虹色のアジ   作:小林流

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遅くなり申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。


第37話

 

 突入のために用意した装甲車は4台あった。装甲車は外部からの衝撃に強い反面、出入口は重い。警備員たちは渾身の力を込めてドアを開いて体を車内に滑り込ませる。黄泉川が乗り込んだのは助手席。装備している防弾チョッキや銃器が体に擦れて痛むが、気にしてはいられない。

 

 

「急げ!早くしろ!!」

 誰か車内で叫んでいた。運転席に座った警備員は慌ててキーを回す。エンジンが唸り、装甲車は急発進した。あわや仲間の車両に激突しそうになりながらも、四台はトンネルの出口に向かって走りだす。アクセルをベタ踏みにして、速度をどんどん上げていく装甲車。

それでも後方から聞こえてくる不気味な音からは、未だに逃げ出せていない。

 

 

 

 黄泉川は助手席の窓を全開にして、乗り出すように後方を見やる。おぞましい音がトンネルで反響していた。人の出せるものではなかった。のたうちながら追いかけてくる赤黒いスライムのようなもの、いくつもの脚が生えた鮫のようなもの、そして背から伸ばした触腕を使って這いずる少年。そのどれもが口や不可思議な穴を持ち、悲鳴を上げている。黄泉川をはじめ警備員たちには、それが怨嗟の声に聞こえていた。

 

 

 

 装甲車へ追いすがろうと蠢く彼らを見て黄泉川は歯を食いしばる。恐るべき速度だった。今は逃げるほかなかった。助けにきておいて、逃げるしかないのだ。

彼女の腹の底に烈火のごとき激情がたまっていった。自身に対する不甲斐なさと、彼らをこんな目に遭わせた入れ墨の男に対する怒りだった。

 

 

 

「クソッ!」

 黄泉川は車体を右手で殴りつけた。叩きつけた右手が痛んだ。黄泉川は這いずる少年の姿を見る。やはりアジに瓜二つだ。昨日の少年も、後ろにいる子も同一の技術が生み出した存在なのだろう。非人道的な科学が生み出した被害者。それも科学の進歩だとか、目的があってのものではない。あの入れ墨の男は言った。面白そうだからやったのだと。

なんだそれは。黄泉川は再び車体を殴りつけた。

 

 

「黄泉川さん!」

 怒れる彼女の耳に声が届いた。鉄装は通信機を片手に再び通信があったことを知らせた。通信機から、先ほどの同僚の声が聞こえてきた。

 

 

 

 今、地上は大混乱だという。出自不明の怪物が二体、暴れまわりながら移動を続けている。当初は暴走能力者の犯行かと思われたが、本部の情報データにはそのような能力は記録されていないため、警備員はこれを『学園都市外部からの襲撃』と断定。ゆえに警備員たちは子供たちの安全を守るために、武力をもってコレを排除するために動き出している。すでに武装の準備も終えているという。

 

 

 

 データにない能力、怪物。それが何を示しているのか。答えは一つしかなかった。

『お前たちも早くこちらの――』

「待ってください!それは化物じゃありません!!おそらく彼らは被害者です!!」

『………なんだって?』

 鉄装は叫ぶように同僚の言葉を断ち切ると、黄泉川と共に、これまでの顛末を説明していった。黒幕と邂逅したこと、そして現在の状態を踏まえ、もはやアジという秘匿情報の洩れなどを気にしていられなかった。もはや猶予はないのだと黄泉川たちは悟った。幸いにして通信先の同僚も知らぬ仲ではない。こちらの話を信じてくれるはずだ。加えて、黄泉川は懇願するように言った。その作戦はやめてくれと、他の方法を模索すべきだと。

怪物と呼ばれているその『二人』も、守るべき子どもなのだと。

 

 

 

『すまない、この作戦はすでに開始されているんだ。』同僚は苦しそうに説明した。

 

 

 怪物たちは都市部を抜け、第21学区の山岳部に向かった。21学区に居住地域はほぼなく研究施設もまばら。そのため警備員たちは今が攻撃のチャンスだと判断。もう数分としないうちに三機の六枚羽と十数の駆動鎧が怪物を捕捉するとのことだった。

 

 

 六枚羽、その性能は警備員なら誰もが知っている。あれは暴徒鎮圧などでは使わない。武装は全て殺傷を目的とする正真正銘の兵器だ。駆動鎧にしても同様だ。十数という出撃数は尋常ではない。

 

 

 加えて黄泉川は聞き逃せない言葉を聞いた。第21学区に怪物たちは向かっている。それはまさしく自分たちが突入したこの学区に他ならない。

 

 

 「どうする、どうすれば」

 黄泉川は思わず呟くが、当然答えなど返ってくるはずもなかった。爆走する装甲車は間もなくトンネルの出口を駆け抜けた。陽光が目をくらませるが気にしていられない。トンネルの暗がりから抜け出しても、後方を追いすがる『彼ら』は依然として興奮状態のままだ。いったいどこまで車を走らせればよいのか、誰にもわからなかった。

 

 しかし、その逃走劇は突如として終わりを迎える。

 

「あ、あれは」

 黄泉川の隣、運転席から呻き声が聞こえた。

 少し先にあるものを見つけて顔をこわばらせている。

 

 

 それは黒く、巨大な影。サメのような頭部と、異形の四肢をもった不確かな影。通信口からは聞かされていた怪物。その一体だ。

 

 

 黄泉川は何かを叫んだ。

 装甲車はそれぞれハンドルを切った。

 舗装された山肌に突っ込む車体、ブレーキに耐えきれずに横転する車体、そして黄泉川たちの乗る装甲車の回避は間に合わず影に衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 全身を殴打されたような衝撃が黄泉川を襲った。車体から投げ出された体は痛めつけられ、息ができない。それでも彼女は懸命に、這うようにして体を動かす。

酷い有様だった。近くには鉄装を含む同僚たちが倒れている。

 

 そして近くにいる巨体。異形の存在は、装甲車との衝突によって体をひしゃげさせてしまっている。それでも「それ」は絶命していない。体を不気味に震わせて砕かれた体を再生させていった。体が十全でないのにも関わらず、その巨体から伸びる触腕があった。

 

 

 先端だけでなくあらゆるところに不気味な口がある異形なる触手、それが黄泉川の前に突き出される。不揃いな牙が粘液に濡れている。人間の肌など、容易く喰い破るだろうその触腕が黄泉川に覆いかぶさった。肌が燃えるかと思った。こめかみから流れている血、その傷口から体中の肉がすべて吸い尽くされそうな不快感が走った。ただでさえ意識がもうろうとする中、黄泉川は懸命に逃れようと足掻いた。

この怪物に喰われるわけにはいかない。

「この子」を怪物にさせてなるものか。

 

 

 

 黄泉川が声ならぬ叫びを上げると、のしかかる重量が消えた。触腕はいつの間にか黄泉川の遥か上へ移動している。いや、そうではない。あの異形の触腕は強引に千切り飛ばされていた。数秒、宙にくねらせていた触腕は落下する。黄泉川がそれを目で追っていると、陽光を遮る影。眼前に現れたのは、これまた巨体だった。

 

 

 長い体と短いながら強靭な四肢、雄々しき角を生やした正しく龍神ともいえる姿。

龍神は咆哮する。瞳をギラギラと七色に輝かせながら、黄泉川を守るように躍り出た。その輝きを見て黄泉川は気づく。

 

 

「ア、アジ!?」

  

 黄泉川は驚愕する。自身が守られたことをまるで喜べなかった。ここにアジがいるということ自体が最悪だと感じた。話に聞いた暴れまわる怪物。そのうちの一体がもしアジであったとしたら、もし学園都市がアジを敵として排除しようとしているとしたら。兵器が彼に牙をむくことになってしまう。

 

 

 黄泉川の悲壮な考えを強引に遮断するように不気味な音が鳴った。肉が蠢き、グチャグチャと形を変えていく音だ。

 体の再生を続ける怪物は幾重もの触腕を黄泉川に伸ばす。アジはそれに喰らいつき、腕を振るい、尾を薙いで、それらを切り裂いた。怪物達は唸り声をあげながらぶつかりあっていく。アジは、黄泉川をかばうために巨体を軋ませた。

 

 

 アジの口内が赤黒く輝き、黒炎が放たれた。その熱量に黄泉川は目を背ける。肉が焼ける臭いとともに、怪物からは煙が立ちのぼる。それを好機と見たのかアジは、その長い体を怪物に巻き付かせた。蛇が獲物をしとめるように、ゴリゴリと肉をつぶしながら怪物を締め上げていく。そしてその勢いを殺さず、アジは巨大な顎で怪物に喰らいついた。

 

 

 アジの眼が強く輝くと、怪物は不気味に体を震わせる。体が徐々に軋み、縮んでいく。黄泉川はそこで理解する。アジは怪物をまさしく喰らっているのだ。

 黄泉川はやめてくれと叫びたくなった。

 

 

 怪物はアジのクローンである可能性もあった。そうでなくとも出生は同じだろう。二人とも被害者なのだ。そんな彼らが喰い合うことは悲劇だった。

「アジッ.........!」

 黄泉川は力の限り声を上げるが、アジには届かない。

 アジの顎がどんどん怪物の首を砕いていく。間もなく喉笛は裂かれ、怪物は絶命するように思われた。

 

 

 ぐちょり。

 

 身の毛もよだつ音がした。アジがとうとう怪物の首を喰い千切った、というわけではなかった。アジの頭部に何かがのっかっている。赤黒いスライムのようなナニカだった。スライムはこれまた不気味な牙を全身に生やして、アジの頭部に喰らいついた。ゴリンと、骨が軋む鈍い音がしてアジは咆哮する。

 

 

 耳をつんざく音撃に耐えながら黄泉川は見る。続々と得体のしれない者たちが、怪物同士の闘争に割って入っていった。トンネルの奥底から、様々なモノたちが次々と殺到しているのを黄泉川は目撃した。

 

 

 アジは再び叫び、一時喰らいつくのを止め、体をよじってそれらを吹き飛ばし、爪で裂き撃退していく。悶えるアジの真横にいる黄泉川の体にもいくつかの肉塊が襲いかかった。蛇のような、虫のようなそれらはビッシリと生えた牙を剥き出しにして殺到する。

 

 

 すんでのところでアジの長い尾が伸びて、肉塊たちの猛攻を防いだ。しかし、その肉塊たちはこれ幸いという様子で、アジの尾や体に牙を立てる。蟻が獲物を集団で襲い掛かるように、アジの巨体の肉をこそぎとろうとしている。

 

 

 アジが肉塊たちの対応に追われる中、捕らえられていた怪物はアジの拘束から抜け出した。怪物もアジ同様に襲われていたが、アジよりも一枚上手だった。

 

 

 触腕を伸ばして、怪物は逆に襲い掛かってきた者たちを呑み込み、吸収していく。アジが黄泉川や他の倒れている者たちを救わんと暴れまわるのを尻目に怪物は、乱入者たちをバリバリと喰った。瀕死であった怪物の体は喰らった肉の質量からはあり得ないほど、みるみるうちに大きくなっていった。

 

 

 もはや獣の様相はなくなっている。

 数多くの肉を取り込んだことで不揃いに膨れた肉塊は、まさしく蛸のようだった。マグマが冷え固まった黒くゴツゴツとした質感に、赤い稲妻のような線の走った巨体が脈動している。気づけばアジと怪物蛸との体格差は逆転している。見上げるほどに大きくなった怪物蛸は、あらかた乱入者を喰らいつくしたようで、満足したように地鳴りのような音を鳴らした。

 

 

 黄泉川はあまりに巨大化したその怪物に息を飲んだ。その威圧感にではない、その怪物が何を狙っているかわかったからだ。未だに不甲斐ない警備員たちを肉塊から護るアジに影がさした。

 

 

 もはや大木だ。怪物から伸びる触腕の一つ一つは、アジの体に匹敵した。アジは肉薄する触腕をすんでのところで避ける。標的を失った触腕は巨大さに比例して愚鈍。けれども威力は計り知れない。振り回された触腕はそのまま森林を破壊し、大地を砕いていく。

 

 

 アジは逃げ続けたものの、怪物の生み出す触腕の数に徐々に追い詰められていき、とうとう捕らえられてしまった。アジは悲壮に吠え、狂ったように魔炎を噴き出した。頭部がただれ口が裂けるほど、何度も何度も攻撃を続けるが、怪物の幾重ものうねる肉がアジを飲み込もうとしていく。

 

 

 黄泉川は叫ぶ。いや、きっと声すら出ていないのかもしれない。けれども吠えずにはいられなかった。

 誰か、誰でも、お願いだ、助けてくれ。

 黄泉川は縋った。現実は無情だ。そもそも近くには誰もいない。いや、たとえ能力者や同じ警備員がいたとしても怪物を食い止めることなどできるわけもない。そんな簡単なことすら想像できないほど黄泉川の思考は低下していた。徐々に意識ももうろうとしてきている。彼女の願いは怪物の脈動する肉の音に消えていくだろう。

 

その刹那。

甲高い音が鼓膜を震わせる。

 

一閃。

怪物の触腕が、「切断」されていた。

 

 絡みつかれていたアジは重力に任せて落下、アジの巨体が地に着く前にさらに瞬く煌きが見えたかと思うと、怪物の体が切り裂かれていく。

 

 

 気絶する直前に黄泉川が見たものは、一人の女性。長いポニーテールと体を強調するようなファッション、そして手に持った2メートルはあろうかという太刀をもった姿だった。

 

 

 




本当に遅くなりました。
頑張りますので、よろしくお願いします。

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