ロイエンタール夫妻が新婚旅行から帰って来るのと入れ替りにハンスとヘッダが新婚旅行に出掛けた。
本来はロイエンタール夫妻の新婚旅行はフェザーン遷都完了後の予定であったが諸事情により、ロイエンタール夫妻が最初に行く事になった。
その煽りでハンスとハンスの部下やロイエンタールの部下達は連日の残業を余儀なくされた。
ロイエンタールでも手に余る仕事量なのでハンスを幕僚総監に任命して補佐をさせていたのにロイエンタールが不在となればハンスの能力では対処が出来る筈がなかった。
「無茶な話だ。士官学校も出て無い人間にデスクワークなんて!」
「ロイエンタールが帰って来たら仕事を押し付けてやれ。奴も喜んで残業するだろうよ!」
ミッターマイヤーも機嫌が悪い。ロイエンタールが抜けた為に深夜まで残業の毎日なのである。
護衛の名目でロイエンタール夫妻を監視している警備部からの情報ではローザの怒りは凄まじいそうだ。当然と言えば当然である。結婚式の当日に新郎の過去の交際相手が押し掛けて来て寛容になれる女性などは存在しないであろう。ましてや一人、二人では無いのだから。
「卿がガイエスブルグ要塞をフェザーン回廊の帝国側出入口に移動させる案を出してくれたお陰で仕事と経費が減っているがな」
オーベルシュタインの述懐の裏には本来なら残業時間も大きく削減される予定だった事を悔やむ気持ちが表れていた。
「卿でも毎日の残業は堪えるのか?」
ミッターマイヤーの失礼な発言にもオーベルシュタインは冷静に対応する。
「正直、自分でも体力がある方とは思っていなかったが、三十代半ばを過ぎる途端に体力が落ちる」
オーベルシュタインも世間的には若いとされる三十代だが四十の足音が聞こえる年齢でもある。
オーベルシュタインの述懐をハンスも内心は納得して聞いていた。
(四十代になると更に体力が落ちるんだけどね)
「そ、そうか」
ミッターマイヤーはオーベルシュタインの話を聞きくと自分も既に兆候が出ている事に気付き不安になる。
(これからは酒を控えるか)
「それも、全てがロイエンタール元帥が悪い!」
ハンスの発言に無言で同意するオーベルシュタインとミッターマイヤーであった。
ハンスから悪者にされたロイエンタールは針の筵の様な新婚旅行を送っていた。
ローザから最初の女性から最後の女性までの交際相手を自白させられていた。
そのつど、ローザから男性として批難されるのである。
「信じられない。そこまで言ってくれた女性を捨てるなんて!」
「だから、最初に言っているじゃないか」
「お黙りなさい。普通は少しは努力するもんです。それを貴方は!」
ロイエンタールも反論したくとも反論が出来ないでいた。ローザの批難は正論だったからである。
ロイエンタールは幼少期のトラウマが原因で女性不信であったが、それを克服する努力を最初から放棄していたのだから当然である。
「結婚したからには私がキッチリと再教育をします!」
ロイエンタールは古代の偉そうな人物が言った「結婚は人生の墓場である」という言葉を思い出していた。
(実際に結婚してみると至言だな)
フェザーンで帝国元帥達が平和的だが苦境にいた頃、ハイネセンでは同盟政府に深刻な大打撃を与える刑事事件が発覚していた。
旗艦バルバロッサの砲撃兵のトニオ上等兵は、その日は急病で入院した同僚の代わりに休日出勤をした帰りに同僚を見舞いに行き医師に同僚の入院期間の説明を受けて帰宅の徒についていた。
「思ったより入院が長引きそうだな。明日にもシフトを考えて貰わないと」
既に戦争が終結している為に人員も少ないのである。
「一度、オーディンに帰りたいなあ」
トニオ上等兵がオーディンに残してきた家族の事を思い出して夜空を見上げていると下半身に衝撃があった。
反射的に足元に視線を落とすと十歳程の少女がいた。
「危ないなあ。怪我は無かったかい?」
トニオ上等兵が声を掛けると少女がトニオ上等兵の手を取ると予想外の返事をした。
「助けて下さい。友達が捕まっているんです!」
トニオ上等兵の手を取ると走り出す。トニオ上等兵も少女の声に真剣さを感じ取り少女に案内されながら走る。
走りながら少女から事情を聞くと公園で友達と遊んでいたら若い男に「清掃会社を知らないかい?」と尋ねられた。
少女が清掃会社などを知る訳もなく「知らない」と応えると男は家の掃除を手伝ってくれないかと持ち掛けてきた。
少女が断ろうと思ったがバイト料金も出すと言うので友達と相談して引き受けたのである。
不況のハイネセンである。少女達も両親が生活費の工面に苦労をしている事を知っていたのである。
男のマンションに行くと男から監禁されたのである。
少女は男が仲間に呼び出された隙に幸運にもマンションから逃げ出す事に成功したのである。逃げ出した先に帝国の兵隊さんが居たのである。
ハイネセンを不況に導いている側のトニオ上等兵は少女に掛ける言葉も無く少女と少女の友達が監禁されているマンションに向かった。
少女が逃げたしたマンションには少女の友達が鎖でベッドに繋がれていた。
トニオ上等兵が鎖をブラスターで切断した後に警察に通報するのを少女の友達が止めた。
「何故、お巡りさんを呼んだら駄目なのかい?」
トニオ上等兵としては当然の疑問であったが少女の返答は衝撃的な内容であった。
少女達を監禁した男の仲間が警察官だったそうである。
以前に少女が落とし物を警察署に届けた時に御褒美のクッキーをくれた警察官だったので覚えていたそうである。
少女の話を聞いたトニオ上等兵は自分では対応が出来ないと判断して安直に当然の選択をした。
要は上司に報告して対処を押し付ける事である。
トニオ上等兵は少女達を保護してタクシーで弁務官事務所に向かったのである。
そして、トニオ上等兵から報告を受けた上司は事の重大性にトニオ上等兵と同じ対応をしたのである。
トニオ上等兵が上司に報告してキルヒアイスまで報告が上がるまで一時間と掛からなかった。
そして、この種の犯罪を嫌悪するキルヒアイスの行動は早かった。
同盟政府には連絡をせずに監禁場所のマンションに憲兵隊を急行させてマンションの借り主の名前からハイネセンポリス内に男名義で借りたマンションの全てに憲兵隊を向かわせた。
その一つで男が自殺をしているのが発見されるが憲兵の一人が偽装自殺である事に気付き少女の証言から仲間と思われる警察官を別件逮捕した。
逮捕した警察官に対してキルヒアイスは容赦しなかった。口を割らない警察官に対して拷問もせずに自白剤の使用を指示した。
警察官を逮捕するのと同時に警察官の自宅を家宅捜索をして顧客名簿と従業員名簿の押収に成功する。
顧客名簿の中に記されている顧客の名前を見たキルヒアイスは箝口令を出してラインハルトに守秘回線にて報告をする。
報告を受けたラインハルトも顧客名簿の中身に対して嫌悪感を隠そうともしなかった。
「ラインハルト様。如何なさいますか?」
「お前と同じ考えだ。キルヒアイス」
「分かりました。では、事の真相を明日にも発表しましょう」
「いや、発表は二日後にしてくれ」
「何故です?」
時間を無駄にしないラインハルトらしかぬ言葉にキルヒアイスも不審に思う。
「二日後にハンスが新婚旅行に出掛ける。旅行に行けばハンスの耳に入れない様にする事が容易になる」
キルヒアイスもラインハルトの危惧する事は理解が出来る。
顧客名簿には政治家、役人、警察官、裁判官、弁護士、芸能人やスポーツ選手まで名のある人物ばかりであった。
これが公表された時のハンスの反応は想像もしたく無い。
「また、トリューニヒトの惨劇を繰り返す事になりかねん」
キルヒアイスも実質的なハイネセンの統治者として大量虐殺を認める訳にはいかないである。
「しかし、国も人も古くなれば腐敗するものですが、同盟と帝国のどちらがマシなんでしょうね」
キルヒアイスの質問にラインハルトは応え様がなかった。
戦乱の時代とは言え、自分が最高権力者となり得たのは専制政治であったからである。
「どちらがマシかは俺には判別が出来ないがアーレ・ハイネセンがヴァルハラで泣いているだろうよ」
キルヒアイスもラインハルトの返事には同感であった。アーレ・ハイネセンと共に同盟政府を作った人々は言葉を尽くして称賛されても足りないと思うが偉大な創設者の遺産を食い潰した同盟には哀れさも感じる。
「そうですね。ローエングラム王朝も何時かは腐敗して他者から滅ぼされるでしょうが、それが出来るだけ遠い日でありたいですね」
キルヒアイスがラインハルトにだけ言える内容である。他者が居れば問題になる発言をする。
「そうだな。そうなら無い為にも俺達が帝国を固める必要があるな」
「御立派です。ラインハルト様」
「俺達と言ったからな。俺一人ではなく、キルヒアイスにも頑張って貰うぞ!」
ラインハルトの照れ隠しに思わず笑みがこぼれるキルヒアイスであった。
憲兵隊の捜査が進む内に顧客達からは子供達を「リトルエンジェル」と呼んでいた事が分かり後世の歴史家が同盟末期の腐敗を記す時に必ず例として挙げる「リトルエンジェル事件」の全容解明の始りであり、同盟崩壊の引き金となる事件であった。