今まできちんとお礼を申し上げずに大変失礼いたしました。
木々の隙間を縫うように炎の波が黄泉川の眼前に押し寄せた。灼熱の壁に激突した彼女の体は吹き飛ばされる。背から地面に叩きつけられた衝撃に肺が潰れ、息が止まる。あえぎながら何とか息を吸おうとして、黄泉川はせき込んだ。ふと異臭が鼻をつく。長い髪は焦げ、着こんでいたボディアーマーは溶けていた。黄泉川はふらつきながらに立ち上がった。
炎は木や草を焦がしていたが、そのまま燃え移った様子はなかった。ブスブスと煙を上げる中、赤熱する双頭の蛇は咆哮を続けている。そしてその心情を表すかのように荒れ狂い、周囲を破壊している。先ほどまでの、ヘリや駆動鎧を狙った正確な攻撃はなく、腕や尾を使って木々をなぎ倒し大地を掘り返している。
土埃が舞う中、いくつかの影が動いているのを黄泉川は見つける。駆動鎧たちだ。学園都市製の特殊な外装は、先ほどの炎にも負けなかったらしい。駆動鎧は暴れ狂う怪物の様子を観察しながら、後方へ飛び退いている。あのまま攻撃し続けても意味がないと判断したのかもしれない。最後の一機になってしまった六枚羽もその場から離脱し、怪物だけが残された。
黄泉川は痛む体を無視して、駆動鎧たちを追った。怪物の唸り声に後ろ髪を引かれながら、走った。
黄泉川は焦る。時間がないのだ、あのままアジが暴走を続ければ今度こそ街へ進んでしまうかもしれない。今度は、六枚羽だけでなく光線兵器などによってより苛烈な攻撃を開始される可能性も高い。今しかないのだ、あの少年の顔が外に出ているのなら、まだきっと間に合うはずだと、自分を鼓舞し続けていく。
不幸中の幸いか、黄泉川が追いかけると駆動鎧たちの一団はすぐに見つかった。暴れる怪物が俯瞰できる高台で彼らは話し合いを始めている。その中心に彼女は飛び込むようにして体を滑り込ませた。
突然現れた彼女に驚く面々に、黄泉川は口を開く。
「私は、第17学区の警備員、黄泉川愛穂!この作戦について話すことがある!!」
「第17学区?無事だったのか!」
駆動鎧を装備しているのは黄泉川と同じ警備員だ。そのため彼らが黄泉川を受け入れるのは早かった。彼女は、その流れに乗じてこれまでの経緯を口早に伝えていく。その話を聞き、面々は各々の反応を示した。
正直なところ、いきなりやってきて彼は少年であり、被害者だと言われても納得できないという雰囲気が充満した。しかし、黄泉川の表情や様子を見て皆、理解する。至る所に傷を負い鬼気迫る表情を見て、どれほどの想いがあるのかがわかった。
「なるほど、お前の話はわかった。だが、あれほど暴れ狂う彼をどう止める?とてもじゃないが言葉が通じる状況とは思えん。山を下りてきたクマのように麻酔銃を撃ち込めば止まるか?」初老の隊員が言った。
「.........いや、麻酔や薬の効果は薄いはずじゃん」
彼女はアジの体を考える。彼は自身の体を維持するために以前、劇物の入った薬品を吸収していた。しかも胃や内臓は通常の生き物とは違い、様々な体組織で消化・吸収を行う。そのため対生物用の薬が彼に効くとは思えなかった。
その後もいくつかの案が出るが、どれも上手くいきそうにないものばかりだった。
皆の考えが尽きかけたとき、黄泉川は一つだけ考えがあると話す。
「私が説得するじゃん」
彼女の考えはこうだ。アジの人の体、それに銃弾がぶつかったとき、彼はひどくショックを受けていた。巨体や蛇に攻撃された時にはなかった反応だ。あの少年の体こそ、巨体の核だと彼女は話す。そして少年が落ち着きを取り戻せば、暴走は止まるはずだと伝える。
黄泉川は思い出す。それは最初に出会った時と同じことをするだけだ。恐怖し威嚇する彼のそば、巨体に飛び乗り少年の前まで行き、そして無害だとここには怖いものはいないのだと伝えるのだ。
「危険すぎる」
駆動鎧のメンバーの誰もが彼女の意見に反対した。そもそもあの暴れ狂う少年の近くまで黄泉川を近づける方法もないのだ。残された武装も心もとなく、あの六枚羽ですらすでに二機も撃墜されてしまった。この状況でどうやってあの怪物の動きを止めればよいというのか。
「さっきみたいに脚を狙う。それでアジがよろけた時に私が飛び乗る」
黄泉川が一言いうと、反論がいくつも飛んでくる。
「無茶苦茶だ。そもそも脚の損傷はたちどころに修復していた。そう簡単にいくとは思えん」
「もし怪物がよろけたとしても、どんなに小さく見積もってもあの少年までは30m以上はある。もし彼に飛び乗るつもりなら怪物を完全に転ばせるしかない」
「仮に六枚羽での集中砲火を脚部に集中して転ばせたとしても、あの黒い蛇に捕まる方が早いはずだ」
話し合いはまとまらない。彼らが顔を突き合わせている間に、徐々に一対の蛇頭の赤熱がおさまってきていた。怪物がもし狂乱を終えて、街へ進みだしてしまえば、今度こそ怪物と学園都市との戦闘が始まってしまうだろう。
「黄泉川さん!!」
焦る黄泉川の背後に大声がぶつかった。それは気絶していた鉄装の声だ。振り返ると見た影は一人ではない。突入した部隊が何人もこちらに走ってきた。
黄泉川と駆動鎧は、集合した彼らに顛末を迅速に伝達した。ここにいない突入部隊のメンバーを加えればかなりの人員になっていた。しかし状況は好転しない。むしろ時間をかけ過ぎた。怪物はとうとう暴れるのをやめて、ゆっくりと歩みを再開した。地鳴りのような音を立てて怪物が歩く。何か、目的地があるのではと思ってしまうほど、一直線に怪物は進む。
怪物の脚は、その巨体を支えるためか太く、そして指の形も見慣れないものだった。歪なほどの指があり、どこか木の根のようにも見えた。それらがしっかりと地面を掴むように動いている。
それを見て鉄装はブツブツと呟き、もしかしたら、とその場で考えを話した。その作戦は決死の覚悟が必要なものだったが、時間も選択肢も彼らには残されていなかった。
○○○○○○○○
双頭の蛇は山道を抜け、公道を突き進んでいた。日は陰り暗くなる中、怪物の眼が一層輝いているように見えた。根本の少年の涙は枯れることなく、唸り声を上げながら両手で顔をぬぐっている。怪物の尾が街灯をなぎ倒し、踏みしめたコンクリートにヒビが入った。
破壊を伴った移動を続ける怪物に、突如、強力な光が浴びせられた。それは六枚羽に装備されたサーチライトだ。光に目を焼かれた怪物は当然のように興奮した。
怪物は蛇の首をグングン伸ばしながら前のめりになっていく。六枚羽は近づいてくる狂相にガトリング砲を浴びせる。先ほど同様に、効果は薄いが問題はなかった。六枚羽に蛇が注意を向けること、それこそが狙いだ。
ガトリング砲の掃射音が響く中、怪物の後ろから猛スピードで近づく影。黄泉川たちが乗ってきた装甲車だった。数台の装甲車のエンジンは唸りを上げて突き進んでいく。
「流石、学園都市製じゃん!!」
山道に乗り上げ、横転し、怪物に砕かれてもなお装甲車の馬力は健在だった。今度はしっかりとシートベルトを締め、ヘルメット等で完全武装した黄泉川は、アクセルをベタ踏みしている。外装は剥げている装甲車の上には数体の駆動鎧が乗っている。装甲車は怪物への距離が縮まっても速度を落とさぬまま、その巨木のような脚に激突した。最早割れるフロントガラスもなく、鋼鉄の塊と化した装甲車は怪物の脚にめり込んだ。
ガクンと怪物の体勢が崩れた。その隙を彼女たちは見逃さない。ぶつかった衝撃で抉れた肉に駆動鎧はさらに一斉射撃を続ける。修復しようと不気味に盛り上がる肉の勢いを削ぎ、銃弾によって骨が見えていた。
装甲車の中から這い出した黄泉川や、隠れていた警備員たちは手に持った防御盾や自身のヘルメット、警棒などを肉の中に無理やり押し込んだ。
その様子を見て一斉に銃撃を止め退避する一同。
砲撃が止んだ瞬間に、脚部の肉はすぐさま治癒を開始。瞬時に元通りの脚部になったかに見えたが、違う。
銃撃などの攻撃が一切ないのにも関わらず、脚は勝手に断裂し、肉が抉れていく。それは内部に残された異物が原因だ。巨体を支えようと脚に力が入れた部分から盾や警棒が不気味に生えていた。
怪物は再びバランスを崩して、今度こそ耐えきれずに這うような形になった。
鉄装いわく、これは怪物の修復能力を利用する作戦だという。怪物の脚への集中攻撃は、損傷を与えることが可能。その剥き出しになった脚に、異物をねじ込んでしまうというのだ。
黄泉川は動きを封じられた怪物を見ながら、鉄装の言葉を思い出していた。
『あんな巨大なものが二本足で立ち上がるには両脚の力だけでなく、絶妙なバランスを保つ力があるはずです。そしてそれを幾つも生えている指で補っている。その部位に硬い異物を混入させたらどうでしょうか』
いうなれば関節の中に鉄の棒が突き刺さっているようなものだ。本来曲がる部位に硬い棒が入っているのだから、当然通常通りの動きはできなくなる。抉れた肉が修復するその瞬間に、異物である武器やヘルメットをねじ込めば肉の中に置いてくることができる。
這うような形になる怪物の動きは急速に鈍くなっていた。黄泉川は駆け出した。ヘルメットや防具を脱ぎ捨てて軽装になって、巨体の隙間を縫うように進んだ。駆動鎧たちや鉄装たちは、持てるすべての武装を使って彼女を援護する。
倒れる怪物の腕に集中砲火するもの、六枚羽と共に蛇頭の注意を引くもの。そして、決定打の欠ける鉄装などの突入部隊は大声を上げたり石を投げつけたりして、少しでも黄泉川の存在を隠そうと動く。
誰もが必死だった。泣く少年を助けるために、自身を顧みないで叫んだ。
身震いする怪物の異腕に黄泉川は手をかけた。そしてするすると登っていき、遂に少年めがけて飛んだ。彼女の腕が少年に巻き付いた。
少年は驚いたように目を見開いた。そして獣のように唸り声を上げる。細いその両手に黄泉川を押しのけようと力が入った。
離すものか、黄泉川は奥歯を砕きそうなほど食いしばる。
少年はさらに混乱した様子になった。それは怪物の体にも変化をもたらす。蛇頭はまるで鞭のようにしなって大地を叩き、異物を含んだ脚部はぶちぶちと肉を裂きながらも強引で巨体を持ち上げた。
背から生える骨の如き触手が地面に突き刺さり蜘蛛の脚のように巨体を支えた。
巨体は少年の恐怖に応じて変異していく。
蛇頭は赤熱しつつ、もはや蛇の頭部は溶け出してイソギンチャクのようなものになった。腕や脚も体を支えるために幾重にも裂かれて、今度こそ大木の根のように大地を悶えるように潜っていく。
近くにいた警備員、駆動鎧たちは吹き飛ばされ、蠢く肉体の変異に巻き込まれぬように離れていく。
黄泉川は宙ぶらりんになった足をなんとか動かした。そして変異する怪物に足をかけて、先ほどよりもしっかりと少年を抱きしめる形になる。
慄く少年はさらに叫び、巨体はさらに激しく暴れた。振動に振り落とされそうになりながらも黄泉川は少年の方を向く。彼女の顔が濡れる少年の瞳に映された。目があった少年は、顔を真っ青にして、自身の体を作り替えていく。
少年の瞳は虹色に輝き、鮫のような鋭い牙、猛禽類のような鋭い爪を生やして、なおも抱き着く黄泉川の腕に思い切り喰らいついた。防具のない彼女の腕は容易に裂かれ、少なくない血が噴き出す。
ゴリリという音がした。骨に牙か爪が達した音だ。グチグチと凄まじい力が入っている。
少年の輝く瞳が黄泉川を射抜く。一気に力が弱くなる黄泉川の体は、ずり落ちそうになった。激痛により気力はみるみるうちに減退した。
それでも彼女は決してあきらめない。
彼女は残された片腕を少年に伸ばして、爪や牙には一切触れずに彼の涙をぬぐった。
「大丈夫じゃん」
黄泉川の表情が少年の瞳に再び映る。血色こそ青白いものの、それは痛がるそぶりも見せない、優しい笑みだった。彼女はゆっくりと言い聞かせるように話す。
「怖かったな、びっくりしたな」
指は少年の頬から耳、そして頭へと続きゆっくりと撫でていく。少年は困惑するように体を震わせ、縮こませている。少し噛む力が弱くなった。
「お前は、悪くない。大丈夫、大丈夫、少しずつでいいから落ち着こうじゃん」
少年の耳に、声が届き始めた。輝いていた瞳の光が徐々に小さくなった。
暴れ狂っていた怪物の体の動きも明確に鈍っている。
大丈夫、大丈夫と続ける黄泉川だったが腕の絶え間ない激痛は無視できず、出血と疲労によって彼女の精神も肉体も限界が近づいていた。
とうとうガクンと、黄泉川の膝の力が抜ける。あわや落下しそうになる彼女。しかし、そのとき瞬時に怪物の体から伸びた触腕が黄泉川の体に巻き付いた。
触腕はおっかなびっくりといった様子だったが、彼女の体を十分に支えることができていた。少年は牙と爪を縮めていき、出血する彼女の腕を見た。
裂かれた肉と噴き出した赤色に少年の表情が変化する。
彼は天草式の願いが形になった存在だ。例え人でなくとも心は存在している。彼の中には見た目通りの幼さがあり、そして同時に最低限の知恵もあった。
その傷がなんなのか、少年にははっきりとわかった。
再び彼の瞳から涙があふれ始めたが、その意味は先ほどまでとは大きく異なっていた。それを見て黄泉川は息を大きく吐き出して、彼を抱きしめる。少年の嗚咽はどんどん大きくなっていた。
黄泉川は泣き続ける彼をずっと撫で続けている。
怪物の体は、溶け出すようにゆっくりと弛緩した。
また投稿が遅れてしまいました。
よろしくお願いいたします。