虹色のアジ   作:小林流

25 / 50
第25話

 建宮たち、天草式十字凄教は海中で海魔を待ち受けていた。

 彼らが最も得意とするのは海戦だった。彼らは、「船は木からそしてその木は紙を造る。」という関連性を利用し、和紙一枚で様々な船を創りあげる術式を有している。そして、今回は特に機動力のある術式である、小型の個人用上下艦を全員が装備している。艦と称するものの、片腕を差し込んで扱うほど小さいそれは、水中スクーターのようでもある。これさえあればマグロ以上の速度で泳ぐことができる代物だ。

 

 

 天草式の作戦は、実にシンプルだった。海魔が操る触腕やその他の攻撃方法よりも素早く動き回り、武技を用いた攻撃術式で巨体を削り取っていこうとしたのである。

 前回の邂逅から、天草式は海魔の体表強度を確認済みである。それの情報に加え、さらに各々の武具に対人外用攻撃術式を組み込んだ。建宮たちは群れで狩りする獣のように、なんども海魔の巨体に迫り、ダメージを蓄積させ数日以上の時間をかけてその頭部を破壊する心算だった。例え規格外の魔術的怪物、海魔といえども生物だ。頭部を破壊されて生きていくことなどできるはずもないだろう。

 驕りはなく、油断もなかった。

 

 

 けれども彼らは、海魔を前にして未だに攻撃を開始できずにいた。

 予想外の事態に、全員が困惑していたのだ。

 彼らただ目を見開いて、海魔を見ていた。クジラよりも巨大な腕で頭部を押さえながら、身悶えする海魔から目が離せなかった。

 海魔は目から、どこかで見たような輝きを放ちながら、唸り声をあげている。

 何かに耐えるように、何かにこらえるように、苦しそうに泡を吐き出して尾や触腕を振り回した。天草式はそれが生み出す荒波を受け流しながら、ある声を聴いていた。

 それは絆から聞こえる、不明瞭な声だった。

 

 

(.........あタマッ.........イ....いたイッ.........だれ....いタイ......)

 

 

 建宮の喉が干上がった。そしてわかってしまった。

 自分の勘違いを恥じ、そしてすぐに行動できなかったことを酷く後悔した。

 あの時、肉塊に取り込まれた仲間の意識は死に切れていなかったのだ。

 必要悪の教会の拠点を襲った時も、

 海洋生物を食いつぶした時も、

 魔術師たちから追われている時も、

 そして今のように仲間たちに囲まれ刃を向けられているときも、アイツは、アジの意識は少しだろうが残っていたのだ。心優しき少年はその事態に苦しみながら、耐えようとしている。これまでも何度も自分の体で勝手に暴虐の限りを尽くそうとする巨体を必死に、抑えようとしていたのだろう。考えてみれば不自然なことも多かった。

 

 

 これほどの怪物が暴れていたのに、死人がでなかったこと。そして都市などの生活圏が破壊されずに、山や無人の船などだけが狙われたことだ。

 アジは、ずっと抗い続けてきたのだ。

 

 

 建宮は思い出す。数年前のあの時、海魔の頭部を斬りつけ眼をつぶした感触を。自らに向けられる眼の輝きを。

「.........ずっと苦しかったのか」

 建宮は呟き、フランベルジュを握る手に力をこめる。そして仲間たちとの打ち合わせもなく動いた。建宮は海魔の巨体に肉薄する。苦しむ仲間を救いにいくのではない。苦しむ仲間の命を絶つために、建宮は突撃したのだ。

 

 

 海魔にアジの意識が残っている、だが、だからどうしようというのだろうか。これほどまでに膨れ上がった怪物から、人間の肉体だけを拾い上げる術式など建宮は知らない。8年もの間、人ならざる身になった体を都合よく人に戻す術式など存在しない。

魔術は万能ではない、建宮は神様ではない。仲間を想う、一人のたんなる人間だ。

だからこそ建宮は口に端を噛みきるほどの激情を抱えながら、決意を新たにする。

 

 

 これ以上、仲間を苦しませるわけにはいかなかった。

 

 

 建宮のフランベルジュが海魔の頭部を薄く切り裂く。水の抵抗がないかのように大剣は振るわれ、海魔の体を削りとっていく。

 海魔は苦しみながらも、本能からか触腕をつかい建宮を追撃する。建宮は舌打ちをして、触腕のいくつかを斬り飛ばしていく。建宮の独断と異変を感じて、天草式の仲間たちも近づいてきたが、建宮の怒号によってその動きを止める。

 

 

「手ぇ出そうとするんじゃねぇのよ!」

 通信用術式を使っているのにも関わらず、彼は海中で大量の泡を吐き出して吠えた。大剣で触腕を斬りつけ、千切りながらメンバーを睨みつける。

 

 

「いいか!絶対に手ぇ出すんじゃねぇ!こいつは俺がやるッ!教皇代理の初めての命令だ!テメェら全員聞きやがれッ!」

 五和などの若いメンバーはビクリと肩を震わせ、古参メンバーも驚愕した。建宮は口や態度こそ善良とは言えないが、仲間たちに対して当たり散らすことなど一度もなかったし、命令などと偉ぶることなど皆無だったのだ。建宮はポケットに入れていた様々なキーホルダーのようなものを取り出した。

 

 

 それはアジの置き土産だ。霊装屋と呼ばれた彼が、生前に創りそして天草式のために倉庫に大量に置いていってくれたものだ。建宮は手のひらから魔力を流して、それらを全て一気に砕いた。それらは壊すことですぐに発動できるタイプの霊装だ。効力は身体能力の向上、魔力増大等の戦闘の底上げをするものだった。武具による直接戦闘を中心とする天草式にはおあつらえ向きの霊装だ。実際に、建宮も何度も使ってきた。

 

 

 しかし、今回は勝手がまるで違った。本来は一つで充分な霊装を、十数個同時に発動させたのだ。一つでさえ、翌日筋肉痛と虚脱感に悩まされることがある霊装だ。同時に扱えば確かに効力は飛躍的に高まるだろう。だが、その代償は計り知れない。

 

 

 ブチンという音がした。建宮の膨張する筋肉が千切れたのだ。加えて建宮の視界が徐々に赤くなっていく。眼球の毛細血管が切れ始めているのだ。その他にも様々な不調が建宮を襲った。

(それがどうした)

 建宮はすぐさま痛覚無効化の術式を発動させる。体の悲鳴を無視して、彼はフランベルジュを構えた。切っ先を海魔の眼に向け、動いた。

 瞬間、仲間の天草式も押し流されるほどの海流が生まれた。

 大剣が光り輝き、軽車両よりも大きな眼に向かう。すぐにズグリという感触が建宮の手に伝わった。フランベルジュは海魔の眼に深く突き刺さった。

 

 

 海魔の咆哮が轟いた。暴れ狂う海魔に振り回されながらも、建宮はより深くフランベルジュを突き立て、刃に炎を纏わせた。肉を超高熱で焼き、水中で数回爆発が起きた。人を大きく超える力だった。当然、聖人でもない人間の体が耐えられるはずもない。

 

 

 耳や鼻から血が噴き出したのがわかった。寒気を感じた。痛みのない肉体の奥底が崩れさるような悪寒が駆け抜けた。調整に調整を施した相棒のフランベルジュが壊れ始めた。

(それがどうしたッ!)

 

 

 自分の体など、どうでもよいと建宮は思った。例え死んでも構わないと、彼はすでに覚悟を決めていた。

 建宮は思う。あの日、あの時、アジが肉塊に喰われた時。なぜ自分ではなく、アジが犠牲にならなくてはいけなかったのか。なぜ神裂が泣いているときに自分は間に合わなかったのか。

 

 

 あれからすべての歯車が少しずつ狂いだしたような気がすると、彼は思った。そしてせめて、この役目だけはきちんと終えたいと、建宮は願った。体中の骨にひびがはいり、筋肉が千切れはじめた。体内の臓器もおかしくなってきた。そして、人を超えた術式の行使に頭に穴が開いたような頭痛が始まった。

(それがどうしたのよッ!!)

 

 

 建宮は叫んだ。全身を一つの刃のようにして、海魔の頭部を破壊せんと術を使い続ける。その威力はすさまじく、海魔はついに動きを鈍くした。凶悪な頭部は半壊し始め、顔中に雷のようなヒビが入っている。これで最後だと、建宮はすべての魔力をフランベルジュに流す。この波打つ大剣を爆弾のように爆散させようというのだ。

 

 

「アジィィイイッ!!!」

 建宮は吠える。このまま友と一緒に海に沈むために、指の骨が砕けるほどの力を込めてフランベルジュを握る。刃が強烈な光を生み出した。爆散までもうすぐだった。

それなのに、建宮の口から少なくない血が溢れ出した。

 

 

 眩暈がした。腕が動かなくなってきた。もう少し、もう少しなのに。建宮の視界が黒くなってきている。命を懸けても、思い一つ貫けないのか。建宮は遂に、全身を弛緩させる。力なき体は、悶える海魔の頭部からフランベルジュごと吹き飛ばされた。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

「アジくん、大丈夫ですか!?ごめんね!知らなかったよね!」

 かき氷を勢いよく食べたアジが頭を抱えて悶えているのに、気づいた鉄装は頭を撫でまわした。少年に言うのを忘れていたのだ。夏場の悪魔の一つ。かき氷頭痛。急いで食べると襲うキーンというあの痛み。ソレに襲われているであろうアジ少年は、苦しそうに唸りながら涙目になっていた。やってしまったと、鉄装は思った。

 

 

 彼女はとびきりの善人だったが、中々おっちょこちょいな人物である。だから焦るとロクなことにならないのが常だった。彼女は頭を痛がるアジ少年をさらによしよしと撫でつつ、彼の苦しみをどうにかしたいと行動した。

 

 

「冷たいモノで頭が痛いのだから、暖かいスープでも飲めば少しは楽になる?」

 鉄装は冷静なときは才女だが、それ以外はポンコツだ。ポンコツ眼鏡は、勢いで店員さんを呼んで注文した。体がすぐに暖かくなるスープをください。メニュー表も見ないでそんなことを言うものだから、混乱するのは店員さんである。店員さんは困ったように微笑んで、鉄装にすぐに暖かくなるスープでいいんですね?と確認をとった。鉄装が勢いよく頷いたので、じゃあと店員さんは今フェア中のスープを注文票に書き加えた。

 

 

 話は変わるが、夏場こそ辛い物を食べて飲んで、汗をかこうという文化を行う人たちがいる。夏場にこそチゲやスンドゥブを食べたりする人たちのことだ。そういう人たちは一定数以上いるので、時折ファミリーレストランでは辛いモノフェアを行うのである。

焦る鉄装の横にはメニュー表が置いてあった。

 そこには「夏を辛さでぶっ飛ばせ☆激辛スープフェア開催中☆」と書かれていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。