「あー、ははあ」
パッと見公式利用でサヨナラ!が出来ないヤツか。厄介だな。
x³+x²-4x-4
じゃあ共通因数は…、田楽刺しはない、と。
うーん。xでえいやって括るのも手だし、それとも4だけ括ることもできそうだ。
迷ったらどっちもやってしまおう。時間はある。
=x(x²+x-4)-4
=x³+x²+4(-x-1)
ああ畜生め。xさえいなくなればサヨナラ!出来ていたというのに。
……待て待て、計算は間違っていない。どうしようもないんだ、全て。それに、仮にxがなかったとしても4をどうして処理するのか見当もつかない。
「ボツ」
しかしこっちは、あれだな、汚い。さては-、貴様の仕業か。
では括りなおして……、
=x³+x²-4(x+1)
オーケー。そしてここからどうするんだ?
共通因数は括った。次数に沿って整理されている。公式は利用できそうにない状況下だ。
ああ、サヨナラ!がしたい。何とかして共通項が出せないか?
………ああ、バカだ俺は。
x²で括れるじゃないか。
=x²(x+1)-4(x+1)
共通項が出てきた。後はもう簡単だな。
=(x+1)(x²-4)
サヨナラ!
…柄にもないジョークはこれくらいにしておくか。
さて、最後に因数分解は……うわ、出来る。趣味悪いトラップだなあ。
=(x+1)(x+2)(x-2)
これで文句はないよな? 答えは……よしよし、合ってる合ってる。
さあ、次。
"検知:足音。2名"
「今日は」
「こんにちは」
「ごきげんよう」
「坂柳。会うのは3回目か」
「そうなります。律儀な人ですね」
「いや、そうじゃない」
俺が座って問題を解いていた4人席に彼女らが座り、一気に場が華やかになる。黄金と白銀が一様に会することがありえるというのは、率直に言ってグローバリズムが生み出した幸運なのか。
「それで、どういった情報が得られたのですか」
「特筆すべきは何といっても無料で購入できる商品の存在だな」
「そんなものが」
「生活に必要な最低基準のものは全て揃っていた。無料だからといって品質が著しく悪い訳でも無かった」
「山菜定食は別でしたが」
「あれはな」
彼女の相槌にあの味が舌にフラッシュバックする。
あれを開発した料理人はある意味天才か何かだ。
「何故そうなるのかわからないのだが、一般的な美味しいというラインを絶妙に外していくスタンスらしく、食べていると無性に一抹の寂寥感を覚える料理なんだ」
「……面白そうですね」
「やめとけ」「控えたほうが良いです」
「?」
「あれを食べたくないがためにポイントを節約すべきだ。あの味は勿論意図されたものではあるのだろうが――大方こんなものを食うくらいなら真面目に金銭管理を行おうとさせることを目的としている――、知らなくてもいい味だ」「そうです。あれは生存のために人権を踏みにじることを選択した料理です」
「そこまで酷いのですか…」
その後アウデンリートと暗黙の了解を元に坂柳にあの料理を食べさせないように説き伏せた。
良かった。あれは知らなくていい事実の1つに違いない。
「ちなみに、その山菜定食はお2人別々で食べたのですか?」
「いいや。俺が試して撃沈して彼女が買うのを躊躇した。今思えば被害が小さくて済んだことに感謝すべきかもしれない。無料とはいえ」
「はい。タダより高いものはないと改めて確認しました」
「……成程………面白そうなのでこのまま放置しておくのもありですね………」
後半の口の動きは何かを言っていたようだが、聞き取らせる気のない音量だったようで、一旦間を置く。やがて彼女は浮かべていた不敵な笑みをしまい、話を続けてほしいと言われた。
「そうだな。ざっと確認した程度だが、ほとんど例外なくポイントは円とほぼ同等の価値を有すると考えていいことが判明した。それもそうだ。戦争帰りのアメリカ軍兵士のごとくマーズバーの値段はいくらだっけなんて実にバカバカしい」
俺のマーズバーという単語を聞いた瞬間にアウデンリートが顔を顰めた。うん? アメリカの話だぞ? ドイツには似たようなのがあるのか?
「ああ、あと生徒間でのトレードが出来るのも発見だった。ポイントに制限は無し。名前を明かす必要もない。個人に割り振られたIDを入力すれば勝手に送信できるようだ」
「当然のシステムと言えますね」
「確かにそうだ。ただ恐ろしいのは制限がないことにある」
このトレードシステムが孕む問題点はポイントの動きの予測が困難になるということだ。市場は売買によってポイントが他方から他方へ動くから、然るべき手段で以って計測、あるいはその情報を入手すれば良い。
しかし匿名性が高いこのシステムで巨大なポイントが動けば、『起こった』ということは分かるが、『何処で』『誰が』それをやったのかの確定は不可能になる。勿論データを集めれば平均を割り出せるだろうが、その正確さはあまり期待できないだろう。
………なんだかとんでもなく面倒臭い問題を見つけてしまった気がするぞ。
"リストに追加"
「市場の動きを計測する?」
「正確には市場動向分析だ。値段の変化や取引量の増減から需給の状態を推測する。ここで使えるかどうかはともかく」
値段の変化が起こるのかが疑問だ。多分あると思うんだけどなあ。供給がどうなってるのかわからない以上どうしようもない。
"参照:ポイントと円の交換レートは完全に同一"
国が介在していながらも、外界とのやりとりは行われていると見るべきだ。でないと色々と説明が付かない。
んん?
「大丈夫ですか」
「……すまない。考えことをしていた。で、坂柳、何か質問はあるか?」
「いえ、特にございません」
「では、そろそろ、アレを」
「…言い出しっぺが言うのも何だが、本当にやるのか?」
「お願いします」
分かった、と頷きを返し、脇に置いておいたノートを手前におき、バッグからルーズリーフを何枚か取り出す。
「二人もノートとシャーペンを用意するように。数学Ⅰの因数分解について扱う」
「現在数学Ⅰで取り扱っている内容は『数と式』。現在の授業では展開の内容だが、正直展開と因数分解では因数分解の方が比重は重いためそちらを扱う」
というかぶっちゃけてしまうと展開が出来ないヤツは話にならない。
「因数分解は基本的な解法の活用とセンス、つまりこれは置き換えや並び替えなどで簡略化できる式を発見する力が求められる。大丈夫だ、センスは経験によって鍛えられる。何も恐れることはない」
確認だ、と人差し指を立てる。
「展開の公式を7つ、暗唱してくれ」
「a²+2ab+b²=(a+b)²、a²-b²=(a+b)(a-b)、a²+(b+c)a+bc=(a+b)(a+c)、acx+(ad+bc)x+bd=(ax+b)(cx+d)、a²+b²+c²+2ab+2bc+2ca=(a+b+c)²、a³+3a²b+3ab²+b³=(a+b)³、a³+b³=(a+b)(a²-ab+b²)、でしょうか」
「よし」
「ちなみに、三乗の展開は数Ⅱの内容です」
「そうなのか」
そんなものを数Ⅰの教科書に載せるなよ、と突っ込みたいところだが入れておきたい作者の意図もわからないわけでもない。覚えるなら早いに越したことはないからな。記憶事項が増えたこちらにとっては良い迷惑だが。
「今アウデンリートに言ってもらった公式群は解答一歩手前で利用する。ミスを無くすためしっかりと記憶しておくこと」
赤ペンに持ち替え、喋りながら書いていた公式の一部、あるいは全体を囲む。
「acxはいわゆるたすき掛けというヤツだ。高難易度の問題で良く来るし、その特性上気づきにくい。一番時間がかかる公式だから、何度も反復練習が必要だ。先生から問題のプリントを貰っても良い」
「abcの二乗は覚えたもん勝ちだ。テストに出ても基本クラスだろうが、圧倒的な時間省略が可能になる。最後の2caは、輪環の順に基づいて書かれているが、これは綺麗だからやっているというだけで、するかどうかは個人差がある。教師への確認はまだしていないため不明だが、恐らく輪環の順にしてもしなくても問題ないとは思われる」
「3乗はかなりキツい。何が嫌って、このこれ、+と-が反転するとここだけ入れかわる心折設計な点だ。よく考えればすぐにわかるが、試験中そんなことを考えている余裕はない」
注釈を吹き出しで囲みながら書き込み、派生式や例題を提示してルーズリーフを埋めていく。
「……かわいい」
「は?」
「結構女子力が高いって言われせんか?」
「女子力って……、俺にそんなもんあるわけないだろ」
「ここにあるんですよ。適格な色遣いとポップな吹き出しからにじみ出る女子力が」
……ああ、それか。
「小学校に通っていた塾が成績優秀者のノートをコピーして欠席者にその授業内容を配布するというルールがあった。そういう人は得てしてノートの取り方が上手いから、それを参考にしている。独自のアレンジを加えているつもりだが」
だから、もう名前も思い出せない誰かのノートの癖が今もここに残っている。思い出したくない地獄の日々が頭をよぎった。
「さて、これまで言ったことは全てチュートリアルに過ぎない。当然だよな、奴らがこんなに親切なはずがない」
「何か恨みでも?」
「何人殺したと思っている?」
アウデンリートは一瞬表情を消したが、坂柳はその意図を読み取ってクスクスと笑い出した。
「ま、問題を疑うのは必要な姿勢だ。思い出してみろよ、あの地獄を。大問1に難問配置、誘導なし、図間違い、初見、ローカルルール、単位、傾向変化、何でもあっただろ?」
「はい?」
アウデンリートはともかく、坂柳までも俺の言っていることに首を傾げている。
………これは、ああ、成程。
「嘘だろ中学受験してない組かよ。畜生これだから天才は嫌なんだ」
「あの…、話が見えてこないのですが」
「ん…、そうだな、どう説明したものか。………K成、A布、M蔵、O陰、F葉、J子学院、これらの名前に聞き覚えは?」
「いえ」
「そうか、よし、分かった。今言ったのは中学受験をしたことがある人ならほぼ必ず知っている男女の御三家って言われる学校なんだ」
「御三家? 江戸時代のですか」
「それをなぞっている。受験の天王山とか、色々な。で、今あげた御三家は受験の問題の難易度の高さと進学実績の高さが理由でその地位を獲得しているんだが、そういう学校はたいていもうキレたくなるくらい意味分からない問題だったりひらめきでしか解くことできない問題が出て、腕に覚えのある小学生をことごとく退ける最難関校になっている」
実はさらに上がいるが、それは話す必要はないだろう。
「俺がさっき言った誘導なしや初見っていうのはそういった難関校が常識のように用いてくるテクニックなんだ。どうも知らないみたいだからいくつか解説するぞ。最初にいった大問1に難問配置ってのは、文字通りテストの大問の1つ目に捨問クラスを持ってくる配置のことを指す。過去問を解いていればその学校がどういった問題配置を好むかは良く分かるが、第二志望や第三志望校であまり過去問を解いていなかった場合これに引っかかるときがある。実際数人がそれで滑り止めを滑って、そのまま戻ってこなかった」
あれは悲惨だった。自分の身を守るので精一杯だったあの頃は、誰も泣きじゃくる彼や彼女に手を差し伸べることは出来なかった。
「誘導なしは経験があるんじゃないか? 大問で本来小問が二つか三つあるべきところに一つしかない問題。いきなり高難易度の問題を解く必要が出てくるのと、大抵その問題は高い得点が規定されているから焦りが出て全て落とす恐れがある。
ま、これはまだマシな部類だろう。問題は傾向変化と国語での問題文重複だ」
それぞれの理由で俺は幾つかの学校を落としている。正直あまり話したくない。
「中学受験では過去問は六年生の秋から冬、早い塾は夏から扱う。第一志望校は最低三年分、普通は五年分、多くて十年分の問題を解くことになる。過去問が乗っている参考書にはその年度の合格者最低得点や平均点が乗っているから、どれくらい解ければこの学校に受かるかの大事な指標になる。そして、過去問を見ればこの学校はどういった分野の問題を好んで出題するのかが把握でき、追い込みの際の取捨選択に役立つ。勿論過去問と同じ内容の問題が出ることはありえないが、他の学校の過去問は平気で採用することもあるし、学校は塾で行われているテストについてあまり考慮していない」
これが何を意味するか分かるか? と二人に呼びかけ、十分な時間考えさせてから答えを提示する。
「問題文の重複、その真実は国語での長文読解で出題される評論、あるいは物語で塾で受けたテストと同一の範囲が出てしまうということだ。ちなみにちょくちょくある」
これが起こると何が恐ろしいのか。一度やったことのある範囲だから簡単に解けてラッキーというわけじゃない。
「ラッキーと感じているのは俺だけでなく同じ塾に通っている生徒全員も同じだという点を忘れてはいけない。つまり、本来なら差がつくべき所での差が失われ、国語を得意としている生徒にとっては不利な状況が生まれるんだ」
「…容易に想像できます」
「まあ、仕方のないことではある。良い作品は皆が使いたいと思う。一番良い部分を選んだら一緒だったということは良くある。だから志望校を受ける同じ塾の奴等がいきなり強大なライバルと化しても文句は言えない」
そりゃ神に祈りたくなるし、縁起を担ごうと思うさ。
"参照:湯島天神の五角鉛筆"
「話がそれたな。確か、公式利用の次だったか。ふむ、共通因数の括り出し」
コイツは、あー、最初から最後までお世話になるヤツだ。
「次数整理とセットで最初に行う処理だ。ごっちゃになっている問題文を整理して分かりやすくし、何をすれば解けるかを導くために必要な処理だ」
「写し間違いに注意ですね」
「そうなる」
x²-x²y-xz²+yz²
「こういう問題が出たとする。すでに次数はxについて整理されているが、パっと見で全てをくくれる因数はない」
=x²(x-y)+z²(-x+y)
「xでくくってはいけない。出来れば次数をなるべく大きくしてくくると括弧の中の次数が小さくなって処理しやすくなる。…この式をじっくり見れば、何をすべきかは自ずと分かるはずだ」
=x²(x-y)-z²(x-y)
=(x-y)(x²-z²)
=(x-y)(x+z)(x-z)
「こうなる。二乗引く二乗の形が問題なく見えるようになれば占めたものだ」
"参照:困難は分割せよ"
難問を解く上で、馬鹿正直に壁にぶつかってはいけない。自分よりずっと頭の良い人間が作った壁に向かっても、どちらが砕けるのかは明白だ。
「置き換え。次数が2より大きいときに利用される傾向が多い。複み、いや、複二次式、複二次式で使う」
=x⁴+4x²-32
「公式にない次数が出てもあわててはいけない。それこそ出題者の思う壺だ」
x²=Aとおく。
(与式)=A²+4A-32
=(A-4)(A+8)
=(x²-4)(x²+8)
=(x+2)(x-2)(x2+8)
「こういうふうに解き易くなる。これもある程度経験とセンスが必要になるがな。『これを置き換えたら公式が使えるかも』という予測を立てる力が必要になる。あと、このAは問題を解く上で勝手に定義したものだから最後にちゃんと元に戻す必要がある。悲惨なのは、(A-4)(A+8)で解答欄に書いてしまうことだ。これを避けたければ、慣れるか、中括弧を使う手がある」
(x²+3x)²-2(x²+3x)-8
「一瞬でx²+3xが同一と分かるだろ? 一々書くのが面倒くさいから普通は文字を定義するが、中括弧を使うと、」
={(x²+3x)+2}{(x²+3x)-4}
「こうなって」
=(x²+3x+2)(x²+3x-4)
=(x+1)(x+2)(x-1)(x+4)
「こうなる。正直、この方法はあまりオススメしない。俺にはこの透明化で得られる利点があまりないと考えている。どうしても、という人は使えば良いだろう」
ぶっちゃけ、慣れると文字に置き換える前にこのまんま因数分解が頭の中で出来るようになる。と身も蓋もないことを付け足してから二人に断りを入れて席を立った。
喋り過ぎて喉が掠れ気味になった。それに一旦思考を整理する時間がほしかったのだ。
だから、薄いピンクの髪の女性に声をかけられたときは、思わず俺はがっくりと肩を落とし、しばし彼女に謝られることになった。
違うんだ、君。悪いのは俺であって君じゃない。
「新しい女性を連れて来たようですね」
「ええ。しかも見目麗しい美人を」
「そして頭脳明晰でもある」
「そ、そんなことないよー」
危ねぇ。
秒速340m超の剛速球を耳に掠らせながら、椅子を引いて彼女を俺の反対側に座らせる。
俺も席に着いたことを確認してから、彼女は自己紹介を始めた。
「一之瀬帆波です。Bクラスに所属しているよ。津田沼君は私が一方的に知ってる感じかな」
「………」
「モテますね」
成程、坂柳、お前さては人をおちょくるの好きだろ。
「いつだ? 確かに俺は君を知らない」
「一之瀬でいいよー。……そうだね、入学式が始まる前の講堂で君を見かけたよ。一番最初に来て真剣な顔で周囲を見ていたよね。その時私と目があったと思うんだけど、忘れてたか」
「ああ。忘れていた。すまない」
「謝ることじゃないよ。大事なことだしね。それで、今あなた達は何をしていたの? かなり先の範囲を見ているみたいだけど」
「見ての通り、勉強会だ。誰が学んでいるかはさておき」
その言葉に彼女は首を傾げた。顎に人差し指を当てるその仕草は狙っているわけじゃないのが逆に恐ろしい。
「へぇ。流石はAクラスってところなのかな…」
「流石は?」
"推奨:会話の継続"
視線がピタリと一之瀬に合わせられたが、彼女は動じることなく真正面から見つめ返した。
「あなた達の勉強速度にだよ。Bクラスじゃそこまで勉強している生徒はそういないよ。Dクラスもいないと思う」
「…ああクソ。そう来たか」
「え?」
「違う。君にではない」
"考察を更新:クラス分けは基準として学力が考慮されている模様。推測するに、Aクラスに優秀な生徒、Dクラスにそうでない生徒が集中する"
"推奨:情報の収集、彼女との関係の構築"
「今君が言ったことを確認させてもらう。Dクラスには頭が良い生徒はいるか?」
「え? ちょっと待ってね……、えっと、確か何人かいるよ。それがどうかしたの?」
"考察を更新"
「…情報を提供してもらったしな」
彼女を何とかして味方、あるいは情報提供者にしたい。俺に足りないものを持っている人物だ。
「今君が言ってもらったことから、俺の中で一つ疑問が生まれた。この学校のクラス分けの構造だ」
「………、学力?」
「それだけじゃなさそうだ。それだけならそのDクラスにいる人物の説明がつかない。何かDクラスに配属される理由がある筈だ」
もしくはAからDクラスの間に差は存在しないのか? だとしたらその人物の存在に説明がつくが。
「分からないけど、私の憶測だとその人の多面的な実力を評価しているんだと思う」
「どういうことだ?」
「まだ確信が得られてないけど、私の知ってる限りの友達で考えるとそれが結構有力に思えるんだ。櫛田さんって知ってる?」
「いや」
「櫛田さんはDクラスに所属している人なんだけど、私よりずっと友達付き合いが上手な人だよ。社交性が高いって実力の一つだよね? 人を動かすには信頼が必要だもの」
「そうか。俺は別の仮説をまだ捨てきれていないんだ。AからDクラスの間で差がないという仮定を」
「……そうしたら、何処かで問題が発生しませんか?」
「問題…」
アウデンリートの指摘を基に構築されつつある仮説を精査する。何処だ、何処に問題がある?
"仮説:クラスの間に差が存在しない"
"参照:平等に与えられた10万ポイント"
ん?
"反論:ポイントは変動する可能性がある"
"考察を更新:つまり、最初差がない状態でクラスを作り、学校生活を送りながら実力を伸ばそうとする試みか"
「ならそれを言っても良い筈だ…秘匿されているのには何か理由がある…?」
そうかもしれない……いやいやいやいや、ちょっと待て。これはあくまで『仮説』だ。実証を経ていない。
クラスの割り振りの確認という実証手続きをまだやっていない。
「証拠不十分か」
「そうです。問題を見つける前にその仮説を成立させるために必要な最低一つの証拠がありません。それを見つけなければ、どれだけ考えても無駄骨と言えます」
「証拠か…。それは俺に出来ることなのか?」
その仮説の実証にはある程度のコミュニケーション能力が求められるだろう。そしてこの中で適任はいない。
二人は勿論その力を持っているだろうが、坂柳に歩き回らせる真似をするのはハイリスクだし、アウデンリートは目立ちすぎる。
…ああ。
「そこで君が登場するわけだ」
「え?」
「君のその能力を使いたい。調査依頼を出そう。報酬は3000ポイントの内半分を前払い、依頼達成時に残りを支払う。内容はAとBクラスを除く同学年の他クラスの構成の調査。依頼達成の為に消費したポイントは明確な理由と合わせて申請してくれれば請け負う」
「ちょ、ちょっと待って!?」
身振りを交えてぶんぶんとタイムを要求した彼女は、俺が黙ると眉を伏せると考え始めた。
………少し早計過ぎたか? 彼女のポテンシャルを図るにはちょうど良さそうなアイデアが浮かんでしまったからつい言ってしまったが、大丈夫だろうか。
「自分の手を汚すつもりはないと?」
「怪我するからこうしてプロに頼んでいるのさ。餅は餅屋だ、そうだろ?」
「成程、面白い考えです」
「…まるで自分には別のやり方があると言いたげだな」
「確かにありますよ。いささかスリリングですが」
坂柳について分かったことが一つ。彼女、かなり血を好むらしい。その体故に身に付いた性格なんだろうが、我を通すためにどれだけの策を抱えているのやら。
「えっと、幾つか質問良い?」
「ああ」
「ありがとう。……でね、先ず聞きたいのは報酬について。どう考えても多すぎない? 貴重なポイントだよね」
「問題ない。仮に君が依頼を達成できなかったとしても失うのは3000ポイントではなく半分でしかない。それに、俺が今君に依頼しようとしていることはそれだけの価値があるんだ。高すぎることはない」
そもそも、信用がない相手だからこそポイントで取引を持ち掛けた。金は相手を動かす大きなイニシアチブを持つ。ある程度の信頼関係が構築出来ているなら、年末調整のようなシステムを採用して貸し一つと言っている。
「じゃあ、私のクラスを調査する必要がないのは? 私が一番多くの情報を提供できるクラスなのに」
「自国の情報をリークするスパイがいるか? 俺が君に依頼しているのは『そういう』ことだぞ」
情報は地図を丸ごと書き換えることの出来る作戦級兵器だ。貰える情報なら貰っておくが、彼女だって遅からずその価値に気づく。その時のリスクを考えると強制は出来ない。
相手に自分が同じ土俵にいると認識させる。取引において利益をかっさらう為に必要な手口だ。
「うーん……、分かった。引き受けるよ、その依頼。でも一つ条件がある」
ほう?
そのタイミングで持ち掛けるか。
「何だ?」
「私を通して手に入れた情報をルールやマナーに反しないレベルで使うことを約束して。本人に聞けば快く教えてくれる情報でも、それは意図しない限定的に公開された個人情報だから。……うう、ごめんね。上手く言いたいことを伝えきれていないかも」
「いや、君の言いたいことは良く分かった」
大事な点を失念していた。後始末までしっかりしないと禍根を残してしまう。
「分かった。その条件は必要だな。…じゃあ、取引成立で良いか?」
「うん。よろしくね」
「よろしく頼む。期限は設定しないから、気長にやってくれて構わない」
「むむっ。私のプライドが刺激されちゃったかも」
取引が無事成立したことに内心安堵しながら、端末を取り出してトレードを開始する。
"推奨:彼女のポイント残高の確認"
は? 何でだ?
"参照:『平等に』与えられた10万ポイント"
"収集事項:仮説の実証の際に必要な証拠、各々のポイントの利用の仕方"
"結論:可能な限りの人数のデータの収集の必要性より、一之瀬帆波のポイント残高を参照すべき"
「なあ、君はprという単位に疑問を持ったことはあるか?」
「勿論あるよー。みんなポイントポイントって言ってるけど、rが何なのかわかんないや」
「先生に質問は?」
「いけない。してなかった。…津田沼君は知ってそうな口ぶりだね」
「疑問をそのまま放置できないタチでな。調べてみたらprはPrivate Point、すなわち最初の二文字を取っていることが分かった。意味は直訳で個人ポイント、と言える」
「へぇー。個人ポイントかぁ。……あれ? じゃあ何で、皆ポイントって言ってるんだろう?」
鋭い。そこが分かればあと少しで俺と同じ答えに辿り着ける。
「まあ、そういう呼び方は基本誰かが最初に言って、それを皆が使い始めるよな」
「………先生?」
「よく覚えているな。そこまでいけばあと少しだ。何で先生はそう言った? わざわざ正式名称を使わず?」
言いやすいから、という理由もあるだろうが、それは説明責任を十分に果たしていないことへの説明にはならない。
「個人ポイント、個人ポイント…あっ。それを秘匿する必要があった?」
「何らかの理由で、な。個人という名前を付けている点も不思議だ。まるで別のポイントがあるかのような名前だよな」
「言われてみれば確かにそうだけど…、えっ、まさか本当に別のポイントが?」
「そう、あるんだよ。クラスポイントが」
釣れた。獲物を入れるバケツは用意していないが。
「面白い人でしたね」
「とても友好的な人だった。坂柳とアウデンリートは彼女について何か知っていることはあるか?」
「そうですね、Bクラスのリーダー的存在と言える人です。学級委員長なる立場にもいるようですね」
「学級委員長…」
素晴らしい手際と言わざるを得ない。ぶっちぎりの速度でクラスをまとめ上げているようだな。
……ん?
"参照:葛城、一之瀬、龍園"
リーダーの素質を持った人間が良く分散している。これはDクラスにもそのような人間がいるとみて良いか?
「彼女の報告が楽しみだ」
集積から解析へ。手持ちのパーツで組める図形から何が見えるのか実に興味深い。