すいません、よろしくお願いします。
少し離れていた場所で一連の動きを見ていた魔術師の男は歯噛みする。
怪物は想像を遥かに超えていた。
動くだけで大地を揺らし、咆哮は大気を震わした。
攻撃部隊の魔術のすべてを直撃しても、平然とした様子で歩いていた。
最も攻撃に秀でた対人外霊装をもってしても足止めにもならない。牽制攻撃は上手くいっているとはとても言えない。怪物の進行方向は幸いなことに必要悪の教会の逆だったが、しかし依然として楽観視はできなかった。怪物の気が少しでも変わってしまえば、蹂躙されることが目に見えていたからだ。当初の計画通り、強制転移術式で飛ばしてしまわない限り、安心はできそうになかった。
男は通信術式で指示を飛ばす。
「諦めるな。いいから、このまま攻撃は続行しろ。狙うのは顔だ。集中的に攻撃し視界をふさいでしまえ、このまま海の方へ行くならばそれでもよい。」
男はとにかく怪物を遠ざけつつ、強制転移術式の完成を急がせる。手練れ数人での同時詠唱で創り上げる強制転移術式は、規模・偽装の両方も抜群だったが、素早い展開ができないのが欠点だった。
同僚たちの攻撃により、怪物の頭部から上半身にかけて爆炎に包まれる。少なくない衝撃波が生まれ、木々が揺れた。吹き上がる黒煙が徐々に霧散していく。出てきたのはやはりというか、凶悪な顔。無傷の巨躯は、無傷のまま進んでいく。魔術師は怪物を睨む。ダメージは全くないが、視界を防げたことで進行をある程度操作できそうだった。このまま怪物の手の届かない上空からの攻撃を続行する、それが最も効果的に思えた。
しかし、恐るべき怪物にその手は通用しなかった。
突如一人が視界から消え失せる。魔術師は見た。同僚の一人が怪物から伸びる触腕に連れ去られるのを。全くの不意打ちだった。怪物は魔術師たちの方を見向きもしないで、軟体動物のごとき触腕を動かしたのだ。
捕まった同僚はもがき、魔術を行使して抵抗をする。だが、そんなことが無駄であることは誰もがわかった。大木ほどもある触腕がぎちぎちと人間を締め上げる様を見せられて、希望的観測を持てる者は皆無だ。捕らわれた魔術師の動きはすぐに鈍くなった。そしてついには脱力した。皆が息をのんだ。
「喰われた。」
あの怪物は無理やり魔術師の魔力をひっぺ返して、吸収したのだ。魔力は、生命力を司るものでもある。急激に喪失した場合、命に関わることもあった。距離をとれ、そう叫ぼうとしたが、遅すぎた。
一人、また一人と蠢く触腕に捕らわれていき、その全員が脱力。時折、痙攣する者もいた。
上空で一人指示を飛ばしていた男は、仲間たちが喰われる様子を見ているしかなかった。まるで樹木に果実がなるように、怪物から人間が垂れ下がっている。目を背けることもできない、最悪の光景。
ふと怪物は、首を回して垂れ下がる魔術師を見る。ギョロリと目玉が動かして、咆哮を上げる魔物。世界を切り裂くような叫びが男の体に殺到する。魔術的なものは一切ない、音の襲撃。男の体は宙に縫い留められてしまう。
怪物は巨体を揺らして男を見据えた。
喉が干上がる。逃げなければ、そう思っても体が動かなかった。
怪物が首を揺らすと、背からあの触腕が伸びた。軟体動物のようなあの触腕。それはアンバランスなほど伸び、上空にいる魔術師の目前にすぐさま迫る
俺も喰われるッ、男は目を見開き、そして目撃した。
それは煌きだった。
雨を飛ばしながら、触腕を切り伏せる刃の煌きだ。
「大丈夫かい、お前さん」
男は東洋人の顔をしていた。英語だったが、どこか特徴的な発音はおそらくは日本人だろう。切り伏せた刃は波打つ大剣、フランベルジュと呼ばれる珍しいものだった。
「あんたは?」
「こういう時は、先に礼を言うものよな。まぁ、いいか。俺、いや俺たちも魔術師だ。天草式十字凄教、お困りならば助太刀するのよ」
黒髪を揺らして男は笑った。
○○○○○○○○○○○○○○
アジは申し訳なさで泣きそうになった。怪物の姿で上陸し、なおかつ土地を食べていた自分が全面的に悪いことを彼は承知していた。魔術師たちが自分を攻撃することは何も悪くなく、多少の痛みもしょうがないと考えている。だから急いで海に出ようとしたのだ。アジには魔術師を攻撃しようなどという考えは微塵もなかった。
しかし、アジの腹ペコ巨体は全く空気が読めなかった。
最初に感じた違和感は、魔術師たちの攻撃が一気に少なくなったことだ。諦めたのかと思ったが、違った。後ろを見てみると体から生えた触腕で、魔術師たちを拘束。それだけでなく、なんと触腕は魔力を吸いあげていたのである。
そりゃアジは驚いた。思わず叫んでいた。吸収する魔力で腹が膨れる感覚を無視して、すぐさま触腕を操作し、魔術師の拘束を解こうとするものの焦りのためか中々うまくいかない。ヤバイヤバイとアジは悶えて、何とかしようとキョロキョロしてしまう。その中で、もう一人浮遊する魔術師を発見した。魔術師は遠かったが、驚愕しているのがよくわかった。
(あアア!ごめんサイ!)
アジは消沈して内心で謝罪するが、それが伝わるわけもなく。そして空気の読めないこの体。また新たな触腕を生やしながら、魔術師に向かっていった。アジは息をのんだが、そこで現れた人物に触腕は切り裂かれる。痛みはほとんどなく、とにかく魔術師が無事であることを喜ぶアジ。
続けざまにアジの触腕に異変が起きる。アジは少しの痛みを感じ、首を回してみると、すべての触腕が斬られ、千切られている。拘束されていた魔術師たちはすべて救出されていた。いくつかの煌きが見えた。おそらくは様々な武器だ。それらによってアジの触腕を切り裂いた、いや切り裂いてくれたのだ。
アジは喜んだ。どこの誰だか知りませんが、ありがとう。アジはそう考えて人影を思わずのぞき込む。見えてきたのは日本人の集団だ。魔術とは無縁そうな私服や、どこかパンチの効いた服を着た老若男女の集団。あれ?アジは、その集団にものすごく見覚えがあった。
直後、顔に衝撃。斬りつけられたのだとわかったのは、眼前に不敵な笑みを浮かべる男がいたからだ。黒々とした黒髪にダボダボのTシャツ、手に持つは170cmもある大剣、フランベルジュ。我らが天草式の兄貴分、建宮斎字であった。
(建宮!?)
アジは驚くが、同時に合点がいく。あの集団はやはり天草式だ。天草式は正義の味方。怪物が暴れていると知って、駆け付けたのだろう。アジはすぐにそこまで察して、ふと思う。
(アレ?天草式は怪物退治にやってキタ。それって、つマリ.........僕を討伐しにキタッ!?)
アジは叫び声を上げた。
近くにいた建宮が腕をクロスして耐えているが、それにアジは気づけない。そんな場合ではないからだ。
アジは彼らを近くで見てきたから知っている。天草式は、それはもう強い集団だ。そんな天草式の面々と戦ったらどうなるのか、間違いなく殺される。今まで同じようにしてきたアジだから確信できた。それに、神裂がここに来ていたら最悪だ。マジで一撃で、ヤラレル。
(待ッテ!みンナ!僕ダヨ!)
アジは賢明に叫び腕を振るうが、傍から見たら臨戦状態になり威嚇する魔獣にしかみえなかった。天草式の面々は、すぐさま散開。そのチームワークをもってアジへ攻撃を開始する。アジは体を揺らしながらとにかく走った。いや、走れてないけど、気分的には全力疾走である。
(今は逃げヨウ!!!)
アジは体中に感じる衝撃を無視して移動する。斬撃、爆撃、打撃のオンパレードだったが、アジの強固な体を削ることまではできていなかった。しかし、このままでは確実に攻略されるとアジは思った。それだけのことは、いつもしてきたからだ。アジは急ぐ。これまで以上に急いだ。流石に顔への攻撃や足元への攻撃はよけたり、腕で防いだりしながら、一目散に海を目指した。
しかし、中々目的の海岸まで行けない。天草式の連携によって真っすぐ進めないのだ。くそう、早くしないと。どんどん焦燥感を高めるアジの顔の前に、またもや建宮が現れる。フランベルジュの斬撃と、その形状をもとにした炎の連撃によって、ついにアジは苦悶の声を上げた。建宮は先ほどの魔術師たちが誰も傷つけることができなかった、怪物アジの顔に一閃。右目を抉る一撃だった。
(いッ、タイ!?)
アジは叫んだ。そして思わず建宮を睨む。くそう、治ったらで覚えててよ、と唸る。とりあえず今日の補給によって空腹感をある程度満たせたのだ。すぐに連絡して、あれは僕だと伝えて、怒ってやる。アジはそう考え、とりあえず顔の回復につとめる。魔力をともなった回復になった影響か、アジの瞳がキラキラと虹色に輝いた。それを見て、建宮の攻撃が一度ピタリと止まる。アジはその意味を理解するまでもなく、光がその巨体を包んだ。
アジが見てみると幾何学模様。踏み入れた場所が大規模な魔方陣になっていることがわかった。アジは驚いていると、景色が引き延ばされる。これは強制転移術式だと、アジは看破した。次に見えたのは白と水色の輝き。感じるのは凍えるような寒さ。体は上手く動かせない。
そこは地球の中でももっとも過酷な場所。南極だった。
(............寒イッ)
アジはぼこぼこと泡を出して、また唸った。
○○○○○○○○
建宮は強制転移術式を見つめ、消え失せた怪物を思い出す。
今回、天草式は暴れ狂う怪物の情報を得るとともに、必要悪の教会の魔術師の苦戦を確認。目的は当然、救われぬものに救済を。敬愛する元女教皇の思想を未だに信じる彼らは、すぐさま助太刀に参上した。必要悪の教会の魔術師だけあって優秀であり、突如現れた建宮に動じることなく、強制転移術式の設置場所を伝えるなど怪物撃退の道筋を示してくれた。
怪物は天草式に気付くとすぐさま咆哮をあげた。それは世界を切り裂くような音撃。百戦錬磨の天草式を震え上がらせるものだったが、なぜか怪物は背をむけて移動を開始。様々な攻撃を仕掛けても防御はしても、触腕やそのほかの攻撃は一切行わなかった。
建宮はそれを見て、チャンスと感じ、顔面への攻撃を行った。あわよくば、始末しようと考えた行為である。だが、それをして見たもので建宮の表情は驚愕に染まっている。
ある考えが、建宮の心を貫いている。
(ありえないのよな)
そうありえないことだった。かつて弟のように接していた仲間は、弱いものを救うためにその身を犠牲にした。そんな存在が、あんなものになって甦るはずがないのだ。しかし、建宮の心には、もしかしたら、という疑念のトゲが刺さる。
もしかしたら、生きていたかもしれない
もしかしたら、理由があってあんな風になったかもしれない
そして、もしかしたら、自分たちは仲間に刃を向けたのかもしれない。
「教皇代理~、魔術師たちの回復終わったぜ、みんなギリギリ死んでなかったぞ」
仲間の声が後ろから聞こえた。建宮は片手を上げて返事をした。
(仮に)
建宮は思う。考えられる最悪の形を。
(仮にあいつが怪物になって、人を喰らうようになってしまったら............果たして、俺はあいつを殺せるのか。)
建宮は手にもつフランベルジュを見る。ここにはあの聖人も、霊装屋ももういないのだ。今は、自分がまがいなりにも教皇代理だ。皆を混乱させるのは得策ではなかった。
建宮は海を見る。雨はあがっていた。闇の中、波の音だけが聞こえた。
建宮は思い出す。あの怪物の虹色の瞳、そして悲しげな唸り声を。