時間がかかりますが、なんとしても完結させますので、お付き合いしてくださる方はよろしくお願いいたします。
「.........消えた?」
建宮は思わず戦闘を一時中断して呟いた。一瞬響いた甲高い音、少年の右腕の手のひらから立ち上る煙のようなもの。あの莫大な魔力の塊が直撃して生きているばかりか、無傷であるという異常な状況。魔力を打ち消した、そうとしか考えられなかったのだ。
しかし、その手段がまるで見当がつかなかった。
否、今はそのようなことを気にしている場合ではない。
見たところ、少年は学生だ。一市民であることは明白である。どのような力が彼にあるかどうかはわからないが、この怪物との戦闘に巻き込むわけにはいかなかった。建宮は、すぐさま彼を抱き上げ離脱しようと考える。考えるが、驚くべきことに少年は走り出していた。拳を力いっぱいに握りしめ、鋭い眼光で怪物へと一直線。まるで、そのまま殴りつけようとするかのように。
「ッあ!?」
建宮のその声に反応するように仲間たちも動き出すものの、まるで間に合わない。少年と怪物との距離はもう1メートルもないのだ。
少年は体を引き絞り、体重をかけた右こぶしを放とうとする。てんで素人の攻撃だ。あの怪物ならばすぐさま反撃をするはずだ。数秒後には引き裂かれた人肉が辺りに撒き散らされてしまうだろう。
だが、そうはならない。
少年の拳は空を切ったからだ。外れたのではない。怪物が跳躍し、避けたのだ。避ける、あれほどまでに天草式の攻撃を喰らい続け、暴れまわっていた怪物が警戒を露わにしている。怪物は明確にあの少年の攻撃から身を離そうとしている。
跳躍し後方へ飛んだ怪物は吠えた。まるで喜ぶような、悲しむような様々な感情を内包したかのような叫びだった。建宮はすぐさま術式を使って仲間へ指示を飛ばす。怪物を滅するのを一時中断、最優先は拘束へ変更。あの少年には聞かねばならないことがありそうだと、建宮は思った。それがアレを滅するのを後回しにする言い訳だけではないと、建宮は信じている。
○○○○○○○○
上条は目の前の存在を見る。これまで何人かの魔術師と戦ってきたが、これほどまでに分かりやすい異常な存在を見るのは初めてだった。一言で言うなら歪んだドラゴン。まさに映画や漫画、RPGゲームの世界から飛び出したかのような姿だった。
それだけではない。怪物の周りには様々な武器を構える年も性別もバラバラな集団がいる、上条は短く息を吐いた。どこからどう見ても危険である。まさに厄介事の見本市。今すぐにでも逃げ出したいところであったが、そうもいかなった。
彼らの仲間の少女。彼女は上条を守ろうとしてくれた。そして少女の声やその表情から、まさに決死の覚悟であの怪物が吐き出した炎が当たらぬように自分を突き飛ばそうとしてくれたのだ。そこまでされたなら、多少の困惑があれど加勢せざるをえない。それが上条の性格というか、特性であった。
そしてまた同時に、上条には速やかに眼前の怪物を追い払う必要があった。その理由が後ろから駆けてきた。彼の背後から声が聞こえる。
「とうま!」
声を上げたのは来たのは彼の同居、純白大食いシスターのインデックスだった。二人は学校へ、担任の小萌先生に学園都市の外へ出るための書類について話しに行く途中だった。
「ちょっと飲み物買ってくるっていったと思ったら!とうまはもう!ほんとうにもう!!すぐに騒動にまきこまれるんだから!」
インデックスはブツブツと文句を言いながら上条の後ろへ走る。彼女はなんとしても怪物から護らねばならない。だからこそ上条は危険を冒してでも、怪物を殴りつけようと駆けたのだ。
上条は反射的に来るなと叫ぼうとするが、その声は怪物の咆哮にかき消されてしまう。まるで喜ぶような、悲しむような様々な感情を内包したかのような不可思議で、そして不気味な咆哮だった。数回、咆哮を続けた怪物の口内が赤黒く光る。
すぐに上条めがけて、赤黒い炎が吐き出された。
上条は息を飲んで右腕を押し出すように構える。大丈夫なはずだと心ではわかっているが、その考えを砕かんばかりの禍々しい炎だった。瞬間、右腕に衝撃が走る。手首がゴリリと不気味に鳴った。甲高い音が響き、炎は消え去り手のひらから煙のようなものが立ち上る。
上条が安堵の息を吐いたのと同時に、インデックスが上条の背に貼り付いた。
とうま!と小さな悲鳴を上げ彼女は上条の体を確かめる。その行為に上条は心配された嬉しさよりも、苛立ちが勝ってしまう。眼前の怪物から、彼女を守るのは至難の業だとわかっているからだ。上条は思いを吐き出すように声を荒げた。
「馬鹿!来るなよ!」
「なっ!!ばかとはひどいんだよ!魔術のことでわたしに頼らないんて!とうまこそばかなんだよ!ばか!ばか!!」
「今、言い合ってる場合じゃねーだろ!?」
上条とインデックスが言い合いを続けようとしたところで、耳をつんざく怪音が轟いた。それは怪物の咆哮だ。苦し気に腕や触腕をめちゃくちゃに振り回し、泡を飛ばしながら悶える怪物に上条はギョッとする。
全くの未知。推し量ることのできない怪物の行動に上条は恐怖した。怪物はまるで後悔するように頭を抱えたかと思うと、一度脱力。そして怪物は上条へと視線を向けた。上条はその眼を見てしまう。獲物を狙うホオジロザメのような真っ黒な眼だった。
怪物は警戒するようにじっくりと、上条を観察していた。
上条は体を固くして、右腕を構える。考えての事ではない。触腕や炎での攻撃を本能的に恐れた結果だった。背中にいるインデックスも上条の服を掴む力がどんどん強くなった。加えて彼女は、怪物だけでなく周囲の集団にも警戒を示すように、キョロキョロと顔を動かしているらしかった。彼女の長い髪が、上条のズボンに何度も当たっている。
「あれは…………まさか? ……でも」
インデックスは何か思うところがあるのか、神妙な声を出している。
直後、炸裂音が聞こえた。怪物が跳躍した音だった。今度は逃げるためのものではない。怪物は触腕を振り回しながら、上条へと迫った。
上条は幾つかの考えを放棄し、自分を奮い立たせて怪物を待ち受けた。その右手はどんな異常存在でも消し去ることができる。むしろ怪物が突っ込んで来てくれるなら、それこそ一撃で勝負は決するはずである。なによりも後ろにはインデックスがいるのだ。逃げ出すわけにもいかなかった。
上条は視線を怪物に固定。迫りくる怪物を睨みつけようとするが、そこで目撃するのは跳躍した怪物にあの集団が立ち向かう光景だった。
集団は怪物の体を切り裂き、炎で燃やし、石の弾丸で穿つ。
怪物は声一つ上げないが、その巨体は宙でバランスを崩し、上条のいる場所とはてんで違う方向へ落下する。頭から落ち、受け身すら取れなかった怪物。
しかし怪物の動きは止まらない。生き物とは思えぬ体勢のまま触腕を震えさせると、弾丸のような速度で怪物の触腕が上条に向かわせた。
一瞬の煌きが上条の視界を通り過ぎる。
それはいつの間にか上条の隣に出現した集団の一人。
上条と似たツンツンとした髪、手に持つのは2mはある剣。不思議にうねるその剣は、素人の上条から見ても異様な迫力があった。男が剣を振るうと、怪物の触腕が千切れる。
怪物は悲鳴を上げていた。
勢いが著しく失われた触腕は、それでもなお上条の位置まで届いた。上条はその右腕で、飛んできた触腕片に触れる。再び、一瞬の高音が辺りに響いた。それだけで触腕はボロボロと崩れる。上条の足元には、カニや魚などの破片が散乱する。
「ほう」
男は、呟き言った。
「消せるのは炎だけじゃねーみたいだな」
「た、試したのかよ!?」
「ああ、悪かったな。ただもちろんお前さんたちに危害がないように調整したのよな。最悪の場合は、飛んできた触腕は俺が受けて止めてやるつもりだったのよ」
男が話しているうちに、他の集団は怪物へと近づいた。そしてものすごい勢いで術式を展開。陽光に照らされているのは、おそらくはワイヤーだ。上条は学園都市ならではの特殊な授業で金属製のワイヤーを見たことがあった。ワイヤーは生き物のように蠢くと瞬時に怪物を拘束してしまった。ものの数分での出来事だった。
上条は集団の能力の高さに、素直に驚いている。大剣を担いだ男は、思うところがあるのか上条に声をかけようとする。しかし彼が何かを言う前に、「やっぱり!」インデックスの声が聞こえた。
「とうま!あの怪物は昨日あった子供の魔術師なんだよ!」
「!?」
その言葉に上条ののどが干上がった。そして昨日の少年、アジの言葉や彼の表情が頭に浮かび上がってきた。二人が驚いていると辺りの空気が変わる。集団、全員の眼が上条とインデックスに注がれいた。おい、と大剣を担いだ男の声が聞こえる。
「ちょっとお前さんに聞きたいことがあるのよな」
それは怒りに燃えるようにも、悲しみに震えるようにも見える表情だった。
味方じゃねーのかよ!?と焦る上条だったが、男の迫力に押し黙る。大剣の男は建宮斎字と名乗った。そしてその所属は天草式十字凄教と話す。かの聖人、神裂火織をリーダーとする魔術集団とのこと。そんなことを言われても上条は全くピンとこなかったのだが、インデックスは非常に驚き、そして彼らならばまずは話を聞くべきだと、上条に話した。
何が何だかわからない上条は、不承不承といった様子で話を聞くことにした。
「まさかこの目で天草式の魔術師に出会えるなんて………」
インデックスは天草式について知っていることを披露する。
「天草式十字凄教っていう魔術結社は、本当に謎が多いんだよ。近代魔術師の中でも抜きんでた実力をもっていることは確実なのに、扱う術式や霊装のほとんどが全然わかっていないんだよ。闇夜に紛れ、一撃で敵対する魔術師を屠り、再びその姿を消してしまう。そのあまりの神出鬼没な在り方に、一時期魔術世界の中でも天草式は畏怖の対象だったし、なによりも優先的な討伐対象になってたんだ」
「討伐対象?」
「うん。誰だって自分の魔術探求中の工房で、寝首をかかれたくないでしょ?だから協力してそんな怖い相手は倒しちゃおうっていう暗黙のルールができたんだよ。もっともすぐにそれはなくなっちゃったんだけどね」
「どうしてだ?」
「俺たちが、だれかれ構わずに闇討ちしてるわけじゃねーからだ」
建宮は上条の質問に答える。インデックスもその言葉に頷いた。
「魔術師といっても当たり前だけど色々な人がいるんだよ。小さな魔術結社なら惚れ薬を完成させるためとか、ゴーレムの研究をしている結社なんかもあるね。そうしたように本当に千差万別な魔術師だから、中には非人道的な人たちもたくさんいるの」
人の欲望に際限がないように、魔術の目的も際限がないとインデックスは言う。自分の子供を生き返らせるために、100人の他者の心臓を集めるもの。合成生命体(キメラ)を生み出すために、見ず知らずの集落の住民の命を弄ぶもの。自身が永遠の命を得るために、何人もの他人を実験体にするもの。上条が聞いていて、胸糞が悪くなる話ばかりだった。そしてそういった残虐非道な魔術師を、天草式は屠ってきたのだと言う。
「救われぬものに、救いの手を」
建宮は言う。
「それが俺たち天草式の、そして女教皇の願いだ。誰かのために俺たちは刃を振るい魔を滅する。まぁ、つまるところ俺たちは正義の味方なのよな」
上条は笑う建宮を見る。その表情に嘘はみられなかった。こんな連中もいるのだと、上条は感動すらしてしまった。上条が出会ってきた魔術師など、不良神父や嘘つき陰陽師、立て籠もり錬金術師など、誰もが勝手気ままな奴らばかりだったからだ。
上条たちがそこまで話すと、怪物の咆哮が轟いた。無理やりワイヤーの拘束を破ろうと身をよじっていが、ワイヤーが食い込むばかりだった。上条はその様子をみて、やはり話している場合ではないと拳を握った。そして建宮に懇願するように話す。
「なぁ建宮!多分、天草式はアイツをやっつけようとしてると思うんだけど、アイツは悪い奴じゃないんだよ!今は魔術の暴走でああなっちまってるけど、なんとかして………」
「アイツじゃねぇのよ、アイツの名前はアジっていうのよ。」
「ちょ、ちょっとまってくれよ。お前アジの知り合いだったのか?」
「知り合いも何も」
建宮は悲しみに顔を歪ませて続ける。
「元々アジ。本当は阿字平鱗っていう名前なんだがな。まぁ、アジって皆が呼ぶ魔術師は、俺たち天草式の仲間だ。」
建宮は上条とインデックスに話し出す。
事の発端はもう8年も前の事件のことだ。
話を聞き終えた上条もインデックスもやるせない表情のまま、今度は昨日あったアジという少年のことを話した。
それを聞いていた天草式のメンバーの表情は驚愕に彩られ、そして陰りを見せていく。持っている斧で道路を砕いてしまう男、下唇を噛む女性、眼尻に涙をためる少女、そして眉間に深く皺を刻みこむ建宮。その誰もがアジを大切にしているのだと、上条は思った。そしていま怪物になってしまったアジを捕えているという行為に隠された想像を絶する覚悟を上条は知った。
だからこそ上条は言う。
「なぁ、なんとかできねぇのかよ?」
彼はこのままアジが死ななくてはいけない状況には我慢できなかった。アジが何をしたと言うのか、仲間をかばい魔に侵されながらも、これ以上被害を出さないようにと自らの死を望んだ少年アジ。そんな存在が、ただ殺されなくてはいけないのを、黙って見ていることなど上条にはできない。上条は自身の右腕を見る。その魔を何もかも打ち消すこの右腕では、怪物を一撃で消し去ることができるだろう。
「最初は」
建宮は重々しく口を開いた。
「俺もお前さんの打ち消す力を何とかして使えないかって思ったのよ」
あの怪物の炎をそのまま消してしまうほどの力を使えば、彼を蝕む魔術だけ消し去ることができんじゃないかと、どこかで期待していたと建宮は言った。
「それは………」
インデックスは言い淀むが、それを建宮は薄く笑ってわかっていると返した。
「そんな都合のよい力なんてないのよな。確かにお前さんの力は絶大だ。俺たちがひっくり返っても、あれほどの魔力を一切合切消す、なんてことはできないのよ。けれど同時に、何かを残しつつ、選んで消すなんてことはその力にはなかった。それだけのことだ。勘違いしてほしくないのは、お前さんは何にも悪くない」
むしろと続けて建宮は上条に頭を下げる。それに合わせるように、他の天草式のメンバーも頭を下げていく。
「すまなかった。魔術と何も関係のないお前さんを巻き込もうとしてしまったことを」
「やめてくれ」
「そして、ありがとな。アジのことを考えてくれて」
「やめてくれって!俺は、なにもできて………」
上条は頭を下げる男たちには歯噛みする、なぜ諦めるのかと吠えたくなる。そして同時に、なにもできない自分に馬鹿やろうと言ってやりたくなった。建宮たちが顔をあげる。そこにチラリと見えたのは虹色に輝く首飾りだ。思わずインデックスは見たことのないその霊装に目を奪われる。
「それは?」
「これか、これはな。虹色の絆っていうのよ」
建宮は説明する。それは我がアジが創った最高傑作であり、天草式が名を上げた理由でもあると。インデックスはその造りをみて驚愕する。あまりにも様々な神話、物語、神々が入り混じった形。十字教のシスターであるインデックスは、建宮たちをじっとりと見てしまった。これは言うならば神を信じる者たちにとって、ある意味で冒涜的なものであった。
「韋駄天、ヘルメース、神仙伝、ソロモンの72柱、エノク.........よくもここまで混ぜこぜな霊装を創れたものなんだよ」
「ま、まぁそうなのよな。正直、俺たちもちょっとやり過ぎだと思ったんだが、それでも術式は素晴らしいのよ?」
「ウチ(必要悪の教会)でそれを使っている魔術師がいたら、すぐに拘束からの尋問コースだね」
困ったようになる建宮に、少しだけ落ち着きを取り戻した上条は聞く。
「……なにかおかしいのか? それ」
「おかしいなんてものじゃないんだよ!いい、この首飾りは古今東西あらゆる神話からいいとこどりをしたような霊装なんだよ!ここまで神を蔑ろにする霊装も珍しいかも」
インデックスが言うには、霊装を創るにしても一応の暗黙のルールがあるらしかった。いわゆる神様へのリスペクトが必要とのこと。何でもかんでも便利だからと言ってくっつけたり、改造したりすると信仰を疑われることもあるのだという。この霊装はそうしたルールは完全度外視、実用性のみを追求したトンデモ霊装だと話す。
「俊足の神々、瞬間移動の神々、悪魔から難を逃れた逸話、たくさんある移動する、動かす、逃れるという術式がここに内包されているんだよ」
インデックスが少々、興奮気味に話しているのを上条は聞いている。詳しく知らない上条は、ゴテゴテに飾り付けたプラモデルみたいなものだろうか、程度の認識であった。上条は生徒が教師に問うように、首飾りについて聞いていく。
「なぁ、アジもその首飾りはつけてたんだよな」
「ああ、そうだ。この首飾りのおかげでアジの現状を知ることができたんだからな」
「わかんねぇんだけどさ、その首飾りを使えばアジの体の位置ってわかんねーのか?」
「……そのアイデアはすでに、話し合い済みなのよな。例え絆で位置が分かったとしても、それは絆の位置であってアジの体の場所じゃない。あいつの人間だった体は、巨大な海魔の中に分散しちまってる。たとえ絆の位置だけがわかっても、アジの体を全て見つけることなんてできないのよ」
「じゃ、じゃあその首飾りの位置にアジの体を引き寄せるってことはできないのか?アジの人間の体をその首飾りに集めるってのは?」
「それこそ無理な話よな。絆の術式は、逃げること、転移すること、逃れることだ。一応、絆同士を集合させることはできるが、それをしたところで海魔の体の中から、絆だけ取り出せるだけだ。肝心のアジの肉体は置いてきぼりなのよな。アジの肉体だけ、集めることなんてことはできないのよ」
「集める?」
インデックスはその言葉に引っかかったようで、唇に指をあてている。
「その絆ってすべてアジが創ったんだよね?誰かが教えられてたくさん作ったとかではなく」
「あ、ああ。それは間違いない。すべての絆はアジが一つ一つ作ったものだ。調整もアイツしかしていない。」
「……集める……逃げる。怪物から逃れる」
インデックスはブツブツ呟きながら、首飾りを見る。彼女の頭の中にある、無数の術式と見比べ、そして解析を進めていく。首飾りに込められた逃れるという術式は、そもそも蛇や翼などの象徴(イコン)を偶像崇拝の理論に当てはめて発動している。本物に似ているものを創ることで、本物の力を少しだけ使えるのが偶像崇拝の理論を応用した術式だ。彼女の頭の中では、そうした術式の説明、概要が現れては消えていく。
建宮たちもプロの魔術師だ。それどころか長い歴史をもつ天草式の知識は他の結社を凌駕している。そんな彼らでさえ、アジを救い出す糸口すら掴むことができなかった。
しかし、彼女の脳に保管されている10万3000冊の魔導書は、彼らにすら辿りつくことのできない理論をいくつも内包していた。
そんな魔の知識の中を総動員して、インデックスはある結論に辿りつく。
「もしかしたら……できるかもしれない」
インデックスは建宮を見る。その瞳には力が宿っていた。自身の中にある知識に裏付けされた自信による、確信めいた瞳だ。
○○○○○○○○○○
「アアアアアアァァァアア!!!!」
アジは喜びで吠え、そして後悔で唸っている。
喜びは単純である。ようやくあの上条さんに出会えたからだ。昨日は結局、あの入れ墨科学者のせいで上条さんの元へ帰ることができなかった。ようやく出会えたこのチャンスを逃す手はない。このまま上条さんを、海にいる自分の本体へ連れていき魔術を消してしまおう。そうすれば天草式のみんなも、自分のことに気付くだろう。
しかし、同時にアジは自らの行いを酷く後悔していた。なんとこれから助けてもらおうとしている上条に対して二度も攻撃をしてしまったからだ。消す力という、おそらくは学園都市でも有数の能力者であろう上条。そんな彼が、まさか怪我などするはずもないがそれでも攻撃してしまったという無礼は中々許されるものではないだろう。だからこそアジはとっととこの拘束から抜け出して、上条に謝らなくてはいけないのだ。先ほどは仲間たちが、自分を拘束したために、できなかったが、今度こそはきちんと謝罪をしなくてはいけない。
だから早く、早く。
ここから抜け出さなくては!
しかし、そうした前向きな決意すらも現在の体で意思表示すれば、
「グルゥゥゥラァァアアアアア!!!」
咆哮として現れてしまうのは明白であった。
人間ならば、ウザい酔っ払いの奇声。しかし、怪物アジのその行為はまさに悪夢。見る者が見れば、封じられた恨みを爆発させる怪物にしか見えないのである。
今や、酔いと激しい動きによる興奮によってアジの思考はかなり単純なものになってしまっている。
先ほど、なぜこれほどまでに悲しく、イラついていたのかさえアジは思い出すことができないほどの、へべれけ状態である。
彼は何とか動こうと、体をよじらせるがそのたびにワイヤーが体にめり込んでいくものだけだった。アジの体は数十のワイヤーによって完全に拘束されている。金属製のワイヤーは、天草式秘伝の術式によってより強固なものだ。ちょっとやそっとでは抜け出すことなどできるわけもない。だが酩酊アジは構いもせずに無理やりに動こうとしてしまう。
みンナ!!ほどいテェ!
アジの言葉を理解できるものなど、ここにはいない。天草式も上条も、インデックスの話に聞き入っているからだ。憐れアジは放置であった。
アジはギョロリと瞳を動かして、なんとか逃れるヒントになるものを探す。
破壊された電灯、破壊された自販機、破壊されたベンチ、破壊された道路。全く役に立ちそうになかった。まだ何かあるはずだと、何か何か。
そこでふと、アジの視界に見慣れぬものがあった。
それは空に浮かぶ黒い影。カラスや雀にしては大きすぎるそれは、徐々にアジの元へ近づいていた。幾つかの触腕に膜を張った異形の翼、龍のような頭部と蛇のような尾。まるっきり怪物の姿をした何かが、ものすごい勢いでアジの近くに落下した。
その衝撃に、ワイヤーを固定していた道路そのものが破壊される。緩んだそのすきにアジは体を歪に膨張させて抜け出す。アジは驚きの声を上げた。眼前の怪物にアジは見覚えがあった。それは少し前に、アジ本体が射出した分裂体の一つであった。思いもよらない魔術結社の攻撃によってパスが途切れていた個体である。懐かしき体の一部との再会にアジが喜びを表そうとした瞬間、バクリ。
アジはあっけにとられて目の前のもう一つの分裂体。わかりづらいのでアジBとするが、Bはアジの体に噛みついた。アジにとって知る由もないことだが、Bはすでに神裂との邂逅を果たしており、聖人の一撃を喰らっていた。そしてアジとは違い魔力や食欲を満たす方法を持たず、聖人と死の追いかけっこを繰り広げてきたのである。
分裂したアジの行動パターンは非常に単純である。
喰らい続けて本体へ帰ることだ。
Bにとってパスとつながっている本体以外は全てエサである。アジは喰われた衝撃に咆哮を上げ、その場を逃げ出す。まさか自分の肉片に喰われそうになるなど思いもよらなかったからだ。もし、アジが酔っていなかったらBを逆に吸収してしまうこともできただろう。落ち着いて相手を喰らうだけでよいのだから。だが、今の混乱し焦燥するアジには暴れながら逃げることしかできないのである。
それはつまり、
「怪物が二体!?」
上条の大声が響く。
本体が全く意図していない事態である。
怪物アジ、そして怪物Bが学園都市に放たれたのだ。
ぶっちゃけ、楽しすぎて風呂敷を広げすぎましたが、なんとか〆に向かっていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
なかなか、定期的に書くことはできず、すいません。