よろしくお願いいたします。
空腹状態から脱したアジは久しぶりの対話に興奮し、喜びを隠せないでいた。しかし、やはり自分の口から出る言葉は意味不明であった。そのため徐々に先ほどの奇行を恥じるようにして落ち着いた。そんなアジの様子を見て、黄泉川とカエル顔の医者は彼を連れて移動。今、アジがいるのはとある病院の一室だ。そこで彼は、先ほど食べ物を恵んでくれた黄泉川と会話をしている。
「アジは、どこに住んでたか覚えてるじゃん?」
「おいおんえウオ!アゥ、おんあおおああおんえいアオ.........」
(もちろんでスヨ!まぁ、こんな言葉じゃわかんないだろうど.........)
「そっかぁ、すごいじゃん。アジは」
「イア、あぁいぅえあいルウ」
(いや、まだ言ってないッス)
アジは無表情ながら黄泉川の言葉にきちんと反応し、なんとか真意を伝えようと努力した。今アジはあの医者が持ってきた入院服を着ている。ようやく股間の清々しさがなくなったことで、アジは一時さらにテンションが上がっていた。小さな少年の姿でたいそう喜ぶので、黄泉川は心開いてくれたと思い嬉しく思った。そのため黄泉川は、アジの言葉を聞くというよりはその反応を見て喜んでいるといえる。
その状況と、黄泉川の接し方がまるっきり子供へのそれと同じため、流石のアジも恥ずかしくなっていった。それよりもアジは親切にしてくれる黄泉川に、きちんと目的を伝えたかった。アジは覚えたての言葉と、体の変化能力と、身振り手振りでなんとか、自分の今の状況と、目的を伝えようと腐心した。
アジは自分を指さしながら、「アジ」そして「まじュツ」と言い。自分が魔術師であることをアピール。手だけをウツボに変化させ、海に落ちそしてそこで過ごしたことを表現。さらには時計を差しながら「おなかすイタ」を言い、自分の空腹のデメリットを話し、また「まじュツ」と自分を指さし、「あえいアイ(帰りたい)」と伝えた。
説明は10分以上もかかったが、黄泉川の表情を見るに全く伝わっていないことはすぐにわかった。
(くソウ)
アジはグルルと唸った。埒が明かなかった。アジが困っていると黄泉川はあの医者に呼ばれてしばし部屋を離れた。その間、アジは部屋を見回すがベッド以外なんにもないので、すぐにやめてしまった。アジは自分が重いことを最近知ったので、ベッドにゆっくりと座る。軋んだが、ベッドは頑丈だった。アジは、8年ぶりにベッドのやわらかさを堪能した。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○
別室、と言ってもアジのいる部屋の真横にカエル顔の医者はいた。彼だけではない。鉄装や他の第七三支部の面々も同じように神妙な顔で椅子に座っている。部屋の壁は透明になっており、今の部屋のアジの様子が映し出されていた。学園都市はより上等なマジックミラーともいうべき透過する壁を創り上げていた。プライバシー保護の観点から、完全に伏せられたこの発明を、カエル顔の医者は時折使用する。
学園都市には置き去り(チャイルドエラー)と呼ばれる被害者がいる。彼らは学園都市に預けられたまま保護者が失踪ないし、彼らの養育ができなくなることで保護する施設で生活する羽目になったりする。そして中にはそれを利用して実験に利用され、使い捨てられることが少なくない。そうした子供の様子を見たり、本音を聞きだしたりするための医療目的の部屋。それがここだった。
黄泉川はアジの印象を皆に話す。
「言語能力の大幅な欠如が見られるじゃん」
アジはまともな言葉を話すことができない。しかし、ある程度は黄泉川の言葉にきちんと反応している。そのことから、意思疎通のアウトプットの能力が未発達であることがうかがい知れた。そして出てきたキーワードの一つが「まじゅつ」である。
同僚の一人は話す。
「クソみたいな研究する奴は、たまにこれは魔法使いの訓練だとか、魔術のための練習だとか言って子供を誑かすことがある。以前保護した置き去りは自分は魔法使いで、親を生き返らせるための儀式として体を弄繰り回されたと本気で言っていた。クソ野郎の実験の口実に魔術という言葉があるのは確かだ」
同僚は歯噛みして黄泉川を見た。アジはもしかすると自分の変質する能力を魔術だと信じているのかもしれない。さらに他の同僚も意見を述べる。
彼女はズレた眼鏡を直しながら、私物のPCのデータを見せた。
「彼のAIM拡散力場の調査ですが、全く反応がありません。彼は能力者ではないことは確実です。人体のスペシャリストであり医者である貴方の意見通り、彼は厳密には人間ではない、もしくは人間と何かの合成生物、ということになります」
「なんだと!?あの子が化物だとでも言うつもりか!?」
彼女の言葉に先ほどの同僚がくってかかった。
「そんなことは言っていません!彼が被害者なのは間違いないことです!しかし、DNA的には間違いなく人間ではないんです。それを言いたかっただけで.........でも、彼は絶対に子供です。救われ笑顔で過ごすべき、子供です............」
「......すまん」
何度も言うが警備員は基本的に全員が教員だ。しかもこの活動はほとんどがボランティアである。そんな彼らだからこそ、子供を守ろうという意識は高い。熱き想いをもつ彼らにとって少年アジの案件は辛いものだった。
アジは被害者だが、人間ではない。人間にどれだけ近くてもそれは確実だという。そして彼の能力はその人間ではないが故に扱えるものだと、同僚は断定する。魔術などがこの世にない以上。彼の変化する能力は、人間が歩くのと同じく、生物的特徴としか表現できなかった。
そうなってくると問題は山積みだ。彼の戸籍はなく、通うべき学籍もなく、保護すべき理由も存在しなくなる。人間ではないことは、人間社会において生活するのに致命的な弱点になってしまうのだ。
さらに問題は続く。アジは話すキーワードの最後の一つ「おなかすいた」だ。鉄装はあくまで予想ですけど、と前置きしておずおずと手を上げた。
「例えば体重が3トンある野生の象だと、一日で150キロの食料と100リットルの水が必要です。彼の体重は700キロほどですけど、何度も体を変異させていますよね?それって想像を絶するエネルギーが必要になるのではないでしょうか?」
それについて冥土帰しも同意した。
「彼が空腹を訴えた時、もしやと思いかなり高カロリーの液体を与えたんだ。体を作り替えるタイプの能力者専用の点滴でね、それでも本来は希釈が必要なものをだ。最初はきちんと問題ない程度の希釈をしていたが、途中から原液を渡したんだね?すると効果は絶大でね?」
アジはその体の特異性ゆえに多量の食べ物が必要であると、彼のお墨付きを得た。それだけでなく、おそらくアジは食事を味わった経験がないだろうことも冥土帰しは伝える。彼の胃は使われた形跡がないこと、触腕が吸収したことから彼はそう考えた。
おそらくアジはこれまで口で食事をする経験はさせてもらえず、体表部分から直接エネルギーを補給させられたことは容易に想像がついたと言っていた。これは蓄積した彼の有害物質の発見場所が内臓ではなく、体の皮下脂肪にあったことからも断言できた。
増々普通の学生のように保護施設で育ててもらうことは不可能になった。空腹時のエネルギーの件は、冥土帰しが用意できると言うが、彼の住居が問題だった。いったいどこに住まわせられるのだろうか。アジはベッドの上で寝転がりながら、手を触腕に変えて、おそらく遊んでいたのだろう。突然、アジの目がキラキラと発光しているのを警備員たちは見た。まるで虹色のようだった。鉄装はたぶん、オキアミなどの発光能力のある生き物の力も持っているのではと、言った。
皆がアジの様子を見ながら思案する。
冥土帰しはその中でまず口を開いた。
「............僕がこの病院で面倒をみることもできるね?」
それは事実だった。空き部屋に余裕はないが、それでも雨風から身を守ることはできる上、何よりも近くにこの冥土帰しがいるのである。彼が実験によって生み出された生命体だとしても、何かトラブルが起きれば即座に対応できるだろう。
しかし、そんな彼の言葉を遮ったのは、アジを眺めていた黄泉川だった。
「いや、あいつは私が引き取ろうじゃん」
全員の視線が黄泉川に集中した。
○○○○○○○○○○○○
一人残されたアジは、この状況を打破したいと思っていた。黄泉川や医者は良い人だったが他の住民の様子がまだかわらない以上楽観視はできないだろう。なにせ自分は怪物に変身できるのだ。やはり研究されそうな気がしてならなかった。そして、何よりも自分の意志が伝えられていないため目的である天草式の面々と連絡をとることができない。天草式との連絡は、魔術を使いたいのだが材料を集めようにもゴミ処理場では朝は人の目があり、夜は暗すぎて無理だったのだ。
アジ本体であれば、様々な霊装を喰らったことですぐに術式を創ることが可能だった。しかし、あの巨体ではやはり繊細な術式は構築できず、通信術式は諦めていた。分裂体にも、霊装の一つでも盛り込むべきだったとアジはため息をついた。
ここも何もないのであれば魔術の発動は難しそうだ。アジは腕を変化させてウダウダ悩んだ。ああぁ、この腕を魔術素材の代わりにできないだろうか。アジは内心絶対無理だろうと思って腕をさらに変異させ、細い六芒星などを作ってみる。
これで、できたら苦労はしな.........イッ?
アジは自分の体に違和感を覚えた。体の中から熱が生まれるような感覚だ。これは魔術発動によく似ていた。もしやと思い、アジは顔を動かして腕を見ると、腕に影ができている。まるで近くで光を当てられているかのような影だ。よく知っている影である。自分の特異体質で魔術使用の際に瞳が光っている証拠である。
魔術が発動しテル!?アジは興奮して腕の触手で作った六芒星を見た。ビリビリと魔力を感じた。き、きタッー!?アジはバタバタと脚を暴れさせる、喜びで頭が沸騰しそうだったがなんとか冷静になろうとつとめる。これで魔術が途切れればパァである。
アジはすぐさま、本体のパスとのつながりを強める。するとかなりの魔力量が流れ込んできた。魔力はこれで充分である。その後、すぐにアジは本体の体に取り込んだ首飾りの自身の魔術と接続した。
首飾りは転移霊装だが、仲間たちの元へ移動するという効果を拡大解釈すれば声だけ転移させる、つまり通信も可能であるはずだった。アジはすぐさま全ての首飾りに自身の声を通そうとする。8年も前の霊装を持っていてくれるかはわからない。けれど、一人でも持っていれば。もしくは最悪でも小屋に放り込んであっても連絡した履歴のように、魔力跡が残るはずだ。
アジは祈るように連絡した。誰か気づいてくれ。しかし、無情にもその連絡は凄まじい雑音が生み出されるだけだった。まるで多量の生命体の鳴き声のような、鼓動のような、どこか不気味な音の集合体だった。
(な、なんだコレ!?)
アジはすぐに原因を探る。もしやとアジは雑音に耳を押さえながら考える。アジ本体は様々な生命体を混ぜ合わせた巨体。その中心にいる当時の人間体の首に首飾りは掛けられている。その首飾りから発せられる通信術式は様々な生命体の鼓動がジャミングしてしまっているのだろうか。電話を人込みでかけても周りの音を拾いすぎてしまうのと、同じだった。
アジはすぐさま本体の意識を呼び起こし、深海から浮上させようとする。海中に出て、体を大きく変異。アジの人間部分を大きく外に出せれば通信ができるはずだ。まだ、まだ希望はアル!アジは決意を新たにしたところで、扉が開いた。
黄泉川だろう、しかし、今は無理だ。
何を言われてもこちらを優先である。
少しでも気を抜けば魔術は消えてしまうだろう!!
黄泉川が近づきアジに話しかける。
「アジ!そろそろお昼だから最近できた話題のラーメンでも食べるじゃん!」
「あーエン!?あ、あえルゥ!!」
(ラーメン!?た、食べるぅ!!)
アジはずっと味のしない、いや味覚を感じないようにエネルギーや魔力を吸収してきた。そこにきて8年ぶりのラーメンのお誘いである。美味しいという感情など、すでに忘れた彼にとって、その誘いは魅力的過ぎた。心を乱しまくったアジの魔術は当然霧散する。
「ア!?」
アジは間抜けな声を上げた。
○○○○○○○○○○○○
今から少し前、建宮をはじめとする天草式のメンバーは謎の頭痛に悩まされた。時間にして20秒程度だったが、まるで生物の大群が耳元で蠢くような不快感を全員が覚えていたのだ。魔術的攻撃を考えたものの、音沙汰はなく、先ほどの混乱が嘘のようである。
「な、なんだったんでしょうか?」
近くにいた少女、五和は仲間たちに話しかけるが皆頭をかしげるばかりである。彼らがいるのは隠れ家の一つ、とある田舎の廃校である。以前は、ここであの霊装屋が仲間の武器を点検したこともあった。彼が死んでから8年ほど経過したが、建宮はここに来るたびにそれを思い出していた。
武器を構えていた建宮だったが、本当に何も起こらないこと、新たな魔術を全く感知できなかったために、座りなおす。そして彼らはお昼ご飯を再開した。本日のメニューは女性陣が料理したカレーライスである。味もボリュームも最高の出来だった。
もぐもぐもぐ、建宮がカレーに舌鼓を打っていると、仲間の一人が声を上げた。
「あれ?絆がなんか光ってる?だれか使った?」
その言葉に皆は自分の絆を見る。絆とは、天草式秘伝霊装「虹色の絆」である。戦闘部隊を始め、多くの天草式が装備しており、転移の効果は絶大である。絆に魔力を流すと、光を放ち呼応する絆の近くに転移できるのだが、だれも転移していないことから、なぜ光ったのか、全員またもや首をかしげるばかりだった。
ただ一人、建宮だけは首飾りをにぎりしめると虚空を睨んだ。
「............動き出したのかもしれんのよな」
「はい?建宮さん、何か言いました?」
「何でもないのよ。ところで五和よ、お前さん、さらにカレーの腕を上げたのよな。特にこのニンジンを星形に切るあたり、あざといというか、かわいいというか。なに?お前さん誰かのために、料理でも振舞おうって魂胆なのよ!?」
「で、でたー!!建宮のおせっかいオッサンモード!!」
「に、にげろ五和」
「うえええ!?にげるってどこにですか?というか早く食べないと、冷めますしこの後も仕事ですよ皆さん!?」
建宮がおどけると、仲間たちもまたつられておどけた。笑い声が絶えない仲間たちを見て、建宮は一人、絆を握り込んだ。幾度となく大陸に上陸する、あの目を虹色に輝かせる怪物のことを考える。そしてすぐにその考えを脳から追い出して建宮は仲間と共に笑った。不穏な予感から逃げるように。
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「大丈夫かい?急によろけたみたいだけど」
ロンドンの鉛色の空の下で長身の神父が呟いた。口には煙草を揺らし、顔にはバーコードのタトゥーが見える。とても聖職者には見えない。男は魔術師だった。必要悪の教会の中でも天才と呼ばれる炎を操る魔術師だ。
そんな彼は目の前で突然、片手で頭を押さえた同僚に声をかけた。
同僚は長い髪をポニーテールに括り、Tシャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズの姿をしている。随分とセクシーな恰好だった。
「.........いえ、大丈夫です。少し不快な感覚がしただけです」
「悪寒か、もしくは魔術的な精神攻撃かい?」
「それはないでしょう。単純にちょっとした眩暈かと。すいません、心配させました」
聖人である彼女に魔術的な攻撃をするものは、狂人か愚者のどちらかである。しかもここは必要悪の教会の膝元であるロンドンだ。そんな無謀なことをすれば炎の巨人に焼かれ、きらめく刃に両断される運命が待つだけだろう。聖人の言葉に魔術師は肩をすくめて歩き出した。
二人は任務のためにとある島国へ向かう途中だった。ある少女の保護、それが彼らの任務だ。「じゃあ行こうか、神裂」魔術師は言った。神裂は歩き出して、ふと首元を見た。それは形見だ。大切な仲間の形見である。それが、キラキラと光っていた。まるで彼の瞳のようにキラキラと。神裂は様々な考えを振り切って同僚についていった。