虹色のアジ   作:小林流

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第48話

 

 

 アジは弁解した。それこそ零れる涙を無視しながら、身振り手振りを交えて「ごめんなさい」「本当にすいません」「許してください」「わざとじゃないんです、この体が勝手に!」と何とか許してもらおうと努力した。

 

 

 しかし、アジが言葉を紡ぐたびに目の前のツンツン頭の少年の形相は恐ろしいものになっていく。まさに怒髪天。握る拳の震えがその激情を示していた。

ここに来るまでの道中か、もしくは最後の攻撃が切っ掛けか、理由はともかく彼がブチギレているのだけは間違いない。

 

 

 

(ど、どうしてこんなコトニ………)

 アジはこれまでのことを思い出す。実に迂闊なことばかりしてきたのだと、今更ながらに後悔していた。けれども過去は変えられない。今、アジにできることは許しを請うことだけである。

アジは再び言葉を紡ぐ。言葉として伝わなくとも思いは伝わるはずだと願いながら、彼は必死に彼に訴えかけた。

 

 

「ふざけんじゃねーよ!!」

 どうやらアジの願いは砕かれたらしい。一歩こちらに近づいてきた上条さんの迫力にアジは縮こまった。

「ここまで、ここまで仲間が来ていてまだわかんねぇのか!!」

(アア!すいまセン!!本当ニ)

 普通の男子高校生が出せる威圧感ではなかった。流石は学園都市の能力者だ。アジが心底ビビってしまった。彼の怯えを表すように続々と触手が彼を守ろうと動き出した。触手の束はアジの全身だけでなく顔にまで及び、耳まで覆い隠してしまった。

マズイとアジは思った。上条さんの声が触手のせいできちんと聞こえなくなっていったからだ。焦る気持ちは触手にも伝わってしまい、上手く操ることができない。

 

 

 

 

「みんなお前の―――――ここに――――。建宮も五和も神裂も、――――あっても―――――――集めて、――――一つにして、―――――」

(ヤバイヤバイ!!!聞こえナイ!!!)

 ボロボロと泣くアジの瞳に映り込むものが見えた。

 続々と上条の横に並んでいくその面々。フランベルジュを構える建宮を筆頭に武器を構える天草式の魔術師たち。そして遂に七天七刀を構える神裂。全員が揃い踏みだった。

上条さんが、さらに何を叫んでいる。もはや聞こえないし、正直聞くのも怖かった。どれほど彼らが怒っているのか、そう考えるだけのアジのメンタルはやられていく。

 

 

 

 アジは懇願する。もはや許してください、という言葉では意味がないことに彼も気付いたのだ。彼は波打つ触手を押しのけて腕を出す。本当は拝むような形にしたかったのだが、震えと彼を防御しようとする触手のせいで上手くいかない。

 

 

 せめて、それならせめてと、彼はこれまで以上に、丁寧にゆっくりと話そうと心掛けた。せめて命だけは、

 「た、すけ、えうアイ………(助けて下サイ)」

 

 

 

 瞬間、彼らはアジに向かって走り出した。アジは恥も外聞もなく泣き出して、できるだけ触手の内部へ入っていった。その後すぐに巨大な衝撃が走る。神裂の唯閃が触手を斬り飛ばしたのだ。何とかしのいだものの、マズイ。怒れる彼女は誰にも止められないのである。

 

 

 続けて何度も轟音が響いているのをアジは感じていた。何かが削れる音、砕かれる音、甲高い音、爆発する音など、物騒なものばかりだった。怯えるアジはこのまま引きこもっていても、さらに彼らの怒りを買うだけだと知っていても、中々外に出る踏ん切りがつかなかった。手をこまねいているアジだったが、唐突に体の痺れを感知する。

 

 

 

 まるで全身が石になったかと思うほど関節が硬くなり、瞬きすら困難になった。息をするのがやっとというありさまだった。もしかすると直接的な魔術でなく、封印などの絡め手を使ったのかもしれない。

 

 

 アジが動けない体で四苦八苦していると、触手でできた暗がりが突如として暴かれる。見てみるとそれは強引に触手を引きちぎる影。長いポニーテールをはためかせ、食いしばるように力を込める神裂だった。

 

 

 

 終ワッタ!!アジはそう思った。神裂はアジの手を力強く掴むと動けぬ彼を引きずり出そうとした。抵抗することはできなかった。同時に、恐怖からアジは吐き気や倦怠感に襲われる。高熱にうなされる風邪のような症状に、彼の意識は混濁していった。

 

 

 アジにとって知る由もないことだったが、学園都市で生まれたアジモドキが変異したことで巨体の邪龍化がリセットされていたのだ。しかし凶悪な存在がいきなり変質したこと、そしてアジの人間部分の多くが外部に晒されたことで、アジは魔力酔いともいえる症状になっていた。

 

 

 

 気持ち悪イィ。呑気に苦しむアジは手を掴む力が強くなっていくのを感じた。そして一気に体が外に引きずり出されたのを知った。素肌が外気に晒される感覚を味わったと思ったのと同時に、アジの瞼がグッと重くなった。これまで規格外ともいえる膨大な魔力が絶えず循環していたのに、それが急遽遮断されたのだ。体は魔力切れのような症状も併発した。

 魔力酔いと魔力切れによってアジはすっかり気絶してしまった。時折体が揺らされる感覚を味わいながらも、とうとうその日のうちに起きることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おぉん、ういあえん。うういえうあああいぃ(うぅん、すいません。ゆるしてうださい)」

 アジは苦しそうに唸りながらあるものを抱きしめていた。それは非常にやわらかくどこまでも腕が沈み込んでいきそうなものだった。

ふと彼の鼻を何かがかすめた。ムズムズとしてアジはくしゃみをする。

 

 

 

 自身のくしゃみの音でビクンッと体を震わせた彼は目を覚ました。どうやら抱きしめていたのは布団。道理でやわらかいわけである。布団の端が彼の鼻を刺激したのだろう。

 

 

 

 目覚めたばかりのアジは混乱しつつも視線を動かす。

 見えてきたのはまず窓。キラキラとした陽光が差し込んでおり、小鳥の鳴き声が聞こえた。ここはどこだろう。アジはぼやける頭で考えるが、まるで身に覚えのない場所だった。

 

 

 

 彼が頭を動かすと、ギシリと軋む音がする。寝ていたベッドが鈍い悲鳴を上げている。アジは移動しようと抱きしめていた布団から手を放して、体をよじった。ベッドはさらなる苦悶の声を上げた。

 

 

 

 アジがベッドから下りようと上体を起こしたのも束の間。腕や足に力が入らず上手く動かせないことに気付く。案の定、アジはバランスを崩してぶちゃと床に落ちた。

 

 

 いアア、と彼は呟いた。床にへばりついたままではいけないと、膝に手を当て、足に力を入れようとするが、再びずるりと倒れてしまう。

 やはり力が入り切らない。痺れているのとも違う。アジはどうしようかと思ったが、別に足だけで立たなくともよいことを思い出す。

 

 

 

 背から触腕を二本ほど伸ばして、足の支えにした。だがその触腕はどこかおぼつかない。これまでにない感覚だった。ノソノソ、ふらふらと彼は部屋を歩く。ここはどこかの寝室のようだ。随分質素だとアジは思った。彼が寝ていたベッドとその近くにある棚が一つ、備えつけの鏡と扉ぐらいしか物がない。

 

 

 アジはふと鏡を見る。いつの間にか簡単な服を着ている。誰かが着せてくれたのか。

 

 

 誰か?

 そこでアジの記憶が一気に蘇る。

 

 

 

 巨体での戦い、そして迫りくる上条さんと神裂たち。あの後どうなったのだろうか?アジはそこで気づく、本体との魔力のつながりが無くなっていることに。それはつまりあの巨体から解放されたことを意味していた。

 

 

 あれだけ怒っていた上条さんたち。アジは仲間たちの怒髪天の表情とその魔術攻撃の勢いを思い出して震えつつも、巨大すぎる体から解放された喜びを噛みしめる。しかし、あのまま怒れる仲間たちを放置するのもいけない。はて、彼らはどこにいったのだろうか。

 

 

 

 

 ガチャリと音がした。アジは扉の方を向いて、再び足をもつれさせた。長き海中生活の名残か、人間体を動かすことが少なかった弊害か、アジの体は衰えているようである。少年の体は後方に倒れゴトンと頭を打つ。目に星が飛んだ。

 

 

 アジの倒れた音に気付いたのか、扉を開けた人物は倒れたアジを見つけると慌てて駆け寄った。

 彼女はアジを抱き起して頭や体などを触っていく。少し冷たい指先がアジの頭を撫で、頬に触れた。アジは唸って目を開く。神裂火織がほっとした顔でアジを見つめていた。

 

 

 

「大丈夫ですか」

 神裂が自身を抱きかかえているのに気付くと、アジは身をよじる。それは羞恥よりも単純に驚いているからである。彼が最近見た彼女はといえば、鬼も逃げ出す激昂聖人、太刀で何でも切り結ぶ最強の魔術師としての姿である。そんな彼女がなんとも優しい表情をするではないか。アジはどういうことかイマイチわかっていなかった。

 

 

 ともかくアジは神裂に大丈夫だと言葉で返そうとする。だがやはりというか、人外生活が長すぎたゆえか、彼の口からは舌足らずというか不明瞭というか、不可思議な音が漏れるばかりであった。

 

 

 

 自分の口から飛び出す音を聞いて、アジは無意識に口に手を当てる。これでは会話もできないと再び焦るが、神裂はその手を優しく包み「いいんですよ」と言った。

 いったい何がいいの?アジは視線で訴えるものの、ただ微笑む彼女を見て伝わっていないことを察した。神裂はそんなアジを見て、今度は思い切り彼を抱きしめた。

 

 

 

 高身長の神裂が彼の胸に顔をうずめるようにして、両腕を回す。アジは突然の彼女の行動にドギマギする。どうしたのか、アジには本当によくわからなかった。

 一方で神裂はアジの心音を聞いているようだった。それが聞こえることがどれほど彼女を救っているのか、少年には理解できないだろう。トクントクンと脈動する音は命ある証拠である。

 「よかった、ほんとうによかったです」

 

 

 アジを抱きしめる彼女の体は徐々に震え、そしていつしか瞳から涙があふれていた。泣き出した神裂。アジは変動の激しすぎる彼女を見て、困惑しつつも何かあったのかなぁと思って彼女を抱きしめ返してやる。胸にある彼女の頭を優しく撫で、もにゃもにゃと何かを言うアジ。彼女は一度そんな彼の顔を見るなり、さらに勢いよく涙を流して彼の胸に顔を擦りつけた。

 

 

 わんわんと泣く神裂と、傍目には優しく彼女を受け止めるアジを見て、ドアから続々と顔を出す面々がいた。それは男泣きする牛深であったり、抱き合う五和と対馬であったりした。その後ろで建宮は辛抱たまらんといった様子で皆を押しのけるように駆け出すと、神裂と同じくアジに抱き着いた。

 

 

 その勢いに各々の天草式もアジの元へ向かい、抱き着いたり、撫でたり、泣いたりとそれぞれが自分の感情を吐き出していく。アジだけが皆の様子に驚き、どこかきょとんとしていたが、徐々に彼らの優しい空気に触れ自然に瞼を閉じた。彼らがもたらした熱をアジは感じながら、息を吐いて本当に安心した様子で神裂の頭を撫で続けた。

 

 天草式とアジはこうしてようやく再会を果たした。思考のすれ違いは相変わらずだったが、それぞれが持つ親愛の情は確かだった。

 

 

 

                 ○○○○○○○○○○

 

 学園都市のとある病院。その待合室のモニターにはニュース番組が流れていた。爽やかで通している男性キャスターが流暢に原稿を読んでいる。

 

 

『今朝、栗島や新潟県笹川海水浴場に流れ着いた奇妙な黒い物体ですが、専門家の話によるとクジラや様々な海洋生物の死骸の塊だということです。なぜそんなものが流れ着いたのか。原因は未だ不明とのことで、現在でも調査が続けられています』

 

 

 その内容を聞いて大柄なコメンテーターがニヤリと笑った。そしてちょっと不謹慎ですけど、と前置きをして楽しそうにしゃべりだした。

『最近、未確認生物や謎の赤い閃光の目撃情報がありましたよね。そしてこの謎の物体!夏の終わりにワクワクするニュースがあっていいですよね。ロマンがあるというか』

『ロマンですか』

 

 

 

『そうそう、こう謎とか神秘とか、そういうのって年くっても楽しいものだと僕は思うけどなぁ。流れ着いた物体もバカでかい怪物の食べ残しだったりしてね』

コメンテーターがそう言うと、キャスターはハハハと愛想笑いをした。彼がコメンテーターをいなしていると、新たな原稿が入ったらしく。雰囲気が変わった。

 

 

 

『速報です。四日前、学園都市内で暴れ回っていた未確認の怪物ですが、どうやら学園都市内の大学で制作した最新式のアニマトロニクスだったと、学園都市側から正式に発表がありました。怪獣映画用のサンプルとして作り上げたもので、内蔵していたAIに映画のシーンを組み込んだところ目を離した隙に起動。プログラム通りに行動し、ロボット同士が争ってしまったと説明しています。なお、そのロボットですが学園都市内の治安部隊によって制圧され処分されたとのことです。』

 映像が切り替わり龍のような怪物と街を走り回る怪物が争う場面が映し出される。

 

 

 

「あれをロボットね~、大分強引じゃん」

 黄泉川は待合の椅子に座りながら呟いた。その体は万全とは言い難い。右腕を肩で吊っており頬や体にもガーゼが幾つか張り付いていた。先の戦闘で特に彼女の怪我はひどかった。その時は夢中でアドレナリンが大放出だったのか痛みなどなかったのだが、いざ事態が収束すると彼女の意識は一気に遠のいた。気が付けば病院のベッドの上である。

 

 

 

 しかし幸運なことに第17学区の名医は彼女の怪我を瞬く間に治してみせた。裂傷の酷かった右腕でさえ傷一つ残らないらしい。医学の進歩、というよりは彼の腕のおかげなのだろう。黄泉川自身はこんな活動をしているために傷の一つや二つは諦めているものの、右腕の傷跡がなくなることに心底安心した。

跡が残ると彼は酷く気に病みそうだから。

 

 

 

「黄泉川さ~ん」

 看護師に呼ばれ黄泉川は移動する。通路を通って白い扉の前へ、開けると見えて来たのは頼もしきカエル顔だ。

「痛みはどうかな?」

「もう大丈夫じゃん」

「それは良かった、明日には退院できるね?飲み薬を一週間出すから、飲みきったらもう腕は普段のように使ってもいいね。ただ君は仕事柄無茶が多いからね、いきなり防護ヘルメットを投げつけたりはお勧めしないね?」

 

 

 医師のジロリという視線を黄泉川は乾いた笑いでいなして、話題を強引に変えた。

「というか先生、あのニュースってどうやったの?」

「こう見えて伝手は広くてね、以前大学での事故の際に助けた患者が力を貸してくれたんだね?患者に必要なものを揃えるのがボクの仕事だから。彼が日常生活に戻れるための事前準備(カバーストーリー)は用意しないとね」

 

 

 

 簡単に言うなぁと黄泉川は感心した。言うは易く行うは難し、と言葉にあるように、医師がどれほどの根回しをしてあそこまで漕ぎ付けたのか。黄泉川は一生、目の前の医師には頭が上がらないだろうと思った。

 

 

 

 「さて君の経過は順調なようだし、もう一人の患者を見に行こうか」

 黄泉川の診療を終えて、カエル顔の医師と黄泉川は別の病棟へ移動する。階段を上り細長い通路を進むと一気に人気が無くなる。そこは訳ありの患者が多く入院する病棟だ。置き去りや犯罪者など、少々問題のある患者が治療を受けている。幾つかのベッドを抜けて、さらに奥に進むと目的の部屋にたどり着く。

ドアを開けると、そこにはガラス張りの部屋だ。向こう側にはキョロキョロと何かを探すように動く少年がいる。少年からはこちらの部屋は見えない仕組みになっていた。

 

 

 

「体内にある原料不明のアクセサリーは間違いなく彼の体内にあったものだ。そこから察するにあの場にいた彼らの中で最後まで生き残ったのはアジだと判断できるね。もっともその過程で多くの新たな細胞の産生と変異を繰り返した。きっとこのアジは、これまで一緒に生活したアジとも少し違う存在だろうね?」

彼は黄泉川を見つめる。彼女がアジを大切にしていることを知っているから、彼は問いかける。

 

 

 

「その違いはきっと君を傷つけるかもしれない。共に過ごした時間が長い君だからこそ微妙な違いを彼から感じるだろう。それは些細な仕草かもしれないし、もしかしたら性格や根本的な部分まで大きく変わっているかもしれない」

それでも、君は彼と共に過ごせるかい?彼は真剣な眼差しで黄泉川を見つめる。それを見て黄泉川は笑った。

 

 

「当たり前じゃん」

 黄泉川は断言する。迷いはなかった。どんな変化があろうともアジはアジだと彼女は言った。そして迷わず隣の部屋のドアを開ける。ガチャリと開いた扉に当初は驚いていた少年だったが、入ってきたのが黄泉川だとわかるやグルルと唸って近づいてきた。黄泉川はそんな彼の頭を撫でてやる。少年は安心したように目を細めた。

 

 

 

 それを見てカエル顔の医師はポケットに入れていた院内用携帯電話の番号を押す。電話は速やかに目的の人物へつながった。

「今日、一人退院だね」

 ガラスの向こう側の少年にはまだまだ問題が山積みだ。研究所の記録や彼の体質が抱える闇は途方もないだろう。しかし、彼の未来には希望があると医師は思った。

 

 

 


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