虹色のアジ   作:小林流

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遅くなりました。
感想を書いてくださる皆さま、何度も同じことを言ってしまいますが、本当に嬉しいです。
皆様のおかげで、楽しく書くことができます。

これからも楽しいと感じてくださるよう、頑張ります。
よろしくお願いいたします。



第19話

 目を開けると暗闇だった。太陽の光が届かない闇の中。地球でもっとも未知が溢れる場所、深海。そこで全長数百メートルもある巨体が動き出す。その動きを察知して近海の生き物は全て逃げ出した。本能で察したのである。どちらが捕食者であるのかを。

 巨体は浮上する。徐々に視界が明るくなり、10分程度で水面が見えた。

 

 

 爆発的な音を立てて巨体は、海上に姿を現した。ゴツゴツとした冷えた溶岩のごとき体、鋭い牙と眼光、頭部には角が生え、いくつものヒレと触腕が伸びる背面。

 この世ならざる怪物は咆哮する。世界が割れると勘違いするほどの、音の衝撃に雲と海が揺れた。

 

 

 (ビ、びっくりしタッ!?)

 怪物アジは先ほどの衝撃に思わず戦慄の声を上げたのだ。アジが不良の喧嘩に割って入ろうとした時、彼が感じたのは右手の感触。直後に襲う消失感。高いところから落下したような血の気が引くような気分になったのも束の間、分裂体は瞬く間に消滅した。正確に言うとアジ本体と分裂体をつなぐパスがブチ切られ、分裂体を形作る魔力が一気に拡散した。

 

 

 アジはその異常性を認識する。あの学生に触れた瞬間にすべての魔力・術式がかき消された事実は、魔術師である彼を驚嘆させる。あの頼れる最強の仲間、神裂でさえ術式を破壊することができても、完全に消滅させることはできない。それからもあの学生がとんでもないことがよくわかった。

 

 

 しかし、ここまで考えた怪物アジの思考から飛び出したのは、(すごい人もいるものだナァ)というバカみたいな感想だった。実にのんびり、実にのほほんとした様子のアジ。本来のこの世界の魔術師であれば、あの少年の行った魔術消滅現象は、魔術に捧げてきたこれまでの人生を真っ向から否定されるようなものである。

 

 

 他者よりも時間をかけ、自分の限界を超え、それでも届かぬ理想を追い求めて創り上げてきた自分だけの術式であったり、自信作の霊装が一瞬で打ち消される事態。打ち立ててきた経験と魔法名に込めた願いを無下にする一撃。それに直面した時、ほとんどの魔術師は焦燥し、混乱するはずだ。それだけ魔術に懸ける情熱と思いこそが彼らの強みでもあり、弱さでもあった。

 

 

 けれども、アジにはそれがない。そもそもアジにとって魔術とは、自身が扱う法則というよりも掘れば掘るほど湧き上がる神秘のようなものである。不思議が当たり前で、不条理が当然である。だからこそ魔術をまるごと消失してしまうような事態も、めっちゃすごいけど、まぁあるだろうな、という認識だった。

 

 

 アジは自身に起きた現象に驚き、やはり魔術って楽しいものだなぁ、不思議なものだぁと思い、長い息を吐いた。傍から見れば、怪物が思案し地鳴りのような唸り声を上げたようにしか見えないのはご愛嬌である。

 

 

 アジはしばし巨体で大空を見た。次に周りをぐるりと見回した。うむ、完全なる迷子、いや迷い怪物であった。深海で捕食に専念し、休眠していた本体だったが、アジ分裂体時の想いや思考によって移動していた。しかし何よりも、分裂体の度重なる分裂体の驚愕と喜びと感動に、無意識のうちに予想よりも大きく移動してしまったようだ。

 

 

 アジは今、自分がどのあたりの海にいるのかよくわからなくなったのだ。しかし、心配はいらなかった。龍脈を探れば陸地までの距離もだいたい把握できる。なによりも、アジ分裂体が施した目印、あれがあるので、アジはいつでも「ヤシの実サイダー」が販売されている自販機まで向かうことができる。

 

 

 アジはとりあえず黄泉川の家まで戻ろうと思った。まだまだ恩は返しきれていないし、急にいなくなったら迷惑をかけてしまいそうだからだ。そして、なによりもアジは学園都市に戻らなくてはいけない理由ができた。

 

 

(あの学生、もしかして能力を無効にする能力者なのかもしれナイ)

 なにせあの学園都市である。様々な学生が開発を受け、多様な能力を得ている科学の都だ。そんな場所ならば、あの学生のような力もあり得るだろう。能力無効化の力。いや、能力消失系の力を持つ少年だ。きっと優秀で、あの町の中でも上位の強さをもつ能力者なのだろうと、アジは思う。

 

 

 そして、そんな強力な少年がアジ本体にその力を使ったらどうなるか。

 きっとこの巨体は、一瞬で消滅だ。だからこそアジは思う。あの力でこの巨体の魔力・魔術を消してほしいと。そうすれば巨体の暴走した魔術を一つ一つ解除するよりもカンタンかつ、すばやくアジは本来の体を取り戻せると考えたのだ。アジは咆哮を上げた。喜びの咆哮である。傍から見れば破壊神の怒りの発露に見えるが、そうじゃないのだ。

 

 

(お願いして助けてもらオウ。魔術のことも素直に話シテ、彼が使えるようなカンタンな魔術や霊装も上げヨウ。ちゃんとお礼を用意シテ、きちんとお願いすれば伝わるはズサ) 

 

 アジは前向きに考えて移動を開始した。彼が巨体に触れられるように、日本の近くまで進むためである。その後は、また分裂体を創り事情を話しに行こう。アジは希望に向けて泳ぎ出す。るんるんと鼻歌さえ飛び出しそうなほど上機嫌なアジは、体を移動に適した形に変異させた。

 

 

 推進力を得るための巨大な尾、いくつもの長大な触腕。いくつもの大波と衝撃波をまき散らしながら彼は潜水し、巨体を進めていく。途中で深海の中の生物を捕食し、クジラの群れを食べながら、陽気な怪物の旅は進んだ。

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 「動きがあった」

 ある男が言った。

 場所はとある廃屋だ。普段は不良のたまり場になっているその場所には、普段とは違う人種が多数詰めている。ある者はローブを着ていて、ある者はスーツ姿、そしてある者は大剣を携えている。人払いの術式によって、どんなに彼らが奇抜な恰好をしていようが危険物を見せびらかしていようが、問題になることはない。

 

 

 辺りには関係者しかいなかった。人の世には決して出回っていない魔術の関係者たち。彼らに共通しているのはそれだけだった。誰もが違う組織であり、信じる神すら違った。

 

 けれども稀有なことに、彼らはいがみ合わず一応ではあるが協力体制をとっている。その理由は部屋の中央。床に置かれた水晶から投影される一つの映像だ。

映っていたのは海、見えたのはクジラの群れだ。だが専門家が見ればわかっただろう。その群れが、ばらばらに逃げ惑っているのを。

 

 

 群れの中、クジラの一頭の体が宙に浮いた。正確な種類はこの場にいる誰もわからなかったが、それでもそのクジラの大きさは十数メートルは確実にあった。その大きな体が宙に浮いている。いや、そうではなかった。より大きな巨体の口にそれが喰いついたのだ。

 

 

 海から突如として現れた怪物がそのクジラ体に噛みついていた。クジラの体が小魚に見えるほどの巨体だった。怪物はさらに背から触腕を伸ばして、周りのクジラを捕らえ、食いつぶしていく。喰うものと喰われるもの、自然の摂理と言うにはあまりにも異様で圧倒的だ。

 

 

「少し前の映像だ。この海魔はクジラを捕食したのち再び潜水、移動速度をあげながらある場所に向かっている。おそらく方向から考えるにアジア、それもここ日本である可能性が高いと上は考えている」

 ローブ姿の男は言った。男は必要悪の教会所属の魔術師だ。必要悪の教会は、件の怪物、海魔を警戒していた。もう何年も前に必要悪の教会の日本支部の一つを襲われかけたことがあった。彼はその場にいた。仲間と共に海魔に喰われかけた男だった。

 

 

「これが、海魔ですか.........」

 スーツ姿の男が言う。彼はまた別の組織の男だった。彼は海魔を見るのは初めてだったが、その名はすでに知っていた。海魔の名は魔術世界に轟いていた。海に潜む怪物、魔を喰らい人を脅かす化物。海から現れ、海に去っていくそれを、魔術世界は海魔と呼称している。

 

 

 今や皮肉なことに、本来ならば刃を向け合う者たちが、海魔撃退という同じ方向を向いている。それほどまでに、件の海魔は恐ろしい存在だと思われている。必要悪の教会を震撼させた最初の海魔上陸、一般人に目撃された中国大陸への上陸、そして巨大魔術霊装を輸送していたタンカーを襲ったあの大事件。海魔はこれまでも魔術世界との攻防を行ってきた。

 

 

 そんな怪魔が最近になって再び頻繁に活動を開始した。この状況を魔術世界全体が危険視した。

 赤黒い閃光を吐き出していくつかの小島を破壊した海魔。その姿はすでに数人の一般人にも目撃されている。海魔は魔術に関係する化物である。海魔の露呈は、魔術の露呈に繋がる。よっていくつかの魔術結社は、その大小に関係なく手を組むようになったのだ。

 

 

「海魔、ね」

 大剣を携えた男、天草式十字凄教、教皇代理、建宮齋字は映像を睨んだ。建宮もまた、最初の海魔上陸に居合わせている。その後の襲撃には間に合うことはなかったが、今回は必要悪の教会の要請もあり駆けつけることができた。日本を拠点とする魔術結社、天草式は魔術世界においてその強さは認められていた。

 

 

 様々な武技を駆使した攻撃的術式、加えて影から現れ闇に消える転移術式。世間は天草式からあの霊装屋が消え、女教皇の聖人が去ったことで一時侮っていた。しかしそれが間違いだと訂正するのに時間はかからなかった。それを証明するように彼らはここにいて、貴重な戦力に数えられている。

 

 

「おそらく決戦は一週間後だ」

 必要悪の教会の魔術師は言う。

「でかくなりすぎて、前よりもかなり移動速度が落ちている。この間に各々、調整しておいてくれ。もちろん、全員が仲良く連携することは期待していない。それぞれがベストを尽くそう。ではまた」

 魔術師がそういうと、廃屋にいた面々はそれぞれ去っていく。歩くもの、転移するもの様々だ。あらかた消えたところで、必要悪の教会の魔術師は建宮に頭を下げて転移した。彼にとって、建宮と天草式は命の恩人だ。

 信じる道や信念は少し違うかもしれないが、それでも男にとって建宮たちの生き方は素晴らしいと本気で考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 建宮は男が消えるのを確認して、ため息を吐いた。水晶は天草式のものなので、建宮は回収のために近づいた。海魔はクジラを捕食し終え、唸ると潜水していった。

 

 

「アジ.........」

 建宮は呟く。彼は仲間の誰にも伝えていないが、海魔の正体が大切な仲間の成れの果てであるだろうという予感をもっていた。建宮はポケットからとある霊装を取り出す。

「虹色の絆」だ。最近、この霊装に対して生き物の鼓動のようなノイズが混じることが頻発した。仲間たちは心配し、何度も霊装を確認、調整したが結果はわからずじまいだった。一人を、この建宮を除いては。

 

 

 アジが海に落ちた時、彼の絆はどこにあったのだろう。最後まで彼の首にかかっていたはずだ。体を蝕まれ、変異していく中にあっても絆はアジと共にあった。最後まで天草式の仲間でいたのだ。

 

 

 そんな彼の体は卑劣な魔術研究が作り出した暴走に未だ蝕まれ、そしてあの崇高な信念を穢されている。アジの霊装を何度も見てきた建宮だからこそわかったことがある。絆に届いていた魔力は、まるで電話の通信履歴のように残っていたのだ。

 

 

 発信先は、やはり海魔の体内であった。

 建宮は怒りに震えた。あの優しき少年の死が、身勝手に貶められている現状に歯噛みした。無論、海魔にアジの心など一切残っていないだろう。暴走する肉塊がアジの体を使って、暴れまわっているのだ。ふざけやがって、建宮にとってその事実は許せるものではない。その気持ちを隠しながら過ごしていると、この海魔撃退の招集がかかったのだ。

 

 渡りに船だと思った。

 建宮は決意した。

 優しき彼に引導を渡そうと決意した。誰よりも仲間を想い、他人を想い、あの聖人を想った少年が、こんな目に遭うなど許されることではない。そしてその仲間を、どんな形であれ討ち滅ぼす咎は自分だけが背負うべきだとも思っていた。仲間たちは何も知らない。全力で倒そうとする化物が、あの少年の成れの果てであることなど、想像もしていないだろう。

 

 

 それでいいと建宮は笑う。あの時、無様にも少年を守れず。そして日々の中で聖人の心を救えずここを去らせてしまった。そんな自分ができる罪滅ぼしができるなら、喜んで剣を振ろうと思った。

 

 

 建宮は水晶を回収してその場から去った。転移した隠れ家では仲間たちが建宮を迎えた。笑いながら皆の元に歩く建宮の心情を知るものはどこにもいなかった。

 




建宮は本当にかっこよくて好きなキャラクターです。

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