銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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柊館の死闘 前編

 

 ローザの朝は早い。ラインハルトが仮皇宮である柊館を出る前に柊館に詰めるのである。

 柊館ではヒルダとアンネローゼの話相手する。ヒルダもアンネローゼも世事に疎い部分があるのでローザの話す世間話に時には笑い声を上げ、時には真剣に考えながら興味深く聞くのである。

 そして、時には家人にもローザの武勇談を乞われるのである。

 逆に家人は医療の心得が有る者達ばかりなのでローザも色々と応急手当について家人から教わるのである。

 そうして、一日が過ぎると、やがてラインハルトが帰宅する。

 皇帝一家の護衛を親衛隊に任せてローザは帰宅するのである。

 

「お帰りなさいませ。陛下」

 

「お帰りなさい。ラインハルト」

 

「姉上も皇妃も何事も無かっただろうか?」

 

(何処で育て方を間違えたのかしら)

 

 もうすぐ子供も生まれるのに名前で呼び合う事をしない弟夫婦にアンネローゼも苦笑しながらもアンネローゼは黙って部屋を出て行く。

 

「皇妃。余は明日から暫く宇宙に行く事になる。身重の貴女を残す事を許して欲しい」

 

 ラインハルトが不器用ながらもヒルダを気遣う言葉にヒルダは自然と笑みがこぼれる。

 ヒルダの本音は夫のラインハルトや父親のマリーンドルフ伯よりも、アンネローゼが側に居てくれる事が心強い。

 

「陛下。無用の心配ですわ。大公妃殿下も居られます。陛下は安心して政務に励んで下さい」

 

「すまぬ。姉上には余からも頼んでおこう。フェザーン回廊を出る事もない。三日程で帰って来る」

 

「ガイエスブルグ要塞の到着ですね」

 

「うむ。ハンスが新しく作るよりは移動させた方が手間と費用の節約になると提案してな」

 

「ミューゼル元帥らしいですわ」

 

「その提案したハンス自身はフェザーンに残る事になる。視察に行くのに元帥全員がフェザーンを離れる訳にはいかぬ」

 

「はい」

 

「それと、エミールも残して行く。あれは余と違い軍医志望で何かと役立つ」

 

「エミールは本当に素直で良い子ですわ」

 

「ハンスの奴もエミールの半分程で良いから素直さが欲しいものだが」

 

 二十歳の男を幼年学校の生徒と同列に評する事が間違いだと思うヒルダであったが口にした事は別であった。

 

「ミューゼル元帥も十分に良い子だと思いますよ」

 

「皇妃もハンスの術中に嵌まるとは」

 

 ラインハルトはハンスが相手になると自身が皇帝という立場を忘れる様である。

 キルヒアイスとは別の形の友人なのである。

 

 翌朝、ラインハルトが出掛けるのと入れ替りにハンスが訪問すると家人を集めて緊急事態に対する訓練を行う。

 

「陛下が不在の隙を狙いテロがあるかもしれません。皆さんには不測の事態が起きても慌てずに落ち着いて行動して下さい」

 

 ハンスの口調は帝国元帥というよりは消防署の職員の様な口調である。

 それでも、ハンスの地位と口調で家人達も真剣に話を聞いていた。

 

「何か質問はありますか?」

 

(この人は本当に元帥なんだろうか?)

 

 付き合いの短いローザが不審に思うのも当然である。

 ハンスにしてみれば長年の間、色々と職を変えて来た内の一つでしかないので、自身が軍人らしくないのは当然だと思っている。

 それでも、半日を使い家人達に緊急時の対応を覚えさせる事に成功する。

 

(来るとしたら明日だな)

 

 この日の為にラインハルトと三長官をフェザーンの地表から追い出したのである。

 そして、明日はケスラーとマリーンドルフ伯の両者が帝都を離れる予定である。

 

(最大の餌までの道に水を打ち、掃き清めて用意しているんだ。喰い付いて来てくれよ)

 

 ハンスの誘いに地球教も罠とは思っていても千載一遇の好機の誘惑に抗えなかった。

 一つには首謀者であるデグスビイの不在が大きかったのである。

 デグスビイも元から健康な体ではなかった。サイオキシン麻薬と酒毒の後遺症に蝕まれていた。万全を期して臨んだウルヴァシーでの襲撃が失敗した心労から入院したままである。

 本来なら医師も匙を投げる病状でありながら僅かながら快方に向かっているのはデグスビイの精神の強さであろう。

 しかし、残念ながらデグスビイは入院中であり残された部下達は暴走する事になる。

 地球教本部壊滅によりデグスビイ以外の幹部が全滅した為に暴走する信徒を抑える事の出来る人間が居なかったのである。

 それでも、残された部下達の計画と実行の手際は見事であった。

 

 柊館は仮の皇宮である。名の由来は門の両側に柊の木が植えられている。玄関の扉にも柊の彫刻がなされていた。過去形になるのは仮皇宮にされた時に防犯上の理由でハンスが交換してしまったのである。

 

「ハンスはラインハルトの性格を良く理解していますわ。交換前に言えば「無駄な事をするな」と言うでしょうけど、交換した後に言えば「そうか」の一言で終わりますわ。ラインハルトは光年単位以下の事には興味がありませんから」

 

「大公妃殿下も陛下の事を良く御存知ではないですか」

 

 ローザがアンネローゼの淹れたコーヒーを片手に感想を述べる。

 

「それは、姉なら当然ですよ」

 

「確かに陛下は光年単位以下の事に興味が無いですから、ミューゼル元帥やローザさんみたいな方は貴重ですわ」

 

 ヒルダの感想にハンスは別にしても自身に対しては過大評価だとローザは思う。

 

 三人の女性がコーヒーを片手に平和を満喫していた頃、憲兵隊本部では修羅場になっていた。

 11時30分に匿名の通報があり地球教が皇帝の留守を狙い大規模なテロを計画しているという内容であった。

 

「狡猾な!総監が不在の時を狙っての犯行か!」

 

「すぐに総監に報告します!」

 

「大本営も忘れるな!」

 

 素早い指示であったが地球教の行動は憲兵隊を凌駕していた。

 

「駄目です!帝都周辺の通信施設が既に破壊された模様です。総監に連絡が取れません!」

 

「大本営は?」

 

「大本営には既に伝令を出しました!」

 

「消防局から災害用無線を借りろ。災害用無線なら帝都内だけなら使用が出来る!」

 

 災害用無線は通信施設が機能しない事を前提にして設計されている。

 憲兵隊の的確な判断であったが事態は深刻であった。帝都内の重要施設14箇所で爆破テロが行われたのである。

 爆破されたのは通信施設、交通管制局、浄水場、エネルギー集積所といったライフラインを構成する重要施設である。

 特にエネルギー集積所は場所が場所だけに消火と避難誘導と負傷者の救出に人員と装備と時間を取られる事になる。

 憲兵隊は情報網も不十分なまま消防局と警察との連携で対処していく。

 帝都内の重要施設の破壊と市民の避難と救助活動に爆破された重要施設の消火を彼らは懸命な努力で被害を最小限に抑えていく。

 日が傾き始めて、空が紅く染められた時間になり、漸くケスラーと連絡を取る事に成功した。

 

「騙されるな。それは陽動だ。至急、仮皇宮に急行しろ!」

 

 ケスラーは帰還中のヘリの機内で報告を聞くと同時に地球教の真の目的を看破したのである。

 地球教が今の時期に狙うのは場所ではなく人である。

 ケスラーとしたら14箇所の重要施設の破壊工作を行った地球教の組織力と狡猾さに驚愕するのである。

 

(奴らにも、策士が存在するという事か)

 

 地球教の策略に憲兵隊は嵌まった形だが14箇所の重要施設の爆破に周辺地域の市民の安全を考えると策略を看破しても罠に嵌まるしかないのである。

 

(全く狡猾な。しかし、大本営にはミューゼル元帥がいる。仮皇宮への襲撃を阻止してくれてる筈)

 

 ケスラーとしたらハンスに期待するしかないのである。

 ケスラーは憲兵隊本部には戻らずに仮皇宮にヘリを向けさせたのである。

 

 ケスラーと同じく地域教の策略を知っていたハンスは憲兵隊からの伝令が来るのと同時にフェザーンに残っていたミュラー、ルッツ、シュタインメッツ、レンネンカンプの四人の提督に憲兵隊の指揮下に入り負傷者の救出と避難に協力する様に指示を出した。

 

「同時多発テロの対処には人海戦術しか手は無い。市民の安全を第一に行動して下さい。私は仮皇宮に急行する」

 

「閣下だけ行かれるのは危ないです。私達の兵を何人かお連れ下さい」

 

 ルッツがハンスに自分の部下を渡すのも道理である。

 ハンスは幕僚総監という立場上、自身の麾下に兵が居ないのである。

 そして、ルッツはハンスの行動原理を知っている。ハンスが市民の安全を一番に考えているので単身で仮皇宮に向かう事は目に見えているので説得する。

 

「分かった。では、私は先に行くから後から余った兵を向けて下さい」

 

 ハンスは素直にルッツの進言を受け入れる事を言うのと同時に窓から外に飛び出す。

 

「閣下!」

 

 ミュラーが慌てながら窓に駆け寄り外を見るとハンスがバイクで走りさる後ろ姿が見えた。

 

「あの人、元帥なのに何を考えているんだ?」

 

 ミュラーの叫びに年長者三人は何も応える事は出来なかった。

 ミュラーを呆れさせたハンスにしたら、この日の為に柊館を対テロ用に色々と改装したのである。

 そして、柊館には射撃戦の専門家のローザも配置しているのである。

 出来るだけ最小限の人数で良いと思っていた。柊館に人数を割くよりは市民の救出に使うべきだと思っていた。

 しかし、柊館に到着したハンスは自分が地球教を過小評価していた事を思い知るのであった。

 地球教はハンスの予想以上の人員を投入していたのである。

 

 


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