虹色のアジ   作:小林流

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第46話

 

 

 夥しい量の肉が海中に落ちていった。煌く七閃と唯閃の一撃で、黒雲のごとき異形の大群は蹴散らされていく。聖人、神裂の扱う魔術はまさに怪物たちにとって天敵だった。魔を払う聖なる導き手の物語はそれこそ腐るほど存在し、怪物たちの姿は悪魔としても扱うことができる。邪な存在を討ち滅ぼすのに、聖人という性質はうってつけだった。

 

 

 

 だが、同時に彼女の内包する魔力は怪物たちにとって垂涎ものだ。それまで霊装や魔術要塞に喰らいついていた怪物たちも、彼女たち天草式の進軍に気付いたようで、神裂の乗る船へ一層激しく襲い掛かった。

 

 

 

 斬っても斬ってもキリがなかった。流石の神裂も舌打ちをするが、そこに憂いはない。彼女は一人ではないからだ。

 

 彼女の剣戟の隙間をついて、40cm程度の小型の怪物が矢のように肉薄した。蝙蝠のような翼とシュモクザメのような頭部をもつ不気味な生物だった。彼女はそれを無視して眼前の大群だけを見据えている。あわや彼女の顔に怪生物がたどり着こうとした瞬間、うねる大剣がそれを切り刻む。

 

 

 建宮の持つフランベルジュによって怪生物は不可思議な傷口と火傷を負い、船上にボトボトと落下した。未だ這いずるそれを貫くのは海軍用船上槍。長大な槍を軽々と振り回す五和の背後に、今度は海中から襲い掛かる影。

 

 

 コールタールのような海水をまき散らしながら飛び出てきたのはアンコウのような頭部をもつ化物。彼女はそれに槍を振ろうとするが、直後、少年が飛び出した。

 

 

「あぶねぇ!」

 上条の右拳によって怪物は内部から爆発するように、霧散する。

「大丈夫か?」

 上条は五和を見て話す。戦場にあてられたのか目つきの鋭い彼とは対照的に、五和はドギマギとしていた。上条はそれを見て頭を捻り、後ろでガシャガシャと歯を鳴らすインデックスが二人を見つめている。

 

 

 

 戦況は目まぐるしく変化し続けている。神裂の大規模な一撃、上条の拳による必殺と天草式のチームワークによって大きな被害は未だないものの、異形の大群は大小様々な形態を取り空と海から息つく間もない攻撃を続けている。彼らがいかに一流であろうとも疲労は確実に蓄積していった。

 

 

 

「くそ!まだ遠いな!」

 上条はインデックスに顔を向けた怪鳥を殴り消しながら吠えた。海上に鎮座する邪龍の大きさが規格外のため、距離感がおかしくなってしまっている。突入からすでに数十分経過したが、近づいている感覚がまるでなかった。

 

 

 上条が邪龍を睨む。虹色の輝きが迸っている頭部はゆらゆらと動いている。長大な大翼が震えると目玉のような文様が幾つも浮かび上がる。そして翼から、夥しい数の怪物達が放たれていく。まるで無限の軍勢だ。邪龍の眷属は斬っても滅してもいくらでも生み出されていく。上条が舌打ちをすると、ふとインデックスが彼の服を掴んだ。

 

 

 

「おかしい、魔力の流れが変わって………とうま!!!」

 彼女が叫ぶのと同時に、あれほど眩かった虹色の輝きが消え失せる。暗くなった邪龍の首の一つ。その頭部の大顎を開いた。不揃いで歪みきった牙の並ぶ口内に赤黒いナニカが蓄えられている。

 

 

 

 上条の全身が粟立つ。見ているだけで心臓の鼓動が弱まるような、腹の底から冷え切っていくような感覚が彼を襲った。それは死の気配そのものだ。

 瞬間、眼を焼く閃光が煌き、おぞましき黒炎が彼らの乗る船へ放たれた。

 

 

 

 あまりに巨大なソレを見て、竦んでしまった足を無理やり動かして上条は進む。右腕を黒炎に伸ばす。接触はすぐだった。体が粉々になったかと思った。上条の右腕はその効力を発揮したものの、莫大な量の黒炎の奔流は船を後方へ吹き飛ばす勢いがあった。その力のすべてが彼の腕にかかっている。

 

 

 黒炎を完全に消し去ることはできておらず、何度も何度も奇怪な音が響いていた。

 上条は咆哮する。そうしないと自分の存在が消え去ってしまうと思ったからだ。

 

 

 右腕から鈍く不気味な音がした。腕が千切れていないのが不思議なほどだった。気を抜けばすぐにでも腕が曲がってしまいそうだった。しかし、曲げてなるものかと上条は力を入れる。もし刹那でも黒炎を防ぐのを止めれば、全員が消し炭になるとわかっている。

 

 

 

「とうま!!!」

 膨大な炎の前に諦めていないのは上条だけではなかった。インデックスは少しでも彼の右腕が耐えられるよう、彼の手を掴む。

「上条!」

「上条さん!!」

「上条当麻!!」

 彼女だけではない。建宮、五和を含む天草式の面々も続々と彼の腕や体を支えていく。そして最後には神裂が彼の右腕をしっかりと掴んで固定する。傍から見ればそれは焼け石に水かもしれない。しかし、上条の心は燃えあがった。眼前の炎などもはや怖くはなかった。

 

 

 

 拮抗していた数十秒後、上条の限界のすんでのところで、黒炎は突如として消え失せた。勢いがなくなったことで、彼らは後ろに倒れてしまう。肩で息をする上条は邪龍を見た。なんと中央の頭部が黒炎を吐いていた首に喰らいついていた。

 

 

 まさか仲間割れの訳もない。小さく見えるものがある。中央の頭部に生えた少年の姿だ。いつの間にか幾重もの触腕に捕らわれて苦しそうにするアジの姿が見える。彼が助けてくれたのだとすぐにわかった。

 

 

 

 だが、安心したのも束の間。

 邪龍はこちらを見やると、おどろおどろしい叫び声をあげた。それは怒りか、恨みか。上条たちを見ながら首がうねり眼がぎょろぎょろと動いた。そして翼が脈動する。

 まさかと上条は思ったが、予想は的中した。

 

 

 

 邪龍の巨体がふわりと浮かぶ。長大な邪龍はその身をくねらせながら宙を泳ぎ、船を飲み込まんと口を開いていた。すぐさま巨影が彼を覆い隠す。

 闇が降ってきたようだった。

 

 

 邪龍からすれば船は小さすぎたのか、狙いは正確とはいえなかった。そのため奇跡的に複数ある船のどれもが喰われてはいなかった。けれども超巨大な体積が降ってきた影響で黒海に生まれた大波に船は飲み込まれていく。重く冷たい海水を浴びながら、不気味に光る眼が上条を貫いた。そして細く長い触手が彼に伸びてきた。

 

 

 

 体勢が整わない上条はいとも容易くそれに絡めとられてしまう。彼の体は乱暴に振り回され、上条の体は唐突に解放された。浮遊感があり、少なくない衝撃が彼の背を襲った。

 

 

 ゴツゴツとしたゴムか岩の中間のような感触がする。なんとか体を起こして周囲を見渡すと黒と紫と赤が混ぜ合わさったような不気味な色合いが飛び込んでくる。平坦でなくいくつかの隆起したものがあり、海水に濡れ、蠢く触腕が海藻のようにぽつぽつと生えていた。そして見えてくるのは巨大すぎるナニカ。赤黒い水晶のようなものがギョロリと動く、先ほどまで上条を貫いていた眼だとすぐにわかった。

 

 

 

 上条が今いるのはまさに邪龍の頭部の上だった。

 グチャグチャと怖気走る音がした。左右の眼のその間。そこに見える幾重もの触手の中心に、少年の姿があった。彼は両腕を広げて上条を見ていた。アジは目に涙を流しながら懇願するようにこちらを見ている。

 上条は右腕を見る。これで自分を終わらせてくれと、彼は言っているのだ。

 

「馬鹿野郎」

 上条の全身に震えるほどの力が入った。

 

 

 

 

    ○○○○○○○○○○

 

 

 

「いおうあウイ………(気持ち悪い………)」

 ゆらゆらと自分の意思に反して動きまわる体は、これまでに感じたことのない揺れをアジに与えた。いつもならば人外の体ゆえ、多少の揺れなどへもなかったのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 

 

 完全に人の体だ。体からは触手を伸ばすことも正確に操ることも難しい。変異できる大部分が邪龍に移ってしまったようだ。完全に分離しているわけではないので、体は動かせないわけではないのだが、あまりにも勝手が違った。

 

 

 酔いと吐き気を我慢しながらアジは少しずつ今の体のことを理解していった。そのおかげで徐々に自分の状況、もとい、やらかしの惨状が見えてくる。

 

 

 邪龍の体は独自行動をとった。魔力補給のためか様々な分裂体を生み出しては霊装などから吸収し、魔術師に対しても死なない程度に魔力を奪っては無力化していった。正直なところこれでは魔術世界に戦線布告しているようなものだ。アジは白目を剥いて、絶望する。

 

 

 彼らの攻撃は耐えて耐えて耐え抜けば、それで終わるはずだった。隙をついてこれまで同様に逃げ出せばよいはずだった。それなのにこの体ときたら余計なことをしやがってと彼は怒り唸った。

 

 

 しかし、同時に困惑するのは時折左右に生える二つの首が、アジのことを見つめ舌を出したり、体に擦り付いてきたりすることだ。自分の生える頭部もそれは同じようで、攻撃を黒炎で防いだ際にはどうだとばかりに喉を鳴らした。

 

 

 おかしなことだが、自分の体なのに独自の思考をもつこの首と体はアジの機嫌を気にするような態度をとっているようだ。以前にも勝手に触腕が伸びたり、分裂体が長い時間をかけて本体に合流したこともあった。それでもここまで露骨ではなかった。これまで分裂体を作り続けてきた弊害か、それとも突然生まれた偶然か。とにかく邪龍の体はこれまで以上に難儀なものだとアジは思った。

 

 

 自身のこれからのことを考えると涙すら零れるアジだったが、ふと視界の先に猛スピードで近づいてくる何かが見えた。なぜか空を覆って眷属たちがソレを狙って突撃し、続々と消滅させられている。

 

 

 何事かと目を凝らしてみれば、それはまさしく天草式秘伝の海上霊装であった。その船首に乗るのは我らが聖人、神裂火織だった。その表情は決意に満ちている。怒りを隠そうともしないで、こちらを見ている気がする。

 

 

 アジはそこで思う。もしかして、今回のやらかしを彼女はめちゃくちゃキレているのではないかと。

 アジの額から冷や汗が噴き出した。

 ちょっとまってほしい、アジは誰もいないのに言い訳がましく手を伸ばす。これまでのことを彼は考える。

 

 

 魔術に無関係な人々からの援助、学園都市での戦闘と破壊活動、そして現在の魔術関係者へと攻撃。果たしてそれらは正義の味方たる天草式の一員として許されるものだろうか。もしかして建宮たちが怒っていたのも、恩人黄泉川を守るためとは言え、学園都市の怪物とレベル5の電撃使いとの戦闘に加担したのを知っていたからではないだろうか。

 

 

 

 アジは、思い出す。魔術は秘匿すべきものだったはずである。

 今の自分はどうだろう。魔術、大公開祭りじゃないだろうか。

 

 

 アジは再び突撃してくる面々を見る。攻撃の一つ一つに熱い思いが感じられ、その瞳は燃えていた。加えて船には化物を殴りつけて一撃粉砕する上条さんと、こちらを指さすインデックスさんも乗っていた。

 彼は確信する。やべぇ、これはヤベェ。彼の眼には全員がアジをボコボコにするぐらいブチ切れているように見えた。

 

 

 アジは涙を流し、届かないだろう仲間たちに謝罪していた。

 

 

 

 その声を聞いた首の一つも、上条たちの乗り込む船を発見。

 どうやら本体は困っているのだと感じたようだ。

 そしてガバッと大口を開けて魔力を練り込んでいく。

 本体が困らせるものはとりあえず吹き飛ばせばよいのだと、感じたようだった。

 

 

 

 莫大な黒炎が船に伸びていった。

 アジは突然の攻撃に何事かと驚き見る。

 「あうあオウ!!(馬鹿野郎!!)」

 アジは思わずそう大声をあげて、自身が操る頭部の口をがぱっと開く、そして巨体に生える首に一つに喰いついた。その首は驚いたように目を見開いた。

 

 

 なんじゃその顔ハ!?アジはさらに叫んだ。くそう、この体もう嫌ダ!とアジは頭を抱えている。ブチ切れた仲間たちも恐ろしいが、この体の勝手な行動も恐ろしい。あっちには魔術ならすべて一撃粉砕する上条さんが乗っているのだ。さらに怒らせてどうするというのか。彼にはこの体を治してもらうお願いがあるノニ!!

 

 

 怒ったアジを見ても三つ首はゆらゆら揺れ頭を捻っている。くソウ!とアジは吐き捨てて船を見ると、上条さんがこちらを睨んでいるように見ていた。

 アジは後悔に震えた。声も出ていただろう。本当に何してくれてンダ、とアジは思った。もはや一刻の猶予もない。

 

 

 この惨状をすぐさま収めなくてはならない。このままだとさらに良くないことが起こりそうだった。早くこの体を治して天草式のみんなに、た、例え怒らせてでも助けてもらわなくてはいけない。とりあえずこの体を、上条さんの能力によって消し去ってもらえれば、大群や勝手に動く首はなくなるはずだ。

 

 

 

 そう考えたとき、邪龍の翼が震えた。

 まさかと思ったが予想は的中した。アジの心を雑に汲んだ邪龍の巨体はふわりと浮かんで、船の方にひとっ飛びした。そして彼らの船の目と鼻の先にザブンと海中に身を落とした。

「あんえあオォ!(なんでダヨォ!)」

 

 

 あまりに雑すぎるだろとアジは泣く。グワングワンと人間の体が揺らされ千切れそうになったので、自身の周囲に無数の触手でクッションを作り、なんとか耐えたアジ。アジは焦燥しつつも、ここまできたら勢いにまかせようとも思っていた。

 破れかぶれであり、軽い自暴自棄であった。

 

 

 

 アジは泣きながらグルグルと周囲を見渡して、件の少年を見つける。

 そして触腕を伸ばして彼を掴みとると、自分の近くに強制的に連れてきた。ゆっくり降ろそうとして、勢い余って少しばかり落としてしまったので、アジはさらに泣いた。

 

 

 

 目の前にいる上条さんに、アジは両手をあげて、頭を下げて謝った。言葉にできずとも態度や気持ちは伝わるはずだ。アジは泣きながら彼を見る。

 彼は俯き、力の限り拳を握り締めていた。

 

 

「馬鹿野郎」

 これはもうダメかもしれない。

 アジの瞳からさらに涙が零れ落ちた。

 

 

 

 


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