ようこそ実力至上主義の世界へ    作:Stay_8039

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追記(2018/10/08):試験期間に突入したため更新を一時停止します。二週間ほどを目安としています。その間も作品の展開は考えているので、気長にお待ちいただけると幸いです。


無知が幸せをもたらすのならば、全知は死をもたらすのだろうか?

 寮から学校へ向かう道は、しとしとと降りしきる雨によって濡れていた。

 時折跳ねる水飛沫が、ズボンに水溜まり模様を描いていき、やがて全体を浸食しだす。

 

「――都心の雨は、どうも居心地が悪い」

「……そうなのか」

「雨が降ると人は口を閉ざしがちになる。物静かな人は勿論、普段なら騒がしい人もそうだ。そうなると、雨音だけが聞こえるようになる」

「………」

「こんな音がな。しかし、周囲に人がいると、黙っていてもその人達の声が聞こえるような気がして、もの言いたげな沈黙になる。俺の住んでいた所だと、人口が少ないからそんなことはなかった」

「もの言いたげな沈黙、か。言われてみれば、そんな場面は何度か出会ったことがあるような気がする」

 

 春雨が昨日から降り続いている。男の鞄からはみ出している新聞にあった写真は地面に落ちた桜を映していた。

 

「濡れるぞ」

「ん? ……ああ、もうコイツはスクラップ済みだから濡れてもいいんだ。後で捨てておこう」

「スクラップ?」

「時事問題で採用されそうな記事を切り取っている。社会科の先生に聞いてみたら出る可能性があると言われたからな」

「地理についてやっているからか」

「世界も範囲に入っている。地理はその地域にある諸問題を考察するから、当然抑えておくべきだと考えた」

「新聞か…。幾らで購読できる?」

「『外』と変わらない。4500ポイントで一か月分。月ごとに契約を更新するか、一年契約かの二種類が選べる。お試しは何回か出来るから、色々見てみると良い」

 

 やや高いのはチラシが入っていないからか、と男は付け足した。ブラブラと揺れている新聞の一面のところどころは切り取られていて、虫食いのようになっている。

 

「社会科だけ時事問題を採用するのかは疑問だがな。中学じゃノーベル化学・物理賞受賞者が出たあとの定期テストでその人物の名前を答えたりそれに関連した問題が出題されたりすることもあった。もうやらなくて良いのかと思っていたが、ぬか喜びだった」

「………なら、クラスの人々でその情報を共有するのはどうだ?」

「何故?」

「定期テストで出る以上、全員がそれを読んでおいたほうが良い。ケチな考えだが、同じものを見るのにわざわざ一人一人が新聞を買う必要は必ずしもというわけではあるまい。仮に、二十人で一つの新聞を読むとしたら月々225ポイントで済む。他の新聞社のを読む余裕も生まれる」

「良いアイディアだな。いつか会議のようなものを開いてそれを提案してみるか」

 

 そこで会話が終わり、二人は周囲の人と同じように学校へ向かうことにした。

 雨は、まだ降り続いている。

 

 

 

「二時限目に小テストか」

 

 手帳に書き込まれた予定を確認し、赤くグリグリとマークされたそれを読み上げる。

 今日はそれ以外は特に通常と何の変哲もない授業構成になっているため、それだけこの小テストが目に付く。

 

 "参照:この小テストは成績には一切反映されない"

 

 昨日、真嶋先生が明日小テストがあるという通達をした際生徒から出た質問にこう答えた。その後ジョークをかまされて場はうやむやになったが、この言葉は随分と変だ。

 小テストの結果は基本成績に反映される。そこで一つ。

 成績には、というのも怪しい。一切、という強調語がなかったらスルーしていたが、深読みすれば他の何かには反映するんだろう。

 

 "仮説:小テストの結果をクラスポイントに反映する"

 

 クラス全体の結果がクラスポイントを減らしたり増やしたりする。筋が通っていて分かり易い。

 ただ忘れちゃならないのは、小テストの結果だけでクラスポイントが動くとは考えられないということ。他に何が原因となるのかは、実証にまだ時間がかかるため分かっていない。

 

 ………はあ。言葉尻を捉えてなじるような真似をしないと足元を掬われる学校生活なんざ正直クソ食らえだが、任務だから仕方あるまい。それとも、社会だって大概こんな風に生き辛い世界だと言いたいのだろうか?

 

 答えは見つからない。

 

 

 

「これより小テストを行う。制限時間は30分、開始の合図があるまでプリントを表にしないように。カンニングは行われていようといまいとそれと疑われる行為は全て処罰対象となる。まさかとは思うが、厳しいなんて思ったヤツは心の中で猛省しておけ。疑われるようなことをするのが悪い」

 

 消しゴムやシャープペンを落とした場合は静かに手を挙げて待っていること。まあ、お決まりの向上だな。

 

「試験時間の管理はこの時計で行う。一分後に始める」

 

 普段教室の前方右側の高い位置にある時計が外されていた。この席からでも秒針の動きを見ることは出来る為、腕時計を見て時間が一致していることを確認し、外して机におく。30分後にマーカーを合わせ、シャープペンの芯の存在をもう一度確認して目を瞑った。

 ここは問題用紙を見て透かしで大まかな問題を把握することもあるが、どんなリスクがあるかわかったもんじゃないので意識の統一を図ることにする。出来るかどうかはともかく。

 

「――――始め」

 

 染みついた動作で紙を裏返して名前を記入し、問題の全体を見る。

 

 "検知:大問五、各大問につき小問が四、国数理社英の五科目がそれぞれの大問に対応。配点は全て同一で五点"

 

 捨て問は…ないわけじゃなさそうだ。

 

 "推奨:捨て問を除いた全問題を制限時間の20分を使って処理"

 

 流し読みしたところそこまで余裕がない訳ではなさそうだな。途中点はないと考えていくなら、ミスを抑えることを目標としよう。

 

 …何気に一つの区切りで多数の科目を解くのはお初だな。この学校はそういうスタンスなのだろうか?

 

 "参照:大学入試改革"

 

 

 

 "予測難易度:??"

 

「!?」

 

 危うくペンを取り落としかけてひどく慌てる羽目になってしまった。それもこれも、全て突然現れたコイツ等のせいだ。

 

 次の式を因数分解せよ。

 

(1) ax²+x³+bx²+abx+cx²+bcx+cax+abc

(2) x⁵-x²y²(x-y)-y⁵

 

 いきなり難易度が爆発的に上昇した。これまで基礎中の基礎の問題ばっかだったが、ここにきてこの問題は心臓に悪い。

 さらに下には因数分解ですらない問題が続いている。正直そっちに関しては見た瞬間に捨てることを決定した。

 途中点? アレは『手を出しちゃいけない方の』捨て問だよ。

 

 "疑問:問題構成"

 "推奨:本テストについての考察"

 "反論:今はテスト中"

 

 残り時間は10分。これまでの問題が易しかったのは多分これが理由だろう。少々偏りすぎといえるが、それは学校によって様々だから文句は言えない。

 さて。コイツ等は一体何が言いたいんだろうな?

 

=x²(a+b+c)+x³+x(ab+bc+ca)+abc

=x³+x²(a+b+c)+x(ab+bc+ca)+abc

 

 オーケイ。とりあえず整理した。けど括ったお陰でこれ以上動かしようがなくなった気もする。

 それってアウトじゃね? という疑問は隅に置いて、先ずは色々試してみる。

 ……たすき掛けの問題だったら幸運と思ったほうが良いかなあ。

 

 

 

 時間が経過して、問題は進んでいない。泥沼にはまりかけているのをぼんやりと察知し、何かの手を打とうと思考する。

 んー………、逆算するか。

 多分というか確実にこの式の答えは括弧が出来ているだろうから、そしてそれはこの式にある文字で構成されている筈だから、どこにどの文字が配置されるかを粗方推測しよう。

 先ずx³。順当に考えてx²とxか。式にもあるし。

 じゃあabcは、abとc、acとb、bcとaのどれか。

 じゃあ適当にたすきに掛けてみよう。

 

 ………。

 

 "考察を更新:このままでは解への到達が困難になる"

 

 『何か』がおかしい。………『何も』おかしくない。

 じゃあ『やり方』がおかしい。

 よく考えればabとcといった分け方にすると、xabといった式は出来ても短くなる。

 問題のように長い式を生み出す展開は、基本次数が高いか括弧が多いか。

 見りゃ分かるがこの問題の次数はそこまで高くない。じゃあ、括弧が多い?

 三つか? abcが分かれていれば出来るとしたらどうだ?

 

( +a)( +b)( +c)

 

 常識的に考えて空欄にはxが入るな。

 

(x+a)(x+b)(x+c)

=xxx+xxc+xbx+xbc+axx+axc+abx+abc

=x³+x²(c+b+a)+x(bc+ac+ab)+abc

=x³+x²(a+b+c)+x(ab+bc+ca)+abc

 

 よし来た。

 

「残り3分」

 

 三分。三分か。普通ならもう一度全体の見直しに入っている時間だ。けど次の問題もなんとか手が届きそうだ。このまま行くか?

 それとも、そうして見事に爆死するような問題になっているのに気づかずに突撃しようとしているのか?

 突然生まれた二者択一の問いに、それぞれの選択肢を取った場合の利益と損失を計算して比較し、答えを導いた。

 乗るしかない、このビッグウェーブに。

 

x⁵-x²y²(x-y)-y⁵

 

 五乗。四乗や六乗じゃなくて五乗か。面倒くさいな。

 次数を落としてx-yを作ってくっつけるか。どうせ最後は括弧でくっつくんだし。

 

=(x-y)(x⁴+y⁴)+x⁴y-xy⁴-x²y²(x-y)

=(x-y)(x⁴+y⁴-x²y²)+xy(x³-y³)

 

 三乗の公式で、

 

=(x-y)(x⁴+y⁴-x²y²)+xy(x-y)(x²+xy+y²)

=(x-y){(x⁴+y⁴-x²y²)+xy(x²+xy+y²)}

 

ありゃ。無駄な手順を挟んだっぽいな。

 

=(x-y)(x⁴+y⁴-x²y²+x³y+x²y²+xy³)

=(x-y)(x⁴+y⁴+x³y+xy³)

=(x-y){x³(x+y)+y³(x+y)}

=(x-y)(x+y)(x³+y³)

=(x-y)(x+y)(x+y)(x²-xy+y²)

 

 んで、x+yを纏めると。

 

=(x-y)(x+y)²(x²-xy+y²)

 

 行けた感じがする。検算をやってる暇は――ないな。

 記入を終え、氏名と組、番号が書かれていることを確認したと同時に授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 

 多分、今日の放課後は調査に忙殺されるだろう。

 

 

 

「先に質問しておくが、そっちはもう小テストを受けたよな?」

「受けたよー。全クラスが今日の担任のクラスがあるタイミングで小テストをしたみたいだね。だから、問題について話し合ってもだいじょぶ」

「そうか。…そちらは、君の協力者か」

「よろしく。神崎という」

「津田沼だ。よろしく」

 

 姓だけか。警戒心が強いのだろうか? 彼女が別の人間を連れてくることのリスクはわかっているだろうが、十分なリターンを得られる人材と考えておこう。

 

「あのテストね…。多分、皆気になってる点は同じだと思うよ」

「あの三問か。何の狙いがあるのかさっぱりだ」

「解けた?」

「合ってるかどうかを考慮しないなら、二つ」

「おおー。流石はAクラス」

「そこじゃない。問題は最後にある」

「確かにそうだけどさ。……それで、どう問題が問題なの」

「俺の自論から話は出発するんだが、捨て問は大きく分けて三つに分類出来る。純粋に難易度が高くてヒラメキや応用力が求められる問題、解くことが可能であることが容易に、そうではなかったとしても推測できるが、時間がかかるもの。スピーディな解き方を見つけられればこれは捨て問じゃなくなるが、そのことは当然問題作成者は考えている。そして最後に、どうあがいても解けないもの。この三つだ」

「つまり、アレは三番目に該当するんだ」

「そうなる。前の二つは一番目のパターンであるにも関わらず、だ。一体何故このような問題構成なのか、俺にはさっぱりだが」

「――差別化を図ったのではないか?」

「差別化。なるほど、ふむ」

 

 "仮説:差別化。それらの問題を基準にして何らかの情報を得る"

 

「差別化を図るなら、最後の問題も一番目のパターンに設定しておくべきだろう。誰にも分らないような問題を解いたところで分かるのはそれが解ける超高校級の頭脳を持ったごく一握りの生徒だ。俺にはどうもこの問題が蛇足のような気がしてならない」

「うーん…」

 

 時と場所と俺が許すのならば、俺は一之瀬と同じように手を前で組んで机にのせ、顎を親指に引っ掛けて思考に沈んでいただろう。水滴が窓ガラスに当たって未練がましそうに流れ落ちていくのを見ながら考えるスタイルを採用した俺は、やがて訪れた静寂に気づくことなく泡のように浮かび上がるアイディアをつっついていた。

 

 

 

「事実を確認してみようよ」と言ったのは自動販売機からアールグレイの缶を取り出した一之瀬だった。神崎は無言で傘を傾け、彼女の傘がカバーしきれなかった部分を覆っていた。

 

「事実、とは?」

「その問題はとても難しくて誰も解くことが出来ませんでした、っていう事実だよ。学校は当然そのことを把握している。津田沼君はそういったよね?」

「…確かに言った」

「じゃあ次に当然の事実を確認してみようよ。テストは問題を解かせることで学校側は生徒の実力を測って、生徒は自分の身につけられているレベルを把握して、弱点を発見するよね」

「………」

「それが捨て問だからっていう理由で途端に適用されなくなるなんてことは無いよね?」

「!」

 

 彼女はそれを缶のプルタブに爪を引っ掛けるのに苦戦しながら――つまり何でもないことのように――言ってのけた。

 

「あ、そうだ。津田沼君は何飲む? ……あれ、どうしたの」

 

 "参照:弱点を発見する"

 "仮定:あの問題は何らかの方法で答えを出すことが可能"

 

「あのテストは純粋な学力を測っているのではない…?」

「他に何がある」

「カンニング――は冗談として――、あの問題が解ける、どうやって解ける? 解答を知っている? あるいは解法を? それとも本文中に答えがある? 『どうやって知る?』」

 

 答えに近づいている。後もう少しで見えようとしている。答えを導き出せない己の思考速度の遅さに頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られ、手が伸びたところで神の啓示が下りた。神なんて都合の悪い時にしか信じていないのに。

 

「――過去問だ。過去問ならあの問題を解ける」

 

 ああクソ。答えはもう昔から辿り着いていたのか。

 

「ちょっと外走ってくる」

「雨降ってるぞ」

 

 その後落ち着くのに幾ばくかの時間を要したが、頭がきっちり冷えた頃には目指すべき方向性が見えてくるようになった。

 

「もう遅いが、過去問について聞いてみよう。先輩か、先生、どちらでもいいからコンタクトを取る必要がある」

 

 彼女は既に何人か上の学年の人との交友があるようで、一週間以内に答えが出せると約束してくれた。神崎は分かれて先生に質問に行くようで、必然的に君はどうするのかと尋ねられた。

 

「一人、知っている」

「誰?」

「その答え合わせの為に行くんだ」

「………」

 

 "推奨:堀北へのコンタクト"

 

 そろそろ五月になる。何が起こるかわからない以上、迅速な行動が求められている。

 

 

 

「失礼します、一年Aクラスの津田沼です。生徒会長に用があって来ました」

「あ、はい。………え?」

 

 "検知:女性。困惑"

 "考察:手帳を保持していることから生徒会長、あるいは生徒会の補佐、書記役を務めていると推定。彼女には本官のことを知らされていない模様"

 

「会長、予定にない人物からの面会の希望ですが……はい、津田沼、と名乗っています。…はい、一年生です」

 

 生徒会室は大テーブルに十五人から二十人ほどが座れる会議室のようなものであり、奥には見えづらいが生徒会長室と銘打たれたプレートと扉があった。彼女は扉を少し開けて中にいる人物としばらく押し問答を繰り返していたようだが、やがて溜息とともに俺を呼んだ。

 

「失礼します」

「遅かったじゃないか。貴様ならもっと早く俺に到達出来ただろう」

「出来たからこそ、来るのを遅らせたのです」

 

 "参照:堀北生徒会長。三年Aクラス所属"

 

「ふっ。俺を切り札にでもしようとしていたのか。まあ、だからこそ今日来たとも言えるか」

「……恐ろしい」

 

 "仮定:一年前の出来事を全て正確に記憶しておくことは不可能"

 

 慇懃無礼な言動にとなりに立っていた彼女が眉をひそめたが、逆に言えばそれだけだった。それを咎めるために口を開くことはせず、静かに状況がどう推移するのかを観察している。

 

「質問する手間を省いてやることも出来るが、敢えて聞こうか。『何をしに来た?』」

「この会話に意味があるのかどうかはわかりませんが、敢えて答えましょう。『持っているのか?』」

「そうだな、俺は『持っていない』」

 

 どの口が言う、と思わず心の中でせせら笑った。作業中の机に置かれている書類の中にさりげなく紛れ込んでいる一枚のサイズの違うプリントは、確かにあの小テストの形式のものだと分かるというのに。

 

 "参照:持っていない"

 "考察を更新:保有していながらも、保有していないことを主張することから、保有していること、あるいはその事実が知られることは避けなければならないということが判明する。おそらくその過去問には後ろめたい事実――恐らく仮説を立証するような何か――があるため。問題の難易度から、毎年ほぼ同一のものが出ている"

 

 仮説が実証され、新たな事実とともに疑問を引っ提げて現れた。つまり、あのテストで一体何を学校は知ったのだろうか、という疑問が。

 

「どこかに無くしてしまったのでしょうか?」

「探せばあるかもしれないな、どこかに」

 

 "仮説:過去問は表向き入手不可能と規定されているが、何らかの手段で入手可能"

 "考察を更新:学校側は、問題解決プロセスが正当なもののみならず他の手段も存在することを示唆し、過去問を入手するに十分な他学年との信頼関係の構築や交渉力を求めている"

 "反論:何もヒントを与えず?"

 "推奨:調査"

 

 既に十分な情報を入手することが出来たため、速やかに離脱しようとと挨拶もそこそこに扉に手を伸ばしたが、その手は宙をつかみ、それと同時に掛けられたものすごい力によって硬直することになった。

 

「!?」

 

 いつのまにか彼は俺の目の前に回り込んでしっかりと腕をつかんでいた。その握力からも、表情からも、まだ返すつもりはないという事が嫌というほど伝わってくる。

 自由な方の腕でそろそろと降参の仕草をし、部屋にあった椅子に座ることでそちらの意向に従うことを示してやっと腕が解放された。

 急展開を迎え、それを予期していなかった書記らしき女性は困惑を隠せなかったが、よほど生徒会長のことを信頼しているのか、それでも何も言うことはなかった。

 

「分かっていると思うが、この部屋には監視カメラが存在しない。生徒会長が得られる大きな力の内の一つだ。生徒会に入れば、たとえそこまでいかなくとも十分な利益がある」

「利益、と言いましたか」

『貴様はそういった方が分かり易いだろう?』

「………」

 

 俺は愚策であることを百も承知で沈黙するという選択肢を取った。沈黙は思った以上に雄弁に物事を語る。いくら表情を消そうと努めても、生徒会長の座に上り詰めた彼には何ら問題ではなかったようだ。

 

「取引をしようじゃないか」

「…何を」

「貴様の自由と、生徒会委員の地位で」

「地位」

 

 そこで彼は笑った。俺にはその意味が全く分からなかった。理解できない笑みは恐怖を生むに十分なものだった。

 

「『ビッグブラザー』。ある日一人の人間が三時間以内にほぼ全ての監視カメラに映りこんでいたという事実。そして今日、ここに来た」

「………」

「何をしようとしている? 集積したデータはその内アナログなやり方では管理しきれなくなるぞ」

 

 "堀北を第一級危険人物に昇格"

 "推奨:事態の速やかな収束"

 

「貴様は勤勉な人間ではない筈だ。怠惰であり、短気であり、傲慢な人間だろう?」

「………時間を」

 

 しょうもない時間稼ぎが限度だった。入念に用意されていた罠に見事に嵌ったことに悟った俺は、無駄だとわかっていながらも醜くもがくことをやめられないでいた。

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