ハンスがラインハルトの麾下に配属された翌日に帝国軍は同盟軍とティアマト星系で対峙した。
戦闘の開始は平凡な幕開けとなった。双方が相手側の詭計を警戒した為である。
第三次ティアマト会戦に参加した戦力は帝国軍は艦艇三万五千四百隻、同盟軍は艦艇三万三千九百隻であり戦力的には互角と言えた。
しかし、同盟軍では既に追加の二個艦隊の出撃が国防委員会から承認されハイネセンを進発している。
帝国軍もイゼルローンにはゼークト大将が率いる要塞駐留艦隊が何時でも出撃が出来る準備をしているがミュッケンベルガーとしては要塞駐留艦隊を使わずに勝敗を決したいのが本音である。
帝国軍の基本戦略は同盟軍の追加された艦隊がティアマト星系に到着する前の短期決戦であり、同盟軍はロボスが率いる追加の二個艦隊が到着するまで損害を最小限に抑える引き延ばしが基本戦略であった筈である。
「本当に准尉の言う通りに突出して来た部隊がいますね」
ミューゼル艦隊旗艦タンホイザーの艦橋でキルヒアイスが軽い驚きを込めて呟く。
「理論を無視する事が奇策と勘違いしている様だな。ハンスがアホ呼ばわりするのも当然だな」
ラインハルトもキルヒアイスと同様に軽い驚きもあるが、ハンスの批評通りに突出するホーランド艦隊に呆れてる。
「しかし、あの艦隊運動は芸術的ですね」
「芸術とは非生産的だな。エネルギーを無駄に浪費しているに過ぎん」
ラインハルトが殊更にホーランドを貶すのは八つ当たりも兼ねている。
ミュッケンベルガーからハンスを押し付けられた事と後方待機を命じられた事がラインハルトには不満なのである。
「まあ、オノ准尉を配属された事は幸運だと思いますよ。事実、オノ准尉の予測通りに敵が動いてます。それに後方待機となれば決戦時の貴重な戦力となり得ます」
キルヒアイスの慰めにラインハルトは更に渋い顔になる。
「ふん、そのハンスの助言を活かせない連中が目の前で右往左往している。人材とは居ないものだ。俺とキルヒアイスだけでは限界があるし」
このラインハルトの言葉には流石にキルヒアイスも慰め様がなかった。
「そう言えばハンスはどうした?」
「その、味方が無駄に血を流すのを見るのが辛いと食堂に居ます」
「あいつはキルヒアイスより優しい性格をしてるかもしれん」
ラインハルトはハンスに対する評価を改めていた。最初はハンスの境遇に同情していただけでハンスの能力を考えもしなかった。
しかし、ホーランドの突出を予測して、更に対応策も提示していた。年齢に似合わない才能と見識だと思う。ミュッケンベルガーから押し付けられた形だが、お互いにアヒルと思っていたのは実は美しい白鳥の雛だったかもしれない。
ラインハルトがハンスを人材としてスカウトするか思案中に能天気にラインハルトのストレスの一因が艦橋に入って来た。
「敵軍にも優秀な人材がいるものですね」
(こいつは会議中のハンスの説明を聞いていなかったのか!)
ラインハルトはホーランドを敵ながら天晴れと称賛するノルデンを無視して麾下の艦隊に後退を命じる。
何か言い募るノルデンには口を開く労も惜しみ手だけで追い払う。
「ラインハルト様!」
キルヒアイスが言外にノルデンに対する態度を窘める。
「分かっている。それよりはハンスを呼んでくれ。あいつの意見を聞きたい」
キルヒアイスもラインハルトの忍耐力の限界を感じ素直に命令に従う。
五分後、ハンスがノルデンを連れて艦橋に現れた。
「話は参謀長から聞きました。閣下も短気を起こさないで下さい。閣下と同じ物が見えたら参謀長も艦隊司令官をしてますよ。それに年長であろうが部下を育てるのは上司の役目です!」
開口一番、ハンスはラインハルトに説教を始めた。流石のラインハルトもハンスの正論には及び腰になる。
「卿の言うとおり私が悪かった。以後は短気を起こさない様に努力する」
短気を起こさないと言わないのはラインハルトが素直なのか狡猾なのか微妙である。
「それで、小官をお呼びになった理由はなんでしょう」
「そうだ。卿に、この後の展開の意見を聞きたいと思ってな」
「敵の行動限界点は一時間前後だと思います。そろそろ攻撃しやすい場所に移動するべきだと思います」
「ほう、卿は敵の行動限界が近いと思うか。その根拠は?」
「我が軍はティアマト星系に入る時間は調整して兵士に休養を与えてますが敵軍は休養を与える余裕が無いまま戦端を開きました。最初に二時間は平凡な撃ち合いでしたがアホが踊り始めて三時間半になります。あれだけの方向転換を繰り返したら燃料の消費も限界ですし、機関士の体力も限界でしょう」
「それから?」
「アホを撃ち取るのは簡単ですが、ビュコック提督とウランフ提督はアホを見放してもアホの下で苦労した将兵を見放さないでしょう。恐らくはアホが壊滅した後の後始末も考えてますから深追いはせずに形だけの追撃にするべきです」
「卿の考えは私と同じだ。卿には艦橋にて勝利の瞬間を堪能してもらおう」
ハンスの意見を聞いて喜ぶラインハルトと対照的にノルデンの表情は暗い。
ノルデンは士官学校を優秀な成績で卒業して子爵家の嫡男という部分を割り引いても出世の早い方であり、ノルデン自身も自分の才幹に自信を持ち出世の早さが自慢であったが、目の前の二人に才能の違いを見せ付けられてしまった。
(気の毒だが、この方はラインハルト様の役に立たぬ)
キルヒアイスはノルデンの心情を正解に把握しており、ノルデンに同情もしているが冷徹に評価もしていて人材としては不可を与えている。
(問題は准尉の方だな。才幹の部分では問題が無い。人格的にも問題が無い。性格的には私以上に軍人に向いていないのでは)
キルヒアイスも本来は才能に反比例して軍人には向いてない性格である事は自他共に認める事であったがハンスに関しては自分以上に向いていない。ラインハルトを補佐する人材としては得難いのだがハンスには軍人以外の道を歩ませるべきではとキルヒアイスは思う。
(私が口を出す問題ではない。准尉が自分で選択する事だな)
「閣下、敵の動きが鈍くなりました」
「そろそろだな。全艦、砲撃準備!」
ホーランド艦隊の動きが鈍くなり動きが止まる瞬間をラインハルトは見逃さなかった。
「ファイエル!」
ラインハルトの手刀が空を切る。光の線が標的に当たるまでに線から棒になり直撃を食らった艦は蒸発する。光の点の群れの中央に大きな黒い穴が現れる。
「第二射用意!」
「ファイエル!」
とどめであった。最初の一撃で旗艦を失い恐慌状態になったところでの一撃である。
この機を逃さずに帝国軍の他の艦隊が襲いかかる。
ラインハルトが前進を命令しようとしたらキルヒアイスとハンスが無言で制止する。
「そうだな。熱くなり過ぎた様だ。私もハンスの言葉を忘れていた」
ホーランド艦隊は壊滅したがビュコックとウランフの艦隊は健在であり、逃げるホーランド艦隊の敗残艦を襲う帝国軍に対して手痛い反撃を見舞う。
反撃する度に怯む帝国軍ではあるが執拗に追撃を繰り返しビュコックとウランフの防御陣に阻まれ、遂には逃げきられてしまった。
「ハンスの言う通り、同盟にも人材は居るではないか!」
ラインハルトは機嫌が良い。同じ戦うなら巨大な敵と戦いたいものである。
それにハンスという人材も得る事が出来た。性格的に難点もあるが適材適所で性格に向いた部署と権限を与えれば宜しい。
因みにドルニエ侯からの依頼をすっかりと失念しているラインハルトであった。
ラインハルトから人材と評されたハンスの心境は複雑である。
ラインハルトの麾下になり戦局を予測してしまった。本当は逆行前の知識でしかない。
(これで未来の皇帝に目を付けられたな)
ラインハルトの人材収集欲は有名である。自分もラインハルトの麾下に配属されたからには帝国の動乱に巻き込まれる可能性が高い。
(そろそろ決断するべきか)
時期を見て軍を辞めてオーディンの何処かのレストランに就職するつもりだったのだが果たして無事に辞められるか不安になってきた。
(こんな事なら情報提供するんではなかった)
ハンスはミュッケンベルガーが引退する時に一緒に軍を辞めるつもりであった。
その為に情報を提供してミュッケンベルガーが自分を離さない様にするつもりがラインハルトの麾下に配属されてしまった。
第三次ティアマト会戦は終了したが敵味方の勝敗だけでなく多くの人の明暗を分ける戦いになった。