を疑ったことに変わりは

なかった。エリカの短刀は確かに肉を切り裂いていた。だが、彼女の体ではない。

 

 

「・・・・・・ぐう~~~っ・・・・・・!」

 

「ナ・・・ナツメ!」

 

短刀と腹部の僅かな隙間に伸ばされたナツメの右の手首のあたりから大量の血が

飛び散っていた。間一髪、エリカの致命傷となるであろう刃を腕で食い止めたのだ。

 

 

「なんだ―――っ!?どうなってやがるんだ!?」

 

「わたしにもわからん。確かに切腹ではあのような血の飛び方はしない!

 だが・・・エリカ嬢の行動よりも更にあいつは素早く動いていたのか!」

 

「・・・・・・・・・!」

 

グリーン、そしてサカキですらナツメの動きは見えなかった。レッドは身動きもできずに

目の前の出来事を黙ったまま眺めているしかできなかった。

 

「ナツメ・・・!そうか、あんたの得意なテレポートなら!」

 

「ああ・・・こ、これしかなかった・・・間一髪だったな・・・・・・」

 

エリカにも何が起きたのかわかっていなかった。気がついたらナツメが目の前にいた。

あれだけ自分を罵り嘲っていた女がなぜこのようなことをしたのか、まるで理解できない。

 

「ど・・・どうして私を・・・・・・」

 

まさかアカネの信じているようにナツメは口では厳しい言葉を吐き続けながらその根は

善良なのか、エリカは一瞬だけそう思ったがすぐにそれは思い違いだと知った。

ナツメの顔は命を救った安堵からの笑顔ではなく、いまだ憤りに満ちていたからだ。

 

 

「このクズ女が――――っ!!どこまでわたしの計画を邪魔する気だ――――っ!!」

 

「・・・ひっ!」

 

「お前など死んでも構わん!むしろさっさと死んでしまえ!だがな、こんなところで

 その腹の中身をぶちまけたらどうなるか!この対抗戦はここで打ち切りだ!

 このわたしのバトルが直前で中止だと?ふざけるな!許されるか、そんなもの!」

 

これも超能力なのか、ナツメの手首の傷は小さくなっていた。それでもかなり深く

刃が入ったせいで、いまだに血が流れ落ちている。しかしナツメは気にする様子はなく、

 

「とはいえ命は助かったのだ。しかも今回の騒動でわたしの側についたとはいえ

 このバトルの結果お前には同情の声が集まるだろう。それにお前の背後には

 タマムシの名家の権力がある。わたしやアカネとは違い大した罰もあるまい。

 とっととここから去り、もとの生活に戻るがいい」

 

再度エリカに出ていくよう命じた。だが、エリカの決意もまた固かった。

 

 

「・・・私はあの方のいない世界で生きるより死んでしまったほうがましです」

 

ナツメはそれを聞くとにやりと笑った。望み通りの答えだったからだ。彼女は

両手に力を入れると、禍々しい念力が球体となって現れた。

 

「そうか。よし、いいだろう。わたし自ら殺してやろう。念力で脳を破壊する。

 これならば後始末の必要はない。わたしのバトルも問題なく行えるな」

 

「・・・ちょ!ちょいと待てや!ナツメ、あんた本気で言うとるんか!?」

 

「こいつは死にたいらしい。ならば親切心からその願いを叶えてやるのだ」

 

アカネの制止を意に介さずナツメは今にも念力の塊を放ってしまいそうだ。

ところが、誰に命じられたわけでもなく、六つのモンスターボールが

音を立てて地面に落ちると、六体のポケモンはエリカの前に並んで盾となった。

 

「む・・・これは!」

 

「あなたたち・・・・・・!」

 

それはエリカのポケモンたち、バトルでは出番のなかったウツボット、ワタッコ、

キレイハナが中心となってエリカを守ろうと立っていた。戦闘不能のダメージを

負ったはずのラフレシア、モンジャラも片足を地につけながらも愛する主人の

護衛を自らの意思で果たそうとしていた。最も重傷のフシギバナですら最後の

力を振り絞り、起き上がれずにいたなかで腕とつるを前へ伸ばしていた。

 

「フム・・・!何と美しい光景だ!これぞ人とポケモンの愛と絆の証明だ!」

 

カツラが感嘆の声をあげた。隣にいるカリンとアンズももちろんのこと、場内から

大きな歓声が沸き上がった。命令ではなく、愛する思いから主人を守ろうとしているのだ。

そしてナツメもこれには敵わないと言わんばかりに息を吐くと念力を消滅させた。

 

「・・・なるほど、お前はポケモンを自分の欲のために利用していると言ったが

 それは撤回しよう。確かに今日はお前の馬鹿げた行為にお前のポケモンたちは

 振り回された。だが普段からお前が愛情を注いで育て、絆を深めていたからこそ

 ポケモンたちは今回のお前のわがままに付き合ってくれたのだろう」

 

「・・・・・・・・・」

 

エリカの肩が震えていた。ナツメは腰を下ろし、彼女の視線に合わせた。

 

「こんな素晴らしいポケモンたちに囲まれて何の不満がある?もはやレッドなど

 どうでもよいではないか。こいつらと新たなスタートを切るといい。今日は

 お前もポケモンたちも疲れただろう。ポケモンセンターで休むことを勧める」

 

またしてもスタジアムから去るように命じた。しかしエリカは今度も動かない。

潤んだ瞳で語るのは、やはり愛する男のことだった。

 

 

「・・・私が・・・この子たちに心から愛情を込められるようになったのは

 レッドさんと出会ったからです。レッドさんにいろいろと教えてあげるはずが

 私のほうがたくさんの大切なことを教えられました。ただの仕事、日課のつもりで

 ポケモンと接していたあの頃のままの私であればこの子たちもいま助けては

 くれなかったでしょう。ですからレッドさんを忘れるなんてできませんよ」

 

「・・・・・・このポケモンたちですらレッドより下だというのか」

 

「私にとっての全てはレッドさんなのです。この子たちもそれをわかってくれて

 います。私の生きる希望、明るく照らしてくれる暖かい太陽は・・・・・・」

 

一度は柔らかくなったかに見えたナツメの顔が、みるみるうちに憤りに満たされた。

それが頂点に達すると、その声からは感情が消えたかに思えたほどだった。

 

「・・・・・・・・・わかった。お前の言葉はもう十分だ」

 

エリカの短刀を拾い上げた。いまだ完全には癒えていない右手でそれを持つと、

 

「お前には完全に愛想が尽きた。念力ですぐに殺してやるにも値しない。

 この後のわたしのバトルなど知ったことか。この短刀で苦痛に悶えながら

 己の愚かさを噛みしめて死ぬといい。刃物の心得はないので何回も

 刺すことになるだろうが・・・まあそこは我慢してもらおうか」

 

「・・・・・・!!」

 

エリカのポケモンたちに緊張が走った。ナツメから守らなければならない。

だが、ナツメの持つ短刀と彼女がどう動くかに意識が向きすぎたため、

ナツメの繰り出す五体のポケモンたちが突如現れたことへの対応が遅れた。

 

「ハナッ!?」 「ゴメンね~、これもナツメちゃんのためだからね~」

 

エーフィがへらへらと軽い口調で近づき、キレイハナの行く手を阻んだ。その横では、

 

「我らが主の成すべきことが終わるまではじっとしていてもらおう」 「わたわた・・・」

 

あの規格外の強さを誇るものとは別の、オスのフーディンがワタッコを拘束する。

手負いの三体はモルフォンとスリーパーがその身動きを封じていた。

 

「なんてことだ・・・!マグカルゴ!」 「ゲンガー!あいつらを止めなさい!」

 

カツラやカリンがナツメとそのポケモンの暴挙を止めるためにバトルで使わなかった

ポケモンたちを繰り出す。だが、その攻撃はもちろん侵入すら許さない壁があった。

バリヤードが僅かな時間で用意した、上空を含めどこからの介入も不可能とする

まさに鉄壁のリフレクターと光の壁がポケモンたちをはじき返した。

 

「・・・外からの横槍は許さない。それが私の役目。さあ、ナツメ!」

 

「ああ・・・皆いい働きだ。これでわたしはじっくりとこの愚か者を始末できる」

 

 

短刀を握る手に力が入る。そのせいでこぼれ落ちる血の量が増えていた。それすら

気にしていないほど、ナツメは目の前のエリカへの殺意に満たされているというのか。

 

「やつはすでに何人も殺した殺人者であることに間違いはないが・・・まさか

 このような公の場で!狂人としか言いようがない!」

 

「・・・・・・!」

 

サカキの隣で全てを見ていたスピアーが、集中力を高めていた。あのバリアーを

破壊するためだった。しかし、それよりも早く行動に移した男がそれを制した。

 

「死ね―――――っ!エリカ――――――っ!!」

 

ナツメは右腕を一度天高く掲げ、それから大きく勢いをつけてからエリカ目がけて

凶刃を放った。ナツメの殺意にエリカは恐怖し、歯を食いしばって目を閉じていた。

だが、何やら膨大なエネルギーを持つ、まるで太陽のようなものが猛スピードで

迫っているのをエリカは察した。両の瞳を見開くと、一瞬のうちにそれが現れた。

 

 

「うおおおおお―――――――っ!!」

 

「ぐあっ・・・!」

 

人同士が激突した音と共に短刀が宙を舞い、エリカに届くことなく後方へと落ちていった。

ナツメは倒れる寸前に超能力を使ってうまく元の体勢に戻ったが、その目の前には

もう一人、バリヤードの壁を突破して捨て身のタックルを成功させた男が立っていた。

 

 

「・・・・・・レッドさん・・・!」

 

「・・・お、遅くなってごめん・・・だけどよかった・・・間に合った!」

 

一度はエリカに背を向けたレッドが、再び彼女に寄り添い立っていた。そして

全身を真っ赤なオーラで包んでいた。アカネの発動させたものと同じ力だった。

 

『レ、レッドだ――っ!しかも燃えるような赤い光に満たされているぞ――――っ!!』

 

ナツメのようなエスパーもないのにどうやってエリカの救出を成功させたのか。

見ると先ほどまでレッドのいたところにカメックスがいた。レッドはカメックスに

ハイドロポンプを自らに向けて放つよう命じ、その激しい水流に乗って突進すると、

謎の力に満たされそのままバリヤードの壁を叩き割ってナツメの腕へと着弾したのだ。

覚醒したレッドの姿を見て、ナツメは笑った。これはまさに狙い通りの展開だったからだ。

 

「そうだ・・・これを待っていた。その力の発現を・・・」

 

 

 

ロケット団によって占拠されたヤマブキシティに平和を取り戻した後、レッドは

リーグ公認のバッジを手に入れるためポケモンジムに挑戦した。ロケット団員や

シルフの邪悪な研究員との、敗北すれば命を奪われるかもしれないという戦いを

乗り越えてきたのだから、ジムリーダーとの戦いは楽に感じるだろうと思っていたが、

 

『・・・ぐっ・・・マック、あとはお前しか・・・』

 

『くくく・・・どうやらわたしが勝つという未来は変わらなかったようだ』

 

ナツメの前に追い詰められていた。エリカとの特訓の期間の後は誰にも負けていない

彼であったが、このナツメはこれまで戦った誰よりも強く、レッドを恐怖させた。

 

『・・・ロケット団のボスですら倒せたというのに・・・!』

 

『ボス?ああ・・・あの男のことか。その程度のことで調子に乗っていたのか。

 あの男のほんとうの強さはあんなものではない。やつはいま己を見失っている、

 だからロケット団などというくだらないゴミ溜めでやつもポケモンも少しずつ

 腐り始めている。そんな生きながらにして死んでいる男に辛うじて勝ったところで

 わたしを倒すまでには至らないのは当然!さあ来い、思い上がりを叩き潰してやろう』

 

共に残り一体、ナツメはオスのフーディン、レッドはピカチュウ。しかしピカチュウの

体力はあと僅か。このまま敗れ去るのが濃厚の流れだった。とはいえナツメのバトルは

勝つにせよ負けるにせよワンサイドの展開となることがほとんどで、見ていて面白みに

欠けるため他のジムに比べて観客はほとんどいなかった。レッドのようにここまで

接戦に持ち込むこと自体がすでに評価されるべきだったのだが、敗れては何の意味もない。

 

『フーディン!サイコキネ・・・・・・いや、サイコウェーブだ!』

 

万事休す、と思われたそのときだった。観客席から若い女の声援が響いた。

 

『レッドさ―――――ん!負けないで――――――っ!!』

 

密かに見守っていたエリカだった。レッドの危機に黙っていられなかったのだ。

隣にはピカチュウと仲のよいモンジャラもいた。その姿を見たとき、レッドの

全身は真っ赤に燃える太陽のごときオーラに包まれ、ピカチュウにも勢いは伝染した。

 

『いけ――――っ!!マック、全力のかみなりだ――――――っ!!』

 

『ピカァ――――――――――――――!!!』

 

『・・・・・・こ、この光は・・・!』

 

 

 

ナツメがレッドとの対戦を待ち望んでいたのは自らの未来予知をも覆すほどの

不思議な力を操る彼と再戦したかったからだった。この謎に更に迫り研究を

重ねることで自身の野望の成就に向けて大きく前進することは確実だった。

 

「だが・・・少々残念だ。あの天下のレッドの力の原動力がこんなくだらぬものだったとは」

 

ナツメが自分のポケモンたちをボールに戻したのは、レッドのポケモンたちが

次々とフィールドに立ち、ここからは自分たちが相手だ、と意気込む様子に

恐れをなしたからではなく、レッドへの興味が薄れ始めていたからであった。

 

「そんな女への愛があなたの力の源だとは・・・所詮似た者同士だったようだな」

 

「・・・・・・何とでも言え!」

 

レッドはそれ以上ナツメを相手にせず、エリカを見る。すると彼女は憤然として言った。

 

「レッドさん!あなた・・・なんて危ない真似を!一歩間違えたら刃が刺さって

 死んでいたかもしれないというのに・・・!あのときから全く変わっていないのですね。

 ポケモンを救うために何も考えずに炎の海に飛び込んでいったあの日から何も!」

 

「・・・エリカの言う通りだ。もっとうまいやり方はあったかもしれない。あの日も

 いまも。でもエリカが殺されそうに・・・いや、こうなったのは僕が原因だった。

 僕のせいであなたが死ぬだなんてことになったら・・・僕もその後を追うしかない、

 だから同じことだよ。この気持ちだって変わっていない」

 

危険が去ったこともあり、レッドはエリカを自分の身体から離した。だがこれまでとは

違い、すぐそばで、エリカから目を逸らすことなく言葉を続けた。

 

 

「三年前の『沈黙の日曜日』、あなたよりも早く僕は夢から目覚めた。どう考えても

 釣り合わない僕たちだ。あなたにとって僕と共にいることで失うものが大きすぎる。

 僕とエリカの住む世界、進むべき道は全く違うものでなくてはならなかった。

 取り返しがつかなくなる前に全てを終わらせるために何も言わずにいなくなった。

 いずれ時間が何もかも忘れさせてくれると・・・今日来たのもその決着のためだ。

 でもダメだった。エリカの幸せのためにはまず僕がしっかりしないといけないのに」

 

ピカチュウが驚いた様子でレッドに近づく。それは黙っているはずではなかったのかと。

エリカの命が奪われそうになったこの極限状態でレッドの心がとうとう動いたのか。

ずっと求めていた彼の真意をようやく知ることができたエリカだったが、

 

「・・・・・・それだけ・・・たったそれだけのこと・・・だったのですか?」

 

わなわなと震えるようにして言う。怒りのようにも悲しみのようにも聞こえた。

 

「・・・ほんとうにごめん。でもエリカにとって一生に関わることだ。だから・・・」

 

次の瞬間、レッドの弁明は遮られた。いきなり胴体に体当たりを食らい、地面に

勢いよく押し倒された。まさか、と思ったがエリカ以外に犯人はいない。現にいま

彼女はレッドの上に乗っていた。こんな行為に及ぶことすら想定外であるのに、

エリカが大粒の涙を流しながらレッドへの攻撃を続けていたのは完全に想定外だ。

 

 

「・・・ばか――――っ!レッド・・・レッドのおおばか―――――っ!!」

 

ぽかぽかとレッドの胸辺りを叩き続けていた。非力なパンチはレッドにほとんど

ダメージを与えていない。それでも左右交互にレッドへ思いをぶつけていた。

 

「どうして何も言ってくれなかったんですか―――っ・・・!わたくしが幸せに

 なれるのはレッドといっしょにいるときだけなのに――っ!邪魔する人間なんて

 いくらでも消せるんですから相談してくれたらよかったのに、ばか――――っ」

 

「・・・い、いや・・・だからそういうのが怖かったから・・・」

 

「わたくしがどんな思いで三年以上も待って・・・・・・うぇぇ~~ん・・・・・・」

 

 

とうとう言葉も出ないほど激しく泣き始めた。エリカの涙そのものはレッドにとって

珍しくない。しかしいつもそこには気品があり、美しさを感じさせた。いまのエリカは

子どもが駄々をこねるように、周囲の目も気にせずに感情を爆発させている。アカネが

負けた悔しさで醜態を晒すのと何も変わらない、ただただ声をあげて泣いているだけだ。

だが、レッドはそんなエリカをとても愛おしく思い、優しく抱きしめた。

 

「・・・・・・レッド・・・・・・」

 

「その通り・・・僕は大馬鹿だった。ようやく正しい答えを見つけられた」

 

「・・・ああ・・・夢のようです。ですがどうか夢ではなく現実でありますように。

 もしいつものように夢なのだとしてももう二度と醒めませんように・・・」

 

 

すると二人だけの世界を壊すかのごとく愛情とは無縁の鬼が迫ってくる。すでに短刀は

持っておらずポケモンたちもいないが、ナツメの接近に二人は警戒心を強めた。

 

「フン・・・あなたたちのような愚者などもうどうでもいい。こんな大観衆の前で

 無様なものだ。惨めでこれ以上なく情けない姿に正直笑いが止まらないな」

 

「・・・・・・・・・」

 

相も変わらぬ侮蔑に、二人でナツメを睨みつける。だがナツメは二人が立ち上がると、

 

「これ以上どうしようもない者どもにわたしの計画を壊されては困るからな。

 この大観衆の前で・・・それぞれ誓ってもらおうか」

 

レッドとエリカをきっちりと並んで立たせ、皆に聞こえるようにそれを始めたのだ。

 

 

「まずレッド!あなたは二度とエリカのもとを離れず、今後一生涯にわたって

 彼女を幸福にし、どのようなものからも守り抜くことを誓うか!」

 

最初は状況を飲み込めずにいたが、すぐに理解するとレッドは力強く言った。

 

「・・・ああ。二度と離れるものか。これからは死ぬまで二人で一緒に生きていく」

 

レッドの返答を聞くと、ナツメは次にエリカに向かって問いかけた。

 

「そしてエリカ!あなたは自分の持つ何もかもを捨ててレッドにその身を預け、

 どんなときでもレッドだけを愛し続け、彼を支えることを誓うか!」

 

いまだに涙を流していたエリカだったが、にこりと笑うとすぐに答えた。

 

「はい、喜んで。わたくしも命の日の限り・・・いえ、死んだ後もこの方を愛します」

 

 

このとき、セキエイのスタジアムから大きな拍手や口笛が鳴り響いた。

 

「いいぞいいぞ―――――っ!」 「おめでと――――っ、二人とも――――っ!」

「くそ―――!羨ましいぜ―――――っ」 「ついでにキスもしろ――――――っ!」

 

さすがにここでは、と顔を赤くする二人を見ながらナツメはそれを鼻で笑うと、

 

「くくく・・・レッド、もはやあなたはわたしが戦いを希望する最強のトレーナー

 などではない。そもそもエリカ程度が相手ならもっと楽勝しなければならなかった。

 あなたたちには失望した。とんだ食わせ者だったようだな」

 

だが、話しかけられたレッドとエリカ、それにすぐそばまで来ていたアカネには

確かにわかった。ナツメのその笑顔はこれまでの言葉とは裏腹に、二人を

心から祝福するものだった。怒りや苦々しさはどこにもなく、レッドとエリカの

命をかけて燃えた恋がいま結ばれたことを喜ぶ、天使のような微笑みだった。

それに気がついたのは何万人という観衆、無数の視聴者のなかでたったの三人だけだった。


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