喜びのあまり部屋で叫びました。
本当です。
(不幸ダ)
とある場所でアジは心中で呟いた。
そこは暗く、何より不潔だった。
時は、1時間ほど遡る。
あの漁船に捕まってからというもの、状況はめまぐるしく変化していった。漁船の向かう先は関東のとある港。最新鋭の船は不可思議な変形を遂げると、アジとイワシの群れがはいった水槽を港の上へ移動させた。水槽はこれまた変形し、四足で立ち上がると近くにあったトラックまで進み、荷台にくっついた。ヘンテコ水槽に押し込まれ、そのままトラックで輸送されるアジとイワシ。揺れる水槽の乗り心地は最悪であり、アジは酔わないように体を貝のように変化させ、その場をしのいだ。トラックは目的地に到着すると水槽を傾け、海水とイワシとアジを流し出した。場所はどうやら食品を扱う場所のようで、新鮮なイワシはそのまま別の水槽に移された。
アジを運んだトラック以外にも複数の水槽がどんどん運び込まれていく。アジはようやく振動が止まったことで変身を解く。辺りにはいくつものクレーンやドラム缶のようなモノが動き回っている。ドラム缶はアジに気付くと、「不衛生デス、退出シテクダサイ」と言ってくる。中々、失礼な奴だなぁ。とアジは思った。
アジはその場所から迷いつつ、ドラム缶から逃れるように移動。体を蛇のように細長くしたり、置物のようにしたりしながら進むと扉を見つける。勢いよく開けて飛び込むと、アジはようやく外に出ることができた。
久々の街並みだった。灰色のビル群がここまで感動を与えるのかと、アジは不思議に思いつつ嬉しくなった。人の体で上陸したから喜びを体中で感じるアジ。そして一息つくと、今の場所がどこだか調べようとした。天草式のみんなに連絡するのにも、現在位置がどこかわからなければ意味がない。
アジはテクテクと街を歩いた。少し進むと大通りに出た。エンジン音のほとんどしない車が時折、道を走っている。アジはそれを見て電気自動車だと思った。都会のようだった。進むアジは、今度は空飛ぶ飛行船を見た。側面には巨大な画面がついており本日の天気をニュースキャスターが笑顔で映っていた。ニュースキャスターは地図を示しながら「関東そして学園都市の最高気温は23度です」と言った。
彼はその言葉を聞いたことがあった。
学園都市、そうニュースキャスターは言った。字幕を見てみても学園都市の文字がきちんと書かれている。まさかここが、能力者を育てる超絶未来都市「あふえんホヒ」なのだろうか。アジは思わず呟いてしまう.........呟いて?うん?アジは自分の口を触る。あれ?今、僕は何て言った?
もう一度、やってみよう。
「あひふんホヒ」
あれ?アジは今度こそ意識して口に手を触れる。下を出したり口を大きく開けたりする。なんどか繰り返して、もう一度。アジは息を吸って声を出す。元気よく、さんはい。
「おふえんホヒィ!」
アジは目を見開いて混乱する。一体どうしたことだろうか。口が回らない。痺れもなければ痛みもないこの口。不明瞭な音を出すだけで、何一つ言葉が出てこない。アジはそのまま舌を出してみたり、逆に触ったりしながら何度かチャレンジするが全くの無駄に終わる。アジはそこで思い出す。そういえば前に声を出したのはいつだっただろう。アジは渋い顔をして考えていると、ふと後ろの方で声が聞こえた。
「ちょっとごめんね、君どうしたのかな?」
振り向いてみると、声の主はスーツ姿の男性だった。優しげな瞳でアジを見ている。
アジはそこで自分の周りに人がザワザワとしているのに気付いた。久しぶりの喧騒だった。だが、なにか様子がおかしかった。みんなアジの方をみて、怪訝なもしくは心配そうな顔をしているのだ。
もしかして先ほどまでの声出し練習、もとい奇行を見られていたのだろうか。なんと恥ずかしい。アジは羞恥から下を向く。アスファルトと自分の足が見える。足?そういえば靴なんて履いてなかったな。そこまで思うと、目線は太ももや腹に進む。
アジは自分の姿に気付いた。
すっぽんぽんである。
精神年齢的に「露出」の二文字が脳を貫く。
そういえば今まで海で生活していたから忘れていたが、服など持っていないアジである。その股間は実に清々しい有様だった。
アジは焦った。脳には警報が鳴り響いた。思わず少し震えるアジである。男性はアジを心配し、声をさらにかけたが、焦燥するアジには届かない。アジは焦りながらも、腰から生える長い尾で体を隠そうと努力する。しかし、中々うまくいかない。
その動きでさらに騒めく人の気配を感じると、なんとかしようとさらに焦る悪循環。それに体は反応してしまう。体は明確なビジョンなく変身してしまった。するとどうだろうか。いくつかの触腕、ウツボのような頭部に長い首、腕と脚は甲殻類のようになった。
完全無欠の怪物である。
叫び声があがるまで、一秒もかからなかった。
アジは人々の声に驚き、またもや焦燥で体を変化。混沌と化す怪物に人々は逃げ惑う。アジはとにかく人から離れようと疾走。いくつかの裏道を進み、車と接触しながら動き、見つけたのは巨大な扉。アジはその扉に隙間を見つけ、すぐさま体をさらに変化。極限まで体を細くさせ隙間を通り、闇の中へ。アジは暗闇の中を進み続けると、一瞬の浮遊感ののち、落下。凄まじい音を立ててひしゃげるゴミの山。アジは気づけばゴミの上に大の字で転がっていた。
場面は戻る。アジは肩を落として心中でまた呟く。
(不幸ダ)
イワシを食べていたら、露出狂になり、ゴミ捨て場にいた。そんなことそうそうないだろう。アジは何とかして出ようとするが、暗すぎて出口がわからない。アジは長い尾を四つの触手に変化させ辺りを捜索するが、辺りに散らばるのは当然ながらゴミばかりである。
「おうウア」
この口は未だに言葉を出せないらしい。仕方がないとアジは座り込む。またゴミがつぶれる音がした。暗闇の中、とりあえず静寂を手に入れたアジはいろいろ考える。まず、声。これは実はカンタンだとアジは思う。要するにこの体を作ったときに、本体があまりにも声を出していなかったから声を出す機能がちゃんとできなかったのだろう。手も足も顔も、本体が意識して作った今の体、その感覚や経験はすべて本体とつながっている。当たり前に声を出せると思っていたが、たしか声を最後に出してからおそらく何年も経過しているのだ。出せなくなることもあるだろう。
「おエオ、えんうううえあウア」
(これは、練習するしかなイナ)
前途多難である。アジはさらに疑念を感じて顔をペタペタと触る。そして表情を作ってみる。怒り顔、泣き顔、笑い顔。予想通り、全くうまくいかない。無表情ではないが、非常にぎこちない顔になった。これも声と同じだ。怪物に表情などほとんどないのだ。硬質化した角や鋭い牙を持つ怪物は、笑っても怒っても嘆いても大口を上げて吠えるしかないのである。これも練習するしかない。
現状をまとめると。アジ少年は全裸で、話せず、表情もほとんど変えられない、ということだった。天草式への連絡はかなり難しそうだ。しかし、諦めないアジである、天草式はすごい集団なのだ。仲間や神裂、建宮に会えれば魔術でなんとかなるはずだ。仲間たちへの信頼が、アジの希望になった。
アジはとにかく適当な服を手に入れて、隠れ家まで行こうと模索する。だが、悪いことは続くものである。
「.........おああうイア」
(.........おなかすイタ)
強烈な空腹だ。アジはよだれを垂らして唸った。ここは都会だ。海中のように魚がいるわけでもなく、龍脈や地脈を利用したものがあるわけでもない。アジは遂にうずくまった。空腹が彼の思考を支配しつつあった。辺りはゴミの山だ。人として、口でゴミを喰いたくなどない。
アジは消え入りそうな理性で触手を動かしてかき出し、探る。幸運なことに触手は何かを発見したようで、それを包み込む。硬い容器に入った何かだった。アジは包み込んだそれを触手の粘液で溶かし、中身を確認しきる前に吸収する。驚くべきことに、空腹はそれだけで大分回復した。アジはそのまま触手を蠢かせて先ほど同じものを探す。触手を枝分かれさせクラゲのような無数の細い触腕に変貌。ゴミの山全体を探し出す。
同じ容器は三つ見つけることができた。アジは先ほどの満足感に抗えずそのうちの二つを同じように吸収した。空腹状態から脱したアジはよだれをぬぐい一息つく。
落ち着いたアジは手にその容器をとってペタペタと触る。振ってみるとチャプンという液体の音がした。吸収できたことから毒ではなさそうだ、たぶん、とアジは結論を出す。容器を握りしめながらとりあえずアジは上を見上げる。一筋のオレンジ色の光が見えた。扉の隙間からごみ溜めに入る陽光だろう。色からしてもう夕方に差し掛かるようだった。
アジは、騒ぎが起きてからすぐに動くのは良くないと判断。アジは休眠のための体を変貌させる。まず触手の一本で容器を持ち、手足をカエルやヤモリのようにして、壁にへばりつく。ほとんど直角の壁面を進むアジ。ゴミの上で寝るのはごめんだと、アジは思った。
ちょうどよい高さを見つけるとさらに体を変質。できるだけ平べったく、そして色は灰色。海でイカが色を変化させるように、体色を変えるアジ。そのままメンダコのようになったアジは目を閉じる。そのまま体温をできるだけ低くして、呼吸回数も減らした。野生動物の冬眠と同じである。分身体だからこそできる体の酷使の一つだった。もはや人外すぎるアジ。そのことを考え出すと泣けてくるので、彼はすぐに意識を闇の中に放り込んだ。