虹色のアジ   作:小林流

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第40話

 

 

 

 新潟県は栗島。8月も終わりが近づき、島内の子供たちは最後の休みを謳歌していた。もう飽きるほど遊んだ海辺で老人たちに交じって釣りをしている。しかし、成果は芳しくない。老人たち随一の釣り名人、八百屋の亭主も珍しくオデコだ。

「釣れんな~」

 誰かともなく呟いた。

「そういや漁でも何も引っかからなかったんだと」

「雑魚の一匹も捕れんのか?」

「そうらしい。いつもは喧しい海鳥すら影も形もなかったそうだ」

 老人たちは口々に話し出す。そういえば昼すぎから海も空も山も静まりかえっていたなと、少年も老人たちの会話に入ってくる。山道で遊んでいても小鳥やセミの鳴き声も聞かない。バッタやテントウムシなども見ていない。

 

 

 

 それに、いつもなら道端で昼寝している呑気な飼い猫も、今日は家に引っ込んでしまっていると話す。この陽気なのに寒いのか震えて祖母の膝から下りようとしないのを少年は不思議に思ったとのこと。

 ふと風が彼らの頬を薙いだ。雲も心なしか速くなっている。雨でも降るのだろうか。

「ねぇ」

 最年少の幼児が海を指さして老人に聞く。小さな麦わら帽子が似合っていた。

「なんかあそこにいるよ」

「あん?」

 幼児の声を聞き、海岸線に視線を動かす。穏やか海が広がるばかりのように見えた。けれども何だろうか、微かに歪んでいるような気もする。蜃気楼のように海の向こうが揺らめている。

 

 

「なんも見えんぞ?」

「さっきまで、いたよ、くろくてでっかいの」

「黒くてデカい?もしかすると、そりゃ浮き物かもな」

「うきもの?」

 島内に昔から伝わる巨大な妖怪のようなものが浮き物だ。誰も信じてなどいないが老人たちは伝承としてそれを知っていた。幼児はその説明を聞き、得心を得たようだ。可愛いものだと老人は思った。自分たちも昔は、ありとあらゆる不可思議な存在を信じていたものだ。

 

 

「うきものって、こわいの?にんげんたべちゃう?」

「そうさな、そういった話は聞いたことないな」

「じゃあよかった」

「うん?」

「だってうきもの、さっきこっちをみていたもん」

 

 

 不規則な風が吹き込んでくる。徐々に強まった風は幼児が被っている帽子を飛ばした。あっ、と驚く幼児に反応し、老人は慌てて立ち上がりその帽子を捕まえた。風はどこか生暖かいように思えた。老人は海を見る。そこには静かな、そう不気味なほど静かな海が広がっている。

 

 

「今日は、もう帰るぞ」

 その場の全員が頷き、いそいそと準備を始める。その場に妖怪などという存在を信じているものはいないだろう。けれどもその胸騒ぎだけは本物だった。風は強まっている。唸り声のような音を奏でて、老人たちの鼓膜を揺らしている。

 

 

 

 

               〇〇〇〇〇

 

 

 

「見られたか?」

「いえ、結界は一瞬で展開できていました。おそらくは大丈夫でしょう」

 ローブを纏った男にスーツ姿の男が話す。日本海沿岸、日本列島までおよそ100キロ地点で海上に姿を現した影。それに合わせるように超大規模な魔術結界が展開された。それは認識阻害の結界であり、触れるだけで肉が焼けただれる程度の迎撃結界でもあった。魔力供給は苦労するが、人の眼はもちろんのこと衛星等の科学的なものですら欺くことができる。

 

 

 男たちがいる場所はまるで古代の城のようだった。重々しい石造りの部屋には古風にも蝋燭に火が灯っている。窓にはガラスなどはなく、陽光が差し込み、風も入り込んでいる。中央には高級感のある長机が置かれ、その中央には輝く球体が置かれていた。球体は映写機のように映像を流していた。

 

 

 映像は道具の古臭さに反して、さながらSF映画のように複数の映像を宙に飛ばしている。

「化物め」

 ローブの男は、その映像の中の一つに侮蔑の眼を向けた。神の子の教えを冒涜するかのような歪な存在を、熱心な信者である彼は嫌悪する。

 

 

 海中から伸びる影。それは蠢き、身をよじらせて鎌首をもたげている。冷え固まったマグマの如き黒くゴツゴツとした体表。背からはいくつもの触腕と棘が伸びている。さらに恐ろしいのはその頭部だ。巨大な角を生やし剥き出しの牙、そしてその眼は複数あり、血か炎のように真っ赤だった。

 地鳴りのような音がした。怪物の不規則に並ぶ不気味な歯の隙間から、唸り声が漏れ出した。大気が震えている。

 

 

 海魔。それはそう呼ばれている。幾重にも吸収した海洋生命体と途方もない魔力により神話の怪物の特徴をもつ化物だ。正体は未だ不明だが、その存在は脅威に他ならなかった。その体長はあまりにも巨大。記録上、初めて魔術世界と邂逅を果たしたときは100mだった体は、今や数キロ以上もあり、動くだけでその場所を破壊し、海中の生き物を喰らいつくす。

 

 

 何よりも、その派手な行動のせいで魔術の存在が露呈の危機に瀕している。魔術とは秘匿すべきものである。神秘の力は、信徒だけに許された神の子からの贈り物だ。断じて異教徒が知るものではない。

 

 

 それが彼ら、この作戦に参加するイギリス清教「必要悪の教会」の魔術師たちの考えだった。長机の周りにいる多種多様な人種、統一性のない服装の人々は全員が魔術関係者だ。彼らは組織だって動くことは得意としない。魔術は自身の想いと研鑽によって形作られるものだ。神の子の教えは守るが、統一した思想は持ち合わせていない。よって簡単な上下関係は存在するものの、巨大な組織の一員という認識は彼らには薄かった。

 

 

 そのためこの海魔殲滅作戦においても、様々な派閥が揃って共に戦う必要があった。ローブを着た男は、必要悪の教会の中でも古株で今回の大まかな指揮権を最大主教ローラ・スチュアートの命で賜っている。

 長机の周囲にいる者たちも、それぞれの派閥のトップである。ここで彼らと作戦を検討しながら部下へ指示を送って、海魔へ攻撃するのだ。

 

 

 ローブの男は当初の予定通り、各トップへ指示を出していく。巨大霊装の準備、遠距離魔術の開始時間、結界への魔力供給。指示は迅速に進められたが、映像の中の海魔に異変があった。

 見てみると、海魔の体が変貌していく。蠢いていた無数の触腕が左右にドンドン伸びていく。海魔の上半身も薄くなっていき、側面の肉は木々が成長するように枝分かれしていく。伸びた触腕と枝分かれした肉の間に薄い膜が覆っていく。それは不気味で奇妙な翼だった。

 

 

「まさか、飛ぶ気か!?」

 誰かが言った。本来ならばとても飛翔などできる質量ではないが、海魔に流れる大量の魔力とその姿がもたらす偶像崇拝を用いた術式は、海魔の巨体を浮かせ始める。翼を動かすたびに暴風が吹き荒れる。海魔は胸を震わせて大きく呼吸すると、大口を上げて咆哮した。

あんなものが空を飛ぶ姿は、まさに悪夢だろう。それは神話の悪龍に他ならない。

 

 

 ローブの男は攻撃を早めろと怒鳴った。その声に反応するようにガシャンと音がした。それは鎧のプレートがぶつかる音だ。彼は英国が誇る騎士団の老兵だ。通常の騎士が装備する剣よりも巨大な大剣を背負っている。彼は、諍いのある魔術師が所属する清教派とも上手く付き合える人格者であり、指折りの実力者でもあった。

 

 

「我々がいこう、速さならばこの中で一番だ」

「いや、しかし騎士団がいる中に霊装や魔術をつかったら同士討ちの―――」

 老兵はしゃがれた声で笑う。

「案ずるな、我々はその魔術よりも速い」

 

 

 老兵はそれだけ言うと、なんとその部屋の窓に足をかけて飛んだ。騎士団に詳しくない魔術師の一人は思わず、飛んだ老兵を追うように窓をのぞき込んだ。

見えたのは海だ。老兵は海へ頭から落ちていった。そのまま視線を浮かせると見える。黒き翼を伸ばした海魔が。

 

 

 彼らがいるのは、海魔殲滅作戦本部。空に浮かぶ魔術要塞だった。いくつもの要塞が海魔を取り囲むように浮遊し、戦闘用の飛翔魔術機体が旋回し、そして海上にも巨大霊装を装備した魔術戦艦が陣形をとっている。イギリス清教の戦力は強大だ。霊装、兵器も潤沢に準備している。その規模は戦争といっても差し支えない。

 

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 当初は海中を移動していたアジだったが、やはりどうしても時間がかかることがわかった。何せ今アジが泳ぐのは日本海だ。学園都市は太平洋側に位置している。まるで正反対だ。そのためアジは空路を使って向かうことを思案していた。以前も飛行経験はあったし、障害物のない空は移動にうってつけである。もっとも空腹を我慢できる範囲での移動にかぎるのだが。

 

 

 アジは海上へ浮上していく。久々の巨体だ。細心の注意をもって動かそうとアジは意識している。勢いあまって飛び上がると海上が爆発したようになるので、ゆっくりと頭から出していく。

 

 

 

 これまでにないほどの高度に視線があるのを感じる。すぐ近くに小島があるのが見えた。

 とても人が住めるほどの大きさはないだろう。巨大になりすぎた彼の感覚は面白いくらい狂っている。アジは大きく息を吸って体全体の触腕を意識して少し唸る。

 

 

 

 そして触腕だけでなく、体の肉自体も変異させていく。巨体を飛ばすには相応に巨大な翼が必要だ。アジはイメージ通りの翼を形成していく。禍々しい翼はすぐに出来上がった。鏡があれば、アジも自分で引くこと請け合いの異形の翼が四対も生えている。

 

 

 アジは気合を入れる。怪物の体では、それは叫びになっていた。徐々に羽ばたいていくアジ。偶像崇拝の術式によりふわりと巨体が宙に浮いていく。悪夢のような邪龍はもう少しで飛び立とうとしていた。

 

 

 

 けれども、ぶちぶちという肉が引き千切られる音が聞こえた。アジは慄く。まさか自分が重すぎたのだろうか。などと呑気に捉えていたが、そうではない。1キロにも及ぶ八枚もの翼はあろうことか、断ち切られているのだ。

 

 

 宙に浮いていた巨体と、翼は落下する。アジは思わず驚きの声を上げた。

 大質量の着水によって爆音、巨大な水柱が立った。アジは混乱する中、千切れた羽を吸収しながら蠢く。再び、ぶちぶちと肉が切られる感覚が彼を襲う。

 

 

 焦燥したアジの赤い眼はほんの小さな煌きを捉えた。それは海中にも関わらず燃え盛る大剣を携えた騎士だ。それも一人ではない20人以上の兵団がアジを取り囲んでいる。アジの岩の如き体表を騎士たちの刃はいとも簡単に切断する。

 

 

 英国の騎士たちは、聖人たちの伝承を元にした術式や霊装を扱う戦闘集団だ。戦闘集団、それこそが騎士派と清教派の大きな違いの一つである。

 魔術師は自身の探求の成果を攻撃魔術に転用するものがほとんどである。そのため威力にはバラつきがあるし、そもそも戦闘そのものが行えない魔術師など珍しくもない。

 

 

 しかし、騎士団は違う。彼らの役割は教えを守り、国を守るために悪を挫くこと。全員が一騎当千の実力をもつ。攻撃と防衛に関して、彼らはプロ中のプロであった。  

 さらにアジにとって相性も最悪だ。騎士の伝説に、怪物退治の逸話など枚挙にいとまがない。そのどの術式も、怪物アジにとって致命の一撃になりえた。

 

 

 そんなことなど露知らぬアジはたまらないと叫び、巨体を変異。もちろん交戦する気はないが、このまま斬り裂かれ続ける気もない。アジは翼ではなく幾重もの尾ヒレを生やし、高速で泳いでいく。さらには無数の触腕を生やして騎士たちに応戦。触腕の先に口を出現させ、そこからアジの体内にある海水を勢いよく放出した。

 

 

 大出量の水の噴出と、巨体のうねりによって海中は嵐を超える勢いでうねり荒れている。海中にはいくつかの渦巻きすら生じた。その勢いは騎士団の動きを鈍らせるのに充分であり、アジはそのまま巨体を翻して移動を続ける。ふと先回りするように、眼前に一人の騎士が現れた。先ほどの騎士たちより巨大な剣。間違いなく格上だ。

 

 

 巨大な剣をアジの頭部めがけて薙ぐ。

 アジはとっさに頭を捻って大角で応戦した。硬質化した大角は一度剣とぶつかり合い、騎士を吹き飛ばしたが、同時にアジの大角を砕く。

 アジはグングンとスピードを上げていく。騎士たちから逃れようと彼も必死だった。しかし、アジの悲劇は続く。巨体に走る衝撃。最初は海底か岩にでも乗り上げたのかと思ったがそうではない。

 

 

 それは不可視の壁だ。

 次にアジは巨体に熱が走りはじめる。いつしか体表は燃え、焦げついていた。アジは何事かと再び海上へ巨体を出して確認する。アジは目の前の不可視の壁に触腕を伸ばす。触腕は壁を突破できず、触れた部分が燃えている。

 

 

 それは結界だ。高威力で大規模な、これまでに見たことのないような強力な結界だ。

アジの血が引いていく。巨体を翻して後方を見やる。視界に魔力を流した虹色に輝く瞳は、空に浮かぶいくつかの城のようなモノ、飛行船のようなモノ、そして巨大な船の一群を目撃する。アジは察した。これは自分を狙った一団だ。それもこれまでの比でない。凶悪なまでの戦力を投入した作戦だ。

 

 

 アジは虹色の輝かせたまま、悲鳴を上げる。

(な、なンデ!?!?!?)

 彼は気づいていないが、それは自業自得ではあった。

 怪物の悲鳴は、大気を切り裂く音撃である。眼窩を輝かせて大口を開く化物を見て、誰もが威嚇だと判断。準備は整った。以前の魔術連合の総攻撃の数十、数百倍の威力の霊装兵器が撃ち込まれていく。

 海魔殲滅作戦が開始される。アジの視界は白く染まった。

 

 

 

 




以前と同じような展開になってしまいました。すみません。
そろそろクライマックスになったら良いなと思ってます。

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