虹色のアジ   作:小林流

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第47話

 

 蠢く触手の中で儚げに泣く少年がいる。上条は犬歯を剥き出しにして彼を睨んでいた。それは決して、この状況や彼から被った痛みから来る表情でない。普段から不幸なれしている上条からすれば、そんなものは些細なことだ。それにアジは憐れな被害者であり、なんとしても救われるべき少年だ。

 

 

 だからこそ上条は怒っている。

 救いを自ら手放そうとするアジに対して、烈火の如く怒っている。

 

 

 上条とアジの目が合った。彼の涙にぬれる瞳は、微かに虹色に光っている。アジは必死に言葉を紡いだ。時にぎこちない笑みのようなものを浮かべ、ポロポロと涙を流し続けながらも口を動かしている。

 おそらく呪いに長年蝕まれた舌や口は、不明瞭な音を吐き出すことしかできないのだろう。けれどもその秘められた感情は痛いほど伝わってきた。

 

 

 

 ごめんなさい、許してください、と彼は言い続けている。

 蠢く触手が彼の頬や腕に這いずっている。彼の体の異常も、そしてこの戦場の惨状も、邪龍の攻撃も、それら全てに対して、彼は謝罪し続ける。

 

 

 

 そうじゃねぇだろう。

 上条の腹の中に膨大な熱が溜まっていく。右腕には万力のように力が込められた。この右手は断じてアジを滅するものではない。ギョロリと未だにこちらを観察する邪龍を殴りつけてやるためにあるのだ。

 

 

 

「ふざけんじゃねーよ!!」

 とうとう上条は激昂した。彼の声を聴いて、アジはびくりと体を震わせ、触腕は一斉の動きを止める。

 

 

「ここまで、ここまで仲間が来ていてまだわかんねぇのか!!」

 言ってやらねばならない。上条にはこの場をすべて解決できる力などなかったが、それでも目の前の大馬鹿者に伝えてやることぐらいはできる。上条が一歩、近づく触腕がアジに絡みついた。核を守る呪いの防御反応だろうか。触腕の海に捕らわれようとしても、アジは未だに謝っていた。まさに小さな子供のように、なんどもなんども許しをこう。

 

 

 

「みんなお前のために命を懸けてここにきたんだ。建宮も五和も神裂も、どんなに絶望的な目にあってもあきらめず、小さな希望をかき集めて、想いを一つにして、ここにいる」

上条の背後で音がした。自分などよりも頼もしい魔術師たちが怪物に乗り込んできた。

 触手はさらにアジを取り込まんとしている。もはや顔だけしか見えないほど、触手は不気味に蠢いていた。

 

 

 

「それなのに、お前があきらめてどうすんだ」

 大太刀を構えた聖人が、うねる大剣を背負った男が、槍を、メイスを、様々な武器を手に持った魔術師たちが続々と歩いてくる。最後には純白のシスターが胸を張って上条の隣に並んだ。

 

 

「この光景を見て、まだお前が自分が死ぬことが最善だと考えているなら、そんな下らない幻想は俺たちがぶち殺す!!」

 上条は右腕を前に出して宣言した。それに合わせるように魔術師たちはそれぞれの得物を構えた。それを見たアジは、一層大粒の涙を流した。そして、ぶちぶちと触手を千切りながら手を伸ばした。必死に、もがく様に、彼はその身を動かした。

そして口を動かす。これまでの中で、一番明瞭な音を出した。

「た、すけ、えうアイ………」

 

 

 

 「当たり前だ!」

 その声が合図になったように魔術師たちは弾けたように動く。同時にアジは触手の海の中に一気に引きずり込まれた。邪龍は咆哮する。怪物の体表が蠢き、巨大な触腕や不気味な眷属たちが生まれ、上条たちを襲っていく。

 ここが正念場、ここが最終決戦だと誰もが理解した。

 

 

 

 「唯閃!」

 上条の横から凄まじい勢いの風が吹いた。開幕の一撃に神裂が触手の海を斬り飛ばしたのだ。その威力によってアジの顔が一瞬に露わになった。あわよくばすぐさまアジを救出したかったが、流石にそう簡単にはいかないようだ。次々に生み出される触手はまさに無尽蔵のようで、アジの体を見る前に新たな触手が覆い隠す。ゴリ押しでは効果は薄い。唯閃を放った彼女は邪龍にとって天敵と判断されたのだろう。幾重もの怪物たちが彼女に突撃してくる。

 

 

 

 「とうま!」

 インデックスの声を聞き、上条は神裂に飛来する怪鳥を殴り消した。邪龍には右腕を触れないように気をつけながら、大小様々な怪物を屠っていく。インデックスはつぶさに怪物の動きを観察している。彼女の探知能力はすさまじく、魔力の流れから眷属が生み出された瞬間には上条に、巨大な触腕が生えた際には天草式に指示を飛ばした。

 

 

 

 彼らの連携は海上戦からさらに洗練されたようで、有象無象の怪物や触腕の攻撃では傷一つ負わなくなっている。インデックスは攻撃の途切れた瞬間を見計らって話す。

「この怪物にとってアジは大切な核なんだよ、そう易々とは外には出さないはず。でも私たちの魔術の効果で深い体内までは移動できないんだよ。すぐそこにアジの体はある。問題はどうやって動きをとめるかだね」

 

 

「唯閃の手ごたえから、直接的な攻撃の効果は薄いようですね」

「なんか肉体の動きを弱める術式とかねーのか?それこそ封印とか何でも」

 「この戦場で、そんな緻密な術式は難しいのよな。それに相手は伝説の邪龍だ。生半可な術式は意味がねぇ。それこそ、この怪物の伝説から弱点を見つけ術式を構成せにゃらなんだろうな」

 

 

 伝説、その言葉を聞きインデックスはハッとしたように手を口元に運んだ。

「もしかしたら」

 その続きをインデックスが言う前に、上条は彼女を突然、抱えた。そして一気に踏み込んで前に倒れるように移動する。

 

 

 三つ首の内の一つが、突っ込んできたのだ。

 幸いにして誰も飲み込まれてはいないようだが、その威力は巨体ゆえに規格外だ。上条たちが乗る体表を削り飛ばし、再び鎌首をもたげている。

 

 

 「無茶苦茶しやがる!!」

 邪龍にとって傷はなんの支障もないようだ。すぐさま肉は蠢き、修復していく。インデックスと上条の周囲に再び神裂が集まってきた。皆が無事なのを確認すると、インデックスは再び口を開く。

 「あの首、利用できる。それを使えば、一気に邪龍の動きを止められるかも!」

 インデックスが指さしたのは建宮がもつ大剣フランベルジュだった。彼女は口早に作戦と扱う魔術を伝えていく。それは危険な賭けだったが、しかし建宮と天草式は喜んでその作戦を了承した。

 

 

 突如、地割れのような音が響いた。それは邪龍の唸り声だ。先ほどとは違うもう一方の首がこちらを見据え口を開いている。幾重にも生えた牙と血のように真っ赤な舌が見えた。死の大顎はすぐさま迫ってきた。

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○

 

 

 建宮は自身のフランベルジュを見て笑う。この土壇場に来てまさかのご指名だった。自分の刃でなければ不可能な作戦。アジを救い出す最大の一手が自分に託されたのだ。嬉しくないわけがなった。

「ちょっと、アンタ一人じゃないでしょ?」

  笑う建宮を見て、隣の対馬が小言を言った。周囲の天草式の面々も浮かれる建宮に一言ずつ罵倒する。それが建宮には心地良かった。こいつらといれば、伝説の怪物など雑魚だと、心の底から思えた。

 

 

 

 歪みきった龍頭が突撃してきた。

 今だ、と建宮が叫ぶと、メンバーたちは手に持つワイヤーを展開。一人では耐えきれぬものも、全員ならば時間は稼げる。まるで漁師の扱う網のようになったワイヤーは開かれた大顎を覆った。不揃いの牙ゆえに絡まり開閉の邪魔をする。邪龍は鬱陶しそうに唸った。

 

 

 なんと建宮はその開かれた口内へその身を滑り込ませた。凄まじい熱気だった。一呼吸で肺が焼かれるかと思った。しかし、建宮は笑う。額から大粒の汗をかこうが、手が火傷しようが関係なかった。このクソ化物に一泡吹かせてやれるからだ。

 

 

 彼は大剣を舌に突き刺して落下速度を緩めると、術式を練り上げる。

 口内に自ら飛び込む行為自体に「勇敢さ」という魔術的意味を織り交ぜていく。波打つフランベルジュは燃え盛る火を表し、彼の身に着ける服に描かれたオレンジの十字架は火力を示す。そもそもフランベルジュは炎を意味する大剣だ。よってこの術式との相性は抜群だった。

 

 

 

「やれ!!!」

 彼の声かけで網のようになっていたワイヤーは口内に侵入。フランベルジュに巻き付くと、その場の天草式全員の魔力が注がれ、フランベルジュは巨大な火柱をたてて燃えあがった。その勢いに建宮は口外へ吹き飛ばされる。体を焦がしながらも、投げ出された体は仲間たちが受け止めてくれた。

 

 

 

 邪龍は怨念のこもった瞳で建宮たちを射抜く。今だ落下中の彼らはまさに餌のようだ。再び飲み込もうとして口を開いた邪龍だったが、その瞬間、さらに炎は勢いを増した。もはやそれは爆発だ。炎は遂に邪龍の顔を貫き、頭部を焦がしながら燃えている。

 

 

 

 邪龍は唸り、咆哮するがその動きは鈍っていく。焦げた頭部はすぐさま修復するが、その動きは鈍っていき、巨体全体へ伝播。神経締めした魚のように痙攣する怪物を見て、建宮は中指を立てた。

 

 

 

 本来、アジ・ダハーカは龍ゆえに炎や火はほとんど効果がない。龍は火を噴くものだ。しかし、アジ・ダハーカにはとある伝説がある。火の神アータルとの逸話だ。アータルは襲い掛かるアジ・ダハーカにこう告げた。

「口の中で燃え上がり、お前が世界を破壊できないようにする」と、その言葉にアジ・ダハーカは萎縮し退散したのだ。この術式はこの物語を利用したものだった。当然、人間が火の神の炎など扱えるわけはない。しかし、建宮のもつフランベルジュやワイヤーにより補強によって増強された魔術は、数分は邪龍の動きを止めることに成功したのだ。

 

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 一切の動きの止まったのを見て、神裂は駆けた。触手の海にたどり着くと、彼女は聖人の怪力でそれらを強引に引きちぎる。早く、早く、彼女の手はどんどん深くかき分けていく。

 

 

そして遂に、

「アジ!」

 彼女は少年の手を掴み上げた。ぶちぶちと強引に引き上げていく。アジは目に涙を浮かべて神裂の顔を見ていた。

 

 だが、怪物はしぶといものだ。

 

 

 

 急激に邪龍の体はクズクズと溶けるように形を変え、異形へと変貌していく。インデックスは魔力の流れが変化したのを看破した。学園都市から伸びる魔力のつながりが変異している。

 

 

 彼らは知る由もないが、学園都市の怪物の体が徐々に変化した影響で、邪龍の体を保てなくなっていたのだ。アジ・ダハーカでなければフランベルジュの炎の拘束は意味をなさない。龍とはとても言えぬ姿へと変貌を遂げていく。海洋生物をごちゃ混ぜにした存在、純粋な魔力の怪物、海魔へと巨体は変化した。

 

 

 

 アジを取り囲む触手が暴れ狂った。

 アジを体内へ引き込もうと凄まじい力が込められている。さしもの聖人といえども化物との綱引きに勝てるわけがない。幾重もの呪いの腕が彼を再び闇の底に落とそうと絡みつく。

 

 

 それでも彼女は決してあきらめない。

 今、掴んだその手はあの夜、掴み損ねた手だ。

離せるわけがない。離してなどやるものか。

 

 

 

「絶対、絶対に離しません!!!」

徐々に引き込まれていく少年の体。もう手だけが触手から見えるだけになっている。おびただしい触手は掴む神裂をも取り込まんと巻き付いてきた。ふざけるな、ここまで来て、そんな、神裂の心が悲鳴を上げ始めたところで、ガシっと彼女を掴む腕が幾つもあった。

 

 

 

 それは先ほどまで空に投げ出されていた天草式だ。

 神裂が必死に繋ぎ止めていたおかげで、間に合ったのだ。

 

 

 「アジ!」五和が叫ぶ。

 

 「アジ!」浦上が、牛深が、諫早が吠える。

 

 「アジ!」野母崎が、香焼が、対馬が咆哮する。

 

 「アジ!!!」そして建宮が焼け焦げた手でアジの手をさらに掴んだ。

 

 

 

 神裂は怒鳴る。

 脚や手からブチブチと何かが千切れる音がした。痛みが全身を走った。だから何だというのだ。神裂はさらに力を加えた。蠢き続ける触手の海に神裂は言う。

「ア、 アジィィイイイ!!!!」

 

 

 

 ブチブチブチと千切れ飛ぶ音がした。それは神裂の肉が千切れた音、ではない。触手を千切り飛ばしてアジを救い出した音だった。少年はようやく神裂の胸の中に抱かれている。仲間たちの手の中にいた。背や脚は未だに変異したものが張り付いていたが、気にするものか。

 

 

 

 

 ドグンという脈動がした。核を失った呪いの異体が激しく痙攣している。安定を失った巨体は狂ったように悶え、巻き付き、分裂を繰り返している。邪龍の首だったものは、ミミズのようなモノへと変質。最早、ナニモノでもなくなったその肉塊はそれでも宿主を見つけようと抱き合う彼女たちに肉薄した。

 

 

 

 山の如き肉が彼女たちを飲み込もうと近づくと、それに飛び込む影。

 甲高い音がして、肉塊はさらに悶え苦しみ、ボロボロと崩れていく。

「再会に水さしてんじゃねーよ!!!」

 幻想殺しは、ついに呪いを遠慮なく殴りつける。その影響で上条たちが乗っていた巨体も遂に崩壊を始め、彼らは落下していく。そこに再び突撃してきたのは超巨大な肉塊の荒波だ。ドロドロに溶けた異体が彼女たちを襲わんと最後の力を込めて集合している。

 

 

 

 上条は落ちながらも拳を握った。

 抱き合う彼女たちを守るように身を翻すと襲い掛かる肉の大波に向き合った。

 肉塊は恐ろしき音を発している。

 それは唸り声だろうか、いや違う。

 単なる大出量の肉がぶつかりあう音だ。生き物ですらない、死骸の集まりに、少しだけ本能が混ぜられたもの。おそらくは呪い、としか表現できぬもの。それだけでは存在できないもの。怪物にも成れない憐れで悲しいものだった。

 

 

 

 

 上条は弓を引くように右腕を引き絞る。

「お前がまだアイツを引きずりこもうっていうのなら」

 

 肉が上条を飲み込んだのと同時に、彼の右拳が勢いよく突き出された。

「その幻想をぶち殺す!!!」

 

 

 

 甲高い音が響いた。

 あれほど蠢いていた肉塊の動きは突如として止まる。

呪いといわれた肉塊は、その力を全て失い。海へ落下していった。黒く淀んでいた海は青さを取り戻し、暗雲は消え去った。空には星々と月が顔を出していた。

 

 

 

 


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